灰になった令嬢は宿敵の腕の中で牙を剥く のすべてのチャプター: チャプター 131 - チャプター 140

146 チャプター

131話 受領書

手紙を握り締め、私は捨ててしまいたい衝動を何とか抑える。私の手から九条征哉が優しくその手紙を離す。「これは俺の方で保管しよう」そう言われて私は九条征哉の手を握り、言う。「えぇ、そうして」私が溜息をついてソファーに寄りかかると、九条征哉はその手紙を日下部さんに渡し、私の肩を抱く。「それで、美織はどうしたい?」そう聞かれて私は笑う。「別に、何も。こちらが何か行動を取るのが一番、華瑛を喜ばせるわ。それが怒りであっても不安であっても」こんな薄っぺらい手紙一枚で、まだ私をコントロール出来ると思っている華瑛に少し笑う。「さっきの廊下での命令のような声かけもそうよ。私をまだコントロール出来ると思っているのよ」自分で言いながら、以前の私だったら、あんな激しい命令のような呼ばれ方をしたら、何をおいてもすぐに駆け付けただろう。そしてどれだけ理不尽な事を言われても、反論する事無く聞き入れていたのだ。「もうお人形ごっこに付き合う気は無いわ」私がそう言うと九条征哉は私を見ながら目を細め、その口角を少しだけ上げる。「本当に美織は美しいな」そう言われて私は笑う。「そう?」聞き返すと九条征哉が満足そうに言う。「俺は強いものが好きなんだ。ただ守られているだけのお姫様に興味は無い」そう言いながら九条征哉は私の髪を梳く。「一番最初に美織が九条邸に来た時、お前はその瞳に強い炎を宿していた。復讐の炎だ。俺はそれに惹かれたんだ」私は九条征哉に寄りかかりながら言う。「復讐の炎、ね」九条征哉は私の肩を抱き、その肩を撫でながら言う。「さっきの廊下でのウィンクは可愛かったぞ」そう言われて私は笑う。「その余裕の返しと、余裕のある態度は、美織が自身の手の平の上で華瑛を転がしていて、すごく魅力的だった」九条征哉に寄りかかりながら私は九条征哉のジャケットの下に手を入れてその胸を撫でる。「あなたが居てくれるからよ」そう言うと九条征哉は自身の胸を撫でている私の手を握る。「俺はいつでもお前の傍に居る」そう言って私の手を取り、その手に口付ける。まるで誓いを立てるように。◇◇◇一ノ瀬家に戻り、私は和久井が戻って来るのを待った。和久井は上手く手紙を美緒自身に渡しただろうか。あの手紙を読めば、美緒だって黙っていない筈よ。あの子は一ノ瀬美緒なんだもの。家族という呪縛から
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132話 すべての元凶

受け取った手がわなわなと震える。「フフ……」込み上げて来る笑いが漏れる。「受領書……フフフ……アハハハ……!」手の中の受領書をクシャッと握り潰す。ふざけているの!? 私を馬鹿にしている!?和久井をキッと睨む。「他には何か渡されたの?」そう聞くと和久井は首を振る。「いえ、他には何も」そう言われて私は手の中で丸めた紙くずを和久井に突き返す。「要らないわ、こんなもの」そう言って私は和久井を見る。美しい男……私の使用人……。私は思いっきり手を振り上げ、振り下ろした。和久井の頬を打つ。和久井は無表情でそれを受け止めたけれど、何も言わない。和久井を平手打ちした手が痛む。「痛いわ、冷やすものを持って来て」そう言うと和久井は黙ったまま小さく会釈して部屋を出て行く。香織の法要を引き合いに出して、美緒が取り仕切らないなら法要などやらないと、せっかく書いて送ってやったのに、もうあの子は自身の生みの母の事など、どうでも良いというの!すに和久井が戻って来て、私はソファーに座り、和久井を打った手を差し出す。和久井がその手を持って来た濡れたタオルで包む。和久井の頬は私が打ったくらいでは赤くもなっていなかった。「痛かったかしら?」そう聞くと和久井はほんの少し微笑んで言う。「いえ、奥様」そう言う和久井を見ながら私は微笑む。(強靭な肉体を持っているのね……悪くないわ)「和久井」呼ぶと和久井が私の手を冷やしながら言う。「はい、奥様」私はそんな和久井を見て、心の平静さを取り戻していく。「次の手よ」そう言って和久井の頭を撫でる。「美緒の連絡先を調べ上げなさい。手紙などでは無く、ネットを介して直接、美緒に送りたいの」そう言って私はさっき自分で撮ったネックレスの写真を思い出す。あれならきっと美緒だって、放っておけない筈よ。◇◇◇「アンタも大変ね」真中芙美にそう言われて私は苦笑する。「これも仕事だ、仕方ないさ」一ノ瀬華瑛に命じられて美織様の連絡先を獲得しなければならなくなった事を、征哉様に報告していると、その部屋に入って来たのは同志の真中芙美だった。ここは本館とは離れている離れにある、一ノ瀬家の執事・及川の執務室だ。私と真中芙美はここを根城にしている。ここなら本館に居る、私たち以外の人間とは物理的に離れているし、話を盗み聞かれる
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133話 メッセージ

報告を読んで笑う。一ノ瀬華瑛が美織の連絡先を欲しがっている、か。何を送りつけようとしているかは分からないが、それもまた一興だろう。「日下部、和久井に美織のダミーの連絡先を与えろ、こちらですべてをコントロール下に置く」そう言うと日下部が微笑んで頷く。「かしこまりました、すぐに手配を」日下部がそう言って下がる。さて、この事を美織に伝えなければならない。俺は立ち上がり、美織の元へ行く。こうして日に何回も美織の元へ足を運ぶのだから、いっそのこと、美織を俺の傍に置いておいた方が効率的な気がして来る。そしてそう思うくらいには、俺は美織の事が生活の中心になっているのだなと実感して笑う。部屋に入ると美織はソファーに座り、読書をしている。「征哉、どうしたの?」そう聞く美織の声は、いつ聞いても耳の奥を優しくくすぐる。「一ノ瀬華瑛から申し出があってね」そう言いながら美織に近付く。美織は微笑んで本を閉じ、俺に向き合う。「申し出?」そう聞かれて俺は美織の隣に腰を下ろし、言う。「正確には一ノ瀬華瑛が和久井に命じたんだが」そう言いながら美織の長い髪を梳く。「美織の連絡先が欲しいそうだ」そう俺が言うと美織がクスッと笑う。「何かを送り付けて来る算段ね」そう言われて俺は微笑む。「あぁ、そうだろう」美織はクスクス笑いながら言う。「今更、何を送って来るつもりなのかしら」笑っている美織はこの上なく美しい。美織の頬に触れて俺は言う。「ちゃんと食事をとっているか?」急に俺がそう聞いた事で美織は不思議顔で俺を見る。「えぇ、食事はちゃんととっているわ。どうして?」そう聞かれて俺は苦笑する。「少し痩せている気がしてな」そう言うと美織がまた笑う。「これ以上食べたら、ドレスが入らなくなっちゃうわ」俺はそんな美織を抱き寄せる。「もしそうなら作り直させれば良い」美織は俺を見上げて言う。「オーダーメイドで作っているものをまた作り直しさせるの?」そう聞かれて俺は笑う。「必要ならそうすれば良い。何度だって構いはしない」俺の腕の中でまた美織がクスクス笑う。そして俺を見上げて言う。「横暴な暴君ね」そう言われて俺は美織を見下ろす。「そうだ、俺は暴君なんだ」そう言いながら美織の唇を奪う。甘い口づけを交わし、二人の間に甘い空気が流れる。「それで? ア
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134話 シェルカメオ

渡したダミーの連絡先に一ノ瀬華瑛からのメッセージが届く。それを読んで笑う。本当にこの女はモンスターだなと思う。隣で優雅にマーケットの情報を精査している美織に見せる。美織はそれを見て、一読し、鼻で笑った。「これで私がおびき出せると思ってるのね」確かに。美織の母上の遺品は美織にとっても大事だろう。だが。写真に写るネックレスは、ついさっき一ノ瀬華瑛が九条邸に来た時に身に着けていたものだ。いち早く和久井からはその報告が入っていた。「どうする?」美織にそう聞くと美織は少し考えて聞く。「私が返信しても?」そう聞かれて俺は頷き、美織に端末を渡す。美織は俺から端末を受け取ると、画面をその細く美しい指でタップしていく。「内容、確認する?」タップしながらそう聞く美織に俺は笑う。「いや、良い」美織はさっとメッセージを打ち、送信したのか、俺にその端末を返す。「華瑛が身に着けていたネックレスは要らないけれど、母の遺品は取り戻したい」美織にそう言われて俺は頷く。「あぁ、分かっている」俺はそう言いながら、日下部にアイコンタクトを送る。日下部が小さく頷き、部屋を出て、そして数秒で戻って来る。「美織」マーケットの動向の方に戻っていた美織に俺は声を掛ける。「ん?」美織にそう聞かれて俺は日下部が持って来たものを美織に差し出す。目の前にあったのは小さな箱。「これは?」美織に聞かれて俺は笑い、言う。「開けて」そう言うと美織がその小さな箱を開ける。「これ……」美織がその小さな箱の中身と俺を交互に見る。「秘密裏に集めさせているから、時間はかかるが、少しずつ取り戻してはいる」箱の中には指輪とネックレス、そして少し大きめのシェルカメオが収められている。美織はそのシェルカメオを手に取る。美しいゴールドの繊細な縁取り、白く描き出されているのは見た事のあるような女性の横顔。「この女性……」美織の言いたい事は分かる。「確定では無いが、おそらくは美織の母上だろう」どことなく美織に似た顔つき、だが美織とは違う。儚い雰囲気を纏っている。「……どうやって?」そう聞かれて俺は美織の肩を抱きながら言う。「真中芙美だ」そう言うと美織が聞く。「一ノ瀬家に入れている密偵ね?」聞かれて頷く。「あぁ、そうだ。真中芙美は一番最初に華瑛の部屋の違和感に気付いた
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135話 曲解

「お前、何かやらかしたんだって?」俺は家でこれから先の事について色々と思案を巡らせていた。そんな時、仕事から戻って来た兄にそう言われる。(別に俺がやらかした訳じゃない……瑛理香が嘘をついていただけだ)そう思いながらも黙っていた。兄は溜息をついて言う。「お前は次男で、別に家を継ぐって訳じゃないんだし、家柄の良い子と結婚して、波風立てないでいてくれればそれで良いんだよ、だから余計な事はするな」兄はそう言って俺を見て、笑う。ずっとそうだった。俺には兄が居て、この兄がいつも俺の事を馬鹿にする。学生時代もいつも成績の事で馬鹿にされていたし、仕事を始めた時も、失敗や失態だけは避けて、大人しくしていろと命じられていた。いつか見返してやると思って来た。だからこその一ノ瀬家との縁談で、だからこそ俺は大人しそうな美緒を選んだんだ。美緒なら俺を馬鹿にする事も無かったし、大人しく俺の言う事を聞いてくれていたし、申し分無かった筈だった。あのバカ女に唆されるまでは。俺はどうして美緒を裏切ったんだろう。派手な女が好きなのだって、兄を見返す為だった。兄の連れている恋人よりも俺の連れている女の方が美人だったり、可愛かったりすれば、少しは気分が晴れると思っていた。実際に俺は瑛理香を連れて歩いていて、気分が良かった。それでも。俺の父や母、兄は瑛理香よりも美緒の方を評価していた。だから美緒が死んだ時だって、俺が瑛理香と親密そうにしていた事を責めて来た事もあった。そしてその後、俺が瑛理香と婚約を決めた時も、反対したのだ。それでも瑛理香のお腹に子供が居ると分かって、反対するのを諦めたのだ。(……! そうか!)そこまで考えて俺は思い立つ。そうだ、瑛理香は流産した。俺の子供を、あの女は殺したんだ。監視カメラの映像が脳裏によみがえる。自ら進んで数段下の段差へと突っ込んで行った瑛理香。あれは体の良い殺人だ……お腹の中の子供が危険に晒される事を承知の上で、瑛理香はああしたのだから。しかもお腹の中の子供が死んだのなら、俺と瑛理香を縛り付けるものはもう何も無い。これはチャンスだ。あの女と手を切るチャンスじゃ無いか。美緒は今、九条征哉に囲われている。きっと息苦しい思いをしている筈なんだ。俺が助けてやらないと。◇◇◇「本当に見に行くんですか?」坂崎にそう聞かれて僕は
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136話 独占欲

「何なのよ! これ!」僕以外にも開け放たれた扉からその様子を覗く人間が数人居て、僕はその中に隠れながら様子を見守る。食べられたものでは無いと激高していた一ノ瀬瑛理香が今度は手にスマホを持っている。まるで悲劇の主人公を演じているかのように、大きな声で言う。「婚約破棄ですって!?」その言葉に僕は少し驚きはしたが、即座にそれが笑いに変わった。(やるな、高橋翔太)実は以前に七倉のお爺様の元へ九条征哉、四季凪美織と一緒に行った時、一ノ瀬瑛理香と高橋翔太の事は見た事があった。見ないようにして見ていた。だから分かる。高橋翔太の顔には後悔が滲んでいた。四季凪美織がかつて、一ノ瀬美緒だった頃、高橋翔太は彼女の婚約者だった。何もしなければ、彼女を手に入れられた位置に居た。なのにあの悪辣な女に唆され、彼女をどん底に陥れる片棒を担いだのだ。その時には一ノ瀬瑛理香の腹の中には自分の子が居たから、即座に婚約破棄も出来なかっただろう。だが今、一ノ瀬瑛理香が流産した。それも自身で流産する事を選んだのだ。誰の手を借りる事無く、一ノ瀬瑛理香は腹の中の子供を処理した。そしてそれは表向き、高橋翔太に婚約破棄の口実を与えてしまった事になる。高橋翔太自身が一ノ瀬瑛理香と婚約破棄するなら、これからはきっと高橋翔太の方でも動きがありそうだ。「坂崎」僕が呼ぶと僕の車椅子を押していた坂崎が言う。「はい、暁斗様」僕は少し笑って言う。「行こう、征哉様に報告しなければ」坂崎が車椅子を押し、動き出すと、背後でまた大きな声がする。「何を見ているのよ!」おそらくは扉が開け放たれ、そこに集まって来ていた人間たちに一ノ瀬瑛理香がそう叫んでいるのだろう。◇◇◇スマホをきつく握り締める。婚約破棄ですって?こんな一方的に通告して来て、そんな事がまかり通ると思っているの!踏み躙られたような気持になりながら文面を見る。お腹の子供を故意によって流産した私に非があると書いてある。翔太のあの様子ではきっと美緒に未練があるのだろうと分かる。だから私と婚約している今の状況は翔太にとって不利だ。その婚約を破棄出来る理由が、今、ここにある。……でも、待って。それは私もそうじゃない?翔太との婚約を継続したままでは、九条征哉に近付いても、それを理由に断られてしまう可能性の方が大きい。九条征哉に何と
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137話 不在

数日して、私はやっと退院の許可が出た。結局、入院期間中、誰も私の病室へお見舞いには来なかった。狭いけれど個室だったお陰で、スマホは触れたけれど、それ以外に何も出来なかった。病室に外商を呼ぶ事も、病院側から許可が出なかった為に、私はレセプションパーティーの衣装を選ぶ事が出来ていない。(あと三日しか無いじゃない)そう思いながら私は一ノ瀬家へ戻る。迎えの車も来なかった。タクシーに乗りながら私はここ数日で、私への対応が変わってしまった事に気付いていた。(私が居ない間に一体、何があったの?)普段なら、私が病院に行けば、送り迎えは絶対に家の車を使えた。仮に私が入院したとして、退院の日時を私自身が伝える事をせずとも、病院の正面玄関に車が停まっている筈なのだ。それなのに、今日は正面玄関に行った時、家の車が見当たらなかった。だから電話を掛けたのに、誰も出ない。仕方なく私はタクシーに乗り込み、一ノ瀬家へ戻ったのだ。(これは一ノ瀬家の送迎を担当している運転手の怠慢だわ)そう思いながらタクシーを降りる。「お客さん、運賃!」そう言われて私は舌打ちし、タクシー運転手に言う。「ちょっと待ってて。今、家に入って持って来るわ」そう言うとタクシー運転手が笑う。「そうはいかないよ。悪いが信用出来ない」そう言われて私はい苛立つ。さっきから何度も電話を掛けているのに、誰も出ないのだ。家に入りさえすれば、お金、それもタクシー代くらいはすぐに払えるのだ。(どうしたら良いの……?)そう思いながら私は連絡先をスクロールする。私のスマホの中にある連絡先には、お父様、お母様、そして高橋翔太の電話番号がある。もちろん他にもお友達の番号もあるけれど、タクシー代の立替なんて恥ずかしい事を頼める訳が無い。(こんな事なら使用人のスマホの番号も登録しておくんだったわ)お母様もお父様も、そして高橋翔太も、自身の家の使用人の番号をスマホに登録してある事は知っている。でも私は自分のスマホに使用人の番号なんて入れたくなかったのだ。不意にタクシーの窓が叩かれる。見ればそこにはあのメイド、真中芙美が立っていた。「瑛理香お嬢様、どうされました?」そう聞く真中芙美を見て、私はタクシー運転手に言う。「この人が払うわ。うちの使用人なの」タクシー運転手は窓を開け、真中芙美に言う。「アンタがタク
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138話 呟き

(まったく……何で誰も居ないのかしら)そう思いながら私はお母様を探して屋敷の中を歩いた。お母様のお部屋から少し離れた所にあるお父様の書斎は扉が閉められていて、中に誰か居るかどうかは分からない。(本当ならお父様にもちゃんと挨拶するべきでしょうけれど)そう思いながらも私は足早に書斎の前を通り過ぎる。病院に来たお父様に恐怖したからだ。私のやっていた事を見透かされていると思ったし、実際に私のカードを止めたのはお父様だったから。私が自作自演で流産をした事をお父様はきっともう知っている……そう思うとお父様に会う勇気は無かった。階段を下りて、応接間に入る。けれど誰も居ない。居るのは使用人が一人、部屋の掃除をしていた。「ちょっと! お母様はどこ?」私がその使用人にそう聞くと使用人は首を傾げる。「分かりません」そう言われて私は舌打ちし、踵を返す。(あと、お母様が居そうな場所は温室くらいだけれど)そう思いながら私は屋敷を出て温室に向かう。透明なガラスで出来た温室だけれど、中に配置されている木々や植物が姿を隠すように出来ていて、外からは中に誰かが居ても見えない。私は温室の扉を開け、中に入る。誰かが話している声が聞こえる。(きっと、お母様だわ)そう思って近付こうとした時、聞こえて来た言葉に足が止まる。「良い子ね、私の言う事を良く聞けて。そういう良い子にはご褒美をあげなくちゃ」お母様の声がそう言っている。何となく察してはいた。お母様はお気に入りの男の使用人をいつも傍に置く。私やお父様、そしてその他の人間が居る時は節度を守って貞淑な妻を演じている。けれど、実際には違うのだろうなと思っていた。時折、その男の使用人とお母様との間に流れる、空気を感じ取ってしまうからだ。見たくない……でも次に聞こえて来た言葉が私の興味をそそる。「レセプションパーティーでは上手く紛れ込むのよ?」(レセプションパーティー?)(それって三日後にある九条征哉主宰のパーティーよね?)木々の間からお母様の顔を見る。お母様は優しく微笑んでいて、そのお母様の足元に跪いているのは、最近、屋敷の中で見かけない木崎潤だった。(お母様は木崎潤に何かやらせている……?)そこで私はニヤリと笑う。九条征哉主宰のレセプションパーティーでお母様が何かを仕組んでいる……そう思うとワクワクし
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139話 上限付きの

私は俯きながらそれでも言う。「レセプションパーティーに着て行くドレスが無いの……カードは止められているし……」九条家から来た個別の招待状。私宛に送られて来ている招待状を無駄にはしたくない。招待客なのだから、それなりの格好をしたい、しかもこのレセプションパーティーに出られれば、私はあの九条征哉との出会いを果たせる。きちんと正体を受けた上での出会い。これが大事だと思った。お母様は深く溜息をつき、言う。「レセプションパーティーに行くのは構わないわ。それにドレスが必要なのも分かる。けれどあなたは今、賠償金を抱えている身なのよ? 一ノ瀬家が代わりに払いはしたけれど、あれはそもそも、あなたが無駄な事をしなければ発生しなかったものよ」お母様はそう言って私を見る。その瞳はとてつもなく冷たい。「お父様に聞いて来なさい。それでお父様が良いと言った範囲でドレスを見繕うのよ」お母様はそれ以上は何も言わず、目の前の大ぶりで不気味な花に視線を移す。◇◇◇私は温室を出て、気乗りしないまま、お父様の書斎に向かう。お父様は確実に私がやった事を把握している。私が自らあの数段の段差に飛び込んだ事も知っているだろう。一度病院に来たそうだけれど、それは私の意識がまだ戻っていない時だった。確信は無いけれど、私に会わずに帰った、という事が全てを物語っている気がした。重い足取りでお父様の書斎に向かう。何をどう言えば良いのかしら……お父様は私に真実の追及をして来るだろうか。書斎の扉の前に立ち、深呼吸をして、扉をノックする。「入れ」お父様の声が聞こえる。私は恐る恐る扉を開ける。中ではお父様が書斎のデスクに居て、傍には及川が立っていた。お父様は私を一瞥すると、聞く。「何だ?」そう言われて私は扉の前に立ち、言う。「ただいま、戻りました」そう言うとお父様は自身の持っている書類に視線を戻しながら言う。「それだけか?」そう聞かれて私は何を言えば良いのか分からずに、少し考える。私が考えている間、お父様も及川も私も、誰も何も言わない。お父様はずっと書類に視線を落としていて、書類をめくる音しかしない時間が流れる。私は意を決して言う。「お父様にお願いがあります」そう言うとお父様の視線が私に移る。「何だ?」そう聞かれて私は言う。「三日後のレセプションパーティーに招待されていま
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140話 歪曲

制限の設けられたドレス。忌々しい思いをかみ殺して、私はドレスを選ぶ。ドレスサロンで見た、あの女を囲むドレスが頭の中によみがえる。そして今、私の目の前に置かれているドレスたちを見て、溜息をつく。どう見たって、あの女を囲んでいたドレスの方が高級で、優雅で上品だった。私の今、目の前にあるドレスたちはやはり、何かが足りない。それでも私には今、それらしか選べない。ここで癇癪を起こしても意味は無い。私がもっと上のものをと望めば予算オーバーなのだから。あの女はどんなドレスを着て来るのだろうか。それを考えるだけでも腹が立つ。(とにかく今は、ここに並んでいる中で自分に合ったものを選び出すのよ)そう思い直し、私はドレスを選ぶ。目についたのは真っ赤なドレスだった。深紅のドレスで、胸元が大きく開いている。ウェストが絞ってあって、体のラインが美しく強調されているドレス。私はさっそく、そのドレスを試着する。そのドレスが目に入った時には私の為に作られたようだと思っていたけれど、実際に着てみるとウェストが少しきつい。今の私は流産した直後で、体のラインも少し崩れている。あまり好きではないけれど、コルセットを巻かなければいけない。(これくらいなら大丈夫よ)私はそう思い、そのドレスに決める。美しい体のライン、目の覚めるような深紅、開いた胸元、豊かな胸……大満足だった。たった一つを覗けば。それは肌の色だった。私の肌の色はあの女に比べたら浅黒い。日焼けには気を使っているし、手入れだって欠かさない。けれどこればかりは生まれ持ったもの、としか言いようが無い。あの女は生まれつき肌が白く、それも私のコンプレックスを刺激していた。幼い頃はそれ程、気にはなっていなかった。けれど、年齢を重ねていくうちに、肌の色が白い方が持て囃される事が分かり、私の嫉妬心に火が点いた。鶏ガラのように細い体も、肌の色が白い事も、顔の造形が儚げで美しい事も、全てが私とは違っていた。私はお母様に良く似ていて、肌の色は生まれた時から浅黒く、体つきも大きく、体質的には太りやすい。幼い頃、私は少し太っていて、でもそれは何不自由なく生活させて貰っていた証拠だと思っていた。お母様もあの女を見て、私に対して栄養を取れていない、可哀想な子だと、事あるごとにそう言ったのだ。試着室でドレスを脱ぎ、ふと鏡に映った自身
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