All Chapters of 再会した幼馴染は狂犬極道若頭になっていた上、なぜか私を飼い主と呼んで逃がさないのですが?~契約結婚から始まる極上溺愛~: Chapter 51 - Chapter 60

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ただよう不穏

どういうわけか、事務所の空気が少しずつ変わり始めていた。朝、私はいつものように台所でお茶を淹れていた。組員さんたちが集まってくる時間になると、笑顔で「おはようございます!」と声をかける。でも、返事がいつもと違う。「おはよう……ございます」若い組員のタカシくんが、目を合わせずに小さく頭を下げた。いつもなら「姉御、今日もよろしく!」って明るく言ってくれるのに、今日はそれだけ。「タカシくん、どうしたの? 顔色悪いけど」「いえ……なんでもないです」彼は急いで自分の席に戻っていく。後ろからもう一人の組員、ケンジさんが近づいてきたけど、私の視線に気づくと少し距離を取った。「お茶、ありがとうございます……」カップを受け取る手が、なんだかぎこちない。(……え? みんな、なんか変じゃない?)私は心の中で首を傾げた。山の事件のあと、みんなが慕ってくれるようになって、事務所が居心地よくなっていたはずなのに。午前中、帳簿を手伝おうと若い組員たちに声をかけた。「ねえ、今日の伝票、一緒に確認しようか?」「いえ……自分たちでやります」「でも、前に一緒にやってたよね?」「すみません、今日は忙しくて……」彼らは目を逸らしながら、そそくさと離れていく。(何かあったの? 私が何か、みんなを怒らせるようなことしたっけ……?)胸がざわつく。気にするほどのことでもないと言えばそうだけど――でも、こういうときには、自分の直観を大事にするべきだということを私は知っていた。昼過ぎ、俊くんが奥の部屋から出てきた。私は思わず駆け寄った。「俊くん、ちょっとみんな……なんかよそよそしくない?」俊くんは私の腰に腕を回して、満足げに笑った。「よそよそしい? ああ、いい傾向だな」「え……いい傾向?」「みんな、ちゃんとわかってくれたみたいだ。お前は俺の女だってこと」俊くんは私の額に軽くキスをして、耳元で囁いた。「飼い主なんだから、俺から離れたらダメだろ?」大型犬みたいに甘えた声。でも、私は笑えなかった。(わかってくれた……って、何を? みんなが私から距離を取るのが、いいことなの?)夕方、組員さんたちがお茶を飲みに集まってきたときも、同じだった。「姉御……お茶、ありがとうございます」声は丁寧だけど、目が合わない。笑顔がどこかぎこちない。私は勇気を出して
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失格寸前の女

聡美は組長邸のサロンルームで、優雅に脚を組んでいた。午後の陽光がレースのカーテンを透かし、テーブルにはまた新しい紅茶とスイーツが並んでいる。先週より少し豪華にした。今日は前回より人数を増やして、組員の妻や愛人たちを再び招いていた。(ふふ……順調ね)聡美は心の中で小さく笑った。完璧に口紅を塗った赤い唇が、自然と弧を描く。女性たちが次々と到着し、席に着いた。「聡美様、今日もお招きいただきありがとうございます」「前回のお茶会、楽しかったですわ」聡美は柔らかく微笑んだ。「みんな、よく来てくれたわね。今日は特に話したいことがあったの」紅茶を一口飲んでから、聡美はさりげなく切り出した。「最近、幸子さんの様子はどう?」あかりがすぐに身を乗り出した。「もう、最高よ! うちの夫が『最近、幸子さんに近づくな』って言うようになったの」「本当?」みゆきが目を輝かせた。さくらが笑いながら続けた。「うちもよ。『姉御と親しくするな』って。最初は理由を聞かなかったけど、ちゃんと伝わってるみたい」れいかが手を叩いた。「うちの旦那も同じ! 『幸子さんの顔を見ると、なんか気まずい』って」女性たちが一気に笑い声を上げた。聡美は内心でほくそ笑みながら、静かに紅茶を注ぎ足した。「まあ、よかったわ。みんなの旦那さんたち、ちゃんと理解してくれたのね」「ええ! 幸子さんが組員たちに媚び売ってるって話、ちゃんと伝わったみたい」あかりが興奮気味に言った。みゆきが続ける。「事務所で幸子さんがお茶出しても、みんな素っ気ないんだって。『ありがとうございます』だけ言って、すぐに離れるらしいわ」「孤立してるんでしょう?」さくらがにやりと笑った。「そうみたいよ。組員さんたち、幸子さんに近づかなくなったって。『姉御』って呼ぶのも、なんだかぎこちないんだって」れいかが満足げに頷いた。「最高じゃない。調子に乗ってたあの女が、急にぽつんとしてるの想像したら気持ちいいわ」聡美は優しく微笑みながら、内心で深く満足した。(うまくいった……。男たちもちゃんと動いてくれたわね)彼女は小さく息を吐き、穏やかな声で言った。「私、幸子さんにまたお茶を勧めてみたの。でも『今は忙しいから』って、また断られちゃったわ」「えー、また?」「失礼よね」「あの人、本当に生意気」女性たちの悪
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組長の苦言

「なあ……、ちょっといいか?」事務所にいるときに、組長さんからそっと呼び出された。何か問題でもあったのかと心臓をばくばくさせながらついていくと、組長さんは静かに小さな部屋に私を通した。「あの……、なんでしょうか……?」「いや、その、な。これは親ばかと取ってもらっても構わねえんだが……、聡美の件だ」「聡美さんの?」「ああ、最近、ずっと聡美の誘いを断ってるそうじゃねえか」「えっ……?」寝耳に水だった。聡美さんから誘われたことなんて、一度もない。そもそも、聡美さんは私に寄り付こうともしない。近づいてくることが全くないとは言わないけど、そのたびに嫌味を言われたり、馬鹿にされたり。あまり面白いことにならないことはわかっていたから、私はあえて聡美さんとは関わらないようにしてたんだけど……。「あんな娘でも、一応は可愛い娘なんだ。あまりむげにはしないでやってくれねえか」「そ、それはもちろん……」私だって、組長さんの娘と表立って敵対したくはない。実際、組員たちの結束を考えると、お姉さんたちとも仲良くしておくべきだろう。それは私にだってわかっている。ただ、どうしてもうまくいかない……。私がもともと、ただの一般人だったこともあるのかもしれない。私は極道の世界の暗黙の了解も知らないし、立ち居振る舞いも何もわかっていない。せいぜい、組員さんたちに少しでも気持ちよく過ごしてもらえるよう、お茶を入れたりできることを手伝ったりすることくらいしかできない。それが不満のもとなのかもしれない、というのは察しがついてはいたけど……。それでも、どうしようもなかった。俊くんに聞いても、どういうわけかはぐらかされてしまう。「お前は俺のそばにいるだけでいいんだ」なんて言って、詳しいことは何も教えてくれないのだ。極道の世界に私を引っ張り込んだのは俊くんなのに……。まるで俊くんは、私のことを極道の妻にはしたくないかのようにも思える。そんなことあるのかと思ってしまうんだけど……。だって、そう感じるんだから、仕方がなかった。「今日だって、聡美の誘いを断ったそうじゃねえか」「……今日、ですか?」まったく心当たりがない。内心首をひねっていると、組長さんが怪訝そうな顔をした。「ああ、聞いてるだろう? 最近、組員のオンナたちで集まってるって」「……あ、ああ! あれ
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幸子の戸惑い

組長さんからの話に、私は戸惑いを隠せなかった。これって、本当に、どうしたらいいんだろう……。「どうかしたか?」俊くんは相変わらず、ソファで私を抱きしめている。組員たちは何となく、私と俊くんを遠巻きに見るようにしていた。そのよそよそしさは、俊くんに対して引いているのかなと私は思っていたけど……多分、違うんだ。これって、どうしたら解決できるんだろう?あまり人間関係そのもので悩んできたことのなかった私には、ちょっと難しい話だった。これまでは人間関係ができるよりも前に職場を追われるようなことが多かったから……。「なあ、浮かない顔してるけどさ、何かあったのか?」俊くんが重ねて聞いてくる。「別に……大したことはないよ」そうは言ったけど、本当は大したことがないなんてこと、ない。組長さんのほうにまで届いているということは、多分、もっと広い範囲に届いているということで……。それをどうやったら解決できるのか?どこから手を付けたらいいのか?そういうことが、全然、分からなかった。「なあ、気晴らしに出かけないか? どこか……、どこがいい?」「えっ、いいの?」「いいだろ。なあ、お前ら、俺がいなくたってやれるよなぁ!?」俊くんが声をかけると、組員たちが揃っていい返事をする。「ほら、な?」俊くんは得意げだった。実際には、大丈夫そうには思えない……、けど。でも、ここに引きこもって考えていても、どうにもならないことも事実ではある。「……行こうかな」「よし! 映画館? 美術館? それとも遊園地か?」「そんな、大げさだよ。近くに散歩とかで十分だよ」「散歩かあ」「嫌?」「別に、嫌じゃねえけど……オープンスペースなぁ……、やりにくいんだよな……」俊くんがぼそぼそと何かぼやいている。やりにくいって、何がだろう?ときどき俊くんはよくわからないことを言うな、って思う。でも聞いてもいつも答えてくれないし、何か私には分からないことがあるんだろうなと思っているけど……。「ねえ、近くの公園に行かない? 花がキレイみたいだよ」「花か……、悪くないな」「じゃあ、行こうよ」私は俊くんの手を引いて立ち上がった。俊くんはしぶしぶといった雰囲気ではあったけど、嫌がっている感じではなさそうだった。しばらくして、私たちは近くの公園を歩いていた。この公園は自
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藤棚の思い出

「そういえば……昔、近くの公演にも藤棚があったよね」近くの公園と言っても、ちょっと離れていて、お休みの日にでもないといけないような場所だったけど。大きな公園で、池があったり、ドッグランがあったりして、休みの日には子供たちがたくさん遊んでいるような場所だった。そこで俊くんはスケッチブックを抱えて絵を描いていて、私はその横で絵が完成していくのをいつも眺めていた。「藤以外にもいろんなお花があったと思うけど……、もう全然覚えてないな」そもそも、花の種類なんか、もう全然覚えていなかった。あまりにも日々に追われていて……花なんて、買う余裕どころか見る余裕もなかった。「うーん、一軒家のほうがよかったか?」「え?」「ガーデニング。できたほうがよかったのかなって」「そんな、そこまで手間をかけていられないよ」「そうか……、わかった」うなずくと、俊くんはどこかに電話をかけ始める。何だろうとみていると、少しして、俊くんが私に向かって微笑んだ。「庭を買った!」「えっ? 庭を?」「庭というか、庭園だな。所有者が売りたがってた家つきの庭園があったから、買っておいた」「い、家付きの庭園?」それは、庭園のついた庭というのでは……。そんな家、絶対、ものすごく大きいだろう。ただでさえ大きなマンションに住んでいるのに、その上、庭園のあるようなお屋敷まで?「そんなに簡単に買っちゃっていいの?」「ああ。だって、庭に花を植えるの、楽しそうだろ?」「それはまあ、そうだけど……」楽しそうだって言うのは、絶対にそう。それはわかる。でも……。「そんな、おもちゃじゃないんだよ?」「お前ってホント、欲がねえよな。アクセサリーもねだらねえ、ブランド物もほしがらねえ」「だってそんなの……私には分不相応だよ」手入れの仕方だってわからないし、どうしたらいいかもわからない。高価なアクセサリーなんて、なくしたらどうしようとか絶対に考えちゃう。そんな気が落ち着かないようなおでかけ、あんまり嬉しくないなと思ってしまうのは、私が庶民だからかもしれない。「だから、庭だよ。そこに好きな花を植えたらいい。手入れが面倒なら人を雇って世話させたっていい」「それって、私の庭って呼べるのかな?」「呼べるだろ。お前の好きに作れる場所だよ。昔は金持ちの家には庭師がいたじゃないか」「なる
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ひとりぼっちの私

俊くんは仕事があるからと言って、私にキスをして出て行ってしまった。残された私は組の事務所でぼんやりと帳簿を眺めている。手伝うということで任された帳簿。これはまあ、ちょっとした家計簿くらいのレベルのもの。まだこの程度の仕事しか、私には任せてもらえないんだ。「簿記の資格とか、取ろうかなあ……」どうやったら色々なことができるようになるのかわからないけど、多分、こういうのって簿記とかができたほうがいいんだよね?ぼやいた私に、いつも答えてくれる組員の人たちは、今日はびっくりするくらい静かだった。なんだか、私に対して随分とよそよそしく感じる。何か悪いことでもしてしまったみたい……。実際には、何もしていないけれど。その原因が私ではなく、聡美さんにあること。それをもう私は知ってしまっている。でも聡美さんが原因だとしても、組員の人たちにそれを説明して説得するわけにもいかない。そんなことをしたって、彼らを困らせるだけなのはわかっていた。(どうしよう……。私って、本当に何もできないんだ)それがじわじわと響いてきていた。こんなとき、もっとちゃんと、思いついて解決できるような人間だったらよかった。学校でもあまり、人間関係をしっかり作ってこられたことがなくて――バイト先でも、ほとんど、行って帰るだけの生活。そんな私にできることって、いったいなんなのだろう。まずはお姉さんたちともっと交流する?でも、既に聡美さんたちと親しくなっているんだとしたら、今から私がどうにかしようとしても意味はないかもしれない……。こういうときの対処法って、どうしたらいいんだろう。母に相談しても困らせるだけだろうし……。俊くんに相談しても、どうにもできないよね。いくら若頭って言ったって、
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理想の庭

「あなたの理想の庭について聞きに来たの」目の前に立った彼女にそう言われて、私はきょとんとしてしまった。だって……、理想の庭って。「何の話ですか?」「旦那さんから聞いていない? ガーデナーを雇うって話……」「あっ!」そういえば、そんな話をしていた気がする。でも庭師って言うと、勝手に気難しそうなおじいさんを想像していたから、にわかには彼女と結びつかない。「よかった。私、山崎華弥子です。よろしくお願いします」差し出された手を握ると、ぎゅっと握り返された。思っていたよりも力が強くて、なんだかびっくりしてしまう。大きな手だった。きっと、毎日土をいじっているんだろうなっていう感じの……。女の人の手なのに、土を毎日触っていそうな感じのごつごつした手だ。この人だったら、きっと庭を任せても大丈夫そうだと直感した。「お、お願いします」「それで、早速なんですけど。どんな庭にしたいのか、お伺いしても?」「今ですか?」「忙しいなら、後にします。でも、庭って、作るのにすごく時間がかかるんです。始めるのは早い方が、早く理想の庭ができますよ」「なるほど……」それなら、気分転換も兼ねて彼女と話すのもいいかもしれない。頷く私に、華弥子さんは鞄から一冊のスケッチブックを取り出した。「それじゃあ、まずは好きなものを教えてください」「好きなもの……ですか?」「はい。花でも、木でも、景色でも。理想のお庭って、人それぞれなんです」ページをめくると、そこには色とりどりの庭園の写真が貼られていた。イングリッシュガーデンのように花があふれる庭。木々に囲まれた静かな庭。季節の花が少しずつ咲く、落ち着いた和風の庭。どれも素敵で、思わず見入ってしまう。「すごい……」「旦那さんからは、『妻が喜ぶ庭にしてほしい』とだけ伺っています」思わず笑みがこぼれた。あの人らしいお願いだ。「だから、今日は旦那さんじゃなくて、あなたの希望を聞きに来ました」私の、希望。そう言われると、不思議なくらい言葉が出てこない。チューリップも好きだし、バラも好き。四季を感じられる庭にも憧れる。でも、それをどう一つの庭にしたいのかと聞かれると、自分でもよく分からなかった。
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春を待つ庭

「うーん……」スケッチブックを眺めながら、私はしばらく考え込んでしまった。どの庭も素敵だ。でも、「理想の庭はこれです」と言えるものが見つからない。「焦らなくて大丈夫ですよ」華弥子さんが優しく笑う。「庭は、少しずつ育てていくものですから」「少しずつ……」「最初は好きなものを集めるだけでも十分です。春はこの花が好き、夏はこんな景色が好き。そういう思い出を重ねるうちに、その人だけの庭になります」その言葉に、ふっと幼い頃の景色が浮かんだ。「……チューリップが好きです」「チューリップですか」「小さい頃、お父さんと植えてたんです」春になるたび、一緒に球根を植えて。芽が出るたびに嬉しくて、毎日庭へ走っていた。「じゃあ、春はチューリップですね」華弥子さんがさらさらと鉛筆を走らせる。「夏は木陰があると嬉しいです。本を読めるような」「なるほど」「秋は紅葉が見たくて……冬は……」言葉に詰まる私に、華弥子さんは穏やかに微笑んだ。「冬は何もない庭も綺麗ですよ」「何もない庭?」「ええ。春を待っている庭です」その表現が、とても素敵だと思った。「それがいいです」「春を待つ庭、ですね」気づけば、スケッチブックには少しずつ私の理想が形になっていた。「ここにベンチを置いて、このあたりに落葉樹を植えると、季節ごとの表情が楽しめます」完成図を想像するだけで胸が弾む。本当に、こんな庭になるのだろうか。「……綺麗だな」聞き慣れた声に振り返る。玄関の方から俊が歩いてきていた。「俊くん、おかえりなさい」
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私たちの庭へ

「それでは」華弥子さんはスケッチブックを閉じると、立ち上がった。「ある程度イメージはまとまりましたので、実際に庭園を拝見しながらお話しできればと思います」「あっ、そうですよね」紙の上だけでは分からないことも、きっとたくさんある。「今日でも大丈夫ですか?」私が俊くんを見ると、俊くんは少しだけ考えるように腕を組んだ。「このあと急ぎの予定はねえな」そう言うと、華弥子さんへ視線を向ける。「今から行きましょう」「ありがとうございます」華弥子さんが頭を下げた。私は慌てて立ち上がる。「じゃあ、私も準備を――」「そのままでいい」俊くんが軽く笑う。「庭を見に行くだけだろ」「でも……」「歩きやすい靴なら十分だ」そう言われて自分の足元を見る。今日は動きやすい靴を履いていた。「本当だ」「だろ?」俊くんは少しだけ笑うと、私の頭をぽんと軽く撫でた。その手つきがあまりにも自然で、思わず照れてしまう。「行くぞ」「うん」三人で事務所を出ると、駐車場には黒いSUVが停まっていた。俊くんは迷いなく運転席へ向かう。「若頭」近くにいた若い衆が駆け寄ってきた。「運転は俺が――」「いい」俊くんは短く答えた。「今日は俺が運転する」「……承知しました」若い衆は一礼して下がっていく。私は助手席のドアを開けながら、小さく尋ねた。「いつも自分で運転するの?」「遠出するときはな」俊くんはシートベルトを締めながら笑う。「幸子を乗せるなら、自分で運転したい」その一言だけで、胸がくすぐったくなる。
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放棄されたバラ園

四十分ほど車を走らせると、街並みは少しずつ緑に包まれていった。やがて、俊くんがゆっくりと車を停める。「着いたぞ」エンジンが止まり、私は窓の外へ目を向けた。そこには、重厚な鉄製の門が立っていた。門の向こうには広い庭園が見える。「ここが……」私は思わず息を呑む。俊くんから、手入れがされなくなったバラ園だと聞いていた。だから、もっと寂しくて荒れ果てた場所を想像していたのだ。けれど、目の前に広がる景色は違った。枝は伸び放題で、つるはあちこちに絡み合っている。雑草も目立つ。確かに、長い間手入れはされていないのだろう。それでも――。赤や白、ピンクのバラは、懸命に花を咲かせていた。「……綺麗」思わず零れた言葉に、華弥子さんが微笑む。「そうでしょう?」「はい。もっと荒れ果てているのかと思っていました」華弥子さんはゆっくりと門の前まで歩いていく。そして一本のバラへ視線を向けると、優しく頷いた。「この子たちは、まだ頑張っているんです」そう言って、棘を避けながら枝にそっと触れる。「長い間手入れをされなくても、こうして花を咲かせてくれています」私はそのバラを見つめた。誰にも見てもらえなくても。手をかけてもらえなくても。それでも、今年も花を咲かせたんだ。「だから大丈夫ですよ」華弥子さんは穏やかに笑う。「少しずつ手をかけてあげれば、この庭園は必ず応えてくれます」「本当に?」「ええ。庭づくりは急ぐものではありません。一年、二年……もっと長い時間をかけて育てていくものですから」その言葉を聞いているうちに、不思議と胸が温かくなっていく。少しずつでいい。
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