All Chapters of 社長の子じゃありません――でも、逃がしてもらえない: Chapter 221 - Chapter 230

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第221話

一方の三久は、突然こんなニュースが世に出るとは夢にも思っていなかった。洲人は報道を知るなり、すぐさまメッセージを送ってきた。【くそっ、どこかの馬鹿が俺を陥れようとしてる!こんな命知らずな真似をしたやつが誰か分かったら、俺が絶対にただじゃおかない!】百栄グループと九洲グループという二大巨頭の提携は、業界の他の者たちにとっては決して歓迎できることではなかった。強者同士が手を組めば、他の者たちはただ震え上がり、二社の指の隙間からわずかに漏れるおこぼれを拾って生き延びるしかなくなるからだ。だが、こんな下劣なゴシップという手を使って提携を潰そうとするような人間は、よほど短絡的な考えの持ち主だと言わざるを得ない。所詮、百栄や九洲の企業としての根幹を揺るがすほどの致命傷にはならず、それどころか、後で待っているのは、相手が到底受け止めきれないほどの二大企業からの凄まじい反撃に決まっているのだから。三久は業界内で可能性のありそうな敵対企業や相手を一通り洗い出してみたが、これほど無謀な真似をする者の見当はまったくつかなかった。だが今は、犯人探しをしている場合ではなかった。神崎家の人間が乗り込んできたのは、ニュースが大々的に出てからわずか三時間後のことだった。ニュースによれば、洲人と三久はプロジェクトの件で泥沼の関係に陥り、長らく秘密裏に交際していたという。三久が百栄に何度も辞職を申し出ていたことまで、確たる証拠として引き合いに出されていた。実は彼女が玉の輿を狙ってのことで、洲人が彼女を辞めさせなかったのは、まだ神崎家に彼女の卑しい出自を受け入れさせられていなかったからだ、というもっともらしい筋書きだった。もし三久自身が当事者でなかったら、この妙に理路整然としたでたらめを、彼女自身がうっかり信じてしまいそうなほどの出来の良さだった。洲人の母親・神崎総子(かんざき ふさこ)が、この破廉恥な話を信じ込んで怒り心頭で乗り込んでくるのは、完全に予想の範囲内だった。「正直に言いなさい。いったいいくら積めば、あなたはうちの息子から離れてくれるの?」神崎夫人の言葉は、三久の予想の外にあった。結局、名家の奥様というのは、誰も彼もみんな同じなのね。総子も、あの摩美とまったく同じで、金で厄介者を追い払おうとする点は何一つ変わらなかった。
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第222話

由樹の表情からは、怒りも焦りも、一切の感情が読み取れなかった。高い鼻筋と薄い唇が描く整った輪郭が、近づくにつれて次第にはっきりと浮かび上がり、三久の瞳の奥に深く刻み込まれていく。由樹は彼女の目の前でぴたりと足を止め、見下ろすようにこちらを見つめた。三久は目を伏せ、先に口を開いた。「社長、申し訳ございません。また私のことで多大なご迷惑をおかけしてしまいました」彼女自身は洲人と何一つやましいことはなかったとはいえ、結局は洲人と関わった場面をメディアに撮られ、こんなニュースが流れてしまったのだ。今回の件で、百栄グループはすでに一億円を超える損失を被り、企業としての評判にも大きな傷がついた。「まず、状況の報告を……」「社長、今回の件は早坂さんに一切の非はありません!神崎社長が強引に会社まで押しかけてきたんです。避けようがありませんでした。今回は完全に、悪質なとばっちりですよ!」哲朗が横から口を挟み、必死に三久のために弁明した。これは本当に、三久のせいではなかったのだ。由樹は冷ややかで鋭い一瞥を投げた。「黙れ」「社長、まずは車に乗ってからお話ししませんか。外にはすでに記者が張っていますので」三久は哲朗に、これ以上由樹の機嫌を損ねないよう目配せして黙らせた。由樹は他人の説得や弁明を素直に聞くような性分ではなかった。そして今は、誰の責任かを悠長に追及しているような場合でもなかった。このプロジェクトへの参加は、由樹が周囲の反対を押し切って自ら決めたことで、なおかつ事が起きた時、彼は婚約者を連れた私用でたまたま国内を離れていた。取締役たちは、社長からの納得のいく説明を待っている。それも、もう長いこと待たされているのだ。由樹は無言で大股で駐車場へ向かった。三久はその後ろについていった。ミニバンの車体が、地下駐車場に並ぶ蛍光灯の光をいくつも冷たく反射している。哲朗が運転席に座り、三久は由樹と後部座席に並んで座った。「社長、これが広報部から緊急で出された二つの対応案です。まずはこちらをご確認ください」彼女はノートパソコンを開き、由樹の前に差し出した。画面の青白い光が、由樹の暗い瞳の奥に反射する。彼はちらりと目を通しただけで視線を戻し、「広報の件はお前が処理しろ。それより、取締役たちの様子はどうだ」と言った。「最
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第223話

三久は無表情のままだった。事態がこじれた原因が三久にあろうとなかろうと、摩美は三久を見れば必ず一言二言、棘のある嫌味をぶつけてくる。三久自身、そんな扱いにはもうすっかり慣れていた。嫌味を込めた視線を向けても、三久が少しも動じなかったことが、摩美をいっそう苛立たせた。だが、それでも摩美はそれ以上何も言わず、先に社長室へ入り、由樹に千歳のことを持ち出した。「千歳ちゃんをたった一人で海外に置いてきたっていうの?」由樹はすでにデスクの前に深く腰掛けていた。「まだ向こうで片づけなければならない急用があって、彼女は帰れないんです」摩美はあからさまに不満そうな顔をした。「あの子、一人きりなのよ?それなのに、よく平気で帰ってこられたわね」「以前、二年間も海外で一人でやってきたんです。それでも何も問題はなかったでしょう」由樹は摩美をちらりと見た。「ほかに用がないなら、先に帰ってください。まだ仕事が山ほど残っているので」そう言うなり、返事も待たずに内線を入れた。「例の案件、今日中に報告書をまとめてくれ」三久は秘書らしく淡々と答えた。「かしこまりました」摩美は渋々帰っていった。由樹の言う「今日中」とは、退勤前までに完璧に仕上げろという無言の圧力だった。幸い、問題が発覚した時点で、三久はすでに必要な準備を始めていた。一時間後、彼女は完成した書類を由樹のオフィスへ届けた。「社長、ほかにご用がなければ、本日は失礼いたします」由樹は無言で書類を受け取った。その整った顔には、深い疲労が色濃くにじんでいた。海外から慌ただしく戻ったばかりで時差ぼけも解消しきれておらず、千歳を強引に病院へ連れて行き、半日近く押し問答を続けたうえ、そのまま休む間もなく夜通し飛行機に乗って帰国した。彼はもう二十時間以上、一睡もしていなかった。「社長、取締役の皆さんへの対応に関する準備はもう済みましたので、ほかの仕事は急ぎません。どうぞお休みください」三久は秘書として彼を気遣った。由樹は書類をめくりながら、顔も上げずに尋ねた。「神崎はまた、何の用でお前を訪ねてきたんだ」彼に指摘されるまで、三久はすっかり忘れていた。洲人が「酒井が村上と結婚するのは、愛情のためではない」と熱心に語っていたことを。三久は澄んだ瞳で、じっと由樹の
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第224話

ほんの数秒後、哲朗は見るみる血の気を失い、通話を切った。彼はゆっくりと振り返って由樹を見た。何か言いたそうにしながらも、極度の動揺で言葉が出てこない。「はっきり言え」哲朗は口ごもりながら、絞り出すように言った。「そのメディアが受け取ったという匿名メールの発信元を調べたところ……村上家のIPアドレスでした」由樹は眉をひそめ、暗い瞳に一瞬、信じ難いという困惑の色を浮かべた。「でも、何かの間違いかもしれません!もう一度、詳しく調べさせます!」哲朗はすぐさままた電話をかけ、詳細な再調査を依頼した。だが、二度調べ直しても、デジタルの痕跡はどちらも間違いなく村上家を指していた。「これは絶対に何かの誤解です!誰かが一石二鳥を狙い、百栄と九洲の間を裂こうとしただけでなく、社長と村上家との強固な関係まで壊そうと、罠を仕掛けたんですよ!」哲朗は、婚約者の実家である村上家が、こんな自滅的なことをするとは信じられなかった。由樹の表情は険しさを増していった。一瞬よぎった信じ難さの色もすぐに冷たく消え、彼は低い声で命じた。「その調査資料を全部、村上家に送っておけ」「かしこまりました」哲朗は重々しくうなずいた。――村上家が、どうしてこんなことを……哲朗にはどうしても理解できなかった。資料を村上家に送ったあと、彼はいてもたってもいられず、三久にも電話をかけた。「村上誠一さんは、あれだけ商売に抜け目のない人です。見え透いた罠にはまるような人間じゃない。何か、よほどの事情があったんじゃないですか?」由樹の前では誤解だと言い張っていたが、自分の優秀な部下が行った調査にはかなりの自信を持っていた。間違いは起きないはずだと。「社長なら、誠一さんが抱えている問題だって何でも解決できるはずです。彼はそんなに愚かじゃありません」と、三久は答えた。彼女もまた、村上家がこんなことをするとは到底思えなかった。この件の発信元が村上家であることは動かせない事実だとしても、必ず何か別の裏があるはずだった。村上家は結局のところ、誠一という当主一人だけで構成されているわけではないのだから。「早坂さんはどう思います?ぜひ、意見を聞かせてください」哲朗は以前から、三久の物事を見抜く目は、由樹に次ぐほど確かだと思っていた。「今は待つしかありませんね
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第225話

すでに夜の十一時を回っていた。マンションの明かりの大半はすでに消え、三久の二LDKの部屋の中はしんと静まり返っていた。彼女はすでにベッドに入っていて、哲朗と少し仕事の雑談をしてから眠るつもりだった。ところが、哲朗のその衝撃的な一言が、部屋の静けさを一瞬で打ち破った。頭の中でブーンという耳鳴りが響き、頭の奥を貫くような鋭い痛みが走った。「きゅ、急に何を言ってるんですか?」「あのときは、私がうまくごまかしたんです。そうでなければ、社長が何も気づかないはずがないでしょう?」哲朗は、由樹が部屋を出る前に三久が慌てて立ち去るのを見て、三久があの夜のことをなかったことにしたがっているのだと察していた。そのため翌日、由樹から鋭い口調で「誰か俺の部屋に入った者はいたか」と尋ねられたときも、すぐに否定したのだ。「いいえ」さらに、とっさにこう付け加えた。「昨夜、このホテルのネットワークが外部から不正アクセスを受けて、館内で妙な映像が流れたそうです。何人も起こされたようですが、もしかして社長もお休みを邪魔されましたか?」妙な映像?由樹は確かに、昨夜のあの血が沸き立つような光景は、紛れもなく現実のものだったと確信していた。自分の手が、女の細い腰を確かに掴んでいた――「小林さん」三久はベッドから跳ね起きるように体を起こした。眉をきつく寄せ、心臓が喉元から飛び出しそうなほど激しく跳ねていた。もし彼女の妊娠が発覚したら、この子が由樹の子だと最初に気づくのは、きっと哲朗だ!「安心してください。絶対に誰にも言いませんから!あれは事故でしたし、これまで誰にも話していません」哲朗には分かっていた。三久はこの件を大ごとにしたくないのだと。何しろ由樹と千歳はもうすぐ結婚するのだから。三久の眉間には深い皺が寄っていたが、それでも動悸は少しも落ち着かなかった。やっぱり、この世に秘密なんてないんだ……「お願い、あの夜のことは一生秘密にしておいてください」三久が力なくそう告げると、通話は終わった。ほんの数十秒の間に、彼女は全身に冷や汗をかいていた。再びベッドに横になると、長い髪が汗ばんだ額や頬に張りつき、闇の中で黒い瞳がかすかに不安げな光を宿していた。三久は結局、ほとんど一睡もできなかった。翌日、目の下に濃いくまを作って出社
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第226話

狭い車内は、不気味なほど静まり返っていた。スマホから漏れる誠一の言葉は、はっきりと摩美の耳に届いた。摩美は驚いた顔で、隣の幸子を見た。幸子は反射的に摩美の方を向くと、震える声で言った。「あ、あなた、何をでたらめ言ってるの?千歳が噂を拡散したって、何のことよ?」「由樹くんの部下はもう徹底的に調べたんだ。匿名で神崎と早坂のゴシップをメディアにリークしたのは、間違いなくうちの村上家のIPアドレスだった。俺もさっき確認したが、千歳のパソコンから直接送られたものだ!」誠一は激しく焦っていた。「いいから、すぐに千歳を連れて帰ってきてくれ。いったい何を考えてこんな馬鹿な真似をしたのか、問い詰めてやる!」摩美の顔は次第に険しく曇り、その厳しい瞳には、隠しきれない怒りがにじみ出てきた。「絶対、何かの間違いよ!」幸子は迷いなく言い切った。「間違いなわけあるか!俺だって千歳の……」誠一は、摩美が幸子と同じ車に乗っているとは知らなかった。誠一が最後まで言い終えないうちに、幸子は慌てて通話をぶつりと切った。「摩美さん、これ、絶対何かの誤解ですから」幸子はスマホを脇に放り出し、すがるように摩美の手へ伸ばした。摩美は冷たく身を引いてその手をかわした。「誤解ならそれでいいですけど。あとで千歳ちゃんに会えば、すべて分かることですわよ!」幸子は気まずそうな顔になり、息を殺しながら、こっそりスマホで千歳に立て続けにメッセージを送った。【あなたが神崎と三久のことをメディアに暴露したの?】【どうしてこんな恐ろしいことをしたの!】【このせいで、由樹と百栄にどれだけ大きな損失を与えたか分かってるの?】【絶対に何かの誤解のはずだから、あとで摩美さんに会ったらちゃんと説明しなさい!】【摩美さんは今すごく怒ってるから、絶対に余計なこと言わないでよ!】【由樹があなたを海外に一人置いてきたって知って、摩美さんはわざわざあたしと一緒に空港まで迎えに来てくれたのよ。言葉には本当に気をつけて!】一方の千歳は、逃げるような足取りで飛行機を降り、スマホの機内モードを解除した。通信がつながった途端、無数の通知が一斉に押し寄せた。次々と点滅する通知の内容をろくに確認できないまま、彼女の目に入ったのは、幸子から届いた最後の一通だけだった。摩美
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第227話

幸子は直接的な言葉を避け、遠回しにほのめかすしかなかった。千歳は「あ」と軽く声を上げ、うなずいた。「見たわよ」「あのニュース、あなたと何か関係あるの?」幸子はさらに探るように尋ねた。千歳の頭は目まぐるしく回転した。――摩美さんのこの恐ろしい態度……もしかして、あのニュースが酒井家に何か迷惑をかけたの?そんなはずないでしょ。あのニュースは目障りな三久を困らせるだけのはずで、せいぜい神崎だって少しひどい目に遭うだけのはずなのに。「あ、あはは……摩美さん、千歳のこの顔を見てください。何も知らないのは一目で分かるでしょう?千歳が漏らしたはずありませんわ」幸子は引きつった笑みを浮かべながら、どうにかその場を取り繕おうとした。「この子が酒井家や由樹を陥れるようなことをするはずがありません」「陥れる」という決定的な一言に、千歳は思わず息を呑んで口をつぐんだ。彼女の顔には、隠しきれない動揺がくっきりと浮かび上がった。自分がいない間に、いったいどんな騒ぎになっているというのか。「二人とも、先にここで降りてください。私はこれから会社に行きますから」摩美は直接由樹に会って、この件が本当に村上家と関係があるのかどうか、自分の目で確かめるつもりだった。摩美が冷たく言い終えると、運転手は素早く車を降り、あらためてドアを開けた。「お二人とも、どうぞお降りください」そのまま千歳の荷物も、容赦なく車から降ろされた。幸子は青ざめた千歳を連れて車を降り、ドアが閉まる前に、必死に笑顔を作って摩美に声をかけた。「気をつけてくださいね。あんまりこの件で焦って、気をもまないで。絶対、何かの誤解ですから……」車のドアがゆっくりと閉まっていく。摩美からは一言の返事もなかった。勢いよく走り去る車を見送りながら、村上家の母娘は、排気ガスの臭いが残るその場に取り残された。車が遠ざかると、千歳は幸子の腕を強く引っ張って尋ねた。「お母さん、いったい何があったの?」「何があったかって、それをあなたが聞くの!?」幸子もついに苛立ちを爆発させた。「あなた、どうして神崎と三久の噂なんて流したの?そのせいで政府関係のプロジェクトが駄目になって、百栄が数億もの大損害を被って、取締役たちの不満が由樹に集中してるって知ってるの?」千歳は思わず
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第228話

「責任を取って辞職するということは、あの噂は本当で、お前たちの間には確かに何かやましいことがあったということか」由樹は長い指先で軽く机をこつこつと叩きながら、ゆっくりと、重々しく言った。その射抜くような鋭い視線が三久に向けられた瞬間、瞳の奥には底知れぬ暗さが広がった。三久が何も答えずにいると、彼はさらに冷酷に言った。「百栄を辞めたところで、神崎家も、そう簡単にはお前を放っておかないぞ」先日、洲人の母親が四千万の小切手を投げつけてきたことからも、金で事を収めようとする意図は明白だった。だが、背後には巨大な百栄が控えており、由樹がどう出るか読めない以上、洲人の母親も強硬な手段には出られなかったのだ。三久には予想がついていた。百栄という後ろ盾を失えば、どれほどの厄介事が待ち受けているか。だが、西戸市を離れさえすれば、その厄介事ももう自分には及ばない。所詮、命を狙われるほどの深い遺恨があるわけでもない。この街の人々の目が届かない遠くの街まで行けば、誰がわざわざ追いかけてきてまで、自分を潰そうとするだろうか。「社長、もう決めました」由樹の瞳の奥に黒い陰りが広がり、その気品ある顔にも色濃くにじんだ。怒りをこらえるように奥歯を噛み締め、顎の輪郭が鋭く際立っていた。「休職処分とする。短くて一週間、長くて一か月。事態がさらに重大化すれば、会社として正式にお前を解雇する」三久は数秒黙り込んだあと、あっさりとそれを受け入れた。休職処分という不名誉な段階まで来た以上、会社に残れる道などない。これは会社が情をかけたように見せるための、単なる体裁を整える手続きに過ぎなかった。由樹のオフィスを出ると、彼女はすぐに自分のデスクの荷物をまとめて会社をあとにした。亜衣里が、心配そうに入り口まで見送りに来た。「まさかこんな最悪の方向に事が進むなんて、思ってもみなかった。研くんもひどく自分を責めてるわ。研くんの不用意な行動のせいで、あなたが二股をかけてるみたいな噂まで立ってしまって」三久と洲人の関係が事実かどうかなど、世間にはどうでもよかった。重要なのは、三久と研が今、社内で「交際中」だとされていることだ。どれほど多くの人間が、陰で三久を尻軽だと罵っていることか。悪意ある噂の渦の中で、三久は息苦しさを覚えていた。「噂を真に受け
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第229話

彼の足元には、吸い殻が山のように散らばっていた。かなり長い間待っていたらしい。「酒井の奴、こんな時に君を停職にするとはな。取締役たちの手前、形だけ処分して庇うつもりだったんだろう」あの日、取締役会に同席していたのは哲朗だった。由樹がどれほどの重圧を背負っていたか、三久は知らない。彼女は言った。「庇う理由なんて、あの人にはないでしょう」「理由がないだと?」洲人は吸っていたタバコを揉み消し、ふと何かを思い出したように苦笑した。「当ててみろ。俺たち二人を裏で陥れたのが誰か」――俺たち二人?三久にはピンとこなかった。「百栄と九洲、両方を狙ったってことですか?」洲人は舌打ちをして悪態をついた。「業界中を探したところで、こんな無茶をやる度胸のある奴はそうそういないぞ」由樹について長年動いてきた三久は、これまで数え切れないほどの企業間の争いを見てきた。道理を外れたやり方だとしても、相手が失うもののない人間ならば、まだ理解はできる。だから三久は、これが自分と洲人を狙ったものだとは、考えてもみなかった。自分を狙う、となると……「村上、千歳……?」洲人の目に、感心したような色がにじんだ。「君は本当に頭が回るな」頭が切れすぎて怖いほどだ。何しろ三久は、お腹に子供を宿したまま、由樹の目の前をまんまとすり抜けていったのだから。三久は一瞬呆気に取られ、それから自嘲気味に笑った。千歳は今回の騒動を利用して、お腹の子が洲人の子かどうかを探ろうとしたのだろうか。その結果、とばっちりを受けたのは由樹だった。「今回ばかりは、俺が君の巻き添えを食った形だな」洲人は都合のいい言葉で取り繕うつもりらしい。三久の笑みが、すっと引いた。「なら、これで貸し借りなしですね」洲人は顔をしかめた。「俺が君に何か借りを作ったか?」「さあね」三久は彼を避けるようにして、マンションの入り口へ向かった。「とにかくこれからは、もうお互いに関わらないようにしましょう。連絡も必要ありません。神崎社長、もうここへは来ないでください。私たちは、同じ穴の狢ではありませんから」洲人はエントランスの前に立ち尽くし、遠ざかる背中を見つめていた。なぜか、胸の奥がちくりと痛んだ。「なんで同じじゃないんだよ。共通の敵は村上だろうが。俺は絶
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第230話

「そんなことないと思う」三久は思わずそう口にしていた。言い終えてから、自分の口ぶりがやけに自信に満ちていたことに、ふと戸惑いを覚える。「まあ、そうよね。あなたの元お義母さん、村上のことをあんなに気に入ってるんだもの。千歳がどれだけ浅はかでも、妻の座は安泰でしょ」梨々香はご飯を頬張りながら、もごもごと言った。「ま、酒井とは幼馴染みでもあるし、この分だと村上が酒井の妻の座に就くのは、もう決まったようなものね」三久は口元まで運びかけた箸を止め、梨々香をちらりと見た。「ご飯食べようよ。そんな気分の悪くなる話、もうおしまいにしよう」梨々香は言葉を呑み込み、内心で毒づいた。そんなに気にするってことは、まだ由樹に未練があるってことじゃない。心が完全に冷めきったときこそ、本当の終わりだ。「はいはい、食べる食べる。あとでお腹いっぱいになったら、蒼汰を連れて公園でも行こうか」三久は梨々香に肉を取り分けてやった。「ちゃんと食べて栄養つけなよ」梨々香はため息をついた。「まったく、復帰したばかりで、まだ全然体が慣れないわ。体力がもたない感じ」「この仕事、大変だもんね。お金が貯まったら、二人で小さな店でも開いて、この業界からは足を洗おうよ」三久と梨々香には、以前から店を開く計画があった。小さな店でも開いて、毎日そこに座っておやつを食べながら、品物を売り、レジに立つ。温子に言わせれば、二人とも欲がないらしい。せっかく大金を稼ぐ才能があるのに、野心がないというのだ。けれど二人が求めているのは、ただ一番穏やかで気楽な暮らしだった。……村上夫婦は千歳を連れ、酒井家へ謝罪に向かった。由樹もこのために仕事を放り出し、わざわざ酒井家の本邸へ戻ってきた。義景と潔子が奥のソファに腰掛け、その両脇に摩美と隆が座っている。「今回のことは、確かに千歳が悪かったと思います。でも、この子も由樹のことをそれだけ大切に思っているからこそなんです。三久がまた由樹に近づくんじゃないかと、それが不安だっただけで……ほら、三久は由樹の元奥様ですから」幸子はそれとなく三久に非があるように話を持っていった。「立場を逆にして考えてみてください。もし千歳に元夫がいたら、由樹だって気になさるでしょう?」すると摩美は、間髪入れずに言い放った。
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