冷徹な夫が暴走愛?それでも妻は絶対に許さない のすべてのチャプター: チャプター 31 - チャプター 40

100 チャプター

第31話

直美はため息をついて言った。「話せば長くなりますよ。実は昔、私は白石さんの兄と付き合ってたことがあって……婚約直前までいってたんですよ」美羽は驚いた。先ほど直美が口にした言葉を思い出し、問いかけた。「じゃあ、分かれた理由は、白石さんなんですか?」直美は口元に笑みを浮かべた。その瞳には隠しきれない嫌悪感が漂っていた。「そうですよ!あの女ったら、世界中の男が彼女中心に回ってないと嫌みたいなんです。私と浩平が仲良さそうにすると、決まって嫌がらせをしてきて、まるで私が彼女の男を奪ったみたいに……でも、浩平は彼女を溺愛してましたから。今思うと別かれて正解でした。もし結婚してたら、ロクな生活は送れなかったはずです。それにしても、中山社長がまさかあんな女を好きになるなんて、見る目がないですね」大輔の茶化す声が聞こえてきた。「それなら、うちの隆の見る目が優れてるってことだな!」隆は大輔をジロリと睨んだ。すると、美羽は不思議そうな顔をした。直美が補足する。「白石さんは以前、先輩に言い寄ってました。でも、完全に玉砕しましたけどね」美羽は信じられない思いだった。彼らの間にそんな複雑な関係があったなんて。しかも、翔平がそんな女性を選ぶとは。でも、人の好みというのは誰にも説明がつかないものだ。そろそろ時間になり、一行はお開きすることにした。レストランのロビーまで行くと、ちょうど名残惜しそうな二人組が見えた。直美はたまらず吐き捨てた。「本当に、最低」一行は足音を忍ばせ、二人が去るのを待った。しかし、瑠衣は翔平の手を掴み、離れようとしない。翔平は彼女の頭を優しく撫でながら、穏やかな声で促した。「浩平と一緒に帰るんだ」こちらに美羽一行が来ることに気づいた瑠衣は、顔を上げ、唇を尖らせて甘えた。「なら、翔平さん、キスして?」翔平が動こうとするより早く、浩平が強めの口調で言った。「瑠衣、行くぞ」翔平が口を開く。「次の時に、埋め合わせするから」「分かった!」瑠衣は翔平の手を離し、振り返って車に乗り込んだ。浩平は店内の様子を一瞥してから、車に乗り込んだ。翔平と竜之介、そして同行していた天嶺キャピタルの幹部2名もそれぞれの車に乗り込み、立ち去った。彼らがいなくなった後、ようやく美羽一行は駐車場へと向かった。
続きを読む

第32話

しばしの沈黙が流れた後、美羽はようやくスマホを置いた。「戻るのか?」と隆が尋ねた。さっき翔平が電話越しに言ったことは聞いていた。少しの間考えてから答えた。「戻ります」相手が何を言いたいのか、確かめるためだ。数十分後、車は翔平の私邸の前に到着した。「今夜はここに泊まるのか?」と隆が尋ねた。「たぶん、すぐに戻ります。少しここで待っていてくれませんか?」翔平にとって自分がどこに帰ろうが、どうでもいいことだ。翔平は、自分に余計な言葉をかけることさえ時間の無駄だと思っているから、会話はすぐに終わるはずだ。隆は頷いた。美羽は玄関へ歩き、暗証番号を入力して邸内に足を踏み入れた。リビングへ向かうと、室内には明かりが灯っていた。中では、翔平がソファに腰掛けていた。凛々しい顔立ちは高貴だが、その全身から冷たいオーラを放っている。美羽は近づき、彼を見て尋ねた。「何の用?」翔平は机の上に置いてあった書類を突き出した。「署名しろ」美羽は胸が締め付けられ、無意識に指先を震わせた。深呼吸をして相手側のソファに座り、書類を手に取った。確認すると、それは離婚の書類ではなく、競業避止義務契約だった。内容は、3年以内の競合他社への就職を禁じるものだ。ただし、定期的に以前の給与の半分を支払うという条件がついている。美羽は半年前から降格させられていたが、かつては翔平の秘書だったため、会社の重要なプロジェクトはすべて把握している。本来なら遥に任せれば済む話だが、わざわざ直接呼びつけて署名を迫るあたり、今後自分が隆の会社へ行くことを牽制する狙いがあるのだろう。美羽は迷いなく、ペンを手に取った。出産後は海外へ行くため、いずれにせよしばらくは関連のある仕事には就かないからだ。「書いたわ」契約書は2部作成されていた。自分用を1通受け取り、もう1通を翔平の前に置いた。翔平は、書き終わった契約書に目を落とした。美羽の字は整っているだけでなく、どこか芯の強さを感じさせるものだった。確かにその字には品がある。だが、その筆跡が目の前の女性本人と結びつくことはなかった。書類をカバンにしまい、席を立とうとしてふと思いとどまった。「今日のこと、直美さんの代わりに謝っておく。でも、彼女はわざとやったわけじゃないわ」翔平の漆黒の瞳は冷
続きを読む

第33話

美羽は手でお腹をさすりながら、眉をひそめた。リビングにいた翔平は立ち上がるとそのまま2階へ上がり、美羽が帰ろうが残ろうが一切気にも留めていない様子だった。美羽は玄関で少し息を整え、胎動がおさまったのを確かめてから外へ出た。庭まで歩くと、美羽はベンチに座って少し休み、気持ちを落ち着かせた。そして数分後、気持ちを立て直してから、車の方へと歩き出した。車に乗り込むと、隆が「何の用だったんだ?」と聞いた。美羽はカバンから競業避止義務契約を取り出して隆に渡し、「これに署名させられました」と答えた。隆はそれをさっと眺めて美羽に返し、言った。「中山社長も君の能力を認めているんだろう。警戒はしているようだが、どちらにせよ君は当分その分野で働くつもりはないだろうから問題ない」美羽は小さくうなずいた。隆がエンジンをかけ、車を走らせた。美羽を翠月台まで送り届けたときには、すでに10時を回っていた。家に着き、身の回りのことを片付けた後、美羽は横になって休息を取った。自宅で2日間過ごし、澪が毎日ヨガスタジオや散歩に付き添ってくれたおかげで、足取りも少し軽くなった。その後、美羽はA大学へ向かった。隆の目の前に用意された席が美羽の作業デスクになった。仕事内容は、教授の授業補助、教材の整理、学生の質問対応など。隆は現在週の持ち授業数が少なく、大学院の研究指導も受け持っていないため、学校にいる時間は限られていた。そのため仕事は過酷ではなく、学内での時間は自由に使える状態だった。隆は午前の授業を終え、美羽の担当業務を指示した。その間も、多くの学生が研究室に質問にやってくる。これも、いつものことだ。隆はかなり人気があるのだが、実際には講義中の態度は非常に厳しく、機嫌が悪い時は学生を泣かせるほどだ。彼の単位を取得するのは「地獄」と言われるほど難しく、期末試験も容赦がない。その悪評のおかげで、授業を選択しない学生も少なくなかった。それでもなお、熱意ある優秀な学生たちが引き寄せられてくる。やはりその容姿端麗さと、教授としての確かな能力が理由なのだろう。2年前、授業中の隆が学生に隠し撮りされた写真がネットで拡散され、その年は志願者が激増し、彼の平穏な生活に大きな支障をきたしたことがあった。それ以降、隆は教室でのスマホ
続きを読む

第34話

「教授はこれまでに誰かを好きになったことはないんですか?交際したこともないんですか?」直美はため息をついた。「あの人の頭の中は、仕事と勉強だけで、女性なんて邪魔なだけだと思ってるでしょう。才色兼備で家柄も完璧な才媛たちがどれだけ言い寄っても見向きもしませんよ。ましてや、白石さんのようなあざとい女なんて……」瑠衣の名が出た瞬間、直美は口をつぐみ、横目で美羽を見た。言葉が途切れたことに気づいた美羽は直美を見返し、なんとなく察したようにふっと笑った。「人それぞれ好みのタイプは違うし、恋愛に正解なんてないですもの」「それにしても、中山社長の見る目はひどすぎます」美羽は何も言わなかった。直美は話題を変えた。「先輩が唯一褒めた相手が、美羽さんですよ」美羽は驚いた。「私が?」「ええ。これまで教えた生徒の中で一番努力家で聡明だとか言って、美羽さんがどれほど優秀か、こっぴどく説教されました」美羽は吹き出した。「何かしでかして叱られましたか?」「仕事で手を抜いたのは確かだけど……先輩が美羽さんを高く評価していたのも本当ですよ。だから、そんなに賢い女性が結婚だ出産だと騒ぐなんて、自分のキャリアを捨てるようなものじゃないですか?まだ若いんだし、少し落ち着けば、何だってできるはずです。中山社長みたいなクズ男のことはさっさと忘れて、キャリアを積み上げていい男をつかまえればいいのです。彼の言いなりになる必要なんてありません」美羽はただ静かに頷いた。直美が本気で怒っているのが伝わった。過去に何か苦い経験を思い出したのだろう。そう思った時、直美のスマホが震えた。着信画面を一瞥してから電話に出ると、直美は言った。「お父さん、どうしたの?」電話口から岡田慎也(おかだ しんや)の声がした。「今どこにいるんだ?」声のトーンに違和感を覚えた直美は、戸惑いながら答えた。「車だけど……何かあったの?」「天嶺が東興銀行との資金提携を一方的に取り消してきたんだ。今、俺はもう東都に着いている」朝方突然知らされた提携解除。理由はない。慎也は翔平に直接連絡を取ろうとしたが、窓口の担当者から「社長の決定事項です」と事務的な返答が返ってきただけだった。東興銀行が2年の歳月をかけて取り付けた今回の提携は、今後5年の未来を左右する生命線だ。前触れもなく
続きを読む

第35話

直美はしばらく沈黙を守っていたが、美羽が「佐野先生に電話してみましょうか?」と尋ねた。美羽が言い終わるか終わらないかのうちに、直美のスマホが再び鳴った。隆からだ。直美は電話に出ると、心なしか声が枯れていた。「先輩」「聞いたよ。お父さんから電話があったのか?」隆が静かに言った。「今すぐ金彩亭へ来いって」直美は小さく答えた。「なら先に行って様子を見てこい。でも、決して無理や無茶はするなよ」最後の一言を特に強調した。「分かったわ」直美はそう答えた。電話を切り、深呼吸をして落ち着かせると、直美は美羽に向かって言った。「ごめんなさい、美羽さん。送る暇がなくなっちゃいました」「目の前に地下鉄の駅があるから、電車で帰ります」美羽は微笑んだ。夫は愛人のために肩入れしているのに、妻の自分には何もできない。あの日、翔平に言ってしまった言葉が、彼を余計に怒らせてしまったのではないかとさえ思えてならなかった。直美はそれ以上引き留めず、気を付けて帰るようにと言い残した。降りる前、美羽は最後に諭すように言った。「直美さん、絶対に無茶しないでくださいね。お父さんの会社の立場を一番に考えてください」直美の正義感が強く、曲がったことが許せない性分であることを美羽はよく知っていた。「大丈夫、分かってますから」直美は言った。直美の車が去っていった。美羽はその場に立ち、車が見えなくなるまで見送った。視線を戻し、地下鉄の入り口へ向かう。地下鉄の入り口まであと少しというところで、スマホが震えた。カバンから取り出して確認すると、画面には悠斗の名前だ。電話に出る。「もしもし、悠斗?」「反対側を見て」顔を上げると、通り向かいでこちらに向かって手を振る悠斗の姿があった。信号を渡り悠斗の元へ駆け寄ると、彼が助手席のドアを開けてくれた。「乗れよ」美羽は車に乗り込んだ。悠斗はドアを閉め、大股で反対側へ回って運転席に座った。「一人でこんなところで何してたんだ?」「友達とご飯を食べる約束だったんだけど、急な用事が入っちゃって、先に行っちゃったの」悠斗はニッと笑った。「ならちょうど良かった。俺と一緒に飯食おうぜ」「それ、運が良かったって言いたいの?」「最近めちゃくちゃツイてるんだよ。今の俺なら宝くじでも1000万当たりそうな気
続きを読む

第36話

楽しげに談笑していると、店員が料理を運んできた。夕食を済ませたあと、美羽は悠斗に付き添い、近くの高級モールへ出かけた。悠斗の母親・中山杏奈(なかやま あんな)がもうすぐ誕生日だが、まだプレゼントを用意していなかったのだ。ちょうど時間ができたので、美羽にセンスを見てもらうことにした。美羽は快諾した。食後の散歩にもちょうどよかったからだ。悠斗は地下駐車場に車を停め、二人でエレベーターに乗って上層階へ向かった。宝石店に入店すると、店員が迎えてくれた。悠斗の格好良さに目を留め、特に腕につけた億単位の腕時計を見て戦慄する。この美しくてリッチな男に比べて、妻の身なりはあまりにも平凡だ。明らかに住む世界が違うと感じた。金持ちの考えることは分からない。店員は心の中でそう思いながらも、笑顔で接客を続ける。年配者への贈り物と聞いて、二人をソファへ案内した。店員がコーヒーテーブルの上に7桁から8桁の価格が並ぶ高級真珠や宝石を並べる。悠斗は一筋の真珠のネックレスを手に取り、まじまじと見つめた。美羽は「これがすごく似合いそうだと思うけど、どう?」と言った。美羽の手には別のネックレスがあった。悠斗は手に持っていた真珠のネックレスを置き、代わりに美羽が勧めたブルーサファイアのネックレスを手に取った。すると、店員がそのブルーサファイアの品質とデザインについて熱心に語り始めた。悠斗はひと目見て頷いた。「綺麗ですね、これにしましょう。この真珠のネックレスも一緒に包んでくれませんか?」「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」店員は手際よくジュエリーを包んでカウンターに置くと、悠斗が会計に向かう。店員は丁寧にギフト包装を済ませ、袋を悠斗に手渡した。袋を受け取った悠斗は美羽の元へ戻り、「行こう」と声をかけた。美羽が頷き、お腹を支えながら立ち上がる。その時、スニーカーの靴紐が解けていることに気づいた。それを見た悠斗は持っていた袋をテーブルに置き、自然な動作で美羽の前にしゃがみ込み、靴紐を結び直してあげた。店員たちはその光景をぼんやりと見ていた。この方は妻に本当に優しいのだな、と思ったが、それにしても妻の格好はセレブの夫人とは程遠い。二人はもちろん、店員が何を考えているかなんて露ほども気にしていない。悠斗は結び終える
続きを読む

第37話

翔平は答えず、「好きなのを選べ」と言った。店を出て十数メートル歩いたところで、美羽は壁に手をついて、ようやくふうと息を吐いた。めったに会うことのない翔平と、瑠衣が寄り添う幸せそうな光景に何度も遭遇してしまうなんて。神様はわざと自分を嘲笑っているのか?みじめでやりきれない気持ちで胸がいっぱいになった。そんな美羽の様子を見た悠斗は表情を曇らせた。反射的に背中をさすろうと伸ばしかけた手を止め、指を固く握りしめてから静かに下ろした。「近くの店で休もうか?」美羽は首を振って答えた。「大丈夫、もう帰りたいわ」「分かった」二人はエレベーターで地下駐車場に向い、車に乗り込む。悠斗はすぐにエンジンをかけず、ハンドルを握ったまま沈黙を破った。「これから……どうするつもりだ?」翔平が美羽を好いていないことは知っていたが、これほどまで冷遇しているとは思わなかった。まるで見知らぬ人のような他人行儀な態度。美羽のお腹の子も自分の子だとは思えないような接し方。現在の美羽の状態を見れば、どれほど苦しい日々を送っているのかは火を見るよりも明らかだった。美羽はすでに冷静さを取り戻し、穏やかに答えた。「子供が生まれたら、離婚するつもり」悠斗は目を見開いた。「離婚?」美羽は小さく頷いた。「来年はA国に渡って大学院で博士号を取るの。きっとすべてうまくいくよ。そんなに心配しないで」美羽は悠斗を振り返り、作り物ではない晴れやかな笑顔を見せた。悠斗は美羽を見つめ、一瞬沈黙した。彼は唇を綻ばせて言った。「それならいい……これから先、もう会えなくなるかもしれないな」美羽は悪戯っぽく笑って冗談めかした。「寂しくなったら、会いに来てくれてもいいよ!」「ああ、それもいいな」悠斗は車を走らせ、地下駐車場を出た。道すがら、美羽の頭には直美のことが浮かんでいた。慎也が翔平と会う約束をしていると思ったのだが、そうではなかったようだ。事態がどうなっているのか、不安が胸をよぎる。「離婚することは、おばあさんたちも知っているのか?」悠斗が不意に尋ねた。美羽はハッとして我に返り、答えた。「どうかな。まだおばあさんたちには伝えていないと思う。でも、時間の問題よ」悠斗は小さく頷き、それ以上は聞かなかった。そして、彼は美羽を翠月台の近くまで送り届けた。
続きを読む

第38話

電話がつながり、「先生、直美さんのほうはどうですか?」美羽は急いで尋ねた。隆が答える。「野村社長との面会を取り付けた。明日、中山社長のところと交渉するはずだ。心配しなくていい」面会の相手は瑠衣の兄か。彼なら、翔平よりも接触しやすそうだ。「わかりました」翌日。隆は大学に来ていなかった。美羽は隆が今週必要とする授業の資料を用意しておいた。仕事は忙しくなく、暇ができると構内を散歩したり、図書館で本を読んだりして過ごした。今日は天気がいい。昼食を終えて、少し休憩をとる。美羽は図書館で2冊本を借りると、外に出て日向ぼっこをしようとした。休憩用のベンチを見つけて座ると、そこには白髪頭の老人が座っていた。老眼鏡をかけ、手に持った新聞を遠くに離して見ていた。時折老眼鏡を上げたり、目を細めたりしていて、どうやら内容がよく読めていないようだった。遠くからその老人を見て、美羽はすぐにある人物だと分かった。ためらったが、思い切って歩み寄り、「北条先生」と声をかけた。北条勲(ほうじょう いさお)はそれを聞くと顔を上げ、老眼鏡を外してじっと美羽を眺めたが、すぐには誰だか分からなかった。美羽は少し気まずそうに、「北条先生、中山美羽です」と名乗った。すると、勲はハッとしたように思い出した。現在は引退しているが、以前は勲はA大学の学長であり、かつて隆の指導教官でもあった人物だ。かつて美羽が隆のもとで学んでいた頃、すでに勲は引退していたが、それでも目をかけてくれた。大学在学中から美羽を研究会へ連れて行ってくれるほどで、「佐野くん以来の才能だ」と高く評価してくれていたのだ。隆の教え子の中でも、最も勲に認められていたといえるだろう。当時、勲は美羽のために海外の一流大学の教授へ推薦状を書いてくれようとした。「博士号まで取得すべきだ」という勲の言葉に反して、美羽は彼らに黙って天嶺キャピタルへ履歴書を送った。この採用のチャンスを逃せば、次はいつ翔平のそばに行けるか分からなかったからだ。そして、最終面接まで通過し、内定が決まってからようやく勲と隆にその事実を告げた。美羽はあの日のことが一生忘れられない。勲が怒りに震え、何も言わずにその場から立ち去った時の顔を。彼がどれほど失望し、怒ったのかは分かっていた。それから勲とは2年
続きを読む

第39話

車の中。運転席の英樹が言った。「今回の勝負、中山会長は絶対に負けられないと、意気込んでいましたよ」勲は鼻で笑った。「あいつに負けるわけがないだろう!」今日は北条家で食事会があった。北条家と中山家は昔から親交が深く、結婚を通じて家族同然の付き合いをしている。悠斗の母親である杏奈は、勲の妻・北条泉(ほうじょう いずみ)の次女ということもあり、二家はよく行き来していた。勲が自宅に戻ると、駐車場には既に中山家の車が停まっていた。家に入り、リビングからは楽しげな会話と笑い声が聞こえてくる。泉が勲を見ると、すかさず隣の日和に話しかけた。「勲は毎日こうなのよ。暇さえあればA大学に出入りして」勲が前に歩み寄り、言い返す。「若い連中がいる場所に行くのが悪いのか。それとも近所の爺さんとばかり向き合っていろと言うのか?」泉はあきれ顔で首を振る。「はいはい、勝手にしてね」日和が笑って応じる。「勲さんの言う通りね。若者と交流する方が、心もずっと若くいられるわよ」勲はソファに座り、隣の剛に声をかけた。「剛も家で釣りのことばかり考えていないで、たまには出歩け。大した成果も出していないくせに」剛はわざとらしく目を剥いた。「お前よりは腕があるよ」「ほう、そうか?今すぐ勝負してやる。新井、釣竿を持ってこい!」「望むところだ、今すぐ行こう」「……」二人の様子を見て、泉と日和は苦笑いするしかなかった。夕食の支度が始まる前のこと。東都にいた北条家の人々が続々と本邸に帰ってきた。そこには、中山家の長男湊とその妻、あと百合の顔もあった。遅れてから、翔平と悠斗も北条家を訪れた。二人は駐車場で落ち合い、挨拶を交わすと、揃って家の中へと向かう。そして、リビングで集まっている親族たちに一人ずつ挨拶をする。悠斗はお調子者だが、会話術に長けているため、親戚の年配者たちからも好かれていた。「悠斗とも久しぶりだね。あなたのお母さんに聞いたわ、IT会社を経営していて、大きなプロジェクトを成し遂げたんだって?」悠斗は謙遜することなく言った。「まあね。あの程度の案件、朝飯前ですよ」杏奈が息子をたしなめる。「そんなふうに軽口ばかり叩いて。子供じゃないんだから」「あら、良いことじゃない。そんな気さくな性格なら、すぐにいい彼女が見つかるでし
続きを読む

第40話

翔平は手を伸ばし、真奈美が持っていたアメを受け取ると、「ありがとう、真奈美ちゃん」と微笑んだ。真奈美は頬を愛らしく膨らませ、「どういたしまして」と得意げに答えた。すると、泉が穏やかな声で言った。「翔平ももうすぐ父親ね。真奈美ちゃんにも、妹ができるのよ」翔平は口元をわずかに動かしたが、その凛々しい顔からは、何を考えているのか読み取れなかった。真奈美は、泉のもとへと駆け寄った。「ひいおばあちゃん、妹ちゃんはどこ?」泉は真奈美の小さな頭を優しく撫でた。「まだお腹の中にいるのよ」真奈美はまた聞いた。「じゃあ、いつ生まれるの?」「お正月には会えるはずよ」「やった!じゃあ、みんなで一緒に新しい年を祝えるんだね?」「ええ、その通りよ」「……」日和は、真奈美の様子を慈しむような目で見つめていた。泉が言った。「あなたも来年にはひ孫を抱けるようになるわね」日和が頷く。「そうね。心から待ち遠しいよ」和やかな空気が食卓を包んでいた。暁が微笑みながら口を開いた。「翔平もようやく、親としての自覚が芽生える頃か」翔平は穏やかに笑ってみせたが、じっくり観察すれば、その漆黒の瞳の奥は冷めきっていた。「ところで翔平、なぜ今日は奥さんを呼んでいないんだ?」突然、勲の声が響いた。その言葉が終わるや否や、場は凍りついた。席にいる者は皆、美羽の存在を空気のように無視している。これから生まれてくる子供の話題が出ても、決して母親である美羽のことは口にしなかった。まさか勲の口から美羽の肩を持つような言葉が出るなど、誰も想像していなかったのだ。周囲の人々の表情は困惑に染まり、気まずい静寂が漂った。日和の表情も、一瞬だけこわばった。翔平はそれに対して何も返さなかった。泉が、勲の服の袖を慌てて引く。しかし勲はお構いなしに続けた。「夫婦になったからには、それ相応の責任を果たすのが男の甲斐性だろう?」これは明らかに、翔平の態度に対する不満の表れだった。百合でさえ反論できず、翔平を凝視することしかできなかった。翔平は従順な態度で答えた。「勲先生のおっしゃる通りです。心得ておきます」勲は重々しく目を伏せ、それ以上の追及はしなかった。泉が笑顔を作り、無理やりにでも話を切り替えた。こうして身内だけの食事会は
続きを読む
前へ
123456
...
10
コードをスキャンしてアプリで読む
DMCA.com Protection Status