もう駄目。逃げられない。遂にあの人の逞《たくま》しい手が伸びてきて…… 今夜こそ、私は彼に蕩《とろ》けるほどに……… *** 「リーリエ。頼みがある。 どうか皇太子妃の座を、ロベリアに譲って欲しいのだが。」 「え?……ロベリアですって?」 「そうだ。彼女が私の子を妊娠した。 その子を正式な皇子として認知してやりたいのだ。だから、どうか頼む。」 穏やかな春の午後の事だった。 いつものように執務室で書類作成を手伝っていると、夫のエドウィン様に背中側から唐突にそう突きつけられた。 振り向くと、見慣れた皇太子の夫がそこにいた。 容姿は珍しい鶸色《ひわいろ》の髪に、灰色の瞳。 いくつになっても上品で見栄えの良い… そんな夫の意味不明な申し出など、いつもと変わらない日を過ごしてきた私には、何の話か全く分からなかった。 だから件《くだん》を飲み込むのに数秒かけ、漸くエドウィン様の言わんとする事を理解した。 「本気で彼女を愛しているのだ。」 皇室の法律は一夫一妻制である。 執務机の椅子に座るエドウィン様の表情は、真剣そのものだった。 つまりエドウィン様は私の親友と浮気し、子供ができてしまったから離婚してくれと懇願しているのだ。 結婚してもう4年。 いくら政略結婚とはいえ、私達は確かに愛し合っていると思っていた。 それなのに———!しかもロベリアと!? 急激に心臓が痛み出して、呼吸困難に陥りそうになる。 だが平静を装い、私はいつも通り淡々と言葉を返した。 「エドウィン様、それはできません。 そもそも私達の結婚は政略。 国にとってはもちろん、お互いにとっても重大な利益が関わっています。 それを……今さら解消するなんて」 違う。本当はこんな事が言いたいんじゃない。 喉の奥で言いかけていた言葉は。気持ちは。 私の唯一の親友と言えば伯爵令嬢のロベリアだ。 彼女は数年前から皇太子妃つきの女官として私の側に仕えていた。それなのに。 一体いつから——————? 私の夫と親友がそれほど深い仲になっていたとは思いもしなかった。 ロベリアも、今朝も普段と全く変わった様子はなかったのに。 あの時、一体どんな気持ちで私に仕えていたのだろうか。 ただ分かるのは…… 二人とも最低の裏切り者だということ!!! そう言いたかった
最終更新日 : 2026-06-11 続きを読む