灰になった令嬢は宿敵の腕の中で牙を剥く のすべてのチャプター: チャプター 121 - チャプター 130

146 チャプター

121話 平手打ち

奇しくも。瑛理香が流産をし、退院するのが一週間後。そして九条征哉主催のレセプションパーティーがその三日後。つまり、あと十日で九条征哉主宰のレセプションパーティーが開かれる。(今頃、瑛理香は病室で外商でも呼んでいるのかしら)私はそう思いながら、自ら選んだドレスの、最終的な選定を九条征哉に任せていた。九条征哉は私が選び出したいくつかのドレスを吟味している。「気に入ったものはあった?」そう聞くと九条征哉はドレスを手に取りながら言う。「どれも最高級品、美織に合わせて作ってあるものだ。しかも」そう言って九条征哉が私に振り返る。「美織を公の場所に連れて行く、初めての機会だからな」そう言って微笑み、またドレスの選定に戻る。(九条征哉がこんなに甘い男だったなんて、思いもしなかったわ)思えば私はここへ怯えながらやって来た。大雨の振る夜、雨に打たれながら私はここへ来て、体中の痛みを堪えながら九条征哉と対面していた。九条征哉はどこまでも冷たく、そして冷徹に私を見定めていたけれど。私がこの身を差し出す契約を取り付けた直後。意識を失っていくあの直前の、私の名を呼ぶ九条征哉は、今にして思えば、幻などでは無かった。ドレスの選定を楽しそうにしている九条征哉を見ながら思う。この人はきっと最初から、私を愛していた。そう感じ取る事が出来る程に、今、私に対しては甘い。「これにしよう」九条征哉が一着のドレスを手に取る。「分かった」私がそう言うと、九条征哉は他のものを見ながら言う。「残りもドレスルームに入れておけ」日下部さんが微笑み、頷く。「かしこまりました」九条征哉はソファーに座っている私の隣へと座り、私の肩を抱く。「瑛理香は今頃、病室に外商でも呼んでいるのかしらね」私がそう言うと九条征哉が笑う。「外商なんて呼べないさ、一ノ瀬瑛理香が入院している部屋は一般病棟の狭い個室だ」そう言われて私は九条征哉を見る。「一般病棟の狭い個室?」そう聞くと九条征哉が笑う。「あぁ、そうだ」そう言う九条征哉を見て察する。「あなたが手を回したのね?」そう聞くと九条征哉は上原さんが入れたコーヒーを一口飲みながら言う。「俺は別に何も。ただ院長に確認はしたが」そう言われて私は聞く。「確認?」そう聞くと九条征哉はコーヒーカップをテーブルに置き、言う。「特
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122話 盲従

バチン!!そんな音が響き渡る。私は痛みと驚きで一瞬、呆ける。反射的に打たれた右側の頬を手で押さえる。「翔太……!」そう言いながら私は翔太の顔を見る。翔太の顔は今まで見た事が無い程、無表情だった。(翔太のこんな顔、見た事無い……)「前からさ、おかしいと思ってたんだ」翔太がそう言う。「おかしい?」そう聞くと翔太はふっと少し笑って言う。「美緒の婚約者だった俺にどうしてお前が近付いて来るのか」頬の痛みがジンジンと伝わって来て、徐々に腹が立って来る。「お前は美緒が嫌いなんだろう?」そう聞かれて私は翔太を見る。「だから何?」そう言うと翔太が笑う。「そうよ、嫌いよ! あんな女、死ねば良いと思ってるわ!」私がそう言うと翔太が私を冷たい目で見る。「翔太だってあの女の事、好きじゃないって言ってたじゃない!」私が叫ぶようにそう言うと、翔太が首を振る。「違う……」私は逆上して言う。「違わないわ! 忘れたの? あの女の葬式であの女を笑って墓石を蹴ったのはあなたよ?」翔太が顔を歪める。「あんなつまらない女は要らないって言ったじゃない!」私がそう言うと翔太が首を振る。「いや、違う……俺はお前に騙されてたんだ……」翔太はそう言いながら後ずさる。「あの女を見たでしょう? 私たちの事なんて何とも思っていないのよ!」大きな声を出して下腹部に痛みが走る。「あんなに九条征哉に大事にされて、翔太の事なんてもう忘れてるわ!」私が言うと翔太が首を振る。「いや、違う……そうだ! そうだよ! 美緒はきっと九条征哉に脅されてるか騙されてるかどっちかなんだ」そう言い出した翔太に私は笑う。「そんな事あると思うの? 天下の九条征哉よ?」下腹部の痛みが増して来る。「きっと今頃、九条征哉のおもちゃにでもなってるでしょ!」私はそう言いながら痛みを堪え、続ける。「面白い話じゃない……翔太のお下がりで天下の九条征哉が満足してるんだもの……」そう言うと翔太が呟くように言う。「お下がりなんかじゃない……」そう言われて私は聞き返す。「は? お下がりじゃない……?」そう言われて私は聞く。「だってあの女はあなたと……」そこまで言うと、翔太が言う。「俺は、美緒に手を出してない……」そう言われて息を飲む。「はぁ? 手を出してない?」怒りで体が震える。
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123話 心意気

「旦那様」及川が声を掛けて来る。「何だ?」聞くと及川が言う。「九条様からのご指示の件ですが」そう言われて私は及川を見る。九条征哉に心意気を見せろと言われ、その時に指示された事を及川もすぐ傍で聞いていた。「それが?」そう聞くと及川が言う。「最近、奥様は新しく迎え入れた使用人である、和久井を重用しております」そう言われて、そう言えばそんな人間も居たなと思い出す。「和久井を一ノ瀬家の第二執事としたのは私ですが、その第二執事を奥様がお連れになっています」和久井という男は、確か……。「あの美貌の持ち主か」そう言って笑う。「それが?」そう聞くと及川が言う。「今、屋敷の中で奥様に一番近い場所に居る者は、あの者でございます」そう言われて考える。「その和久井は、私に華瑛の事を話すと思うか?」そう聞くと及川が微笑む。「この一ノ瀬家のご当主様は旦那様でございます。あの和久井の雇い主はあくまで旦那様です」私は眉間に皺を寄せて聞く。「何が言いたい?」及川は微笑みを保ったまま、言う。「私たち使用人は旦那様が命じれば、意のままに動くものです」そう言われて少し考える。「それで、その和久井は今、どこに?」そう聞くと及川が軽く一礼し、言う。「呼んで参ります」九条征哉から出された指示は華瑛の監視と報告だ。何を考え、何を準備し、何を仕出かそうとしているか。本人に露呈する事無く、それをこちらで秘密裏に把握し、迅速に報告する。決して私が決断せず、手を下す事も許されない。書斎の窓際へ移動し、外を見る。いつの間にかこの書斎から見える景色も変わってしまっていた。少し離れた場所にある離れは、手入れがされておらず、木々が多い茂り、その建物自体を隠している。以前はあの離れに香織の部屋があった。美緒の部屋も、だ。私はいつからあの離れに行かなくなったのだろう。香織が死んでからは行かなくなった気がしている。不意にノックされる扉。「入れ」言うと入って来たのは和久井と及川だ。「及びでしょうか、旦那様」そう和久井に聞かれて私は窓の外を見ながら言う。「君は最近、一ノ瀬家に入ったな」そう言うと和久井が私の背後で言う。「はい、旦那様」私は振り返り、聞く。「和久井、君の主人は誰だ?」和久井はその端正な顔に少しの微笑みを浮かべて言う。「当然、旦那
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124話 底知れぬ……

「それで、華瑛は今、何をしている?」そう聞くと和久井が言う。「先ほど、奥様は木崎潤をお呼び出しになりました。その際に私を部屋から出しました」つまり、今、華瑛は木崎潤と一緒に居る、という事……。「長くかかりそうか?」そう聞くと和久井はほんの少し苦笑し、言う。「それ程、お時間はかからないかと」そう言われて私は考える。どうすべきだろうか。一度、離れを見るべきだろうか。私がそう考えていると、及川が言う。「旦那様、一度、ご連絡を入れたらいかがでしょうか」そう言われて私は頷く。「そうだな、そうしよう」そう言ってスマホを取り出す。そして和久井に言う。「戻って良い。これからも華瑛の報告を入れてくれ」そう言うと和久井が頷く。「かしこまりました」和久井は深々と一礼し、書斎を出て行く。メッセージを入れ、返信を待つ。窓から見える離れを見る。どうしてこんなにも胸騒ぎがするのか分からない。そして私はこうやって多くのものを見逃して来たのかもしれないと思うと、自分が情けなかった。「こんな父親なのだから、美緒が見限るのも無理は無いな……」そう独り言を呟き、苦笑する。◇◇◇「征哉様」日下部さんがそう声を掛けて来る。「何だ?」九条征哉は私の膝枕で仮眠をとっていた。私はそんな九条征哉の髪を撫でながら、片手間にタブレットで九条征哉に頼まれていたマーケットの動向を追っていた。「一ノ瀬恭介様より、メッセージが届いております」そう言われてほんの少しだけ私は視線を上げる。九条征哉は目を開けて、私を見上げる。「聞くか?」そう聞かれて私はまたタブレットに視線を戻しながら言う。「どっちでも」そう言うと九条征哉が日下部さんに言う。「内容は?」そう聞くと日下部さんが言う。「一ノ瀬家で華瑛様の動向の調査の際に、離れに近付くなというご命令を娘の瑛理香様になさったそうで、その離れが気になるとの事でした」そう言われて私はほんの少し前に真中芙美が調査に入った時の事を思い出す。「離れ、か……」九条征哉が私を見る。「美織、お前の父親は現実を直視出来ると思うか?」そう聞かれて私は笑う。「どうでしょうね」正直、お母様が亡くなってしまった以上、それをどう処理するのか、どう処理して来たのかは私には何も出来ないと思っている。今更、お父様があの荒れ果てたお母様の
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125話 それぞれの夜

「ここは鍵がかかっているのか?」そう聞くと及川が頷く。「左様でございます」そう言われて私はその部屋の扉のノブに手を掛ける。回してみたが当然のように鍵がガシャンと音を立てる。「この部屋の鍵は?」そう聞くと及川が静かに言う。「今は行方不明でございます。当初、このお部屋の鍵は美緒様がお持ちでしたが、奥様と瑛理香お嬢様によって美緒様の持ち物は全て奪われてしまい、その奪われたものの中にこのお部屋の鍵があったものと思われます」そう言われて考える。華瑛と瑛理香が美緒のものを奪う……二人なら奪ったものはどうするだろうか?何故か私は目の前の部屋を今、見ておかないといけないと思っている。だがこれは隠密行動だ。華瑛に気付かれていけない。扉を壊して中に入るのは容易だ。そして私はこの一ノ瀬家の当主だから、それを命じれば可能だろう。「何とかならんのか」私がそう言うと及川が言う。「お任せいただけますか」そう聞かれて私は及川を見る。「開けられるのか?」そう聞くと及川が少し笑い、言う。「私はこのお屋敷の執事でございます」そう言うと、及川は私の前に来ると、しゃがみ込み、鍵の入る穴に何かを差し込む。カチャカチャと音がして、ガチャンと鍵が開く。及川は立ち上がり、私に言う。「どうぞ」そう言われて私はドアノブを回す。ギーーというドアの軋む音と共に目の前に広がる光景。埃を被った家具、まるで泥棒が入ったかのような荒れ様の部屋。「こんなに酷い状態なのか……」私が目を背けている間に、この部屋はこんなにも酷い状態のまま、放置されていたというのか。「何故、こんなにも荒れている?」私がそう聞くと及川が言う。「このお部屋は香織様がお使いになっていたお部屋でございます。香織様が亡くなられた後、このお部屋の中のものは奥様によって持ち出されました」そう聞かされて私は及川を見る。「華瑛が?」そう聞くと及川が頷く。「御召し物や宝飾品、バッグや化粧品に至るまで、ほとんどのものを持ち出されました」私はそこで苛立ち、及川に言う。「何故、そんな状態であった事を私が知らないのだ?」そう聞くと及川が言う。「奥様から固く緘口令が出ていたのが、一つ。もう一つは旦那様自らが聞く事を放棄なさったからです」そう言われて私は項垂れる。確かに私はあの当時、香織を亡くした事で、自暴自
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126話 上辺だけの謝罪

レセプションパーティーの準備が淡々と進む中、九条家を訪ねて来た人物が居た。一ノ瀬華瑛。意外にも一ノ瀬華瑛自身が九条家へ来るとは思わなかった。応接間に通すよう、指示を出し、俺は美織に言う。「華瑛が訪ねて来た」そう言うと美織も意外そうな顔をする。「華瑛が?」俺はそんな美織に微笑む。「追い返したいか? それとも話すか?」そう聞くと美織は少し笑って言う。「私は会わないわ。でも」そう言って俺を見上げて微笑む美織は美しかった。「征哉は会ってあげて。何を言うのか知りたいわ」そう言われて俺はそんな美織の手を取り、その手の甲に口付ける。「仰せのままに」そう言うと美織が笑う。◇◇◇応接間に入る。華瑛は使用人を引き連れて来ていた。和久井だった。(相当なお気に入りだな)そう思いながら俺は表情を変えずに応接間に入り、ソファーに座る。華瑛は俺が応接間に入って来た時には向かい側のソファーに座っていて、立ち上がろうともしない。(無礼だな)そう感じた。通常であれば、その屋敷の主人が部屋に入って来たともなれば、ゲスト側は皆、立ち上がって迎えるものだろう。不遜な態度を取るのは、虚栄か、はたまた意地か。「突然、訪ねてしまって申し訳ございません」言葉は丁寧だが、その言い方の中にはプライドが見え隠れする。娘と年端の変わらぬ男に対し、自分が頭を下げなければならないのが、我慢ならないという雰囲気を感じ取る。「それで?」俺はそう言いながら華瑛を見る。「あまり時間が無いので、端的に」そう言うと華瑛の表情がキッときつくなる。(分かりやすいな)そう思いながら心の中で笑う。一ノ瀬華瑛。確かに年の割には美しいだろう。若くも見える。だが何故か、その佇まいには何か引っかかるものがあった。底意地の悪さなのか、元々持っている気質が異常なのか。肝は据わっているんだろう。じゃなければ、誰かを害するのにわざわざ爆破なんていう特殊な手段は使わない。しっかりと手入れされた身なり、ネイルは毒々しい赤に染まり、その切っ先が鋭い。一ノ瀬華瑛は俺を真っ直ぐに見て言う。「うちの娘がお世話になっているとか」そう言われて俺は少し笑う。(そう来るのか)そう思いながら言う。「うちの娘?」そう聞くと華瑛がクスッと笑う。「端的にと仰ったのは九条様の方ですよ」そう言われて俺は微笑む
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127話 要求

一体、どういう考えをして、この女は九条邸まで来たんだろうか。自分が直接来れば、美織が現れると思ったのか、ただ単に世間体を整えに来たのか。そこで俺は一つの仮説を思い付く。(そうか、華瑛は夫である一ノ瀬恭介が九条邸に来たことを知らないのだな)その家の不遜な娘が何かを仕出かしたというのなら、親として謝罪に来るのは当然だろう。そしてそれはほとんどの場合、父親と母親と二人で来るものだ。だが、昨日の時点で当主である一ノ瀬恭介が訪ねて来て、謝罪は受けた。それなのに母親である華瑛がわざわざ謝罪に来るのは、夫婦間で情報の共有が出来ていない、もしくは情報の共有がなされていない事の表れだ。目の前に置かれた紙袋。どこぞの有名店の銘菓だ。だが何を仕込まれているかは分からない。俺はそこでクスッと笑い、立ち上がる。「茶番だな」そう言って俺は華瑛を見下ろす。「私は忙しい。茶番に付き合う程、暇では無い」そう言って歩き出し、足を一度止めて言う。「それは持って帰ってくれ。受け取る気は無い」すれ違い様に和久井を見る。和久井は視線を下げていたが、俺が華瑛の死角に入ったその一瞬だけ俺に目配せをした。それだけで俺は大満足だ。応接間を出ながら、優秀な人材がきちんと仕事をこなしているのを見て、気分が良かった。俺が潜入させた男をさも、自分の参謀のように連れて歩く華瑛の浅はかさ。自分が殺そうとした娘を匿っている家に乗り込んできながら、手も足も出せない力の無さを実感すれば良い。華瑛は本当に何をしに九条邸に来たんだろうか。瑛理香可愛さなのか、殺そうとした娘を見たかったのか、敵情視察なのか。◇◇◇「征哉様」一ノ瀬華瑛に帰れと伝えてから、はや一時間。俺が書斎で仕事をしていると、日下部が書斎に入って来る。「どうした?」そう聞くと日下部が困ったような顔で言う。「一ノ瀬華瑛様がお帰りになりません」そう言われて俺は吹き出しそうになる。「帰らない?」そう聞き返すと日下部がほんの少し笑いながら言う。「はい、お帰り頂けるよう再三にわたり促していますが、お座りになったソファーから立ち上がらずに座っておいでです」俺は笑いながら仕事の手を止める。「それで? 要求は何だ?」そう聞くと日下部が言う。「何も。ただ座っておいでです」失笑しか無かった。立ち上がり、応接間に向かう。帰
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128話 手紙

静かだった水面に一滴の水が落ちるような、そんな澄んだ声。振り向くとそこには美織が微笑んでいる。「お客様と何かトラブルでも?」澄んだ声でそう聞く美織。一ノ瀬華瑛の立っている場所からは見えない位置。すかさず俺は一ノ瀬華瑛を見る。一ノ瀬華瑛は一瞬、眉を顰めた。苛立ちと怒り、そんな感情が湧き立っているのを感じる。「美緒!」一ノ瀬華瑛が叫ぶように呼ぶ。廊下の先で美織は俺に微笑み、人差し指を口に当て、何も情報を与えるなとゼスチャーしながら言う。「お取込み中のようね」そう言って美織は楽しそうに俺にウィンクして見せる。「美緒! こちらへ来なさい!」一ノ瀬華瑛が叫ぶ。今までならそんな金切声で呼べば、きっと美織は華瑛の前まで走って来たのだろう。だが、その一ノ瀬美緒はもう死んでいるのだ。俺に微笑み可愛くウィンクしているのは四季凪美織だ。俺は溜息をつき、言う。「摘まみ出せ」そう言って俺は応接間を出る。後ろから一ノ瀬華瑛が走って来る音がした。俺が階段を上っていると、応接間から駆け出したであろう一ノ瀬華瑛が廊下に出て来ていた。「美緒! どこなの!」ほんの少し振り返ってその表情を見る。般若のような顔。怒り狂っている、そんな顔だった。つまりは生きているという事を実感し、それが許せないのだろう。「美緒! 美緒! 出て来なさい!」一ノ瀬華瑛はそう叫んでいるが、美織の姿はもうそこには無かった。俺が進んでいる先、二階の廊下の先に消えたのを俺が追っている形だからだ。「離しなさい!! 離して!!」俺の部下に拘束されたであろう一ノ瀬華瑛が背後でそう叫んでいる。美織に会おうなんて、どの面下げて言っているのか。俺は素直にそう思った。レセプションパーティーの招待状は送った。その時には美織を見る事は出来るだろう。近付く事は許さないが。◇◇◇美緒を見る事が出来なかった。門外へ出された私は、持参した土産の紙袋を突き返される。門扉が閉まり、門外へ出された私と和久井はそこでやっと、門外から何故、歩かされたのかを知る。ここ、九条邸に来た時、門扉の所で私の名・一ノ瀬華瑛を告げた時、入りたいなら車を降りて、正面の門から歩いて正面玄関へと歩くよう、促されたのだ。通常であれば、車で門から正面玄関へ向かう道を進むものだけど、敷地内に一ノ瀬家の車両は入れられないと言われ
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129話 癖文字

「中を九条家の人間に見られる訳にはいかないのよ」私が和久井にそう言うと、和久井は少し考え、そして言う。「それなら私の横のネットワークを使いましょう」そう言われて和久井を見る。「横のネットワーク?」そう聞くと和久井が微笑む。「はい、私にも知り合いや友人・知人は居ます。そしてそれはこの九条邸も例外ではございません」そう言われて私は微笑む。「ああたは本当に頼りになるわね」そう言いながら和久井の頬に触れる。「それで、そのお友達に渡せば、九条家の人間に中身を見られる事無く、美緒にこの手紙を届ける事が出来るのね?」そう聞くと和久井が微笑み頷く。「えぇ、出来ると思います」そう言いながら和久井は九条家を振り返る。「その代わり、なんですが」そう言われて私は和久井に聞く。「その代わり?」そう聞くと和久井が言う。「そのお手紙を私自身がその人物に渡さなければなりません。ですので、奥様と少しの間、離れる事になります……もちろん、ほんの数時間ですが」そう言われて私は目の前の子犬のような大男が可愛く見える。「可愛い子ね……良いわ、いってらっしゃい」そう言うと和久井は微笑み、言う。「はい、奥様。お手紙を渡したらすぐに戻ります」◇◇◇車を降りる。振り返ると車内からあの化け物のような年老いた女が振り返る。私は丁寧に車が消えるまで頭を下げ、見送る。視界からその車が消え去り、私は溜息をつき、ジャケットのポケットからハンカチを出し、触れられた個所を拭き取る。全く……仕事とはいえ、あんな化け物の傍に居ないといけないのは骨が折れる。手渡された手紙。シンプルな白い封筒に癖のある文字で一ノ瀬美緒と宛名が書かれている。裏は封蝋で閉じられていて、そこには自身の名であり一ノ瀬華瑛と書かれている。決して美しくない文字。それが人を表していると感じる。私は念の為、正面門では無く、裏門に回る。九条邸の中に入ってしまえば、私の正体を知る人間ばかりだから問題は無いが。九条邸に入るまでは警戒しなければいけない。それに越したことは無いのだから。◇◇◇「征哉様」日下部に声を掛けられて仕事をしながら聞く。「何だ?」日下部が静かに言う。「和久井が戻りました」そう言われて顔を上げる。「和久井が?」聞くと日下部が頷き、そして書斎の扉を開く。和久井が中に入って来る。
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130話 テイカー

折り畳んである便箋を開く。一ノ瀬美緒癖文字でそういう書き出し。内容は読む前から想像は出来た。そして想像通りだった。最初に私があの療養施設での爆発事故に巻き込まれていなかった事を書面上、一応は“良かった”と書いてある。更に、あの爆発事故で生き残っていたのなら、何故、九条家なんかに行ったのか、自分の実家である一ノ瀬家に戻って来るべきだった、助けを求めるなら私たちで良かった……などと書いてある。私が生き残っていた事を知らなかったから葬式まであげてしまった、世間的には一度死んだ事になってしまったが、奇跡的に生き残っていたのだから、九条家などに居ないで戻って来い、今は九条征哉に一時的に興味を持たれているかもしれないけれど、そんな興味はどうせ一時的なものだから、最終的に傷付くのはあなただとも書いてある。便箋から視線を上げて九条征哉を見る。九条征哉は私の肩を抱きながら眉間に皺を寄せて、手紙を読んでいる。私の視線に気付くと私の肩を抱いていた手で私の後頭部を撫でる。傑作なのは最後だ。『美緒、あなたが何を考えて九条家に行ったのかは、私には分かりません。 それでも義理とはいえ、母である私はあなたの帰りを待っています。 一度、一ノ瀬家に戻り、一体何がどうなっているのか、あなたには説明する責任があると思うの。 私たちが美緒だと思って荼毘に付したあの遺体は一体、誰なの? そしてどうして素直に一ノ瀬家に戻って来なかったの? あなたの部屋は手付かずで残してあります。 私もあなたの父も、そして可愛い妹の瑛理香もあなたが無事だった事を喜んでいるのよ。 瑛理香があなたと再会した時に取った態度は、妊娠していて不安定だったからでしょう。 私たちは誰一人、あなたを責めません。 どんな生活を九条家で送っているのか、想像も出来ないわ。 ちゃんと食べているの? 自由はあるの? このままではあなたの死んだ実母の香織に顔向け出来ないわ。 そろそろあなたの実母の香織の命日でしょう? あなたが戻って来るなら一ノ瀬家で香織の法要をしましょう。 実の娘であるあなたが取り仕切らなければ、面目が立ちません。 これを読んだら返事を書くか、会いにいらっしゃい。良いわね。  一ノ瀬華瑛』読み終わり、失笑する。九条征哉を見ると、九条征哉も笑っていた。「読み限り、美織が戻らないと実母の法
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