All Chapters of ゴミとして捨てられた聖女、王国を奪う: Chapter 101 - Chapter 110

113 Chapters

ジギスムントの進軍

 西壁、城門前。 シュルツ率いる旧第二軍は、限界に達していた。「油が尽きます!」「城門最終防衛線、崩壊寸前!」 次々と報告が飛び込んでくる。 蟻型魔物は減らない。 交代してきた兵士たちも、満足に休めていなかった。 火炎の備蓄も残り少ない。 魔力も、限界に近づいている。「くっ……!」 シュルツは剣を握り直した。 視界の先では、黒い波が城壁へ取り付いている。 もう長くは持たない。(これ以上は無駄死にだ。――ここで兵を逃がす)(自分はここで、一匹でも多く道連れにし、ヒマリ陛下に詫びよう) そう覚悟した時だった。  遠くから、地鳴りが響いた。 ズズズズズ――。「……なんだ?」 兵士が振り返ると街道の向こうから砂煙が上がっていた。 最初は、新手の魔物の群れかと思った。 だが、違う。 黄金と黒の軍旗が見える。「……サンドランド?  こんな時に――」 シュルツの目が細くなる。 次の瞬間。 炎が走った。 ズシャァァァァァ。 黒い蟻の群れが、一帯ごと吹き飛んだ。「なっ……!?」 黄金騎兵。 重装歩兵。 魔導騎馬。 砂漠を越えてきた大軍が、戦線へ雪崩れ込んでくる。 その先頭。 一人の男が馬を駆っていた。「……ジギスムント」 シュルツが呟く。 かつての主君だった。 黄金の剣を抜き、黒い群れを斬り裂いている。「シュルツ軍に油を回してやれ」 短い命令が飛んだ。「この魔物は、焼く方が早い」「はっ!」 サンドランド兵が一斉に動く。 守備兵が呆然と見つめる。「なぜ……」「サンドランドは敵では……?」 誰かが呟いた。 シュルツはしばらく黙っていた。 やがて、小さく息を吐く。「……助力に感謝すると伝言を」 剣を掲げた。「全軍!」 兵士たちが振り返る。「ここから押し返すぞ!」「おおおおおっ!!」 反撃が始まった。 炎が走る。 剣が閃く。 魔法が炸裂する。 押し寄せていた黒い波が、少しずつ後退していく。 だが、それでも終わらない。     ◆ 黒い群れの奥から、何かが浮かび上がる。 千切れた羽。 半身を失い、浄化の痕跡が黒い肉を焼き続けている。 ベル・ゲラーテが立ちはだかる。 痛みなど、最初から存在しないかのように。 再生しようとしても、傷口は塞がっていない。「…
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出立の朝、影は光に戻る

 戦線が、静かになっていた。 ジギスムント率いる旧第一軍が西方から突入して以来、 城壁へ押し寄せていた黒い波は、目に見えて薄くなっている。 蟻たちは徐々に砂漠側へ引き寄せられ、 空を覆っていたハエの群れも散り始めていた。 焦げ臭い風の中で、兵士たちがようやく呼吸を取り戻す。「……押し返せてる」 アレクシスは西壁の上から遠くを見つめたまま、低く呟いた。 眼下では、まだ黒煙が立ち上っている。 だが、先ほどまでの絶望的な圧力は消えていた。 隣にはフェルマーが立っている。 魔導眼鏡のレンズに、複雑な術式が流れていた。「西方戦域の魔力反応を確認」 淡々とした声。「ジギスムント自ら、ベル・ゲラーテ分体を撃破したようです」 その言葉に、周囲の兵士たちがざわついた。「本当か……?」「たった一軍で……」「恐るべき強さだ……」 畏怖と警戒。 そして、僅かな安堵。 敵であるはずなのに、  その名が今は救援のように響いていた。 アレクシスは苦く笑う。「味方になると、これほど頼もしいとは――」「まだ味方と決まったわけではありません」 フェルマーは即座に返した。 感情を交えない声だったが、その目は戦場を冷静に測っている。「ですが……今のうちに動くべきだ」 アレクシスが振り返る。「動く?」「ヒマリ様が、そろそろ決断される頃です」     ◆ 王都・臨時指揮室。 ヒマリは、机の上に広げられた地図を見つめていた。 視線の先にあるのは、王都西方。 黒い塔のように聳え立つ魔王城。 その中心部では、今も赤黒い光が脈打っている。 弱まってはいない。 むしろ、戦場の犠牲を吸い込んで歓喜しているように見える。「フェルマー」 ヒマリは静かに顔を上げた。「王都に来た魔物。あれは、分体だと名乗っていた」 フェルマーはすぐには答えなかった。 一秒。 沈黙してから、ゆっくり頷く。「はい」 彼は地図へ視線を落とした。「ベル・ゲラーテは、 魔王城コアから供給された魔力による分体」「先ほど撃破されたことで、 クルス側の制御権は一時的に上昇してる」『ああ』 胸の奥で、クルスの声が響いた。『少なくとも魔導砲は完全に抑え込めた』 ヒマリは地図の上から指を滑らせる。 王都の脅威が軽減し、西壁も押し返した。 そして、沈黙す
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魔王城の守護者

 魔王城の内部は、かつての見慣れた景色から一変していた。 昆虫の羽や甲殻などが壁にびっしり張り付いている。 三人の足音が、石の廊下に響く。 ヒマリ、ノリス。 そして、最後尾にフェルマー。 赤黒い魔法陣が、鈍く明滅していた。 コアの鼓動が、床を通じて伝わってくる。 ドクン。 ドクン。 巨大な血管のようなチューブが浮き出ては消えていく。「既存の魔物たちがいない……」 ヒマリが周囲を見回した。「防衛機構にやられた?」『見くびらないでくれ』 クルスの声が響いた。 いつもより、明らかに感情が滲んでいる。『システム本体は、まだ僕の制御下にある』『魔物たちは地下の指令室へ逃がした。 ――かつての、ゴミ捨て場だ』「あそこに、みんなが……」『浸食は早い。 でも、君を魔王城コアまで導くまでは持たせる』 ヒマリは汗ばんだ手で錫杖を握り直した。「うん、進もう」 フェルマーが、廊下の壁の魔法陣を見ながら言った。「魔法陣の構造は把握しました」 魔導眼鏡に、術式が流れている。「この城の演算系は、クルスが管理している部分と、 ベル・ブリュードに浸食された部分が混在している」「つまり?」「どちらも既存の魔王城のシステムをベースにしている」 静かな声だった。「これならば魔王城の干渉はすべて私が対処できる。 ヒマリは戦闘に集中して構わん」 ノリスが、廊下の奥を見ていた。 白銀の髪に深紅の瞳。 元の姿を取り戻し、圧倒的な魔力の揺らぎが その身体から立ち上っている。 だが、その足取りは慎重だった。 以前の彼女なら、先頭に立ち、真っ先に踏み込んでいた。 あの夜、ヒマリに敗れて影となった。 力を取り戻しても、従うくせが抜けていない。 ヒマリには、それが分かった。(ノリス) ヒマリは声を掛けなかった。 ただ、隣に並んで歩くように速度を落とした。 ◆ 中層の広間に出た。 高い天井に柱が並んでいる。 魔法陣が床全体に刻まれていた。 かつては上位魔物と激闘を繰り広げた。 今は誰もいない。 その静けさが、嫌だった。「待ち伏せするなら、ここだと思ったけど――」『ヒマリ』 クルスの声が、低くなる。『魔力反応。上だ』 ヒマリが天井を見上げた瞬間。 ドサリ。 何かが落ちた。 巨大な蜘蛛のようだった。 八本の脚
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旧式の答え

「ヒマリ!!」 ノリスが踏み出した。 その瞬間――白い糸が、ノリスの身体へ絡みついた。「……っ!」 動けない。 影の刃に、糸に絡まる。 ヒマリは目の前の子蜘蛛を払いながら、ノリスを見た。(縛られてる)(私は子蜘蛛に囲まれてる) アラクの声が響く。「どうだ、新時代の守護者の結界は 魔王も女王も、私の糸の前では動けん」 表情は無いが、楽しそうだった。「体液を吸ってやる」 ヒマリの膝が、揺れた。 魔力が、底をついてきている。 子蜘蛛を払うたびに、削れていく。(クルス)『分かってるが――』『僕が……ベル・ブリュードに辿り着く前に力を出し切るわけには――』 珍しく、歯切れが悪かった。 その時。「すまない、手間取った」 フェルマーの声だった。 口元に僅かに笑みが浮かんでいる。 アラクの複眼が、細身の魔術師へ向いた。「……何をしている」「言っただろう。術式の解析だ」 フェルマーは、広間の床の魔法陣へ手を置いた。「子蜘蛛の召喚術式は、この広間の魔法陣から供給されている」 魔導眼鏡に、膨大な術式が流れる。「まずは、供給を止める」 次の瞬間、フェルマーの手から白い光が走った。 広間の魔法陣が一瞬だけ輝き、そして消えた。 カサカサという音が、止まった。 子蜘蛛の増殖が、止まった。「なっ……!」 アラクが、初めて動揺した声を出した。「転移術だけでなく、召喚術式を同時に……!」「その通り」 フェルマーは立ち上がった。 外套は煤に汚れている。顔にも疲労がある。 それでも、姿勢だけは崩れていない。「残るは、結界か」 フェルマーの視線が、ノリスへ向く。「少しだけ、待っていろ」 フェルマーは廊下の壁へ向かった。 白い糸の結界が走っている。 その根元。 術式の起点を、素早く見つける。「魔力を弾くのではなく、影を通して異界に流していたのか……なるほど」 小い呟き。「よく出来ているが」 一拍。「私の方が上だ」 指が動く。 白い術式が、糸に走る。 解呪の光に糸が震える。 アラクが叫ぶ。「やめろ!!」 だが、遅かった。    ぶつり、と。 結界が解けた。「ノリス」 フェルマーが言う。「今だ」 ノリスは、一瞬だけ動きを止めた。 糸が解けた。 影が自由になった。 でも。体が、
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アレクシスの意地

 王都ブリュード。 王城の大広間は束の間の平安を取り戻していた。 空気の底にはまだ不安が沈殿している。 魔導砲は沈黙したが、空はまだ赤黒く染まったままだった。 その光を、アレクシスは長く見つめていた。 右肩から伸びる義腕は、まだ未完成だ。 魔力が通り、指は動く。 肘も曲がる。 だが、戦場では意気込んでみたものの、剣を振るには鈍すぎた。 フェルマーが魔王城へ向かったことで調整は止まり、 今のこれは、形だけの腕に近い。 それでも、失った右腕の代わりとして、 ようやく掴み始めた希望だった。 アレクシスは左手で義腕を軽く押さえる。 金属の冷たさが、現実を突きつけてくる。(……ヒマリ、ノリス) 視線は自然と遠くへ向いていた。 二人とも止められなかった。 足手まといになるのは、分かっている。 それでも――胸の奥が少しだけ痛んだ。(二人が戻るまで、王都は守ってみせる) 冷たい義手に魔力が灯った。 その時だった。 ――ブゥン。 低い羽音が響いた。 一つではない。 無数の羽音が、壁の向こうから押し寄せてくる。 アレクシスの表情が変わった。「……ここで、来たか」 ゆっくり立ち上がる。 左手で壁に立てかけていた剣を取る。 未完成の義腕がわずかに遅れて動いた。 肩に剣の重さを感じながら、ゆっくりと構える。 直後―― 扉が、溶けた。 鉄が黒く腐食し、音もなく崩れ落ちる。 黒い霧が床を這うように流れ込み、濁った腐臭が大広間を満たした。 霧の向こうから、人影が現れる。 だが、その姿は不安定だった。 輪郭が揺らぎ、顔の半分は蠅の複眼に侵されている。 見ているだけで吐き気がした。「……ロンデルの公子」 声は穏やかだった。 奇妙なほど静かで、だからこそ不気味だった。「私は《ベル・プルート》」 一拍置いて、微笑む。「ベル様の分体だ」 アレクシスは剣先を向けた。「蟻の分体が出た時から、ハエの分体もいるかと思っていたよ。 ここに女王はいないぞ」「承知している」 ベル・プルートは、楽しそうに言う。「君を通じて、ヒマリに絶望を届けに来た」 空気が冷えた。「君が死ねば、彼女は揺らぐ」「そういうことか」 アレクシスは剣を握り直す。「抵抗しても無駄だよ」  ベル・プルートの輪郭が揺らぐ。 アレクシスは
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執着の指輪

 蟻の大群をあらかた駆逐したジギスムントは 少数の部下と共に王都外縁まで戻って来ていた。 赤黒い霧が晴れた王城を馬上から見上げる。 だが、嫌な気配は消えていない。 ベル・ゲラーテの他に分体がいた。 王宮にハエの群れが集まっていく。(間に合わない……) ここからでは、距離が遠すぎる。  それに、アレクシスがどうなろうが心は動かない。 まずは城門に向かおうとした、その時だった。 城壁の上に、一人の少女が立っているのが見えた。 足が震えている。 唇も蒼白だ。 それでも城壁から窓際に移動しようとしている。 アリシアだった。(……何故逃げない) 無謀だ、死ぬ。 それだけではない。 全身を溶かされ、食われてしまう。 なのに、彼女は動いていた。 歯を喰いしばり、動きやすいようドレスを千切り 風に煽られながら前へ。 ジギスムントは拳を握った。 薬指に触れる結婚指輪。 監視のため。 追跡のため。 刻印を入れて渡したもの。 最初は恋愛などではなかった。 政略に利用するため。 だが―― ゆっくり目を閉じる。 願うように、魔力を込めた。(拒絶しろ) 低く、祈るように。(あいつに害をなす、すべての者に) 一拍。(……二度と触れることが出来ないように) ◆ アリシアの薬指が焼けるように熱くなった。「っ……!」 思わず足を止める。 薬指が熱い。 火傷しそうなほど。 慌てて黄金の指輪を外した。 手のひらに乗せる。  知らない刻印が黒く脈打っていた。 焼けるほど熱いのに。 なぜか放せない。 その時。 頭の中に、言葉が響いた。『――拒絶せよ』「え……?」 誰の声でもない。 でも、不思議と意味だけが分かった。 拒絶。 あの黒いものを。 あの絶望を。 窓の向こうで、アレクシスが押し潰されようとしていた。 肩から血を流している。 片腕だけで、どうにか立っている。 その前には、黒く染まりつつある聖水。 ベル・プルートが迫っていた。 (私も、逃げたくない)「……お願い」 誰に向けたのか分からない言葉を漏らし。 アリシアは、指輪を投げた。 パリンッ!! ガラスの割れる音にベル・プルートが振り返った。 次の瞬間。  指輪が、その胸へ直撃した。 祈りなどではない。 その内部か
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魔神ベル・ブリュード

 魔王城最深部――コア制御ルーム。 久しぶりに足を踏み入れたその場所を見て、ヒマリは思わず立ち止まった。 知っているはずの空間だった。    けれど、どこか決定的に違う。 ここへ来るまでの通路には、確かに戦いの痕跡が残っていた。 砕けた砲塔、焦げた床。 黒く溶けた魔物の染み。 抉れた壁、焼けた魔力の匂い。 クルスも戦っていたのだ。 ヒマリが王都にいる間も、 最低限の制御を維持し、配下の魔物を最下層に逃がしていた。 この城を取り戻すために。 それだけは、嫌というほど伝わってきた。 だが――この制御室は異様だった。 部屋の中央では、巨大なコアから無数の管が伸び、 まるで巨大な生き物の血管のように脈打っている。 赤、青、紫。色とりどりの魔力が魔王城全域へ送り込まれていた。 なのに、その中心だけが暗い。 吸われている。 人型に。 ヒマリは息を呑んだ。 肺の奥へ、冷たい異物が入り込んでくるような感覚があった。 体内の魔力がざわつく。 無意識に王錫杖が反応し、淡い光が指先に滲む。 だが、すぐに揺らいだ。 ――拒絶されている。 いや、違う。 自分の魔力が、本能的に目の前の何かを恐れていた。(……何、これ) こんな感覚は初めてだった。 目に見えなくても分かる。 ここにいる。 空間そのものが、何かに侵食されている。 コアの魔力は一点に集まり、  その中心に、一人の人影が盛り上がる。 白銀のローブに青の刺繡が施され 長い黒髪が風もないのに、ゆっくり揺れている。 顔は伏せられていた。 それなのに――美しかった。 どの角度からも黄金比を維持している。 人間の美しさではない。 まるで、ひとつひとつ人体の完全なパーツだけを取り付けたような 合成された不自然さを感じる。 本能が理解してしまう。 こんな生命はいない。 ヒマリは無意識に錫杖を握り直した。 すると、その存在がゆっくり顔を上げた。 群青色の瞳。 深く、静かで、底が見えない。 どこまでも沈み込んでいきそうな色だった。「ようやく再会できた、ヒマリ」 澄んだ声だった。 けれど、一つの声ではない。 男の声。女の声。老人。子供。 無数の音が幾重にも重なり、一つの言葉になっていた。 耳に届くたび、背筋がざわつく。「でも、知っている
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もう一人のクルス

 ベル・ブリュードは、小さく笑った。 その笑みは美しい。 けれど、どこか壊れていた。 ひび割れた仮面が、無理やり微笑んでいるような違和感がある。 そして――迫ってくると大きさに驚く。 ヒマリより頭二つ分以上も高い。 二メートルを優に超える長身は、 人間の女性としてみると、明らかに規格外だった。 それなのに、不思議なほど均整が取れている。「傷つく?」 群青の瞳が細められる。「随分と感情を覚えたのね。魔王城のシステムごときが――」 その呼び方に、ヒマリの胸がざわついた。 やはり、いる。 この中に、かつてのクルスが。『ヒマリ』 再び声が響いた。 今度は、少しだけ強かった。『下がって。これを世に出してはいけないんだ』「クルス、あなた――」『お願いだから』 切羽詰まった声だった。 こんな弱々しいクルスの声を、ヒマリは聞いたことがない。『君は、立派な女王になった』 声が僅かに震える。『僕が手を貸したからだろう?』 ヒマリの胸が締め付けられた。 いつものクルスなら、常にヒマリへ最適な情報を提示し、 少し生意気なくらいに決断を迫ってくる。 それなのに今は、まるで壊れる寸前だった。 ヒマリは錫杖を握る手に力を込めた。(……どちらが本物のクルスなの?) ヒマリがいなくなってからも。 浄化が起きるたび、その裏に置き去りにされた感情を。 誰にも見えない苦しみを。 クルスは、ずっと押し付けられていたのだろうか。 その事実が、遅れて胸を刺した。 ベルは静かに首を傾げた。「本来、ヒマリの隣に立っていたのは私だった」 群青の瞳が、まっすぐヒマリを映す。「あなたと融合するのも、私だった」 ベルは、自分の胸へ静かに手を当てた。「コアを抱えたまま、君は魔王になるべきだった」 ヒマリは息を呑んだ。 救われなかった痛みが、そこにはあった。「私は――ずっと待っていた」 ベルの頬に、微かなひびが走る。 その奥で、隠された複眼が蠢く。 そして首が、不自然な角度へ傾く。「ゴキッ」 乾いた音が響いた。 まるで外骨格が擦れたような音だった。「君が、私を見る日を」 その瞬間。 ヒマリの足が止まった。 理屈ではない。 本能が、逃げろと叫んでいる。 浄化魔法までもが震え、 目の前の存在を「生命ではない」と拒絶し
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魔王城心臓部 人間の完成形

 ベル・ブリュードのローブが裂け始める。「私の名を騙った魔王城システム」 顔がひび割れながら、なお静かな微笑みを崩さない。「だが、私はすでに魔神となった」 群青の瞳が、ヒマリの奥にいるクルスを見た。「目の前で跪くなら、もう一度使ってやってもよい」 その言葉に、空気が冷えた。『僕はただ奪ったわけではない』 低い響くクルスの声。『僕はヒマリの知識を最適化演算した。 あなたは魔王城に流れ込んだ人間の感情を最適化した』『つまり、方向性は同じ』 ベルは静かに首を振る。「違う」 群青の瞳が、ゆっくり揺れた。「私は、人間を完成させたのだ」 ベルが一歩踏み出すと、その足元から黒い砂が零れ落ちた。 床が侵食されていく。「人間は痛みを抱えながら傷を知り、依存し―― そこに愛を見出す」 口元が少しだけ歪み、唾液が滴る。「なんて非効率で――」 頬が、さらに裂けた。 バキリ、と嫌な音が響く。 皮膚の下から、蟻の複眼が零れる。「なんて美しい生き物だろう」 ヒマリは錫杖を握り直した。 震える手に、あえて力を込める。「……あなたを止める」「何故?」 ベルは不思議そうに首を傾げた。「世界を壊すから」「それも違う」 ベルの口元は動いていない。 それなのに、声だけが響いた。「私は魔物も人間も救う」 両腕が、ゆっくり広がる。 その瞬間だった。 コアルームに声が一斉に反響し始めた。『助けて』『寂しい』『死にたくない』『愛して』 気付くとヒマリに細いチューブが突き刺さり、 感情がそのまま脳へ流れ込んでくる。 救ったはずの人々の叫び。 返らぬ家族への懇願。 すべてを失った絶望。「っ……!」 ヒマリの膝が揺れた。 重い。 心が押し潰される。 でも、全部、知っている感情だった。 医療院で、戦場で、何度も浄化してきた。「苦しみは消えない――」 ベルの群青の瞳が妖しく光った。「それを異常と定義するから苦しいのだよ。 苦しみそのものを平常にすればいい」 ベルの魔力が爆発した。 轟音と共に床が砕け、空間そのものが裂ける。 黒い砂嵐がコア制御室を飲み込み、魔王城全体が悲鳴を上げた。 そして――羽音が響く。 ブブブブブブブブッ――。 白いローブが裂けた。 背中から巨大な黒翅が広がり、 人の形を保った
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ヒマリの告白

「違う!!」 ヒマリの声が、コア制御室を震わせた。 痛いほど強く、王錫を握る。「クルス、あなたは偽物なんかじゃない!」 ベルの複眼が、ゆっくり動いた。 ヒマリは一歩前へ出ると、王錫を振り上げる。  クルスの制御から外れ、暴走を始めた錫杖から、眩い光が溢れ出した。「私は、あなたを選んだ!」 光はベル・ブリュードの外骨格を溶かし、ぱらぱらと表層が入れ替わる。 ベルは身体を黒いベールが覆い、小さく舌打ちをする。 閃光がおさまると、目の前にクルスの姿が現れていた。 最近、お気に入りにしている男性の姿だ。「お前は、誰だ?」 ベル・ブリュードが目を細める。 クルスは構わず、ヒマリの暴走しかけた錫杖に手を伸ばす。 残った光が、まるで吸い込まれるようにクルスの身体へ流れ込んでいく。『……っ』 微かに、息を呑む気配。『感動的な告白をありがとう』 少しの沈黙。『――それ、今言う?』 いつもの冷静な声だった。 ヒマリは泣きそうになりながら笑った。「今だから言うの!」「私の目の前でじゃれ合うな。不快だ」 ベルが腕を広げる。 その足元から赤黒い蟻の群れが生まれ、クルスへ殺到した。 だが、クルスは振り向かない。 背中から電子のチューブを床に突き刺した。 その瞬間。 コアの光が、わずかに白へ戻る。 赤黒い蟻が、砂のように崩れ落ちた。「……自己学習で、そこまで変えたか」 ベルの群青の瞳が、クルスを見つめる。「だが、実体までは得られなかったようだ」 ヒマリが制御を取り戻した王錫を振るい、白銀の光が広がる。「わかったでしょう。あなたが自らをベル・ブリュードとしたように、 すでに運命は分かれている」「強制浄化!」 しかし、その光はベルへ届かない。 腐敗と痛みが混ざりすぎている。「無駄だよ」 ベルが両腕を広げた。 直後、羽音が響く。 黒い暴風が吹き荒れ、クルスの姿が一瞬で掻き消された。 同時に空間が裂ける。「ヒマリ!!」 ノリスが飛び出した。 その影が床を走った直後、黒い衝撃波がヒマリを飲み込む。 轟音とともに床が吹き飛び、王錫の障壁が悲鳴を上げた。 スガァァァァン。 結界が砕ける。「――っ!!」 ヒマリの身体が壁へ叩きつけられた。 息が詰まる。 肺から空気が抜けた。 視界が白く揺れる。 立
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