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初めてのパパ

作者: 雫石しま
last update 公開日: 2026-06-10 09:28:36

爽子の成長は、まるで毎日が小さな奇跡の積み重ねのようだった。

生後1ヶ月:初めての笑顔

生後1ヶ月を過ぎたある夕方、智久が仕事から帰宅し、爽子を抱き上げて「さーわこ、おかえりー!」と顔を近づけると、爽子の口元がゆっくりと緩んだ。

くしゃっとした、愛らしい笑顔。

智久は一瞬固まり、目を丸くした。

「……瑞希、今、笑ったよ……!」

瑞希はスマホでその瞬間を必死に動画に収めていた。

再生すると、爽子の小さな「ふっ……ふっ……」という息が漏れ、智久の目がみるみる潤む。

「かわいいな、爽子……本当に、かわいい……」

その夜、智久は爽子を抱いたままソファで寝落ちした。

爽子は父親の胸の上で小さな寝息を立て、瑞希はそっと毛布をかけた。

あの笑顔が、家族の毎日の原動力になった。

智久の、血を分けた実の娘への愛情が、陽翔へのそれよりも少しだけ濃くなっていることに、瑞希自身も気づいていた。

その分、夜になると陽翔を強く抱きしめ、罪悪感を埋めるように頰を寄せた。

◇◇◇

生後3ヶ月:首がすわる

3ヶ月を過ぎ、爽子の首がしっかりとすわった。

ベビージムの下で一生懸命に頭を持ち上げ、周囲をきょろきょろ
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  • 新婚初夜あなたは妹のベッドにいた   プロデューサーからのメール

    瑞希の元に、プロデューサーから連絡が入ったのは、螢子のオーディションが終わって数日後の静かな午後だった。スマホに届いたメールの件名はシンプルに「最終オーディション映像 ご確認ください」。 瑞希は爽子をベビーサークルに座らせ、深呼吸をして動画を開いた。 最初に流れたのは阪崎絢音の演技だった。長いストレートの黒髪、毒々しい赤い口紅、車椅子に腰掛けた儚げでいて狡猾な佇まい——それはまさに瑞希が脳内で描いていた「真希」そのものだった。「……これは、真希だわ」 瑞希は思わず息を呑んだ。完璧だった。弱さを武器にしながら、姉を静かに見つめる視線。台本通りの優しさの中に、わずかに滲む影。まさに自分が書いた通りの、真希だった。 しかし、次の動画に移った瞬間、瑞希の背筋が凍りついた。 画面に現れたのは、栗色の巻毛を優雅に揺らす相馬螢子。一見して「真希」とは程遠い、華やかなイメージの女優だった。なぜ最終候補に残ったのか、最初は不思議に思った。 5秒、4秒、3秒……1秒。 間を置き、螢子は車椅子からゆっくりと立ち上がった。右足を引きずりながら。「瑞希! 私を見下ろして満足!? 脚が動かない分、みんなから愛されているのよ! 悔しいでしょう! 陸斗の視線も、両親の愛も、全部私のもの! あなたは何も持っていけない!」 その叫びは、瑞希が書いた台本とは全く異なるものだった。消えゆく命が最後に燃え盛るような激しさ。嫉妬と勝利の喜びと、底知れぬ憎悪が渦巻いている。髪の毛をくるくると指で巻く癖、引きずる右足、勝ち誇ったような唇の歪み——すべてが、ゾッとするほどに本物の真希を連想させた。 瑞希は思わずスマホをソファに投げつけた。画面が回転しながら床に落ちる。「……違う……こんな真希じゃない……」 声が震えた。胸の奥で冷たい汗が噴き出す。爽子がベビーサークルの中で「まーま?」と首を傾げたが、瑞希は娘の声すら耳に入らなかった。 プロデューサーのメールの最後には、こう締めくくられていた。『相馬螢子さんとの面談を希望します。ご都合はいかがでしょうか。』 瑞希はソファに崩れ落ち、両手で顔を覆った。指の隙間から零れる吐息が熱い。死んだはずの真希が、画面の中で確かに息をしていた。そして今、彼女は瑞希に会いたがっている。 この女優は、ただ真希を演じて

  • 新婚初夜あなたは妹のベッドにいた   真希の覚醒

    螢子が最後のセリフを吐き終え、車椅子に呆然と座り込んだ瞬間、観客席からパラパラと、しかし確かに拍手が上がった。阪崎絢音が演じ終わったときの、礼儀正しい控えめな拍手とは明らかに違っていた。審査員たちの頰は興奮に紅潮し、目がぎらぎらと輝いている。プロデューサーは苦虫を潰したような顔で腕を組んでいたが、監督は立ち上がり、惜しみない大きな拍手を送っていた。「……「真希」……あなたが見えるわ」 螢子は眩しいスポットライトに照らされながら、全身で確信した。髪の毛の一本一本、指先、つま先、引き摺る右足の感覚まで——すべてが「真希」そのものだった。彼女はゆっくりと息を吐き、唇を湿らせた。 私は「真希」だわ。そう、私は「真希」。呪いの言葉を吐きながら死んだ「真希」。姉を恨みながら、陸斗を独り占めしようと最期まで足掻いた、あの「真希」。 螢子の中に長く眠っていたもう一人の人格が、静かに、しかし確かに覚醒した。胸の奥で黒い喜びが渦を巻く。彼女は車椅子から立ち上がり、右足を引きずりながらゆっくりと前に進み出た。審査員席に向かって深々と頭を下げ、その口元は妖しく、勝ち誇ったように弧を描いた。「……ありがとうございました」 数日後、佐々木公彦のスマホに一通のメールが届いた。「私のすべて」のプロデューサーからだった。 公彦はソファで台本読みをしていた螢子に声をかけた。「おい、螢子」 螢子は気だるげに顔を上げ、巻毛を指でくるくると巻きながら答えた。「なに?」 公彦は息を呑み、画面をスクロールした。「……原作者の岡部瑞希がお前に会いたいそうだ。『真希役を演じた女優と、直接話をしたい』と」 螢子はゆっくりと微笑んだ。琥珀色の瞳の奥に、冷たい光が宿る。台本を胸に抱きしめ、窓の外の港の景色を眺めた。遠くに卯辰山の桜並木が見える気がした。 瑞希……。ようやく、会えるのね。 螢子の唇が、静かに動いた。声には出さず、心の中でだけ。「……お姉ちゃん」

  • 新婚初夜あなたは妹のベッドにいた   呼び覚まされる鼓動

    オーディションで螢子に課されたのは、卯辰山の桜の樹に登る瑞希を見上げるシーンだった。 台本には、車椅子に座った真希が優しく空を見上げ、「危ないわよ、降りてきて」と穏やかな声で姉を気遣う姿が書かれていた。膝にブランケットを掛け、儚い微笑みを浮かべながら、快活に木を登る瑞希を見守る——それが原作者の描いた「真希」だった。 しかし螢子は、そのページを真っ赤なマジックで塗りつぶしていた。「……こんな風に笑えない。本当の『真希』なら、憎いと思っていたはずよ」 彼女の声は低く、震えていた。瑞希への羨望、憧れ、そして底知れぬ憎しみと衝動的な怒りが、胸の奥から煮えたぎるように湧き上がる。舞台に置かれた車椅子に腰を下ろした瞬間、それは確信に変わった。「……私は、瑞希を憎んでいる」 表情が禍々しく歪む。唇を血が滲むほど強く噛み締め、指先が白くなるまで車椅子の腕置きを握りしめた。次の瞬間、螢子はゆらりと立ち上がった。右足がわずかに引き摺るが、構わず一歩を踏み出す。「瑞希! 私を見下ろして満足!? でも私は、脚が動かない分、みんなから愛されている! 悔しいでしょう! 陸斗の視線も、両親の優しさも、全部私のものよ! あなたがどれだけ強くても、結局は何も持っていけない!」声が舞台全体に響き渡る。鬼気迫る怨嗟と、勝ち誇ったような喜びが混じり合った叫びは、阪崎絢音が演じた台本に忠実な「優しい真希」とは全く違うものだった。そこにあったのは、生々しい嫉妬と、長い年月で熟成された憎悪。そして、歪んだ愛情だった。 審査員席からどよめきが起こった。意見は真っ二つに割れた。「これは……真希の本質を掴んでいる」「だが、原作者の意図を完全に無視している」「しかし、この迫力は……」 スポットライトの下で、螢子は荒い息を吐きながら、ゆっくりと車椅子に戻った。額に汗が光り、琥珀色の瞳が暗く燃えている。舞台袖から見守る佐々木公彦は、言葉を失っていた。 この演技は、ただのオーディションではなかった。相馬螢子は、真希という存在を自らの体に呼び覚まし、完全に飲み込もうとしていた。

  • 新婚初夜あなたは妹のベッドにいた   舞台袖

    舞台に冷たいスポットライトが白く降り注いでいた。舞台袖の緞帳の陰に身を潜め、相馬螢子はライバルの阪崎絢音の演技に釘付けになっていた。 絢音は腰まで届くストレートの黒髪を艶やかに染め、毒々しいほど真っ赤な口紅を差していた。車椅子に腰掛け、弱々しく微笑みながらも瞳の奥に冷たい光を宿す——それは台本からそのまま抜け出てきたような「完璧な真希」だった。セリフは一切澱みなく、声の震えも、視線の揺らぎも計算し尽くされている。観客席にいるはずの審査員たちから、感嘆の吐息が漏れるのが聞こえた。 螢子の背筋に、凍てつくような負の感情が這い上がった。(真希が……奪われる)胸の奥で、黒い炎が勢いよく燃え上がる。自分のものにしなければならない。この役は、私が生きなければならない。「大丈夫か? 顔が青いぞ」 佐々木公彦が心配そうにホットコーヒーの紙コップを差し出した。螢子は無言で首を振り、自身の台本を強く握りしめた。ページの端はすでに擦り切れ、赤ペンで書き直された文字がびっしりと並んでいる。原作者・岡部瑞希が描いた「真希」を、真っ向から否定したセリフ。自分の奥底から湧き出した、嫉妬と執念と、歪んだ愛情——それが、螢子の血のように紙面に染み込んでいる。 暗記したセリフは、すべて自分が書き換えたものだった。 その時、スタッフの声が響いた。「相馬螢子さん、どうぞ」 舞台袖ですれ違った阪崎絢音は、汗ばんだ額を拭いながら自信たっぷりの微笑みを浮かべた。「お疲れさま。頑張ってね」 その言葉に含まれた余裕が、螢子の胸を抉る。喉がゴクリと鳴った。足がわずかに引き摺るが、今は気にならない。この選択は間違っていない——そう自分に言い聞かせ、螢子はゆっくりとスポットライトの下へ足を踏み出した。 舞台の床が冷たく足裏に伝わる。「相馬螢子です。よろしくお願いいたします」螢子は深々とお辞儀をする。両足が震えているのが分かった。車椅子のセットが、中央に置かれている。螢子は深く息を吸い、ゆっくりと腰を下ろした。観客席の闇に向かって、琥珀色の瞳を細める。 ここから、真希が始まる。 彼女の唇が、静かに弧を描いた。その微笑みは、阪崎絢音のものより深く、暗く、しかし美しかった。

  • 新婚初夜あなたは妹のベッドにいた   赤い訂正

    螢子は午後の柔らかな日差しが差し込むサンルームで、「私のすべて」の台本をめくっていた。白い観葉植物の葉が、空調の風に静かに揺れる。ページを追うごとに、「真希」という人格が、彼女の中で息を吹き返していく。輪郭が鮮明になり、血の通った体温さえ感じられるようだった。「……これは違うわ。これも! 真希はそんなことを考えない!」 螢子はブツブツと独り言を繰り返しながら、赤ペンでセリフを太く消し、新しい言葉を書き連ねた。紙が擦り切れるほどの勢いだった。女優がアドリブでセリフを変えることはあっても、オーディション前にここまで大胆に台本を書き直すなど、異例中の異例だった。 佐々木公彦がコーヒーカップを手に、ため息混じりに声をかけた。「螢子、そんなことをしてオーディションに落ちたらどうするんだ? 監督の目にも留まるぞ」 螢子はペンを止めることなく、巻毛を指でくるくると巻きながら答えた。声が低く、熱を帯びている。「真希はこう思っていたのよ……『瑞希はいつも強い。強いから、全部持っていける。陸斗の視線も、両親の愛も、私の体が動かないせいで、全部奪える』って。台本の真希はただの被害者でしかない。でも本当の真希は、弱さを武器に、姉を呪いながら愛を独占しようとした女なの」 その眼差しは鬼気迫るものがあった。琥珀色の瞳が、まるで別の人間の光を宿している。右足が無意識に床を軽く引き摺り、痛みなど感じていないかのように赤ペンが走る。 公彦は言葉を失い、ただ黙って彼女を見つめた。事故以前の相馬螢子は、ここまで一つの役に取り憑かれるような女優ではなかった。記憶を失ったはずの彼女が、なぜ「真希」という存在にこれほど深く入り込めるのか。夢で見た桜の樹、車椅子の少女、陸斗という名——すべてが、螢子の内側でゆっくりと形を成している。 螢子は最後のページを書き終えると、台本を胸に抱きしめ、窓の外に目をやった。遠くに見える港の風景が、脳裏の桜並木と重なる。「……私が、真希を生きる」 その呟きは、静かな決意と、得体の知れない歓喜に満ちていた。サンルームに差し込む午後の光が、彼女の横顔を美しく、しかしどこか不気味に照らしていた。

  • 新婚初夜あなたは妹のベッドにいた   クリスタルのトロフィー

    「ここが……私の家……」 相馬螢子は高級静養施設から退所し、自宅マンションの玄関ドアを静かに開けた。足音が大理石の床に響き、広々としたリビングに柔らかな午後の光が差し込んでいる。ハウスキーパーが不在中も丁寧にメンテナンスしてくれていたのだろう。埃一つ落ちず、鏡のように磨かれた家具が、まるで彼女を待っていたかのように整然と並んでいた。 チェストの上には、クリスタルガラスの盾やトロフィーがずらりと並び、窓から差し込む光にきらめいている。螢子はゆっくりと近づき、その中の一つを手にした。冷たいガラスの感触が指先に伝わる。《第45回日本映画アカデミー賞 主演女優賞 相馬螢子》 一瞬、煌びやかなライトが視界を埋め尽くし、レッドカーペットの感触、瞬くカメラのフラッシュ、拍手と歓声が脳裏をよぎった。ドレスの布地が肌を滑る感触、マイクを握る手の震え——しかし、それらはすぐに白い靄に包まれ、溶けるように消えていく。「……これが、私のものだったの?」 螢子はトロフィーを両手で抱え、静かに目を閉じた。記憶の断片が、まるで他人の人生のように遠い。足がわずかに引き摺り、右足の違和感が再び疼いた。八重咲きの芍薬が飾られた花瓶の香りが、部屋に優しく漂っている。 佐々木公彦が後ろから近づき、彼女の肩をポンと軽く叩いた。「急がなくてもいい。いつか、全部思い出すさ」 彼の声は穏やかだったが、眼鏡の奥には隠しきれない心配が浮かんでいた。螢子はトロフィーを胸に押し当て、弱く微笑んだ。「……公彦さん。私は本当に、相馬螢子だったの? それとも……」 言葉を飲み込む。台本の「真希」のセリフが、頭の中で勝手に響く。「陸斗……ずっと、愛してた……」あの台詞を口にすると、自分の声が真希のそれに聞こえる。瑞希の視点で書かれた物語の中で、真希はただの被害者ではなかった。嫉妬し、計算し、勝利を掴もうとした女——。 螢子は窓辺に立ち、街並みを眺めた。遠くに港が見える。卯辰山の桜並木が、記憶の底でかすかに揺れている。退所した今、オーディションまで残り二週間。阪崎絢音に勝ち、真希を自分のものにしなければ。 公彦がキッチンでコーヒーを淹れ始める音が聞こえた。螢子はトロフィーをそっと胸に抱いたまま、静かに呟いた。「……私は、真希になりたいのかもしれない」 その言葉

  • 新婚初夜あなたは妹のベッドにいた   真希の挑発

    その夜も、私は特別個室のドアをほんの数センチだけ開け、息を殺して中を覗いていた。前回とは違う日だった。陸斗は私たちのマンションにほとんど帰って来ない。来ても、着替えを持ってタクシーに乗り込む。真希の容態が少し悪化したと言って、陸斗がまた泊まり込んでいた夜。私はもう、ただ見ているだけではいられなかった。スマホを片手に、静かに録画ボタンを押した。画面に映る二人の姿を、しっかり記録する。音声も、息遣いも、すべて。陸斗は真希のベッドの横に座り、彼女の細い手を両手で包み込んでいた。白衣の袖が乱れ、疲れきった顔に深い影が落ちている。「真希……今日の検査結果、思ったより悪かった。呼

  • 新婚初夜あなたは妹のベッドにいた   妊娠

    「おめでとうございます。三ヶ月です」マタニティクリニックの診察台で、私は凍りついた。医師の明るい声が、遠くから聞こえるように響く。呼吸が止まり、耳鳴りが激しくなって、思考回路が現実に追い付かなかった。……三ヶ月?元々、生理周期が定まらず、遅れがちな体だった。「また遅れているのか」程度にしか考えていなかった。まさか、こんなタイミングで——。私は診察台の上で体を起こし、ゆっくりと息を吐いた。白い紙のガウンが、かすかに震える。陸斗に抱かれたのは、二度だけだった。一度目は、結婚が正式に決まった夜。彼の部屋で、ぎこちないキスから始まり、義務のような抱擁だった。「これで家族が喜ぶ

  • 新婚初夜あなたは妹のベッドにいた   絶望と抱擁

    真希のベッドサイドで、陸斗は膝をつくように座っていた。彼の長い指が、真希の細く冷たい足首を、まるで壊れやすいガラスのように優しく包み込んでいる。その指先が、わずかに震えていた。「真希……今日のデータ、思ったより悪化してる」「そう......」陸斗の声は低く、掠れていた。彼はカルテを握りしめ、目を伏せた。白衣の肩が、まるで重い荷物を背負ったように落ちている。「余命宣告を更新した。……3年以内だ。最長で5年。治療を続けても、この進行を完全に止めるのは……俺にはもう、限界かもしれない」真希が弱々しく微笑むと、陸斗の目尻に、うっすらと涙が浮かんだ。医師として何百人もの患者を見て

  • 新婚初夜あなたは妹のベッドにいた   月150万円の結婚

    病院を後にした私は、タクシーに乗り、実家へと向かった。窓の外を流れる街並みが、ぼんやりと過ぎていく。白い芍薬の残り香が、まだ指先にまとわりついている気がした。腫れた頬は化粧で隠したものの、鏡で見るたび、昨夜の平手打ちの感触が蘇る。実家——暖かく優しい思い出のかけらなど、最初からなかった家。玄関の鍵を回す音が、妙に大きく響いた。中に入ると、いつものように母の声が飛んできた。「あら、瑞希? どうしたの、こんな朝早くに。……陸斗くんは?」母はキッチンから顔を出し、いつもの柔らかい笑みを浮かべていた。父はリビングのソファに座ったまま、新聞を広げていた。二人とも、結婚披露パーティー

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