All Chapters of 地上のパイロットは同期の私に塩対応が過ぎる: Chapter 21 - Chapter 30

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第 21 話

落ち着かない気分で、慌ただしい長距離チームの島と彼を交互に見遣った。「ダイバートした便を、この後どうするか。乗客の誘導も、元営業のあんたなら役に立つ。燃料積んで再フライトするようなら、その分のプランも作らなきゃいけない。情報収集の人手が必要になる」氷室さんは、表情も変えずにそう言った。 無意識にゴクッと唾を飲んだ私に、ゆっくりと視線を向ける。「八巻さんでも、猫の手くらいにはなるんじゃない? 行っといで。俺も、こっちの業務が済んだら、行くから」どこか棘を含んだ言い方だけど、カチンとしてる暇はない。「……はいっ! 行ってきます」私は気持ちを奮い立たせて、席から立ち上がった。国内長距離線チームのサポートに回った私は、他の空港に着陸した便の乗客の代替経路手配と、再フライトに備えたフライトプラン作成に必要な情報収集を任された。再フライトと言っても、乗客や機体の整備状況を、先のフライトプランから踏襲できるわけではない。 降機して、陸路で移動する乗客もいるから、ロードプランも含めて、すべて一から作り直し。 最新のデータが必要になる。 まさに台風が直撃している那覇の気象状況は、刻々と、目まぐるしく変化していて、三十分前の予報も当てにならない。ディスパッチャーが、コックピットと密な交信を行う中、私は九州各地の空港や、JR、私鉄、バス会社などと連絡を取り、輸送手段の調整を行った。 同時進行で情報収集に駆けずり回り、機長とのブリーフィングにも、オンラインで参加させてもらって……。荒天時のOCOは、一言で言うと凄絶。 とにかく大変で、目が回りそうだった。それでも、台風は留まることなく通り過ぎていく。 午後六時には、那覇空港上空の天候も回復して、代替空港にダイバートした便の再フライトにも目途がつき……。「八巻さん、フォローありがとう。助かったよ。あとは自チームで対処できるから」長距離線チームのリーダーに言われ、午後八時、私は仕事から上がることができた。 午前五時半から、十四時間超――。 さすがに、疲労困憊だった。それでも、初めての荒天対応で足を引っ張ることなく、『助かった』と言ってもらえた高揚感が湧いてくる。 身体は疲れてるのに、妙な興奮が収まらない。私は、OCOの隅にある簡易的な休憩室に移動した。 コーヒーの紙コップを手に、ベンチタイプ
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第 22 話

そこにこそ、地上のパイロットと呼ばれる、この仕事の本質がある。私はまだまだ成長が必要だ。 私の目の前に広がる道は、広く長くそして限りない。早く……早くみんなに追いつきたい。 突き進む決意を新たに、武者震いした時。「お疲れ」休憩室に、氷室さんが入ってきた。「っ……、お疲れ様です」スッと姿勢のいい彼を目に留めて、私の背筋はいやがおうでもピンと伸びる。 スラックスのポケットに手を突っ込み、ドリップ式ドリンクの自動販売機に向き合う彼を、私はそっと窺った。氷室さんも、通常業務を終えてから、長距離線チームのサポートに入っていた。 指示通りに情報収集に当たるしかない私と違って、心強い戦力。いつも以上にスピーディーな対応を迫られ、緊張感漲る張り詰めた空気の中、ツーシフト通しでこなしたようなものなのに、彼の横顔に疲労感はない。 いつもと変わらず、涼し気だ。本当に、すごい、すごい人――。 私は、ちょっと悔しい気分で、手元に目を伏せ、きゅっと唇を噛んだ。「疲れた? 帰っていいよ」しれっと声をかけられて、ハッとして顔を上げる。 『帰っていいよ』という言葉から、彼との『約束』が胸によぎった。「で、でも」 氷室さんは、抽出口からアイスコーヒーを取り出して一口飲んでから、「ん?」と聞き返してきた。「帰さない、って……」無意識に身を乗り出した私に、訝し気に眉を動かす。「ああ」思い当たったのか、短く相槌を打った。「日付が変わるまで、かかるかもって思ったけど。予想以上に早く収拾ついたから」「……え?」「台風十三号対応。もういいって言われなかった?」紙コップの縁を人差し指と親指で摘まみ、どこか小気味よく首を傾げる。「はい。でも……」私は、反射的に声を挟んで……。 ――そういうこと!? 一瞬にして、理解が繋がった。『明後日は、帰さない』アレは、お誘いでもなんでもない。 最初から、沖縄に台風が直撃して、OCO総出で対応に追われることを見越していた。 私の手でも必要になる、それだけの意味だ。はっきり認識した途端、あまりの恥ずかしさに、私はカアッと頬を火照らせた。 ――恥ずかしい。恥ずかしい。 そして、情けない……!!「っ……」勢いよく顔を伏せ、カップを持つ両手に目を落とした。 さっきの武者震いとは違う羞恥の震えで、カップの中
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第 23 話

「っ、熱っ」慌てて、口から離した。 そんな私を、氷室さんは表情も変えずにジッと見ている。見透かされてる。 心の、奥の奥まで。なのに、核心を突いた問いかけをしてこないなんて、本当に意地悪。意地悪だ。 居た堪れない気分で、私はベンチシートから腰を上げた。半分残ったコーヒーを捨てて、口元に手の甲を当てると、「お疲れ様でした。帰ります」大きく面を伏せ、彼の前を通り過ぎようとした。 なのに。「っ!?」手首を掴まれ、ギョッとして振り仰ぐ。 氷室さんは、私をまっすぐ見下ろしていた。 バチッと目が合った途端……。「期待してたんだろ? いいよ。ヤる?」感情のわからない冷然とした瞳に私を映し、短く訊ねてくる。条件反射で、私の心臓が飛び上がった。「な、なに……」「『なんの期待?』って聞き返さずに、そんなことないって即答できるのは、俺が言ったことが正しいから。……だろ?」氷室さんは、私の手を払うように放して、紙コップを口元まで摘まみ上げた。 レンズの向こうで長い睫毛を伏せ、アイスコーヒーを飲む。男らしい喉仏が上下する様を、私は呆然として見上げた。 とっさに返す言葉が見つからず、パクパクと口を動かす。私の視界のど真ん中で、氷室さんはアイスコーヒーを飲み干すと、クラッシュされた小さな氷を噛み砕き、口の中でボリボリと音を立てた。返事を待って、こちらに向けられる流し目は、危険を感じるほど妖艶で、オフィスの片隅にある休憩室にはそぐわない。 私は慌てて、彼の視線という呪縛を解いた。「な……なんで私が、氷室さんとそんなこと、期待しなきゃならないんですか」コーヒーで喉を潤したばかりなのに、すでにカラカラに渇いている。 声が張りつく不快感を堪えながら、なんとかそう言い返した。「さあ。違った?」氷室さんは、空になった紙コップをダストボックスに捨てると、軽く腕組みをして私に向き合った。「でもあんた、俺に望んでること、まだまだたくさんあるんじゃないの?」ほんのわずかに眉尻を動かし、質問で返してくる。 思わずグッと詰まる私の反応を、どこか狡猾に細めた目で、一から十まで観察すると……。「っ!」首筋に添って、喉元にかかった私の髪の毛先を、軽く曲げた人差し指の関節でくすぐった。 ともすれば、セクハラまがいな小さな仕草。 だけど、経緯はどうあれ一線を
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第 24 話

立派なディスパッチャーに育ててもらうという、本来当然の約束を勝ち得たのだから、これ以上彼に望むことなどなにもない。『お疲れ様でした。お先に失礼します』と言って、この間のことも今の危険なやり取りも、笑って流してしまわなければ。今、自分がどうすべきかは決まってるのに、私の身体は金縛りにあったみたいに動かない。 横顔を睨めつけるような視線から逃れられず、背中に変な汗が伝うのを感じた。返事ができず、黙っていたのはどのくらいの間だったか。 視界の端で、氷室さんが面白くなさそうに顔を歪めて、サッと背を起こす様が映った。「そ。なら、話は終わり」休憩室に、重く濃密な空気を漂わせておいて、しれっと私に背を向ける。 私一人をこの危うい空気の中に置き去りにして、多分もう、氷室さんはこれ以上、仕事以外で私に関わろうとはしない。――ズルい。 彼の言う通り『期待」して、ずっと静かに鼓動を高鳴らせていたことを、今認めなければ、『終わり』だなんて。 そんな交換条件を出されたら、認めるしかない。氷室さんは、私がずっと目標としてきた人で、彼への憧れは純粋なものだった。 だけど、私はこの三ヵ月、彼のそばで憧れを、想いを強めてきた。 今は、誤魔化しようがなく、恋心へと昇華している。 悔しいけど、それが紛れもない事実だ。私が、氷室さんに望むこと。 あるわよ。 たくさんあるに決まってる……!容赦なく煽られた恋心が、私の中で大きく爆ぜた。 弾かれたように振り返ると、氷室さんはドアに手をかけたところで……。「ま、って!!」呼びかけるのと同時に床を蹴り、私は彼の背中に飛びついた。 ほんの一瞬、ピクッと反応する気配はあったものの、それ以外はほぼノーリアクションで、氷室さんは私を肩越しに見下ろしてくる。「ある。氷室さんに、望むこと」私は、彼の背に額をぶつけて俯き、声を絞った。 でも、たくさんの彼への望みが、私の中で一気に押し寄せ、今どれをぶつけていいか混乱しそうになり――。「氷室君って呼びたい。同期らしく、普通に話したい……!」とっさに浮かんだのは、そんな願いだった。 声が嗄れるかと思う声量で発したつもりだったけど、情けなく掠れて響かない。 でも、もちろん、氷室さんの耳には届いていて。「……交渉、成立」焦れるくらい事務的に呟き、私の目の前でくるっと回れ右を
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第 25 話

汗ばんだ肌と肌がぶつかる音。 正気じゃ聞いていられない、気が遠くなりそうなほど淫らな水音。 絶え間なく与えられる悦楽に、もう憚ることを忘れた私の喘ぎ声と、少し乱れた氷室さんの息遣い――。今、この部屋には、私と彼が発する淫靡な音が、溢れ返っている。 時折、飛行機のゴーッというエンジン音が聞こえて、ここが羽田空港の近くのホテルだと思い知る。オフィスから目と鼻の先の場所で、こんな……。 最初のうちは、エンジン音が鼓膜をくすぐる度に、言いようのない背徳感がよぎったけど、いつの間にか、そんな余裕も理性も失っていた。氷室さんと一緒にオフィスを出て、この部屋に入った時、室内の空気は肌寒いくらいだったのに、今はエアコンが弱く感じるほど、私たちは熱く深く抱き合って――。「っく……はっ……」氷室さんが、私とほとんど同時に達したのが、耳を掠める切ない吐息でわかった。「……は、っ」彼が手を突いたのか、ベッドがギシッと軋む音がする。 私は、荒い息で胸を喘がせながら、うっすらと目を開けた。氷室さんが上体を起こし、なにかを払うように、ブルッと頭を振る。 少し長めの前髪が、私の額の上でサラッと揺れた。氷室さんは少しの間、顔を伏せたまま、呼吸を整えていたけれど……。 ふいと顔を背けると、無言で起き上がった。私もなにも言えずに、ベッドから降りるしっとりと湿った広い背中を目で追った。 氷室さんは、素っ裸のまま。 私の視線を気にする様子もなく、窓際の丸いテーブルに歩いていった。ここに入る前に立ち寄ったコンビニの、白いビニール袋をガサッと鳴らして、ミネラルウォーターのペットボトルを取り出し、ベッドサイドにドスッと腰掛ける。 カーテンの隙間から挿し込む一筋の月光に青白く照らされ、喉を仰け反らせて水を飲んだ。 「ふーっ」と長い息を吐くと、思い出したように、肩越しに私を見下ろす。「飲む?」短く問われて、私はまだ胸を上下させたまま、何度か頷いて応えた。 そろそろと腕を伸ばし、彼の手からペットボトルを受け取ろうとするけれど、なんの意地悪か、スッと手を引っ込められる。「え?」思わず見上げると、氷室さんは再び自分の口元にペットボトルを持っていき……。「ん」軽く身を捩って、私に覆い被さるようにキスをした。「! っ、っ……」 こじ開けられた唇の間から、温まった水が
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第 26 話

「っ……」私の心臓は、不覚にも、バクバクと爆音を立てた。 おかげで、乱れた呼吸が、なかなか元に戻らない。 最初に『恋人を抱くんじゃない』と言ったのは、彼の方なのに……。「……氷室さんも、そんな甘いこと、するんですね」私は胸元に布団を抱え、三角座りになってボソッと呟いた。「え?」「だから……口移し」抱えた膝に顎をのせて、モゴモゴと言い淀む私に、「ああ」彼が、短い相槌を打った。「自分で飲ませたら、零してビショビショになるだろ。ただでさえグチャグチャなのに」「……!! 氷室さっ」私たちの行為の余韻で、濃厚な空気が充満している部屋の中、なんともドギツい返答に言葉が詰まる。 顔が火照りそうになって、面を伏せて落ち着こうとしていると。「……いいよ。普通に喋って」素っ気ない声が聞こえて、一拍分の間を置いてから、そっと顔を上げた。「呼び方も。そういう約束のギブアンドテイクだし。今度は、あんたの番」氷室さんはこっちを振り向きもしないけど、私の視線は感じているのか、ひょいと肩を竦める。 わずかに覗ける横顔に、表情の変化は特段見られない。 だけど。「ええと……それじゃあ」私は、何故か再び鼓動が騒ぎ出すのを自覚しながら、一度こくりと唾を飲んだ。 そして、「氷室、君」早速変えてみた途端、やけに全身がむず痒く感じた。 一度、無言の拒否に遭っていたせいか、敬称を変えただけで急接近した気分になる。「ひゃー……」妙に照れ臭くなって、膝に額を預けて悶えた。 氷室……君、は、記念すべき第一回目に、溜め息を返してくる。「あんたって、バカだな。そんなことのために、俺に抱かれるんだ」呆れた声で、私を辛辣に蔑む。私はカチンときて、勢いよく頭を上げた。「な……仲良くやりたくて拒否られたショック、氷室、君、にはわからないの」「仲良く、ねえ……今のこれは、あんたの言う『仲良く』? 別の方向に彷徨ってる気がするけど」「憧れてた人と、楽しく仕事したいって思って、なにが悪いの!?」私の剣幕に、さすがに彼もギョッとした様子で目を丸くした。 口元に手を遣って、つっと視線を横に流す。「憧れとか目標で済むなら、『仲良く』もいいんだけどね……」「は?」大きな手でくぐもってよく聞こえない声に、私はつっけんどんに聞き返した。 氷室君は、なにか言い淀むように、
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第 27 話

「惚けてない」「なにをいけしゃあしゃあと……私が異動した初日! 挨拶して、『氷室君って呼んでいい?』って聞いたら、凄い勢いで睨まれた!」私が身を乗り出して抗議すると、記憶を手繰るように眉を動かす。 しげしげと、顎を撫で――。「なるほど。なんとなく、カラクリがわかった」一人納得顔で、ポンと手を打つ。「え?」不信感を憚らずに聞き返した私の顔を、わざわざ目線を合わせて覗き込む。 条件反射でドキッとして、背を引いた私に、「その時俺、この顔じゃなかった?」自分を人差し指で示して、訊ねてくる。 この顔? どういう意味?「間違いなく、この顔だったけど?」質問の意味が理解できず、私はやや警戒して聞き返した。 だけど、氷室君は意に介した様子もなく。「そうじゃなくて。眼鏡。してなくなかった?」「え?」「あんた、俺に泣き黒子があるの、前から知ってたみたいだし」質問に虚を衝かれ、私の方からも身を乗り出した。 意味もなく、彼の鼻根のあたりに目を凝らす。そして。「……言われてみれば」記憶の隅っこを掘り起こして、思わず独り言ちた私に、氷室君は「だろ?」と首を傾げる。「ちょうどその頃、眼鏡の度が合わなくなって、調整出してた。裸眼だと、このくらいの距離じゃないと、顔がわからない」「…………」「さすがに、いきなり顔近付けられないし。焦点合わせようとすると、目つき悪いって言われる。俺」ほとんど表情を動かさず、ケロッとして言われて……。 ――ええと……つまり? 初日の挨拶への睨みは、拒否ではなかった……?そうと知ったら、また別の憤りが沸々と込み上げてくる。 私は、カタカタと肩を戦慄かせ――。「自分で勝手に手の平返しておいて、なにが『氷室君って呼んでいい?』なのか。そんな許可のために、二度も俺に抱かれるなんて、救いようのないバカ」『バカ』を連発する飄々とした声が、火に油を注ぐ。「ず、ズルい……!!」頭の中で、なにかがドカンと爆発した。「うわっ。なんだよ」両手を振り上げて、彼の胸をポカポカと叩く私の頭上から、わずかに裏返った声が降ってくる。「許可取る必要かったなら、別の交換条件にする!」「ダメ。ギブアンドテイクは、成立したろ。アメンド不可」氷室君が腕を翳して、私の攻撃に防衛する。「おい。やめろって」聞く耳持たず、何度目かで振り下ろ
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第 28 話

「ひむ……あっ!」舌の付け根から絡まるキスに恍惚とする間に、胸をやわやわと撫でられ、腰が浮く。「い、今っ。たった今、日を改めて、って!」必死に首を捩じって、キスから逃れた。「ああ。別のはそうして」「!? じゃ、じゃあ、なんでまた……」しれっと返す彼を咎めるつもりで、顎を引いて、胸元で動く手を見据える。「だって、そう言ったろ」何故だか氷室君は、心外といった感じで、眉根を寄せた。「一度につき、一つって」私は意味がわからず、彼を見返してしまう。「一回じゃなくて、一度」氷室君は、理解が遅いとでも言いたげに、わかりやすく呆れた顔をして答えてくれた。「え……?」それでも理解できない私に、これ見よがしな溜め息を返してくる。「一回っていうのは、回数のこと。一度は、量的な範囲は定まらない。つまり、この一度には、二回目も三回目もある」「!?」「理解した? じゃ、二回目開始するよ」「う、嘘っ……」言葉巧みに私を翻弄して、当然のように本日二回目を仕掛けてくる。「そ、そんな屁理屈……! ズルい、氷室く……!!」必死に理性を働かせて、狡猾な彼を詰ったものの。「っ、あ、んっ……!」意志とは関係なく尖った胸の先を、いきなり攻められたら堪らない。 いやがおうでもゾクゾクと戦慄く私に、氷室君はふっと目を細めた。「あんた、俺にされると、すぐ感じるのな」嗜虐的に舌なめずりされて、私の心臓が限界を越えて拍動する。「そんなにいい? それとも……久しぶりだから刺激強い?」なんのツボに入ったのか、氷室君はまるで見せつけるように、わざと音を立ててゆっくり吸い上げる。 抗いようのない快感に身を震わせながらも、聞き捨てならない質問を、私の聴覚はしっかり捉えた。「っ、な、なんで久しぶりって……!」仰る通り、最後に彼がいたのは入社二年目の頃。 もちろん、氷室君以外に、恋人でもない人と、こんなことをした過去はない。 つまり、軽く七年ぶり……セカンドバージンに違いないけど、あっさり見抜いた上に世間話みたいに話題にされたら、なんとも言えず屈辱だ。 なのに、氷室君には、デリカシーというものがないのか。「わかるだろ。反応とか。……まあ、いろんな?」「っ、あんっ……!」当たり前のように返す唇が、敏感なところを掠めるから、反論したいのに甲高い喘ぎ声にのまれてしまう
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第 29 話

今、ここで二年ぶりなんて答えられたら――。「あ、あの」私は無自覚に、彼に探りを入れたことに気付き、取り繕おうとした。 だけど。「少なくとも、あんた未満じゃないかな」それ以上ツッコむこともできないけど、なんとも気になる言い回しに、なにか、胸の奥の方がきゅうっと締めつけられる。 氷室君は再びベッドを軋ませて、突っ張った両腕の中に私を囲い込んだ。「つまらない話は終わり。……いいから集中して」「あっ……!」間髪入れずに再開された愛撫に、いやがおうでも腰が跳ねた。 電流みたいな痺れが、私の背筋を駆け上る。 迸る快感に、目の前がチカチカする。「氷室、く……」せり上がる悦楽を、自分では堪えようがなく……。 私は、彼が施す官能の渦にのまれていった。例年より三日ほど遅く梅雨が明けて、連日猛暑が続く八月初旬。 日勤勤務の就業時間を三十分ほどオーバーして、ようやく仕事を終えた私は、急いでオフィスを出た。空港の地下の駅から、電車に乗って数駅。 この間、管制塔と定例懇親会をやったのと同じ駅ビルに着き、あの時とは別の和風居酒屋に入った。 店先まで出迎えてくれた店員に、待ち合わせだと告げていると、「お~い、藍里!」「こっちこっち!」耳慣れた二つの声がして、私はその方向に顔を向けた。「あ」お店の奥の席から、今日の約束の相手二人が、こちらに向かって大きく手を振っている。 私は店員の案内を断り、低い囲いで仕切られた四人掛けテーブルに歩いていった。「ごめんね。遅くなって」ブースに入ったところで足を止め、開口一番で謝る。「ううん。お疲れ~」テーブルに両手で頬杖をついて、ニコニコ笑って返してくれたのは、本社で財務部勤務の事務社員、望月理華。 壁側のベンチシートに腰かけていた彼女が、荷物を退かして私に隣を勧めてくれる。「ありがとう」私はお礼を言って、彼女の隣に腰を下ろした。「お疲れ様。さっきのゲリラ豪雨で、ディレイ対応だって? 大変だね」理華の向かい側に座っていた、同じく同期の今野瞳が、私に声をかけてくれる。「そうなの。でも、それは瞳も……お互い様でしょ」私はそう答えながら、ひょいと肩を動かした。「私は今日、新千歳一往復で、運よくその前に東京に戻って来れたから、被害なし」「そっか。よかった」そう言って、彼女に
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第 30 話

私が、こちらに近付いてきた店員に、声をかけようとすると、「お待たせしました。中生です」オーダーする前に、私の前にドンと置かれた。虚を衝かれてきょとんとする私に、「通路歩いてくるの見えたから、オーダーしといた。いつもそれでしょ?」瞳が自分のジョッキを口に運びながら、そう教えてくれる。「いつの間に……さすが瞳。気が利く」一緒にいたはずの理華は、彼女がオーダーするのに全然気付いていなかったようだけど、言葉ほど驚いた様子はなく、クスクス笑って自分もジョッキを持ち上げた。「ふふ。瞳、ありがと」私たちは、それぞれ職種も働く場所も違うけど、定期的に開催される同期会の常連メンバーで、入社当時から九年の付き合いだ。 気兼ねのいらない砕けたやり取りに、無意識に目尻が下がる。「じゃ、藍里も来たことだし、四ヵ月ぶりの女子会始めましょ。改めて、みんなお疲れ様っ。かんぱ~い!」瞳とは違ったタイプの美人だけど、気取ったところがなく、可愛いといった印象が強い理華が、明るく声を弾ませる。 私も二人に続いてジョッキを手にして、「乾杯!」と応じた。 それぞれ、数口ゴクゴクとビールを飲んで……。「ふーっ」ほとんど同時に、大きな息を吐く。「よし。食べ物追加しよ」理華が、一度私に手渡してくれたメニューを開き、「出汁巻き卵でしょ、チキンバスケットでしょ……」と、指折りセレクトを始める。「理華、これ。遅くなってごめんね。結婚祝い。おめでとう」私は、持参した紙バッグをテーブルにのせて、彼女の方に軽く押した。「え」「大したもんじゃないんだけど。ペアのタンブラー。よかったら、使って」理華は、パチパチと瞬きをしたけれど。「ひゃー……わざわざ、お気遣いいただいちゃって……」うっすらと頬を赤く染めて、何故だか恐縮したように肩を縮める。「えっと……ありがとう、藍里。大事に使わせてもらうね」そう言って、照れ臭そうにはにかんだ。 理華は、副操縦士の水無瀬君の奥様だ。 一年ほど同棲していて、この間目出度く入籍の報告をもらったけど、実は私は、二人が付き合い出した経緯を、詳しく知らない。 二人とも、同期会で顔を合わせる仲間だけど、そんな素振りもなかったし、付き合ってると聞いた時、真っ先に『いつの間に』と言ってしまった。「まだ照れてるの? 理華」テーブルに頬杖をついて、ニヤ
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