瑞希は手元に届いた『私のすべて』の台本のページを、ゆっくりとめくった。指先がわずかに震える。そこに綴られていたのは、幼い頃の記憶——卯辰山の公園で満開の桜の樹に登ったこと。ざらざらした樹皮の感触、遠くに見下ろす港と豪華客船の汽笛。そして、地面に座った車椅子の真希と、それを優しく気遣う陸斗の姿。 健康な体に生まれた瑞希は、いつも「瑞希は強いから大丈夫」と言われ続けた。両親は彼女に真希の車椅子を押すよう命じ、公園の坂道を汗だくで押し上げさせた。その不条理さを、ありのままに綴った自叙伝は、同じように周囲の期待や「強さ」を押しつけられてきた多くの読者の心を掴んだ。ページをめくるたび、鮮明に蘇る辛く悲しい記憶の数々。真希だけが守られ、甘やかされ、陸斗の愛を独り占めにしてきた日々。瑞希の笑顔はいつも偽りで、心の奥では嫉妬と憎しみが渦巻いていた。「……瑞希、大丈夫か?」 智久が心配そうな目で彼女を見つめていた。いつの間にか、頰を熱い涙が伝っていた。台本の端が、涙で少し滲む。「やだ……どうして?」「やっぱり疲れているんだよ。陽翔と公園に遊びに行ってくるから、ゆっくり休んで」 智久は優しく彼女の肩を抱き、額に軽くキスを落とした。ひだまりのような、穏やかで包み込む愛情。瑞希は小さく頷き、「……ありがとう」と呟いた。彼は陽翔の手を引いて出かけて行き、リビングに静けさが戻る。 けれど智久の愛は、陸斗とのそれとはまるで違っていた。陸斗との愛は情熱的で、憎しみと嫉妬が渦巻き、刃のように鋭く胸を刺すものだった。真希を奪うための計算と、勝ち取った瞬間の勝利の味。智久の優しさは温かいけれど、どこか物足りなく感じる。胎内の女児が静かに動くのを感じ、瑞希は無意識に下腹を撫でた。 台本の次のページには、真希の最期と、瑞希が感じた「呪い」が記されていた。窓の外では春の風が桜の花弁を運んでくるようだった。卯辰山の記憶が、瑞希の胸の奥で再び疼き始めた。新たな命と、過去の影。どちらが勝つのか、まだわからない。
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