それから何を見てもさっきのフードの男が頭から離れなくて、殿下と並んで歩く間、私はずっと頭の片隅で“誘拐された場合のシミュレーション”を回していた。(もし腕をつかまれたら……魔力を流して抵抗? ううん、騒ぎになったら関係ない人を巻き込むかもしれないわ。 どうせ起こるんだから、素直に連れていかれるべきよね) どんどんおかしな方向にいく思考を慌てて止めたとき。(……あ) 視界の端に、“この事件が起こるはずの地点”が自然と飛び込んできた。 露店の並びが一度途切れ、建物が曲がって死角になる狭い路地。 頭上には古い渡り廊下がかかり、昼でも奥が見えない。 人通りは多いのに、なぜかその角だけぽっかり空いている。(ここ……イベントの現場だ) 足が止まりかけて、慌てて歩調を合わせた。(落ち着いて。まだ何も起きてない) そう言い聞かせるのに、心臓だけが先走る。 視界が、ほんの少しだけ狭くなった。 ――人の流れはいつも通り。 露店の呼び声も、笑い声も、何一つ変わらない。 なのに、この路地だけが、舞台装置みたいに整いすぎている。 あのフードの男が潜んでいてもおかしくない。 不自然にならない程度に、あたりを見回した。『眠り薬をかがされ、そのまま抱えられていく』そんなテキストが脳裏に浮かぶ。(っていうか、この状態でどうやって誘拐するの? 殿下が何かを見ている隙に? ううん、殿下はそんな無能じゃないわ。 ……あれ?それじゃあ私が殿下から離れるべき?) 緊張で身体は強張るのに、矛盾した思考の堂々巡りが止まらない。 ――けれど、視察の流れでそこを通り過ぎても、何も起こらなかった。 背中に向けられているはずだった視線は感じない。 気配も、魔力の揺れも、何も。(……通り過ぎちゃった) 安堵より先に、拍子抜けが来た。 準備していた分だけ、力が抜ける。
Zuletzt aktualisiert : 2026-10-19 Mehr lesen