ジャンが倉庫を出てから、三十分ほど経っていた。エマは、作業台に置かれた二つのグラスを見つめていた。片方には、まだ白ワインが残っている。八年ぶりの再会。誰にも明かせなかった秘密を、ようやく一人に打ち明けられた夜だった。『おかえり』ジャンの声が、まだ耳の奥に残っている。けれど、胸の内は不思議なほど落ち着かなかった。そのとき、スマホが震えた。ジャンからだった。『ホテルに戻って、もう一度情報を確認した。明日まで待つつもりだったけど、これは君に早く話さないといけない』続けて、着信が入る。「……もしもし」『エマ。まだ倉庫?』「うん」『今から戻るよ。直接話したい』その声に、いつもの軽さはなかった。「……何があったの?」電話の向こうで、ジャンが短く息を吐く。『組織の検挙が近いという情報が入ってる』エマは、言葉を失った。八年間、ずっと待っていた知らせだった。いつか終わる。名前を隠さず、過去を恐れず、誰かを巻き込む心配をせずに生きられる日が来る。そのために、エレナを死なせた。「……本当に?」『検挙に向けて動いているのは確からしい。ただ、時期までは分からない』「いつ頃なの?」『数週間かもしれないし、もう少しかかるかもしれない。僕が持っているのは捜査情報そのものじゃない。美術市場で起きている異変と、別のルートから聞いた話を合わせたものだから』エマは、ゆっくり息を吐いた。期待してはいけない。そう言い聞かせてきた八年間だった。あと少し。もうすぐ終わる。そんな言葉を信じて、何度も時間だけが過ぎていった。それでも、指先が震えていた。「……それなら、終わるの?」ジャンはすぐには答えなかった。『主要な人間が捕まれば、状況は大きく変わると思う』「……うん」『でも、組織が一日で消えるわけじゃない。資金も、外にいる協力者も残る。君の存在が知られれば、どうなるか』「分かってる」思ったより強い声が出た。電話の向こうが静かになる。「……ごめん。でも、分かってるから」八年前、嫌というほど説明された。危険がなくなったように見えるときほど、自分で安全を判断しないこと。エレナ・カワサキが生きているという事実は、最後まで慎重に扱うこと。「……ただ」エマは、中央に置かれたキャンバスを見た。「もう少しだったのに」『何が?』答
Last Updated : 2026-10-17 Read more