冷徹な夫が暴走愛?それでも妻は絶対に許さない のすべてのチャプター: チャプター 41 - チャプター 50

100 チャプター

第41話

頭が良すぎるせいで人間味に欠けるところがあり、母親である百合とも少し距離があったのだ。家に着くと、日和からも電話がかかってきて、同じ話をした。「清水さんから聞いたんだけど、美羽が実家に帰ったそうね?」日和は、美羽の体調を気遣って電話したが、翠は日和に向かって美羽の悪口を並べ立てたのだ。翠は、日和も翔平のように自分たちの味方になってくれると思っていたらしい。しかし、日和から逆に叱りつけられたため、翠は真っ青になって、何も言えなくなってしまった。翔平はこめかみを押さえながら言った。「美羽も大人だし、何をしているのか分かっているはずです。実家に帰るのも彼女の自由ですよ」前回の離婚の話以来、美羽も彼女自身の置かれた立場を理解し、無意味にすがるようなこともしなくなった。そう考えると、美羽には分相応の心得があるようだ。美羽が最初秘書として入ってきた時、彼女は感情をうまく隠していたが、やはり見抜かれていた。もしそのまま感情を隠し通せていれば、美羽を評価していただろう。少なくとも仕事の面では優秀だったからだ。だが、美羽はやってはいけないことをしてしまった。そして、予期せぬ妊娠に結婚せざるをえなくなった。これは、自分がこの20年間生きてきて、初めてコントロールを失った二つの出来事だった。それだけは許せなかった。日和が口を開いた。「今美羽は……」「分かってます、おばあさん。疲れたので、もう切ります」翔平はそのまま電話を切った。夜、美羽は隆たちと夕食を済ませた。東興の件がすでに解決したと知ったが、それは東興銀行が譲歩したことで、翔平側も折れただけであり、かなりの損失が出ていた。慎也は直美をあまり叱責せず、隆にしっかりと教育するよう伝えると、また飛行機で深津市へと戻っていった。直美は食卓で酒を飲んで憂さ晴らしをし、わめこうとしていたが、大輔に「壁に耳あり」と防ぐよう止められた。「今の白石さんには中山がついているんだ。手出しできないなら避けるのが一番だ」と大輔は勧めた。この日、直美は泥酔して意識を失った。大輔は直美を抱えて店を出たところで、ちょうど接待を終えた浩平と会った。隆は浩平を見て言った。「野村社長、本日は、直美を助けていただき感謝します」「お礼には及びません。この件はもともとそこまで大
続きを読む

第42話

美羽は電話に出た。「おばあさん、こんばんは」日和は言った。「美羽、最近の体調はどう?」「おかげさまで、順調です」と美羽が答えた。「そう、よかった。明日は私も特に予定がないから、様子を見に行くわ。ついでに病院へ健診に行こう」美羽は、はっと息を呑んだ。月見ヶ丘に住み始めてからというもの、日和が様子を見に来たことなど一度もなかった。突然の健診の申し出。それほどまでにお腹の子を大切に思っているのだろうか?断る理由など見つからなかった。「わかりました、おばあさん。ただ今は実家にいますので、病院で待ち合わせにしませんか?」「なぜ実家になんているの?」と日和が尋ねる。翔平からは、まだ離婚の話など一言も伝わっていないらしい。とはいえ、こっちから日和に切り出すのも違うだろう。「久しぶりに、実家でゆっくり過ごしたくて戻ってきただけです」「実家に甘えるのも程々にしておきなさい。早く戻って夫を支えるのが妻の務めよ。前に言ったことがまだわかっていないのかしら?」美羽は足を止め、スマホを強く握りしめてから口を開いた。「すみません、気をつけます」「もういいわ。明日の10時よ」日和は、それ以上は聞かなかった。美羽は、「はい」とだけ答えた。通話は切れ、美羽はスマホを下ろすと気持ちを切り替え、足早に家へ戻る。次の日はちょうど週末だった。朝から支度を済ませ、涼太の運転で、中山グループの系列病院――瑞光総合病院へと向かう。予定より20分も早く到着した。涼太は少し仕事があるため、車で美羽を下ろすとそのまま去っていった。美羽はホールの椅子に座り、休憩していた。30分ほど経った頃だろうか。ようやく日和が到着した。黒のコートにパールのネックレス、真珠の耳飾りを纏った日和。銀髪に古い様式のカールをあしらい、隙のないメイクを施している。その立ち姿からは高貴な気品が溢れ出し、若かりし頃の絶世の美女ぶりを今なお色濃く残していた。日和の前に立つと、美羽は自分がいかにちっぽけな存在であるかを痛感する。「おばあさん」と美羽は声をかけた。「前よりずいぶん顔色がよくなったわね」美羽は静かに頷く。実家にいる間は家事一つせず、澪があらゆる準備を整えてくれる。至れり尽くせりの環境で、心の重荷や負担もどこかへ消えてしまったの
続きを読む

第43話

日和の話を、美羽は静かに聞いていた。以前なら、翔平と瑠衣の親しげな姿を知らなければ、まだ未練を持っていたかもしれない。子供がいる以上、なんとかこの結婚を続けようと努力しただろう。しかし、今は現実が見えていた。翔平との結婚は、もうすぐ終わりを迎える。二人には、もう未来などない。日和が今、優しくしてくれるのは、単に子供のためだ。結局のところ、夫を立てる良き妻であり、外では決して夫の顔を潰すなという意味だ。日和が今日、急に健診に付き添ってきたのは、自分が月見ヶ丘の家を出たことを既に知っていたからなのだろうか?もしかして、外で翔平について何か悪い噂でも立っているのだろうか?二人の結婚は公式発表こそされていないが、セレブ妻の間では周知の事実だった。自分が翔平に釣り合わないと陰口を叩かれても、彼の妻であることに変わりはない。今、大きなお腹を抱えている状況で、翔平に別の女がいると知れ渡れば、確実に彼の評価を下げることになるからだ。車が月見ヶ丘の邸宅に到着し、日和と美羽が邸内に入った。美羽が驚いたのは、今日に限って翔平が家にいたことだった。彼は瑠衣のところには行かず、部屋着姿でソファに座り、読書をしていた。日和が美羽を連れて帰ってきたのを見ても、翔平は表情一つ変えなかった。日和は翔平に近づき、健診結果の紙を差し出した。「目を通しなさい」対面に座った美羽は、日和の動きを見て、思わず緊張で体が強張った。翔平は視線を落とし、深く黒い瞳は冷ややかだった。彼は本を閉じると、「昼食の準備ができました。まずは食べましょう」と言った。ちょうど言い終えたときだった。美羽は胸が押しつぶされるような苦しみを感じた。予想通りの反応だったのだ。日和は翔平をひと睨みしたが、深くは追求せず「分かったわ、あとで見て」と言った。ダイニングへと向かうと、翠と恵が準備した昼食がテーブルに並べられていた。日和が二人をじろりと見た。その視線に、二人は何かを感じてか、そわそわと落ち着かない様子だった。すると、日和が言った。「美羽の世話をするのがあなたたちの仕事よ。これ以上、余計な噂話は聞きたくない。もし美羽の体調に何かあったら、責任を取ってもらうからね」翠と恵は血の気が引き、顔が青ざめた。「かしこまりました。これからはしっかりとお守りいたします」
続きを読む

第44話

日和は帰る前にもう一度美羽を諭した。伝えたかったのは、もう嫁いだ身なのだから、実家にばかり入り浸ってはいけないということだ。翔平はそのまま書斎へと戻っていった。美羽は自分の部屋に戻ると、ソファに座り、澪に電話をかけた。電話に出た澪は、「美羽、今日は何時に帰るの?」と尋ねた。「澪さん、当面は翔平のところに住むことになりそう」と美羽が答える。「どうしたの?」と澪は怪訝そうにした。「おばあさんから、ここで落ち着いて過ごしなさいって言われたの」その言葉で美羽の置かれた状況を悟った澪は、それ以上何も言えなかった。「今日、ヨガスタジオに行く?」「うん、18時から20時で予約しているから」「そう。じゃあ少し早めに迎えに行くわね。晩ごはん持っていくから」「ありがとう」電話を切り時刻を確認すると、まだ昼寝をしてから出かけられる時間だった。一度寝てから支度を整え、下の階に降りると、ちょうど翔平と鉢合わせた。彼を見て、「出かけるの?」と尋ねる。翔平はいつもの冷ややかな目で美羽を見つめ、「何だ?」とだけ言い捨てた。慣れきった態度の美羽は期待を込めることもなく、頼んだ。「私も外出するの。車が実家にあるんだけど、地下鉄の駅まで送ってもらえない?」数十分後、美羽は翔平の車を降り、地下鉄で街の中心地へと向かった。澪と合流すると、美羽は澪の手作り夕食を味わいながら、今日あったことを話した。「あなたのおばあさんのご意向なら、仕方がないわね。この先あと少しの辛抱よ」と澪がため息をついた。「うん」と美羽は答える。「お父さんが言っていたんだけど、あなたがA国に行く前に結婚式を済ませようって。正月休みに、親族だけでささやかに行うつもりだそうよ」澪と正人は先週、籍を入れたばかりだ。これで本当の意味での家族になれた。美羽に異論はなく、「それはいいね」と微笑んだ。食後少し休んでから、ヨガスタジオへ向かった。レッスンを終え外に出ると、涼太が車で迎えに来てくれており、美羽を月見ヶ丘まで送ってくれた。美羽は涼太に、明日時間がある時に自分の車を持ってきてほしいと頼んだ。「もうお腹も大きいし、運転は危険だ。運転手を一人手配して、毎日送り迎えさせよう」と涼太が提案した。澪も「ええ、その方が安心ね」と同意した。少し
続きを読む

第45話

翔平は本当に、自分と同じ屋根の下で暮らすのが苦痛なのだろう。それでも、今の美羽にはどうでもいいことだった。今日、直美に連絡をとった。体調はどうかと聞くためだ。本当は昨日見舞いに行くつもりだったが、結局行けなかったから。「もう大丈夫、点滴が終われば退院できますから」あの日、直美は酷い胃痛で2日間点滴を打たなければならなかったのだ。結局、美羽は直美のお見舞いに行くことにした。ちょうど涼太から連絡があり、運転手の手配ができたという。昨年までスポーツチームにいた男で、社用車の運転には慣れているという。涼太から連絡先を教えてもらい、すぐに本人へ電話をした。今、涼太の会社にいるらしく、そこから一旦翠月台へ向かって車を出すとなると、到着まで1時間ほどかかるとのことだ。「来る30分前になったら連絡して」それまで、のんびりと散歩がてら門まで歩いていこう。相手は承諾した。午前10時半になり、美羽は月見ヶ丘の外まで歩いていくと、ちょうど車も到着した。車が停まり、運転席から降りてくる男が見えた。身長は180センチほどで、短髪に整った顔立ち、姿勢もいい。元スポーツ選手らしい、どこか頼もしく真っ直ぐな雰囲気がある。美羽は車に乗り込んだ。上田豪(うえだ ごう)が自身の経歴書を差し出した。「美羽様、ご確認ください」美羽は目を通す。上田豪、28歳。18歳からずっとスポーツチームにいたようだ。涼太の紹介なのだから、問題ないはずだ。「兄からは、お給料をいくらで提示されているの?」「月給40万です」「知ってると思うけど、今回の仕事は短期間の契約よ」「はい、存じております」「今の住まいはどこなの?」豪は答える。「栄波通り沿いです。ここまで来るのに、車で40分ほどかかります」「アパート暮らし?」「今は親戚のところに身を寄せていますが、近場で家を探すつもりです」この近辺の賃貸は高い。通り過ぎるマンションを見て、美羽は言った。「それなら住宅手当として月12万上乗せしてあげるから、この近くで手頃な場所を探してみたらどうかしら?」「ありがとうございます、美羽様。すぐに探します」豪は直美が入院している病院まで美羽を送り届けた。車から降りて病院のロビーを歩いていると、ちょうど浩平と鉢合わせた。浩平も美羽
続きを読む

第46話

美羽が直美の入院している病室に到着したときには、すっかり落ち着きを取り戻していた。「美羽さん、わざわざ来てくれたのですか?それにフルーツまでいただいちゃって」美羽は持ってきたフルーツをテーブルに置いた。まだ半分ほど残っている点滴を見て尋ねた。「これが終わったら、次はまだありますか?」「これで最後です」「この前の夜みたいに、お酒を飲むのはもうダメですよ」直美は笑って言った。「辛いときはどうしようもないですもの。たまの息抜きだし、これからは気をつけますから」点滴が終わったタイミングで、隆も病室にやってきた。3人は病院近くのレストランで、さっぱりとしたランチをとった。美羽は先日、学校で勲と会ったことを話題にした。隆が言った。「北条先生は時々学校へ顔を出してるよ。若い生徒たちから元気をもらっているらしいんだ」直美は驚いた。「美羽さんと北条先生は面識があるんですか?」勲は隆の卒業後、すぐに教職を離れていた。隆が続けた。「私が美羽さんを見ていた時、北条先生は美羽さんのことを高く評価していた。引退後も個人的に教えていて、学会にも連れ出して視野を広げてやっていたんだよ」隆は美羽が数学と経済学のダブル学位を取得した秀才で、国際的な数学の賞をいくつも受賞した過去を語った。だが、その努力よりも、勲が個人的に指導していたという事実に直美は言葉を失った。「美羽さん、それってすごすぎますよ。北条先生が個人的に教えてくれるなんて」勲といえば学生のレベルが高く、卒業要件が非常に厳しいことで有名だ。天才の隆は別格として、普通は卒業まで何年もかかるのが常だったからだ。引退してなお美羽を指導するなんて、並大抵のことではない。美羽はただ恐縮するばかりだった。今のどん底のような自分と比べると、当時のことがまるで夢のようだ。「中山社長って本当に目がないですね。宝石の価値も分からず、クズばかり拾って」美羽はただ淡く笑みを浮かべた。隆はたしなめた。「喉元過ぎれば熱さを忘れる。公の場でそんなことを言うんじゃない」直美は納得いかない顔で言った。「まさか聞こえたりしないでしょ?」「……」食事が終わる、美羽はそのままヨガスタジオへ行く予定で、特に予定のない直美も同行することにした。隆は直美に言い含めた。「美羽さんのフォローを頼
続きを読む

第47話

それからの2日間、翔平は夜必ず家に戻っていた。ただ、美羽とはほとんど顔を合わせることはなかった。そのほうが気が楽でいい。とにかく今は、無事に子供を産むことだけを考えていた。日和から厳しく叱られてからというもの、翠と恵はずいぶんと大人しくなり、朝食を準備してくれる。美羽は仕事から帰るとそのままヨガスタジオへ直行し、そこで待っている澪が夕食を一緒に食べてくれるようになった。A大学には、見事な銀杏並木がある。今、黄金色に色づいた葉が冬の暖かい日差しを浴びて、キラキラと宝石のように輝いていた。学生たちが皆、写真を撮ろうと賑わっている。美羽が勤める研究室からは、ちょうどその黄金色の道が一望できた。今日は勲が研究室までやってきた。美羽を見つけると、新聞を読んでくれと頼まれた。研究室で座りながら、美羽は勲に新聞を読み聞かせた。40分ほどが過ぎた頃。「よし、今日はここまでにしよう」新聞を置いた美羽は、勲のコップの中身が空になっているのに気づき、「お注ぎします」と声をかけた。コップを持ってサーバーの方へ歩き、何気なく窓の外を見ると、階下に見覚えのある二つの姿があった。通りすがりの学生たちが、そのあまりの美しさに足をとめて見とれている。翔平は今勤務時間中だが、どんなに忙しくても、一番大事な女性のためなら時間を作るということなんだろう。美羽は視線を伏せ、それ以上見るのをやめた。かつての初恋。翔平が今、他の女性と幸せそうにしているのを見て、苦しくないはずなんてない。「何をみているんだ?」勲の声がした。ハッとして振り返り、美羽は口角を少しだけ上げて笑って、そのまま勲にコップを差し出した。「今日の銀杏が、すごく綺麗だなと思いまして」勲は美羽をまっすぐ見て尋ねた。「エルスタンフォード大学への留学を佐野くんが勧めているそうだな」「はい。来年、子供を産んでから行く予定です」と美羽は答えた。「旦那さんはそれで納得しているのか?」美羽はコップを握りしめ、少し迷ってから正直に打ち明けた。「子供を産んだら、離婚することになっているんです」勲と目を合わせることができず、美羽は視線を落とした。あの時、勲の言う通りに進学していれば、今とは全く違う人生があったはずだ。自分自身の力で舞台に立って輝けていたかもしれな
続きを読む

第48話

勲はひどく顔を強張らせて言った。「もう帰る!」そう言って、駐車場所の方へ歩き出した。車は少し先で待機しており、英樹が小走りで後部座席のドアを開けると、勲は乗り込んだ。翔平は瑠衣を車に乗せ、目の前を走り去る勲の車を見送った。そして、視線を戻すと自分も車に乗り込んだ。時はあっという間に流れた。銀杏が風に吹かれて枯れ落ち、日ごとに寒さが増していく。美羽のお腹は日に日に大きくなっていた。少し歩くだけで息が上がり、座って休まなければならない。衣服の着脱も一苦労で、特にズボンを履くのには長い時間がかかる。夜中のトイレも増え、腰の痛みもひどい。夜は足のけいれんで飛び起き、ふとした瞬間に息苦しさすら感じるようになっていた。翔平との仲は相変わらず冷え切っていた。同じ屋根の下に住んでいるものの、できるだけ顔を合わせないよう避けている。すれ違っても、まるでそこに誰もいないかのように扱われることには、もう慣れっこだった。秋の末。翔平が1週間ほど出張に出た。翠が荷造りを手伝うよう言ってきたが、美羽は断った。今さら何かをしたところで、ただ翔平を苛立たせるだけだと分かっていたからだ。翠は不機嫌そうに鼻を鳴らし、一人で翔平の荷造りを済ませた。翔平がいない間、美羽は実家へ戻った。澪が毎晩付き添ってくれ、人の世話がある分、随分と楽に過ごせた。翔平が帰国前日のこと。日和から電話があり、翔平が帰宅することを聞かされた。だから美羽は、一度家へ戻らざるを得なかった。翔平が戻ったら、少し話がしたい。お腹が大きくなるにつれ、これ以上自分一人で抱え込むのは限界だということを伝え、当面の間は実家で暮らしたいと思っていたのだ。昼食後、美羽はリビングのソファに腰かけ、テレビを見ていた。午後2時ごろ。美羽は何かの物音に気づき、玄関の方を見る。翠が慌ただしく駆け寄り、翔平のためにスリッパを並べた。彼は靴を脱ぎながら、スマホで電話をしている。その表情はひどく険しい。翔平はそのまま、スリッパも履かずに2階へと向かってしまった。美羽は遠ざかる彼の背中を眺め、静かに視線を下ろした。翠は運転手からトランクを受け取ると、ソファに座ったまま微動だにしない美羽を冷ややかに一瞥した。美羽はそれを見て見ぬふりをし、テレビを消して自分の部屋に戻った。し
続きを読む

第49話

翔平がいつ家を出るのか、美羽には分からなかった。そこで、思い切って、予定より早めに家を出ることにした。豪に車を出してもらい、中山家の本邸へ向かった。準備を整えて2階から降りてきた翔平は、翠の姿はあっても美羽の姿がないことに気づき、「あいつを呼んで来い」と命じた。翠は不満げに毒づいた。「もう先に出かけてしまいましたよ。気取ってるのか、それとも何か恨みでもあるんでしょうかね」翔平は微かに眉をひそめた。その言葉には答えず、足早に玄関へと向かった。美羽は、翔平より先に本邸に到着していた。今日は中山家全員が集まるため、駐車場には高級車が何台も停まっていた。美羽が到着した時、ちょうど悠斗と鉢合わせし、悠斗が美羽に声をかけた。二人で会うのはしばらくぶりだった。悠斗は美羽のお腹をじっと見つめて言った。「お腹が一段と大きくなったな。でも顔の肉が少し落ちて、綺麗になったんじゃないか?」美羽は思わず口元を緩ませた。悠斗にしか言えない、独特な褒め言葉だった。「あなたこそ、かっこよくなったじゃない?」「だろ?俺もそう思ってたんだ」二人は顔を見合わせて笑った。「じゃ、入ろうぜ!」最初、美羽はかなり緊張していた。調和のとれた家族の集まりに、部外者として足を踏み入れるような心境だったからだ。しかし悠斗と一緒に歩いていると、少しだけ気が楽になった。家に入ると、室内は温かい空気に包まれ、楽しげな笑い声や子供たちの賑やかな声が響き、和やかな雰囲気だった。リビングには、まだ女性陣しかいなかった。そこに、美羽と悠斗が入ってくるのが見える。日和が声をかけると、二人は前に進み出て挨拶した。悠斗が次々と挨拶をし、続いて美羽も礼儀正しく頭を下げた。日和が美羽を見て尋ねた。「あれ、一人なの?翔平は?」「まだ仕事があるみたいです。どうしても外せない用事があるようで、私だけ先にこちらへ向かいました」と美羽が答えた。日和の眼差しが少し曇ったが、その場では何も言わなかった。「まあいいわ。座りなさい」悠斗は、二人の甥っ子たちに引きずられるようにして遊びに加わった。美羽は適当な場所に腰を下ろし、静かに年長者たちの会話に耳を傾けていた。杏奈が美羽のお腹に目を向け、尋ねてきた。「予定日はいつなの?」「来年の1月中旬です」と
続きを読む

第50話

「D国から書類が届いたんだけど、ちょっと目を通してもらえる?」と悠斗は言った。「ええ、後で送っておいて!」悠斗は美羽の箸が届きやすいように料理を寄せ、笑顔で言った。「ありがとう、美羽」それを聞いた杏奈は悠斗のほうを見て尋ねた。「何を感謝しているの?」悠斗は「手伝ってもらいたくて」と答えた。「美羽さんは今お腹も大きいんだから、あまり負担をかけさせないでよ」美羽は穏やかに笑って答えた。「大丈夫ですよ、大したことありませんから」杏奈の態度はこれまでも悪くはなかった。利害関係や世間体とは無縁の存在だったからだ。時には日和の言葉に合わせて、美羽の意見に同調することすらあった。「悠斗と美羽さんは相変わらず仲がいいわね」中山里香(なかやま りか)が口を挟んだ。里香は真司の妻で、悠斗の義理の姉にあたる人物だ。杏奈は言った。「二人は昔同じ学校だったの。大学入学共通テストの時、美羽さんは市の理系トップで、悠斗とはわずか1点差だったのよ」これは日和が調査をさせた際に判明したことだ。当時、美羽の名前を聞いてピンとくるものがあった。悠斗があと1点というところで負けたのが悔しくて、強く記憶に残っていたからだ。容姿の面では少し物足りないが、頭が切れて優秀であり、本来なら翔平を支える妻として申し分ない存在だ。翔平が美羽に関心がないのが惜しまれるほどだった。おそらく翔平ほどの天才にとって、美羽の才能など眼中にもないのだろう。里香は納得した。「そうでしたか。奇妙な縁があるものですね」悠斗は溜息混じりに言った。「本当だよ。昔は『お兄様』なんて呼んでいた相手が、今では自分より上の立場になるなんてな」それを聞いて、美羽はつい悠斗を横目で見やった。悠斗は美羽より3ヶ月早く生まれただけだ。なのに、昔は何かと手伝いを頼むたびに、彼女に「優しいお兄様と呼べ」と意地悪をしてきたものだった。里香が笑った。「それなら美羽さんより年上の彼女を見つければいいじゃない?」悠斗はハッと表情を変えた。「確かに、その通りだ」と頷き、美羽を揶揄うように見た。「ねえ、美羽の姉さんとか、誰か紹介してくれない?」美羽は呆れたように言った。「私の兄を紹介しようか?」その瞬間、家で夕飯を食べていた涼太は思わずくしゃみをした。悠斗が言った。「それは母さんの許可が出るか
続きを読む
前へ
1
...
34567
...
10
コードをスキャンしてアプリで読む
DMCA.com Protection Status