慎一の足が止まった。 その瞳に微かな光が揺らぎ、俯いたままの紗月へ向けられる。 紗月のそばに優介の姿はなかった。おそらく何か理由をつけて、先に帰るよう説得したのだろう。 慎一はさりげなく周囲へ視線を巡らせ、本当に紗月が一人でいることを確かめてから、悠然と口を開いた。「どうした、友枝さん」 慎一に旧姓で呼ばれたのは、これが初めてだった。 紗月は一瞬、何を言われたのか理解できず、その場で呆然と立ち尽くす。 返事がないまま数秒が流れ、慎一がもう一度口を開いたことで、ようやく我に返った。「用がないなら、俺は忙しい。先に行く」「朝倉社長……! あの……その……」 本当に容赦なく立ち去ろうとする慎一を見て、紗月は衝動的に呼び止めた。 けれど、口からこぼれたのは意味を成さない言葉ばかりで、肝心の用件をどうしても切り出せない。 慎一も今回は急かすことはしなかった。 焦りを隠しきれずにいる紗月を、ただ静かに見下ろしている。 ここ数日、まともに眠れていないのだろう。 目の下には、昨日よりもさらに濃い隈が落ちていた。 外出前にファンデーションで隠した形跡はあるものの、顔全体に滲む疲労や憔悴までは、化粧では覆い隠せていない。 言葉を探し続ける紗月を見つめるうちに、慎一はいつしか時間さえ忘れていた。 やがて紗月が、ひどく言いづらそうに唇を開く。「……あの契約は、まだ有効なんですか」 その一言を耳にした瞬間、慎一はようやく我に返った。 喉の奥で低く笑いが漏れる。 胸につかえていた重苦しいものが、音もなく消えていくようだった。 目に見えて、慎一の機嫌が和らいでいく。 紗月が高瀬の会社を訪れたと報告を受けたあと、慎一は高瀬社長と会うためだけに、自社の案件を一つ譲ることになった。 だが、一つの案件で紗月から譲歩を引き出せたのなら、その程度の代償など安いものだった。「紗月、言ったはずだ。昨日を過ぎてから俺に縋っても、同じ条件では済まないと」 紗月は顔を青ざめさせ、口を閉ざした。 ここでまた怖じ気づき、逃げられては困る。慎一はスマートフォンを取り出すと、迷うことなく久我へ電話をかけた。「話の続きは車で聞く」 久我はすぐに駆けつけた。 慎一が連絡を入れてから、一分も経たないうちに車が二人の前へ滑り込む。慎一の後ろに立つ紗月の姿を認めると、久
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