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偽りの幻影 のすべてのチャプター: チャプター 11 - チャプター 20

60 チャプター

第11話 ブティックで

朝食の後、二人はショッピングプラザへ出かけた。タクシーを降りると、蒼生は片腕を差し出した。麻奈はおずおずとその腕を取り、困ったように蒼生を見上げる。 「こうやって歩くの、嫌いじゃないの?」 「まあ……社員に見られたらよくないなとは思うよ」 蒼生は歩きながら笑った。腕に寄り添う麻奈の体温が心地いい。バルコニーで感じたあの温かさがもう一度欲しい。 「え? じゃあカッコつけだったのね」 声を立てて笑うと、麻奈は周りを見回した。観光客はほとんどおらず、買い物客も少ない。落ち着いた、というよりは少し寂れた雰囲気。 「人が少ないのね」 「観光客が減ったからね。店も少なくなったな」 立ち止まることなく、蒼生は歩いて行く。やがて金と銀、クリーム色で装飾された上品な佇まいのブティックの前で立ち止まった。 「ここで少し買い物しよう」 「でも私、もう洋服は……」 「いいから、何か買って。麻奈の好きなものを」 蒼生はかまわず店に入った。探す様子もなく、店の一角を指さして麻奈を見下ろす。 「あそこに服がある。そっちはベルトや靴、カバンかな」 「……この店、よく来るの?」 蒼生の体がぎくりと止まった。色とりどりのドレスを指差していた手を下ろし、麻奈の肩へと置く。 「……まあ、近いから。よく来てたよ」 麻奈をドレスの前へ押し出すと、蒼生は店の隅に立った。 実際グァムにはよく来ていた。一人で。ビーチ近くのプライベートヴィラに泊まり、黙って夕陽が沈むのを見ていた。 恐ろしいほどに大きなオレンジ色の太陽。照らされて影を作りながら流れる雲。闇に飲まれる直前の、断末魔のような赤と黒。陽が沈み、自分自身がすっぽりと闇に包まれるまで、ただそれを眺めていた。 ……だが最近は土日でもなかなか時間が取れないからな。久しぶりではある。 店の中を見回しながら、蒼生はふっと息を漏らし
last update最終更新日 : 2026-08-09
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第12話 二着のドレス

「決まったか?」 「……これ」 麻奈はほとんど茶色に近い、濃いオレンジ色のパンツスーツを差し出した。細い縦のストライプに金糸が入り、ところどころ照明を鈍く照り返している。 「着やすいだろうし、私に似合うかな、って」 「……そうか」 沙雪なら絶対に選ばない色だ。それにパンツスーツも。 「試着してみたらどう?」 「うん、蒼生、見てくれる?」 麻奈が試着室へ入ると、蒼生はその前で待った。 女性が試着をする時はその前で待つものだ、と誰が教えてくれたんだろう。待つだけでは駄目だ、褒めるべし、とも。 沙雪ではなかったと思う。その前に付き合った子たちかな。どの子もみんな服やアクセサリーを欲しがった。そのための俺だった。 ぼんやりそんなことを考えながらふと目を上げたとき、柔らかな若草色の光が目の端に飛び込んだ。 「お待たせ、どう?」 目の前のカーテンが開いた。パンツスーツに身を包んだ麻奈が蒼生を見上げて笑みを見せる。 「あ? ……あ、いや、うん、似合うよ」 若草色の光を探して視線を彷徨わせながら蒼生はぼんやりうなずいた。 ……あれは……あの色は……。 「ほんとに? 似合う?」 じっと蒼生を見上げて、少し疑わしげに麻奈は尋ねる。笑みは消え、霧がかかったように目の色が曇る。 「似合う。すごく。本当に」 蒼生はあらためて麻奈を見つめた。うん。似合う。キリッと締まって、麻奈の雰囲気にぴったりだ。 一歩下がったとき、向こう側の壁にかかった若草色のツーピースが見えた。白いレースと若草色の長いスカート。 「……ああ……」 釘付けになった蒼生の目を追って、麻奈は振り返った。 「……あ、あの服?」 試着室から出てつま先立ちになり、麻奈もそれを眺める。 「
last update最終更新日 : 2026-08-10
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第13話 小さなダイヤモンド

 買い物と夕飯を済ませてホテルへ戻ると、麻奈はテーブルに荷物を置き、蒼生にちょこんと頭を下げた。「結局両方買ってもらっちゃった。どっちも大事にするわ。蒼生、ありがとう」「いや、気にしないで。どっちも……似合ったから」 一つため息をつき、蒼生はソファに座る。「アクセサリーは? 本当に一つだけでよかったの?」「一つで充分」 麻奈は首にかかった小さなダイヤモンドに手をやった。あのあと、近くの宝石店で小さなダイヤのネックレスを買った。蒼生はもう少し大きくてもいいと思ったが、麻奈はそれがいいと譲らなかった。「ちょっと憧れてたの。こういうネックレス」 深く息を吸い込むと、指先にダイヤモンドを通したプラチナの鎖を絡め、蒼生を見て舌先を出す。「ありがと。嬉しかった」「麻奈が嬉しいなら、いくつでも買うよ」 蒼生はソファに肘をついた。何度もネックレスを撫でたり、鏡を覗いて体の向きを変えたりする麻奈を見て、つい笑い声を漏らす。そんなに小さなダイヤモンドなのに、そんなに喜ぶなんて。低く笑い声をたてる蒼生を見て、麻奈も笑顔になる。「今日はワインは飲まないの?」「え?」 蒼生は顔を上げた。「昨日のワイン、美味しかったもの」 麻奈はにっこりする。「赤ワイン、残しちゃった。美味しかったのに」「あ……あれか……」 麻奈がどんどん飲むから焦って追加したとき、メニューをよく見ていなかった。あんまり安くてもいけないとつい下の方から選んだものだから……。まさかシャトー・マルゴーが置いてあったとは。「……同じのがいい?」「ううん、せっかくだから別のがいいな。チーズと合う感じの」 それを聞いてホッとしながら蒼生は立ち上がった。……いや、いいんだが。いいんだが、あれはがぶ飲みするワインじゃない。……まあ、いいんだが。「じゃあ赤ワインとチーズを頼もうか。夕飯は食ったし、それくらいでいいかな?」「うん!」 笑って勢いよくうなずいた麻奈を見てくすりと笑ってから、蒼生はワインを注文した。今度はメニューをしっかり見て。「美味しい。これもすっごく美味しい
last update最終更新日 : 2026-08-10
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第14話 まつ毛が長いのね

麻奈が浴室へ消え、水音が響いてくると、蒼生はソファにもたれて息をついた。 ……沙雪が消えてる。 テーブルに置かれたワイングラスを見る。 ……麻奈を見ていると、沙雪が消える。重ねないで済む。 「……抱ける……かな」 部屋の片隅に置かれた今日の買い物、若草色のツーピースの入った袋から目を逸らして、蒼生は呟いた。 蒼生がシャワーを浴びて寝室へ戻ると、麻奈はもうベッドに入っていた。 「お姫様抱っこしなくていいの?」 そっと囁いた蒼生がシーツをめくると、白いナイトガウンを着た麻奈の体が露わになる。 「また今度」 麻奈は蒼生に腕を回した。首筋にはダイヤモンドのネックレスが輝いている。 「外さないの?」 蒼生がそれに指を絡ませると、麻奈は蒼生の手を掴んだ。 「嬉しかったから。着けていたいの」 「そう?」 蒼生は自分の手を掴む麻奈の指にキスすると、片手を伸ばして照明を落とした。薄暗くなった部屋の中に、麻奈の白いナイトガウンが浮き上がる。蒼生が胸元に手をかけると、それは何の抵抗もなくするすると解けた。 「……麻奈」 唇を重ねて抱き寄せる。麻奈の体がしなやかにうねった。 蒼生の手のひらに柔らかな筋肉の動きが伝わる。ほとんど贅肉のない、鍛え上げられた体。首筋に唇を這わせると、麻奈は小さくのけぞり、喉から小さな声が漏れた。 ……麻奈。 この体が朝日の中を走るのを見た。砂浜の上を跳ねるように、黒い髪をなびかせて。額に汗を浮かべて、息を弾ませて、俺のところへ戻って来た。 ……俺の、麻奈。 小さなふくらみに咲いた突起を口に含むと、麻奈の声が甘く響いた。もう一つのふくらみを片手で包む。 「……麻奈、可愛い」 突起を舌で転がすと、麻奈の体が震える。耳に落ちる麻奈の小鳥のような甘い声が少し
last update最終更新日 : 2026-08-11
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第15話 誤解

 麻奈は、自分の体に覆い被さって小刻みに体を震わせる蒼生を見つめていた。 逞しい肩。鍛えてこそいないが、男であるが故の厚い胸板と力強い腕、伸びやかな足。 ついさっきまで自分を翻弄していたその体が、今は行き場のないまま風に巻かれる落ち葉のように、頼りなげに自分の体に何もかも預けている。「……蒼生……あのね」 麻奈はそっと手を伸ばした。……もしかして? 麻奈の脳裏にまた疑念がよぎった。初夜から、ずっと頭の片隅にあって、消そうとしても消えなかった。違和感の全てがそれを説明している。……やっぱり……蒼生は……。「あのね、あなた……結婚式の夜からずっとおかしかったでしょう?」 返事の代わりにぴくりと肩を震わせた蒼生に、麻奈は静かに話しかける。「私を抱きしめたり……そうかと思えば冷たく突き放したり。抱こうとしかけて途中でやめたり……ね?」 麻奈は、起き上がって脱ぎ捨てられていたナイトガウンを羽織った。その仕草を縋るような目で追いかける蒼生を振り返ると、蒼生の頭をそっと自分の胸に抱きしめる。「……あのね、気のせいかなって思ってたの。でも、そうじゃないみたい」「麻奈」 蒼生は麻奈にしがみついた。弱々しい声が喉の奥から漏れる。「俺……は……失いたくない」「失うものなんて何にもないでしょ?」 麻奈は唇の端に笑みを湛えて蒼生の頭を撫でた。……可哀想に。こんなに震えて。私に謝って。「ただ、あなたは……その……」 麻奈は一瞬言葉を探したが、やがて少し息を吸い込むと、静かに囁いた。責めているとは聞こえないように。できる限り優しく。何でもないことのように。「……少し……身体的な問題を抱えているのよね……?」「え?」 顔を上げた蒼生に麻奈は微笑んだ。「だから、私との夜を避けようとしてたのよね、きっと。でも、今日はこんなふうに抱こうとしてくれた。それがすごく嬉しい」「いや、あの……」 蒼生は慌てた。いや、機能自体は問題ない。ただ忘れられない女がいるだけだ。だが、そんなことを言えるか? 他にどうしようもなく、蒼生は力なく首を振った。
last update最終更新日 : 2026-08-11
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第16話 深夜の攻防

 漲り始めた己を麻奈に悟られまいと腰を引く。そうしながら自分も眠ろうと目を閉じる。……こんなに優しく俺を労って……。罪悪感を持たせまいと気を使って。この二日、俺がどれだけお前を不安にさせたか。……それなのに。 自分を抱きしめる麻奈の体に手を回す。つい力が入ると、頬に押しつけられた麻奈のふくらみがガウンからこぼれ出た。見てはいけないとそれから目を逸らす。……今更そうじゃないなんて言えない。じゃあ何故抱けなかったのかと言われたら? どう答えたらいい? 抱き合いながら、腰だけは遠く引いて、蒼生は手のひらに感じる麻奈のしなやかな体から気を逸らそうと一生懸命になった。「……抱き……枕だと思えばいい」 天井を睨み、そっと呟く。「暖かくて……柔らかな……」 ガウンを通して、蒼生の手のひらに麻奈の温もりが伝わる。身動きするたびに伸び縮みする繊細な筋肉を感じる。しっとりとした重みと微かな甘い香り。蒼生は目を閉じた。……麻奈、お前は、こんなに女、だったか……? いけない。考えるな。感じるな。意識を逸らせ。 もじもじと腰を引き、蒼生は手のひらから伝わるものを感じまいとのけぞった。……筋肉……筋肉。柔らかな……。「……長時間動かし続けても疲労が少ない。こういうのを遅筋という。長距離ランナーには理想の筋肉だ」 思いつくままに小声で呟く。気を逸らせ。感じるな。抱き枕だ。極上の、柔らかな抱き枕。「有酸素運動には最適で、筋繊維も太くなりにくい。柔軟性と弾力性があり、しなやかで……しな……」 手のひらの下で、身動きした麻奈の体がしなる。伸ばした片手が蒼生の首に巻きついた。「……あー……魚で言えばマグロ……マグロは代表的な赤身の魚で……赤身なのはミオグロビンという色素タンパク質の……」——蒼生、大好き。 麻奈の声が蘇った。「……麻奈」 つい見下ろしてしまう。目の前に麻奈の唇が迫って、慌てて天井を睨む。「えーと……酸素を蓄える役割を持ち……」 身動きできないまま、悶々とするうちに、やがてとうとう蒼生の瞼もゆっくりと落ちていった。 蒼生は等身大のマグロカツを抱えて
last update最終更新日 : 2026-08-12
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第17話 葛藤

 麻奈はビーチに立つと、海を眺めた。朝日を受けて、澄んだエメラルド色に輝く湾が、麻奈を歓迎するように穏やかに波を寄せて来る。その向こう、珊瑚礁に隔てられた外海は、真っ青に輝き、大きくうねっていた。「……仕方ないもんね」 軽く屈伸すると、麻奈は走り出した。 ビーチは波打ち際に向かって少し傾斜している。波の届かないギリギリの乾いた砂を選んで走る。白い、細かな砂が足を飲み込み、踏み出しがしづらい。柔らかな地面は安定しにくく姿勢を保つのに集中できる。麻奈は足に力を込める。……最高。いいビーチだわ。負荷もいいし、トレーニングに理想的。景色もいいし。 左側に広がるエメラルドの海を横目で見る。頭上に輝くオフホワイトの陽の光が麻奈に降り注ぐ。……さあ、もう少し。あそこでインターバル。少し歩いて息を整えて。 左右の負荷を均等にするために、麻奈は必ず往復して走ることにしていた。「……愛撫だけされて最後はなし、って女も割とつらいけど」 短く呼吸を吐き出しながら、ペースを上げる。「……でも、蒼生はもっとつらいんだと思う。あんなにハイスペックな御曹司なのに」……もしかして、今まで結婚しなかったのはそのせい?「……そうよね。そんな悩みを抱えてたら、なかなか結婚もしづらいと思うわ」 また少しペースを上げる。……学生の頃、満たされない性欲はスポーツで発散しましょう、なんて言われてたけど、まさかこの歳で私がそうなるなんて思わなかったわ。 砂を巻き上げ、ストライドをキープする。息を弾ませ、麻奈は走った。「いろいろつらかったり、大変だったりすることもあるけど、でも、走ってたらみんな小さくなっちゃう」 目標地点まで走ると、麻奈は速度を緩めて少し歩く。「あー、気持ちいい」 昇る太陽を仰いで麻奈は深呼吸した。潮の香りが体を満たす。「結婚式の夜、蒼生がどうして私を置いて引きこもっちゃったのかもわかったし。蒼生、言えなかったのよね。そりゃそうだわ。そんなことなかなか言えないもん」 インターバルを終え、陽の光を受けて威風堂々と傍に聳えるホテルを見上げた。「……でも、それでも私と結婚したいって言
last update最終更新日 : 2026-08-12
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第18話

 蒼生はバルコニーから麻奈を見ていた。海を眺め、砂を巻き上げて走り、太陽を仰いで大きく息を吸い込む。そこからは麻奈の表情はわからない。だが、躍動する麻奈の体から、想像はできる。「……きっと……また汗をかいて来るんだろうな」 蒼生は腰をかけているラタンの椅子に肩肘をつく。自分が笑みを浮かべていることに気づいた。「……麻奈といると……俺は……笑うらしい」……沙雪。 ため息が漏れる。……お前を忘れられずにいるうちに、俺は考えてもいなかった迷路に入り込んだみたいだ。 突然、昨夜のことが蘇る。「大丈夫、気にしないで」と抱きしめられた。俺は自分を持て余して……。「……くそ」 突然蒼生は立ち上がった。「間宮……! いつもは余計な時に俺の脳内に居座って散々俺を苦しめるくせに、俺が滾ってる時だけ沈黙しやがって。鎮めに来たっていいだろう」 ばん! 学生気分が蘇り、目の前のガラス戸に開いた手を叩きつけると、そのままうつむく。「どこまでもズレた鈍感な奴。自分の研究にばかり夢中になって、沙雪の気持ちには全く無関心で何も気づいてなくて……」……俺がいなかったら、お前たちはずっとすれ違ったままだったかもしれないんだぞ。——蒼生……! 二度と沙雪の前に顔を見せるな……! 間宮の声が蘇った。……あの日を最後に……俺は二人の前から消えた。俺の役目は……終わった。 投げやりに笑うと、蒼生はガラスのドアにもたれて空を仰いだ。「今はどうしてる?」 蒼生は呟く。大学院から助教、その後転職して医薬品を扱うベンチャー企業へ行ったと聞いた。そこはがんを唾液で早期発見できる検査薬を開発して、今や世界中から引っ張りだこになっている。 社長による誇らしげな記者会見を蒼生は覚えていた。……間宮、お前、少しは開発に関わったのか? 優秀な奴だったが。 自分の業界とはほとんど縁のない分野だから、話題になったときにちらりとニュースを見たくらいで、その後のことはほとんど知らない。「……専門が違うのかな」 理学部生命科学科。分子生物学の基礎研究で、細胞外小胞の分泌機構がどうとか、マイ
last update最終更新日 : 2026-08-13
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第19話 スコール

「蒼生はグァムが好きなの?」 朝食を終え、一通り観光をしているうちに急にやって来た早めのスコールに降られ、慌てて近くのショッピングモールに逃げ込んでアイスクリームを食べているとき、ふいに麻奈が聞いた。「……そうだな。好きだよ」 激しく地面に叩きつける雨を見ながら蒼生は紙カップに入ったコーヒーを手に取った。麻奈はお気に入りになったマンゴーアイスを一口舐める。「ゆっくりできるから?」「……夕陽が好きなんだ」 コーヒーを口に運びながら、蒼生は薄明るくなって来た空に目をやる。足元では吹き込んだ雨が飛沫を上げた。「そろそろスコールも止むよ。ホテルへ戻ろうか」「待ってて。アイスを食べちゃうから」 麻奈は急いでアイスクリームを口に運ぶ。「慌てなくていいよ。まだ降ってるから」 蒼生はテーブルに片肘をついて麻奈に微笑んだ。「……あ。蒼生、今の顔、素敵」 麻奈がにこりとする。蒼生は慌てて目を逸らした。「……変なこと言うなよ。いきなり」「そう? 変じゃないと思うけど」 麻奈はサクッと音を立ててコーンを齧る。「今日は夕陽を見られそう?」「うん。スコールが早かったからね。雲が残ってると反射して鮮やかになる」「そうなの? 見たい」 こくんとコーンを飲み込むと、麻奈はぱんぱんと手をはたいてコーンの屑を払った。「美味しかったー!」……俺の周りは灰色ばかりで。 蒼生は、弾けそうに笑う麻奈を見ながら飲み干したコーヒーカップをくしゃっと潰す。……ろくに話もしない親父も、俺に経営の帝王学を叩き込んだ講師たちも、黙々と家のことを片付けるだけの使用人たちも。「蒼生、雨が止んだわよ」「うん、帰ろうか」 立ち上がった蒼生の手に自分の手を滑り込ませて、麻奈はくすりと笑う。「手を繋いでもいい?」「……いいけど」 きゅっと握られた手の温かさに蒼生は戸惑う。……どこへ行っても俺は遠巻きに見られた。近寄って来るのは取り巻きになりたい奴らだけで。「雨が上がると、みんな生き生きするのね。緑が綺麗。空気も澄ん
last update最終更新日 : 2026-08-13
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第20話 夕焼け

「……あ……」 近くのレストランで飲み物を買ったあと、二人はビーチに腰をおろした。細かな砂がクッションのように体を受け止める。空気はオレンジ色に染まり、ビーチの端に二人の影が長く伸びた。 「……やっぱり雨上がりは綺麗だな」 トニックウォーターを片手に蒼生は空を眺める。その顔もオレンジ色に輝いている。 「……綺麗……こんなの……見たことない……」 麻奈は自分のフローズンドリンクを飲むのも忘れて、目の前の景色に息を止めた。 沈みかけた太陽はまだ力を放っている。金色に染まる雲と空の下に、遠くの島が真っ黒な影を浮かせる。それを恐ろしいほど鮮やかなオレンジ色が包み、浮かぶ雲と海はほとんど真っ赤に染まりながら、黒い影を残していた。 眩しい赤に輝きながら雲が流れて行く。次第にオレンジ色が濃くなり、やがて黒い影に覆われる。頭上の一番上、高い空は薄く青く広がろうとしていた。 「太陽が沈んでいくと、空が濃いピンク色になる」 蒼生はトニックウォーターを一口飲んだ。 「こんな空の色があるのか、ってくらいに変わるよ」 オレンジ色に染まり、金色の太陽の光を照り返す海をまっすぐに見つめる。蒼生の顔にくっきりと黒い影が落ちた。 「……海まで……空の色になるんだ……」 自分も太陽の色に染まりながら、麻奈は一心に空を見つめる。その目の端に涙が震えている。空を見つめながらそれを人差し指で拭う。 「……せっかくフローズンにしたのに、溶けちゃうよ」 蒼生は麻奈の手の中のドリンクを指さして微笑んだ。 「テキーラサンライズ。夕焼けの色のドリンク」 「……う……ん」 麻奈は飲み物を持って目の前と太陽と比べた。
last update最終更新日 : 2026-08-14
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