冷徹な夫が暴走愛?それでも妻は絶対に許さない のすべてのチャプター: チャプター 51 - チャプター 60

100 チャプター

第51話

「お母さんから聞いたぞ。この間の北条家の食事会で、勲先生がお前のことをわざわざ名指しにしたそうだ」その晩、慶は仕事のため欠席していた。翔平は無言で頷いた。慶が続けた。「勲先生の気性はお前も知っているはずだ。前はあんなにお前を買っていたのに、今回の振る舞いには相当ご立腹の様子だ。もう結婚して子供も生まれるんだ、少しは考えろよ」翔平は表情を曇らせたまま、何も答えなかった。慶は翔平を見つめた。この結婚が翔平を縛っていることは分かっている。かつては家柄も釣り合うような相手を縁談として紹介していたのだ。だが、幼い頃から自立心の強い翔平は、他人に道筋を決められることを嫌う。それだけの地位と力もある息子だ。相手が誰であれ、彼が望む女性と一緒になること自体、反対はしなかったのだが。今のこの結末を、誰が想像できただろうか?「明日はちょうど週末だ。挨拶に行って、勲先生と顔を合わせておけ」翔平は「分かった」と短く返した。その頃1階では、一家がリビングで団らんを楽しんでいた。悠斗は美羽が少し居心地悪そうにしているのに気づき、D国から届いたファイルの処理を頼んで席を外させてあげた。「急ぎの案件なんで、今も催促のメッセージが来てて、美羽に頼むしかないんですよ」日和が「なら早く手伝ってあげて!」と声をかけた。「……」悠斗が美羽をサイドテーブルのある小部屋に案内すると、美羽はやっと肩の荷が下りたように息をついた。年配の女性だけなら、無視される空気にも耐えられる。だが、男性陣が相手となると話は別だ。中山家の男たちの放つ威圧感は凄まじく、一目向けられただけで息が詰まりそうになる。もっとも、小さい頃から付き合いのある悠斗は例外だが。悠斗が笑って言った。「そんなに緊張するか?」美羽は彼を見て「何のファイルなの?」と尋ねた。悠斗は「とりあえず座ってよ!」と笑う。パソコンを開いてテーブルに置くと、ファイルを美羽に見せた。ざっと目を通したところ、30分ほどで終わりそうだった。悠斗は美羽の隣に腰を下ろした。数十分後、作業は完了した。すると、悠斗が改まって仕事を持ちかけてきた。「うちで秘書をしない?翔平さんのとこの倍の給料を出すよ」美羽は立ち上がり、ソファーへ向かった。腰をいたわりながらゆっくり座ると、笑った。「
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第52話

日和は美羽と悠斗を見て、こう尋ねた。「解決したの?」悠斗が答える。「ええ、もう解決済みです。美羽には本当に助けられました。日を改めてお礼を兼ねて食事に招待したいですね」日和は「それは必要ね」と応じた。「……」美羽は親戚一同に別れを告げると、ダウンジャケットを羽織り、翔平のあとについて外へ出た。運転手が車の準備を整え、玄関の目の前に停車させていた。翔平は片手をポケットに突っ込み、悠々と車に乗り込んだ。先ほどまで降っていた雨のせいで、足元はぬかるんでいる。使用人が美羽の身体を支えながら、ゆっくりと階段を下りていく。車の扉が開くと、美羽は一方は車のフレームに、もう一方はシートに手をつき、細心の注意を払いながら乗り込んだ。車内の翔平はスマホの画面に釘付けのままで、誰かとメッセージをやり取りしているようだ。美羽が座席に腰を下ろしたのを確認してから、運転手はドアを閉めた。それから、車はゆっくりと本邸を後にした。静まり返る車内。躊躇していた美羽は、覚悟を決めて隣の翔平に声をかけた。「最近体が少しつらくて、実家に帰ってもいい?」翔平はスマホを閉じて、冷徹に言い放った。「子供が産まれるまで、うちの邸宅に住め。どこにも行かせない」思わず息を呑み、拳に力が入る美羽。どう考えても、翔平が自分と一緒に住みたいから引き留めているわけではなかった。「それでも構わないけど、自分で家政婦を一人雇わせて」これまで住み込みの恵と翠は、日和の厳しい叱責があったせいで渋々身の回りの世話をしていたが、相変わらず陰険な態度で接していた。翔平はチラリと美羽を見ただけだったが、何も言い返さなかったので、同意と受け取った。美羽はほっと胸をなでおろした。邸宅に戻ってから、美羽は澪にこの一件を話し、信頼できる家政婦探しを依頼しようとした。すると澪は言った。「そんな見知らぬ人じゃ心配よ。いっそ私がお世話をしにいくわ」「そんな!ダメよ。家のこともあるし、1か月後にはお父さんとの結婚式もあるのに。忙しすぎて体が持たないよ」「家の掃除くらいなら時短の家政婦を雇えば済むわ。結婚式だって盛大にやるつもりはないし、家族でささやかに食事をするだけだから大げさなことにはならないわ。お父さんと相談してからまた連絡するから待ってて」「分かった」と美
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第53話

それを見て、澪は思わず眉をひそめた。二人は美羽たちに気づくと、呆れたような視線を送り、悪口を言いながら鼻で笑った。美羽がこの家で辛い思いをしているのは知っていたが、家政婦まで美羽を侮っているとは思いもしなかった。澪が激怒して問い詰めようとしたので、美羽が「澪さん、寝室に戻ろう」と止めた。澪は腹の虫が収まらなかったが、それでも美羽に従って寝室へと戻った。「ただの家政婦のくせに、どうしてあんな態度がとれるの?」美羽はお腹をさすりながら座り、言った。「あの二人の態度は、翔平が容認しているからよ。もうしばらくの辛抱だから、澪さんはなるべくあの二人に関わらないで」ここで騒ぎになれば、二人はすぐに翔平に告げ口をして、澪を追い出しかねないからだ。日和はかばってくれているようだが、それも表向きだけで、決して心から美羽を受け入れてくれているわけではない。美羽の心中を察した澪は、目に涙を浮かべた。正人の会社が倒産しなければ、涼太もお金を貸すことができ、美羽がこれほど苦しむことはなかったはずだ。その思いを察した美羽は慰めた。「澪さん、大丈夫。この結果も、運命として受け入れた。どんなに辛くても、それが私の選んだ道。無念ではないし、これから自分を大切にしていく」澪はうなずいて、美羽の手をぎゅっと握った。「そうね、きっと良くなるわ」澪が涼太の会社の件を話すと、先日交渉した出資の話が順調に進んでおり、会社としての評価も高まっているようだった。それを聞いて、美羽は安心したようにほほえんだ。……翔平は北条家を訪ねた。しかし、勲とは会わせてもらえず、空から諭された。「父は頑固でね。君を昔から見込んでいるからこそ、家庭も仕事も完璧であるべきだと思っているんだ。期待が大きすぎて、少し怒っているだけだよ」空は、英樹から今回の揉め事について詳細を聞いていた。そもそも勲は教育上、家庭円満を最も重視しており、政敵たちに家庭面で付け入る隙は一度も見せたことがなかった。そのため、勲が怒るのも無理はない。しかし翔平からすれば、美羽との結婚は強制されたようなものだ。不満を抱くのも当然だった。翔平は淡々とした声で答えた。「勲先生を失望させてしまったようです」空がふと歩みを止めて、真剣な眼差しで翔平に聞いた。「それで、今はどう考えてい
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第54話

「おじいちゃん!」ふと、愛らしい声が耳に届いた。ピンク色のダウンジャケットを着た真奈美が、うさぎの耳がついたフードを揺らしながら小走りで駆け寄ってくる。その姿は、まるでふわふわの小さなうさぎそのものだった。そばには家政婦が、慎重に真奈美に寄り添っている。「真奈美様、あまり急がないでください」空は目を細め、真奈美の方へ歩み寄って腰をかがめた。「やれやれ、可愛い真奈美ちゃん、転んだら大変だよ」真奈美は小さな腕を空の首に巻きつけると、頬にちゅっとキスをした。空は顔をくしゃくしゃにして笑い、その柔らかな頭を優しく撫でた。「さあ、ご挨拶して」真奈美は翔平を見上げ、可愛らしい声で「翔平さん」と呼んだ。翔平は穏やかな眼差しを向け、手を広げて言った。「抱っこしようか?」真奈美が素直に手を伸ばしたので、翔平は彼女を抱き上げた。その瞳には、真奈美に対する溢れんばかりの慈愛が宿っていた。翔平は真奈美に尋ねた。「ひいおじいちゃん、まだ怒ってるのか?」真奈美は首を小さく振った。「ううん。ひいおじいちゃんのためにケーキを作ったの。とっても喜んでくれたよ」空は目を細めて笑った。「ひいおじいちゃんは真奈美ちゃんが一番大好きだからな」「……」二人はしばらく真奈美の遊び相手をした。彼女が花畑で蝶を追いかけ、小さな手で慎重に羽をつまんで話しかけている姿を、目を細めて眺めていた。「君のところに赤ちゃんが生まれたら、真奈美ちゃんにもいい遊び相手ができるな」翔平は真奈美に視線を注いだまま、深く頷いた。「ええ、そうですね」お昼近くなり、空から食事に誘われたが、翔平はそれを丁重に断った。今の勲が自分を快く思っていないことを悟っていたからだ。「また父とゆっくり話をしてみる。数日もすれば、その怒りも静まるだろうから」「ありがとうございます、空さん。では、これで失礼します」「ああ、気をつけてな」真奈美が翔平に手を振った。「翔平さん、またね」翔平はその小さな頭を軽く撫でた。「ああ、また遊びに来るよ」真奈美は大人しく頷いた。車に乗り込むと、翔平は静かに北条家を後にした。ちょうどその時、スマホが小さく震えた。電話に出ると、彼の表情が穏やかなものに変わった。「もしもし?」受話器からは、瑠衣の声が聞こえてくる。「ああ、
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第55話

美羽は我慢しきれず、翠をひっぱたいた。怒りのあまり、腹に痛みが走った澪が美羽を支え、慌ただしく邸宅を出て病院へ向かった。翠と恵は青ざめた。二人は、翔平が帰宅するとすぐに自分たちの非を認めず、先に責任をなすりつけるつもりだった。二人がしおらしく被害者面をしていると、終始無表情な翔平を見て、突然どう対処していいか分からなくなった。「美羽は今どこだ?」と、翔平の声から感情が読み取れなかった。恵は悪びれもせず言った。「少し言っただけでこの騒ぎですよ。態度が悪すぎやしませんか?今頃は実家にでも帰ったんじゃないですか?」翔平は「電話しろ」と指示した。病院にて。診察を終えた医者が告げた。美羽の腹痛は興奮による収縮で、深刻なものではなく、治療の必要はなかった。美羽の容体が落ち着くと、澪は一度、美羽を実家へ連れて帰ろうとした。美羽は首を振った。帰れば正人に心配をかけるからだ。澪もそれ以上無理には言わなかった。二人は外で夕食をとった。ネットで見つけた店で、新規開店で価格もそれなりだったが、美羽は興味があったのだ。いろいろな吹っ切れた思いからか、少し食欲がわいていた。料理を注文してすぐのことだった。隆と居合わせたことに気づいた。隆も二人に気づき、歩み寄ってきた。「佐野先生もここで食事を?」言った。「ああ。ここは大輔が開いた店でね、今日は誘われたんだ。本人はまだ来ていないが」まさか、大輔が経営しているレストランとは思わなかった。美羽は「一緒にいかがですか?」と誘った。隆も異論はなかった。しかし、大輔は直前になって約束をキャンセルした。向かっている最中に、別れたばかりの元カノから「死んでやる」という電話があったからだ。大輔は万が一の事態を避けるため、急遽その様子を見に行くことになったのだ。「なるほど。じゃあ、先に行ってあげて」隆はそう言うと、電話を切った。美羽はため息をついた。「みんな陣内さんが遊び人だって知ってるのに、それでも女性たちは夢中になっちゃいますね」隆は返した。「女好きだが、相手には羽振りがいいからね。まあ、とっかえひっかえのペースは異常だが」美羽は笑いながら言った。「そこまで割り切ってるクズだと、逆に清々しいですね」隆は料理を追加しながら付け加えた。「
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第56話

瑠衣は視線を戻し、浩平の後について店内へと向かった。二人は今日、個室で年長者との食事を控えていた。美羽たちが夕食を終えた頃。大輔が事前に連絡を入れていたため、レストランのマネージャーは二人の会計を無料にしてくれた。レストランを出ると、空から雪が舞い降りていた。「今年の初雪は例年より早いな」と隆が口にした。美羽が掌を広げて雪を受け止め、手のひらで雪が溶けると、彼女は言った。「そうですね。今年は例年より一段と寒くなるかもしれません」澪が美羽を支えて階段を下り、3人は駐車スペースへと向かった。車に乗り込んだ美羽は、隆に別れを告げた。隆が自分の車に戻ろうとしたその時、少し離れた場所に立つ瑠衣の姿が目に入った。ピンクのファーコートに身を包み、長い髪を揺らして街灯の下に佇む瑠衣。舞い散る雪の中、見惚れるほど美しかった。しかし、隆はチラリと瑠衣を見ただけで、すぐに視線を外し、前へと進んだ。すれ違いざまに、瑠衣が口を開く。「あなたが身重の女性にあれほど気を遣うとは。お二人はどういう関係なの?」隆は淡々と言い放った。「白石さん、私に興味持つのはおやめなさい」それだけ言うと、大股で車まで歩き、ドアを開けて去っていった。その場に立ち尽くした瑠衣の視線は、遠ざかる車の後ろ姿を執拗に追っていた。その時、瑠衣のスマホが鳴った。発信者を確認すると、踵を返して店内へ戻りながら答えた。「もしもし、お兄ちゃん」「どうしてまだ戻らないんだ?」瑠衣は平静を装い答えた。「今、戻るわ」美羽は邸宅に戻った。心に言いようのない不安が広がっていた。もし翔平が澪を追い出そうとするなら、すぐに日和に電話するつもりだ。美羽はリビングへ足を踏み入れると、翔平がソファに腰掛け、国際経済のニュースを見ていた。翠が温かい牛乳を翔平の前に差し出し、帰ってきた二人を見ると彼に伝えた。「翔平様、美羽様のお戻りです」翔平はコップを手に取り、軽く一口飲んだ。美羽が歩み寄り、澪は美羽を支えていた。ソファの前まで来ると、美羽は冷ややかな顔をした翔平を見つめ、無言のまま切り出した。「清水さんが何の理由もなく澪さんが準備してくれた食材を捨てたの。こんな勝手なことをするなら、実家に帰らせてもらう」翠は不満そうに美羽を睨みつけた。何か反論しようとし
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第57話

美羽が反射的にスマホの画面を見ると、表示された着信相手の名前に胸が締め付けられた。翔平はスマホを手に取ると、冷淡な口調で命じた。「全員下がれ」美羽は澪に向かって言った。「澪さん、行こう」そして、二人は寝室へと向かった。翔平が電話に出て、穏やかな声で話すのが聞こえた。電話の向こうから、甘えた声がする。「翔平さん、今すぐ会いたいの」すると、澪の表情が険しくなった。部屋に戻ると、澪はドアを閉め、必死に感情を押し殺しながら言った。「あなたが実家に帰るのを許さないつもりね」美羽はゆっくりとベッドの縁に腰掛け、つぶやいた。「これ以上は、清水さんたちも私に手を出せないはずよ」「名家にあるまじき行いだわ。妻が妊娠中だというのに、こんなに堂々と不倫をするなんて。世間に知れたら、翔平さんもどんな恥をかくか分かったものじゃない」美羽は慌ててそれを遮った。「もういいわ、澪さん。それ以上言わないで」もし外部の人間に翔平の不倫が露見し、彼の名誉を傷つければ、その代償を今井家が払わされることになるからだ。澪は余計なことを言ったと気づき、気を取り直して言った。「お風呂の準備をしてくるわ」「ええ」美羽は掃き出し窓の前のソファに座り、空を舞う雪を眺めていた。明日になったら積もっているだろうか?その時、ガレージから高級車が走り去るのが見えた。どうやら瑠衣のもとへ向かったらしい。美羽は静かに視線をそらした。あれから数日間、翠も恵も、おとなしくしていた。澪は毎朝早く起きて美羽のために朝食を作り、ついでに翔平の分の食事も用意していた。立場上仕方がないとはいえ、お腹の子供のために、この先何事もなく時間が過ぎるのを願うしかなかった。美羽は毎日10時ごろに大学へ向かった。勲が最近よく大学に来ており、美羽に新聞を読み上げさせていたため、美羽は読む前に前もって情報を整理する習慣がついた。隆は勲をからかった。「美羽さんが業務時間中に新聞を読んでさしあげているのだから、私の代わりに給料を支払うべきでは?」勲は熱いお茶を一口飲んでからコップを置き、隆をにらんだ。「相変わらず商売っ気たっぷりで、いちいち計算高い奴だな」隆は思わず吹き出した。勲は美羽を見つめて言った。「もう、新聞を読む時間もそう長くはないな」美羽は返した。「直接会
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第58話

昼食の後、隆は翔平と勲が話したがっていると察し、他の幹部たちと席を立った。翔平と勲が並んで歩いていると、勲が口を開いた。「子供の名前はもう決めたのか?」翔平は言った。「子供が生まれる日を待って、それから決めます」勲は諭すように言った。「何があったにせよ、子供に罪はない。社会的な責任ある立場なら、家族に対しても責任を果たすべきだ」翔平に過ちを悔い改めてほしい、そう勲は願っていた。「結婚や夫婦のことは、うまくやらねば一生の後悔になる。君はまだ若く、地位も名声もある。手に入らないものなどないと傲っているかもしれない。お節介だろうが、人生の先輩として言っておく。ときめきなんてすぐ終わる。助け合って積み重ねた日常こそが宝なんだ。こっちが口出しすることじゃないが、結末に責任を持つのは君自身だ」翔平は真摯に聞いていたが、表情一つ変えなかった。「肝に銘じておきます」勲は翔平を一瞥すると、それ以上何も言わなかった。二人はしばらく歩いた。帰る時間になり、英樹が車を寄せてくる。翔平は車を見送り、その後彼もその場を後にした。美羽は食後に少し外を散歩していた。黄色い銀杏の葉が散りはじめ、枝に残った数枚が風に揺れている。食堂から戻ってきた隆とすれ違う。一人だけのようだった。「佐野先生、北条先生は?」「急用で先に帰られたよ」「そうなんですね」隆は美羽の散歩に付き合った。疲れやすいため、すぐ近くにあったブランコに座り、のんびりと揺れた。隆はそばの柱に寄りかかり、世間話をする。「そうだ、土曜にコンサートがあるんだけど、直美と二人で行ってみたらどうだ?」「いいですね。お腹の子にもよさそうです」隆は美羽のお腹を見て言った。「きっと賢い子になるね」美羽がお腹を撫でると、ピクリと胎動がした。「どうした?」「いえ、きっと利口な子なんでしょうね。褒められて嬉しかったみたいです」「そうか、それじゃ生まれたら楽しみだな」「……」その時。一台のベントレーが校門に向かって通り過ぎていく。車内で電話をしていた男は、二人の姿に目を留めたが、無関心そうに視線をそらした。午後。隆は大学を出て、美羽は3時過ぎにヨガスタジオへ。適度な運動なら問題ないという医師の助言があったためだ。澪は先回
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第59話

澪は美羽を振り返り、歩み寄ると、彼女をベッドから起こして上着を羽織らせた。翔平は上の書斎にいる。美羽はエレベーターで上に上がり、書斎のドアをノックして中へ入ると、翔平は仕事の電話中だった。美羽は腰を支えながら、ゆっくりと部屋に入る。翔平は相手と短く言葉を交わすと、電話を切った。美羽が彼の前に立つと、翔平は尋ねた。「佐野社長とはどういう関係なんだ?」美羽はきょとんとした。なぜ突然そんなことを聞くのかわからず、答えた。「以前、大学院で指導を受けていた先生」翔平が続けた。「なら、勲先生とも知り合いか?」美羽は言った。「北条先生なら佐野先生の指導教師だから。昔から面識はあるわ」翔平は言った。「彼は最近、ずっと大学に通っているようだな」美羽は翔平を見つめた。急にそんな質問をする意図が読めない。冷ややかな彼の表情を見て、心の底から不安を感じた。美羽は答えた。「最近、北条先生が学校に来られたとき、新聞の読み上げを頼まれただけ」なんと翔平は、自分が最近大学にいることを知っていたのだ。翔平は漆黒の瞳で美羽を深く見つめ、視線を逸らすと、それ以上は聞かなかった。「もう行け」美羽は小さく頷き、「あなたも早めに休んで」と伝えると、腰を支えて部屋を後にした。寝室へ戻ると、澪は心配そうに尋ねた。「相手に何て言っていたの?」美羽は答えた。「大したことじゃないわ。大学でのことについて聞かれただけよ」澪は訝しんだ。「どうして今さら、急にそのことを?」ここへ来て数日、澪は翔平が美羽に向ける冷淡な態度を目の当たりにしてきた。二人はまるで他人のようだった。美羽は静かに首を横に振った。あれこれ考えないようにした。美羽は今週ですべての仕事を終えた。もう体が大きくなり、これ以上仕事を続けるのは無理だった。土曜日の午後2時頃のことだ。直美から電話が入った。二人で今日会う約束をしていてため、澪はついて来なかった。豪がコンサートホールまで送ってくれ、直美はすでにそこで待っていた。顔を合わせるなり、直美は美羽を見た。「お腹がまた一回り大きくなりましたね。もうすぐ産まれるのですか?」美羽は言った。「出産予定日まであと1ヶ月です」直美は美羽の腕に寄り添い、そのお腹を撫でた。「今日はこの子と一緒に芸術に触れましょう」美羽は微
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第60話

コンサートが始まった。直美の気分は一気に沈んでしまった。幸いにも、オープニングは好きなテノールのオペラ歌手によるものだった。そのコンサートの質は本当に高く、並のレベルとは比べ物にならなかった。美羽は音楽を聴きながら、翔平への想いを少しずつ切り離そうとしていた。実際のところ、美羽は見た目ほどすっきりと割り切れてはいなかったのだ。次に舞台に現れたのは、淡い紫色のロングドレスを纏った瑠衣だった。ボリュームのあるスカートには細かな宝石があしらわれ、アップにした髪と、完璧に磨かれた顔立ちは、まばゆいばかりに輝いていた。美羽がいる場所からはちょうど翔平の横顔が見えた。彼の深い瞳が、ステージ上の瑠衣へと真っ直ぐに向けられている。その眼差しはあまりに真剣だった。瑠衣が現れた瞬間、会場から感嘆の声が次々と上がり、人々は競うようにしてスマホで写真を撮り始めた。翔平と浩平がここにいる理由も合点がいく。これだけの要人たちが列席しているのは、皆が瑠衣を応援するためなのだろう。直美はまた表情を曇らせ、隣の美羽に尋ねた。「先に帰りましょうか?」二人は中央の席に座っており、両脇も人で埋まっているため、移動するのは難しかった。美羽は答えた。「終わるまで待ちましょう」瑠衣がピアノの前に座り、しなやかで白い指を鍵盤に落とすと、楽団の伴奏が流れた。素晴らしい演奏。まさに音の饗宴といえるものだった。瑠衣の演奏技術は極めて高く、紛れもなく音楽の才能があった。それでも美羽は、先ほどまでのようには心穏やかに演奏に聴き入ることができなかった。不意に直美がブルートゥースイヤホンを差し出してきた。「耳を休めますか?」美羽は口元に薄い笑みを浮かべて小さく首を横に振った。「直美さんが使ってください」数分続いた演奏がついに幕を閉じた。コンサートホールには雷のような拍手が鳴り響き、前列に座っていた翔平は、その唇の端に穏やかで誇らしげな微笑を湛えて手を叩いていた。その場で唯一、何の反応もしなかったのは美羽と直美だけだった。瑠衣がステージから降りた後。翔平は浩平に何か声をかけると、席を立ち、瑠衣のほうへと歩いていった。30分後、ようやくコンサートが終演を迎えた。観客がほとんど退場した後、直美は美羽を支えてホールを出た。ホールを抜ける
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