All Chapters of クズなハイスペ夫を改心させたのはもっとクズな私です: Chapter 21 - Chapter 30

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21.Side.神楽 火事の夜

「……契約妻っ?!」「声がデカいぞ」「だって……まさか3回もそんなこと繰り返すなんて思わなかったから」アパート火災で紅を背負って出てきた俺は、京香が呼んでくれた救急車で病院に来た。すぐに紅の処置をして、その後軽い火傷をした京香の手当てをしながら紅との関係を問い詰められ……しかたなく本当のことを話したところだ。「……まぁ。出会っちゃっだんだから、仕方ないよな」俺だって、紅でなければ3回目はなかったかもしれないと、最近思う。ちょっといい女だと思った。どこかミステリアスで、物事を見抜くような強いまなざしを、気づけば目で追っていた。だが、契約結婚を匂わせたらすぐに乗ってきたから、これまでの女と同じだと思ったんだ。……結局、知らぬ間に復讐をされていたところを見ると、やはり俺の目に狂いはなかったというわけだ。「……私と結婚させられるの、そんなに嫌だったの?」「別に京香が嫌だってわけじゃないが、院長の言う通りになりたくなかったんだよ」「私とでも契約できたのに!1年で離婚してくれれば、お金なんかいらなかったよ?」承諾も紹介もなく結婚して1年で離婚して、それを2回繰り返した時、継父である院長は俺に言った。3回目は谷村京香と結婚しろ、と。「悪評がつかないように京香を使いたかったんだろ。別に俺を守るためじゃなく、病院の評判を気にしてのことだ」「だとしてもさ。言い方悪いけど、片桐さんの戸籍に離婚っていう傷をつけたのよ?これから普通に結婚していくだろう人に……」「趣旨は全部説明した。彼女もこの先結婚するつもりはなくて、戸籍が傷つくとか気にしてなかったんだよ?」……だとしても、と食い下がる京香に言ってやる。「京香こそ、戸籍に傷をつけたくないだろ?……颯真、帰ってくるみたいだしな」「……その件についてはノーコメント」「怒ってやれよ、思いっきり。どうして自分を連れて行かなかったんだ、って」京香とは同い年で、実家は院長の邸宅のごく近所だった。母の連れ子としてあの家に住むようになってから、よく顔を合わせるようになった幼なじみだ。 品行方正で、いわゆるお嬢様学校に進んだ彼女は院長のお気に入りで、両親と一緒によく家に呼んでは、俺や颯真に相手をさせた。そんなことから、京香は兄妹のような間柄で家族に近い。「付き合ってたんだろ?颯真と」「……いいよもう、そ
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22.邪魔なのは私

……何が「出すわけにいかない」だ?!「お2人の邪魔になるんじゃありません?私だってそれくらいの配慮はできますよ?」「俺にとって邪魔だとするならそれは京香だ。紅は……ここにいなさい。手当もあるって言っただろ?」「でも、谷村先生もお疲れでしょうし」ずっと神楽の後ろで小さく笑っていた谷村先生。名前を呼ばれて顔を上げた。笑いすぎて涙を流してる……?「ほんとほんと……!邪魔は私の方よ?ホテルにでも泊まるから、ちょっと、荷物だけ持って行かせて」遠慮なく室内に入っていく彼女の背に、紅は思わず声をかける。「だったら、2人とも泊めてもらいましょうよ」谷村先生は神楽に遠慮するような視線を向け、神楽は冷静を保とうとしているように見える。「部屋はありますよね」「あぁ。確かにある。京香なら別にリビングの床に転がしてもいいしな……」ぼんやりした表情で言う神楽の腕を、またも遠慮なく叩く谷村先生。友達……らしいが、とても仲が良さそうだ。「……幼なじみ、ですか」「あぁ。だから本当に何でもない。どうでもいい女だ」夕食を食べながら、神楽は谷村先生との関係を力説する。「どうでもいいって……神楽さんにとってどうでもよくない女性なんているんですか?」「いるさ!……それくらい」「契約結婚した妻をセフレにしてきたくせに……クズの言うことは信じられないなぁ」椅子から立ち上がりながら遠慮なく言って……「あ、ごめんなさい?」と一応謝罪してやった。ぐうの音も出ない神楽……困ったような顔をしている。「でも今回の火事は、そんなクズに助けられました。本当に、感謝しかありません」笑顔で言う紅に、なんとも言えない表情をして見せる神楽の皿も一緒に下げ、洗い始める。……京香は一足先に入浴中だ。「ごめんね、お風呂お先に」出てきた姿を見て驚いた。肩がむき出しのワンピース……パジャマ代わりにしているのだろうが、普段のイメージとは違って、そこはかとない大人の色気がまぶしい。「俺は学会が控えてるから、ちょっと作業をする」女の私でもハッとするほど色っぽい谷村先生に見向きもせず、神楽は部屋に入ってしまった。「あー、昨日は勝って終わったから、今日はやりたくないんだな?!……ったく、神楽のやつ」ボソッとつぶやく谷村先生の言葉が聞こえてしまった。「何か、勝負でもしていたんですか?」「アハ
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23.芹沢専務登場

「……亮子って女友達じゃなかったわけ?」「彼女は急に仕事になってしまったようで……代わりを見つけてくれたみたいなんです」夜になって帰宅した神楽に予定の変更を伝えた。するとタイミングよく、窓の向こうで車が停まる音がする。神楽はカーテンの隙間から、やってくる人を確認しながら言う。「冷蔵庫、ほとんど減ってなかったぞ?」神楽に言われた通り、1日のほとんどをソファで横になって過ごした。水分を多めに取りながら……パックのトマトサラダとレトルトの鶏のおかゆを食べたが?「1人で1食しか食べてないんだから、そりゃ減りませんよ」「紅が行っちゃうと、食材が余って困るな……」「買いすぎです。それは神楽さんのミス」玄関のチャイムが鳴り、紅は荷物を手に玄関に向かう。不機嫌の塊と化した神楽が後からついてきた。「……紅、火事って聞いて驚いたよ」「ご心配をおかけして、ごめんなさい」やってきたのは芹沢専務だった。仕事で出張になってしまった亮子が、芹沢専務に私の災難を伝え、助けてやってくれと頼んだらしい。会ってから話そうと、神楽の家にいるとは話していなかった。だからきっと、ホテルでひとりぼっちで苦しんでいるとでも思ったのだろう。「遠慮しなくていいよ。使ってないマンションだから」ふと、背後で腕を組む神楽に目をやる芹沢専務。「紅のことは責任を持って私が面倒を見るので、ご心配なく」「いや、怪我の手当てもありますし、彼女は療養中です。明日には戻ってもらわないと」「手当てと療養中の見守りなら、うちの産業医に看護師を手配するよう伝えます。神楽先生には逐一、彼女の状態を伝えますのでご安心ください」「……っ!」紅は張り詰めた空気に気づかないふりをして靴をはいた。そんな彼女に手を貸す芹沢専務。「……わぁっ!びっくりした」ドアを開けようとしたところで、谷村先生に出くわした。「え……あれ、片桐さん……お出かけ?」「はい。……いろいろあって。谷村先生、仕事に復帰したら改めてご挨拶に行きます」その間、母のことをよろしく頼む、という意味で頭を下げる。「それはもちろん。じゃあ、あの……行ってらっしゃい、?」神楽の表情をチラ見しながら、困った顔で見送る谷村先生。とりあえずこちらの意図は伝わったようで安心した。「掃除も買い物もすべて手配したから。紅は主寝室ですぐに横になるとい
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24.Side.芹沢

紅を連れて行く時、神楽という元夫は、ずいぶん余裕のない雰囲気だったものの……結局1週間、紅は俺のマンションで穏やかに過ごした。火傷も神楽が処方した薬を塗り、包帯で保護をするという処置を続け、かなり回復した。明日から仕事に復帰するという紅。「本当に、お世話になりました。なんだか専務をこき使ったようですけど、おかげでよく休めました」「なんだよ、出ていくつもり?初日に逃さないと言ったろ?」チラリと甘い視線を送ってやる。……さて、どう出るか。「いえ、そうではなくて」意外な返事に思わず笑顔になる。「まさか落ちた?俺の優しさに?」腰を折って視線を合わせながら、頭の片隅で考えた。……外堀から埋めるか、それとも直球でいくか。「違いますよ」あっさり返ってくる否定に、俺は天を仰ぐ。……そう、紅はそいう女だ。何も今さら始まったわけではない。「病院の近くに住まいを探します。甘えついでに、決まるまでここにいていいですか?」「あぁ、やっぱりそういうこと?」秘書時代から、手に入りそうなギリギリで距離を置くのがうまい子だった。今だって、同じテーブルについているのに、自分だけコーヒーを飲んでいる。必要以上に構わないというスタンスなのだろう。……シレッと涼しい顔をして、頬をつついてやりたくなる。こっちはこれから出勤で、朝の支度に忙しいというのに……「専務秘書として配属されました。片桐紅と申します。……よろしくお願いいたします」7年前……赤い縁のメガネをかけ、長い髪を黒ゴムで無造作に結んだ紅が、ありきたりなリクルートスーツに身を包んで挨拶にやって来た。……こんな地味な子が俺の秘書?その垢抜けない姿に、そっとため息をついたのを覚えている。「麗応大卒か、優秀だね」「恐れ入ります」手元の資料の大学名を見て驚いた。この野暮ったい女の子が超難関大学を出ているとは。……こりゃ、勉強ばかりしてきた堅物女子か。にっこり笑ってやったのに、紅の方は口角を動かすことすらしない。「……理工学部だったみたいだけど、ここへは、希望して配属されたの?」秘書課は人気が高い。しかも新卒で役員秘書に配属されるとは。もしかしたら強力なコネを持ってるか、強みとなるスキルの持ち主か……「いえ。実は大学院に進学が決まっていたのですが、断念いたしまして……こちらに採用していただき
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25.たいしたことではないはず……

「悪い。遅くなったな」リビングのドアが開き、ネクタイを緩めながら芹沢専務が入ってきた。遅くなったのを詫びたのは、今夜は映画を観よう、という誘いを覚えていたからだろう。「おかえりなさい。……私も、勉強中でしたから」ダイニングテーブルに広げていた本やノート……1週間の休みを利用して、神楽に取るよう言われていた資格の勉強をしていた。医師のサポートをする専任クラークの資格。それを取って神楽の仕事を助けるのが、月収40万諸々をもらうための条件だ。復帰と同時に資格取得について神楽に聞きたい。だからつい、根を詰めてしまった。居候をしているお礼に多少の家事は引き受けているものの、朝からずっと勉強していて、じんわり目の奥が痛む。……正直、これから2時間映画を観るのはつらい。「今、片付けますね」「あぁ」テキストやノートを数冊重ね、紅は部屋に持っていくため立ち上がる。「俺が持っていこう」「あ、手の火傷でしたらもう回復したので……」断ったが、専務は手を引っ込めない。……ふと、2人の手が触れた。「すみません……」瞬間、手を引っ込めようとした。だが触れた手は、専務によって強く引かれ……持っていた本が勢いよく床に叩きつけられる。「あ、あの」「……映画はなしだ」いつもと雰囲気が違う。というか、こんなに切羽詰まった様子の専務は初めてだ。引き寄せられると同時に、自分の背中に絡まるたくましい腕。戸惑う紅の頬に口づける専務。キツくなる腕の力。……こんなに強く抱きしめられるとは思っていなかった。いったい何があったのか……されるがまま受け入れるしか方法がなく、熱を帯びる瞳を見つめ返した。「紅、俺が今日1日、どんな気持ちで過ごしたかわかる?……ん?」それは、初めて見る芹沢専務の表情。苦しげに眉を寄せ、何度もため息をついて……「それは、あの……すみません」さすがに煽りすぎたと反省した。朝のあんなひとコマが、夜までにこんな風に育つなんて予想外すきる。「……逃さない。いいね?」YES……or……NO。様子を伺う限り、自分に選択肢はないと理解した。手を引かれ、連れて行かれたのは専務の寝室。自分に与えられた部屋と違って、全体に黒っぽいダークなイメージの部屋だ。大きなベッドに腰掛け、専務は紅の手を引いて、自分の目の前に立たせる。「……紅から、してごらん?」
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26.Side神楽 紅の闇……?

「……火事の夜に?」「うん。多分あれは、片桐さんのお父さんの側近で、木下さんって人よ」「そういう人物なら紅を訪ねてきてもおかしくないだろ」いつになく難しい表情の京香。芹沢という専務にあっという間に紅を連れ去られ、内心ムカムカしている時に、京香が意外な話を聞かせてきた。「神楽、片桐さんに聞いてないの?」「……なにを」「いえ、いいわ。これ以上は私から話すのはやめておく。ただ……あの火事の夜に、アパート近くに不自然な人がいたことは確かよ」父親の側近なのに、不審な人物と言い切る京香の言葉が気になった。翌日、病院に出勤した俺は、紅が提出した履歴書をもう一度見直した。それによると現住所は実家になっていて、その後あのアパートに住所変更がされたとわかる。「父親の側近の、木下ね……」契約結婚とはいえ、一度は自分の妻になった紅の、詳しい生い立ちを知らない自分。京香はきちんとプライバシーに配慮する人間だ。何か知っていても簡単に口を割ることはないだろうが、あの火事が不審火だとしたら……それが紅に関係してのことだとしたら。自分でも意外なほど胸騒ぎを覚えた。せっかくうちで療養させてやろうとしたのに別の男に迎えに来させ、あっさり行ってしまう女なんか、関係ないと思うのに。「305号室の中村さん、検査結果をまとめて共有してくれ」「はい、かしこまりました」「301の伊藤さんは?術後の食事は取れるようになったか?」それは……と、看護師にすがるような視線を向けるのは坂谷さんだ。紅が療養している間、彼女に自分の専任を務めてもらっている。「あ、先生……いつもお世話になっております」そこへちょうど伊藤さんが通りかかった。「心配なく歩けるようになりましたね。……そろそろ食事をしっかり取らないと、体力がつきませんよ?」「はぁ……自分が心臓の手術をしたってことがショックで、なかなか食がすすまなくて……」「大丈夫。手術といっても体に負担の少ないカテーテル手術ですから。安心して、出されたものは食べてください」チェックしに行きますよ、とイタズラっぽく言えば、緊張気味の患者の表情が緩む。「神楽先生にそう言われると……あぁ、安心しました!」念のため1人看護師をつけて病室に送らせる。回復していく患者を目にするのは嬉しいものだ。……すべてを救えるわけではないと理解してい
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27.Side.神楽 紅の闇……?②

「……そうだが」「ここは老舗の有名な和菓子屋だそうで、祖母に買い物を頼まれて来たんです。社長さんのオススメは?」側近の男性とスタッフがヒヤヒヤしているのがわかる。「どれも見たことのある有名なお菓子ばかりですよね。……新製品とか、出さないんですか?」重ねて質問をしてやったのは、ワンマンな社長なら嫌がりそうだと思ったからだ。「お、お客さま、困ります」間に入ってきたのは木下という側近。「あぁ、すみません!こんな有名なお菓子屋さんの社長に会えたから、嬉しくてつい……」相好を崩した俺に、ニコリともしない社長。客を客と思っていない、スタッフを奴隷とでも思っている典型的なワンマン社長だと判断した。「さつき、案内してやりなさい」じっと見つめる俺の目を睨み返し、社長はそのまま奥へと消えていく。さすがにこれ以上引き止めるのは不自然だろう。さつきと呼ばれた女性のおすすめをおとなしく購入し、店を出た。車に乗り込みながら思う。スタッフの落ち着きのない様子が怯えているように見えた。それがあの、いかにも高圧的な社長のせいで、あの男が紅の父親なのだとしたら。……彼女が育った環境に思いを馳せた。「片桐紅の素性?」「変な言い方するなよ。紅の家庭環境とか、当時聞いたことないか?」その後、高校時代情報通だった三田洋平に話を聞いてみようと、家に招いた。「紅ちゃんは父親が有名な会社の跡取りで、一人娘。成績優秀な才女で真面目で、あの頃の俺らとは真逆の女の子。……しかも可愛い」「全部知っていることだな……」「あっそ。お役に立てませんで!」洋平は冷蔵庫を覗き込み、いくつかの食材を取り出す。料理好きな彼を家に呼んだのは、紅のために用意した食材が余って困っていたからだ。 「あんなひどいことしといて、今さら紅ちゃんのことが知りたいわけ?」「まぁ、乗りかかった船ってやつだ」「はぁ?契約妻にして、それが終わったら自分のそばで仕事をさせて、おまけに過去のことも知りたくなったって?お前それ、なんていうか知ってる?」呆れ顔の洋平に、何を言われるかわかった気がして身構える。恋をしたとか言うんだろ……違う。違うぞ?そこへ、リビングのドアが開き、京香が顔を覗かせた。「ただいま……って、あれ……友達来てた?」「あぁ、高校の時の……おかえり」会釈する京香に、笑顔なく会釈を返しなが
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28.紅の作戦

「専任クラークになるための試験の他に、俺からのテストも受けてもらうことにした」「神楽先生からの……」「試験会場は俺の家だ。日にちは追って知らせる」神楽の家に行って試験とは……一瞬返事が遅れた。「何か?」「いえ、神楽さんの家で試験というのも変な話だと思いまして」「仕方ないだろ。仕事中に実施できないし、昼休みを使うわけにもいかない」……確かにその通りだ。頭を下げる紅の前を通り過ぎる神楽の不躾な視線を感じる。頭を上げてみれば、後ろ姿の神楽から指示が飛ぶ。「担当患者のカルテ入力を坂谷さんから引き継いで」「はい。……その後は?」「その後?」振り返る神楽の表情に、はてなが浮かんでいるように見えた。「いえ……神楽先生の指示は、一度に2つか3つ、時にはそれ以上に及ぶので、今日もそうだろうと」「……バカな、俺をなんだと思ってる?」人使いの荒い医師……なんて、本当のことを言っていいだろうか。「君が病み上がりなのはわかっている。……俺の事務仕事をこなすとなると、それなりにハードだからな。まぁ、少しずつと思っているだけだ」「あ、それは……お気遣いありがとうございます」素直にお礼を言ってもう一度頭を下げた。……それが意外だったのか、神楽は頭を上げるまでそこに佇んで、じっと紅を見つめていた。結局、この日神楽から振られた仕事は以前の1/3程度だったので、丁寧な仕事を心がける事ができた。夕方には、神楽による専任クラークの試験が10日後と知らされる。……ということは、1週間後の本試験と合わせ、2週間くらいで資格取得の目処がつきそうだ。そうなれば、試験に向け全力を傾けたいと思う紅。いまだ身を寄せる芹沢専務のマンションへ帰宅を急ぐ。「あぁ、おかえり」「ただいま帰りました。あの、どこかへお出かけですか?」玄関に革靴があるのはわかっていたが、驚いたふりをしてリビングに入る。「そう、なんだ。食事は何かデリバリーでも取って、君はくつろいで」「あ……でも私」バッグを置いてから、上着を羽織る芹沢専務にそっと近づく。「一緒に、食べたいです。……何時頃お帰りですか?」「……え、」少し近寄っただけで、芹沢専務は2〜3歩後へ下がった。それは、近づかれたくない無意識の反応……思い切ってもう一度、距離を取られた分近づいてみた。「この後、誰と会うんですか?
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29.Side.芹沢 本心を打ち明ける

「亮子さん……わざわざ来てくれてありがとう」「いえ、芹沢専務からの話なんて……いったい、どうしたんですか?」都心から車を走らせること30分。小高い山や森に囲まれた、郊外にある料亭で、芹沢は紅の友達、亮子と落ち合った。「とりあえず、のどを潤して。何がいいかな?」「それじゃ、スパークリングの白を」「同じものを2つ、あと……ビールも」案内してきた女将に、芹沢は素早く飲み物を頼む。そして好き嫌いがないことを確かめ、コース料理の開始を伝えた。「まずはビールでしょ?この前も、そうだったよね」「覚えてたんですか?……さすがですね」心から感心する亮子。仕事で大人の男性とのやり取りや食事、時にはお酒を飲むこともあるが、こんなにスマートに振る舞う男性は初めてだった。「……話というのは、紅のことなんだけど」「そうだとは思いましたけど、どうしたんですか?……何か、問題でも?」「問題、というか……」腕を組みながら、片手で口元を押さえる芹沢の仕草は、亮子にどこまで話していいか迷っているように見えた。「なんでも話してください。紅のことを頼んで出張に行ってしまったので、その後のことが気になってたんです」こんなところまで呼び出しておいて、何を迷っている?……と、言葉の端々から伝わってくるが。「そう、だね。いや……実は紅と、そういう雰囲気になって……」話しづらい内容に顔が赤らむのがわかる。……あぁ、こんなに静かなところで話すようなことではなかったかもしれない。店のチョイスをミスったと、心の中で舌打ちした。「そういう……?あ、そういうことですね!」けれど亮子の方は茶化すことなく、かといって深刻になりすぎず、言葉を待ってくれるのでありがたい。「大人の男女ですもの。しかも芹沢専務には紅への好意がある。ほんの少しのきっかけで、関係が進むことはあるんじゃないですか?」「そう言ってくれると、話しやすいよ?」亮子はいわゆる29歳の平均的な大人の女性というところなのだろう。でも、紅は……「単刀直入に言うとね、その……関係を進めるうちに、彼女に経験がないってことがわかって、それで……途中で終わりにしたんだけど、それって、間違ってないかな」「紅がバージンだってことですよね?……はい。私の知る限り、あの子は経験がないはずです」「女性の感覚というのはよくわからないん
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30.亮子との話

「お母さん!」勤務時間ではあったが、心療内科のある分院へ用事があったので、こっそり母の病室へ顔を出した。「あら、珍しい時間に来てくれたわね?」「最近夕方に寄っても病室にいないから……勤務時間だけどちょっと顔を見に来たの」「そう……それは悪かったわ」夕方母が病室にいない理由は、谷村先生に聞いて知っている。以前聞いた「話し相手になってくれる人」と話が弾んでいるという。そのせいで他の入院患者とも交流ができて、それが心にいい影響を与えているようだ。「今度はお菓子でも持ってくるわ。お話するようになった方と一緒に食べたら?」「あら嬉しい……!楽しみにしてるわね」またね、と手を振って病室を出た。母の笑顔はいつも、私の心を穏やかにしてくれる。「でも……好きなお菓子はトオキ屋の和菓子だなんて」この際別のメーカーのお菓子にも挑戦してもらおう。そんなことを思いながら、紅は本院での仕事に戻るため、裏庭に出た。紫陽花はそろそろ終わりだが、花壇には色とりどりの花が咲いて、曇り空に華やかさを添えている。本院までの小道を歩きながら、ふと……昨夜亮子と会って、話したことを思い出す。「芹沢専務、酔ってたせいもあるけど、わりと簡単に落ちそうだったわよ?」「あ……約束を延ばされたのは、芹沢専務と会うからだったの?」「そう。紅のことで話したい事があったみたいで、聞いてきた」正直、またか……と思う。これまでにも、私にアプローチしている人が亮子に連絡してくることは何度かあった。理由は、私の行動が意味不明だから、その真意を教えて……というもの。「そっか。……今までと同じ内容?」「まぁそうね、だいたい同じかな」「で、落ちそうだったっていうのは?」うふふ、と意味深に笑う亮子。「なに?もしかして、そうなったってこと?」「そこまではいかなかったのが惜しいのよね。……我に返っちゃったのかな」「ふーん……」詳細に聞く必要はないが、私の友達に手を出しかけたのなら、芹沢専務はもう二度とプロポーズまがいのことはしてこないだろう。ただ……自分と専務の体の関係については、さすがに亮子にも言いにくい。「紅は、芹沢専務のこと……本当に1ミリもないの?」「気持ちが傾く可能性?」ウンウン、とうなずきながら、生ビールのジョッキを傾ける亮子。「専務のことは嫌いじゃないけど、も
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