車内。奈々は腹立たしそうに言い、途中から少し声を潜めた。「時彦の奴、見る目がないにも程があるわ!あなたとの子供は作らないくせに、あの性悪なバカ女と子供を作るなんて?あんな女に似て、性格も頭も悪い子が生まれたら、どうするつもりかしら。でも、時彦と朱里の間には、まだ何も起きていないんじゃない?ただ、その約束があったから、最近になって急に距離が縮まっただけとか……」沙綾は、以前、陣のオフィスから向かいの社長室を見た時の光景を思い出し、ハンドルを握る手に力を込めた。「そうかもしれない。でも、もう私には関係ないわ」「ええ、仮に本当に何もなかったとしても、この二年間、彼があなたに対してどれだけ冷淡だったかを考えれば、十分に愛想が尽きるわ。この二年間、あなたが尽くしてきたのは、彼の命の恩に報いるためだったと思うことにすればいいわ」奈々は低い声で応じた。彼女は知っていたからだ。沙綾が時彦に尽くしたのは、決して命の恩だけが理由ではない。あの時、沙綾の心には確かに時彦への愛があったのだ。沙綾と時彦。この二人の境遇は、どこか似ていた。時彦は日陰で生きる私生児であり、沙綾は両親の結婚生活が破綻したことで生まれた犠牲者だった。二人とも家庭環境に恵まれず、同じように罪のない被害者だったのだ。最初は間違いなく、お互いの瞳に相手を思いやる愛情があったはずなのに、どうしてこんな結末を迎えてしまったのだろう。もし、すべてを命の恩のせいにできれば、沙綾の心も少しは救われるのかもしれない。何しろ、自分が時彦に命を救われたのは事実なのだから。「うん!」沙綾の声はきっぱりとしていたが、その心はすっかり乾ききっていた。だが、この胸の痛みも、遅かれ早かれ過ぎ去っていくはずだ。二人は奈々の兄である橋本由宇(はしもと ゆう)の法律事務所へとやって来た。「お兄ちゃん、朱里の言ったこと、信憑性はあると思う?」縁のある眼鏡をかけ、落ち着いた色合いのスーツを着こなす由宇は、いかにも理知的で隙のない様子で、沙綾のために状況を分析した。「家庭裁判所の調停で双方が合意に達すれば、調停調書が作成され、その場で離婚届を提出することもできる。離婚届が受理されれば、協議離婚と同じく即日で効力が生じる。ただ、調停の申し立てから実際に期日が設定されるまでには、数週
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