有間皇子

天界皇子の妃になった私たち
天界皇子の妃になった私たち
私と親友は同時に天界の皇子のお気に召し、世妃として宮殿に迎えられた。 親友の彼女は上の皇子景河の妃になって、籠の鳥となった。 一方で、私は下の皇子景山の憧れだけの存在の身代わりとなった。 よりによって、皇子二人の心の中で潜んでいる高嶺の花は同じ人物だった。 人間である私たちが、天界の王子様に気に入られ、誰しも憧れの暮らしができたことは、天界の人々に羨望された。 しかし、このような暮らしが続いていたのは僅か三年の歳月だった。本物の高嶺の花が戻ってきたのと共に、私と親友の倖せな暮らしが終わりを告げた。 「我が先に仮死する。和葉もその後いい折で仮病して死んだふりをするのじゃ」 私は親友の提案に頷き、彼女と共に自分の死を偽って、人間界へ戻ったのじゃ。 高嶺の花がその連れと一緒に私たちの仮死事実を暴いた瞬間、従来冷静で自分の感情をうまく抑えてきた景河皇子は、親友を抱きしめていた。 そしてそっけなくて、感情の薄かった景山皇子は、私を宮殿に閉じ込め、毎日にように側についてくれた。 けれど、私と親友の彼女がその芝居を三年も待ち続けていたことを、彼らは知らなかった。
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8 Chapters
domの王子はsubの皇子を雄にしたい
domの王子はsubの皇子を雄にしたい
帝国のsub皇子ルシアンは、同盟のため王国のdom王子アルトリウスと条約婚を結ぶ。二人が交わしたのは、愛より先に合意契約――可・不可、合図、アフターケア、そして週に一度だけ主導権を入れ替えるスイッチ・デー。 公の壇上では皇子が前に、私室では王子が一歩引いて支える。権謀うずまく宮廷で、役割は枷ではなく翼へ。 “雄になる”夜の練習が、やがて帝国の未来を動かす力になる。
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晴れ間の行方
晴れ間の行方
幼なじみの浅田浩平(あさだ こうへい)と兄の小林悠斗(こばやし ゆうと)、この二人が、新しくやってきた貧しい転校生、入江薫(いりえ かおる)に心を奪われてしまった。 浩平は私との婚約を反故にした。 「小林美咲(こばやし みさき)なんてお嬢様、俺には荷が重すぎるよ」 そう言い放った。 一方の悠斗は、亡き母の遺言を忘れてしまった。 「薫は本当に可哀想だ。美咲への愛情を少しだけ分けてあげるのは、悪くないだろう?」 そう言うのだ。 私の誕生日には、浩平は薫のもとへ駆けつけた。 母の命日には、悠斗は薫とその母親と、楽しげに食事をしていた。 そして、二人が薫を連れて、港市で開催されるデザインの授賞式に出席している時、私は、三人の思い出が詰まったあの家に火を放った。 死を偽装して、東の都をあとにしたのだった。 けれど、私の死の知らせが港市に届くと、とっくに私を見限っていたはずの二人の男は、狂ったようにその夜のうちに東の都に戻り、焼け跡にひざまずき、声をあげて泣き崩れた。
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24 Chapters
この九年間の恋は間違いだ
この九年間の恋は間違いだ
九年間付き合った彼氏が、突然LINEの名前を【Saki♡Love】に変えた。 理由を訊いても、教えてくれなかった。 彼の秘書が【Saki】という名前で二人がイチャイチャしている写真を送りつけてきた時、ようやく全てを理解した。 私は冷静にその写真を保存し、それからお母さんのLINEを開いてメッセージを一つ送る。 「お母さん、実家に戻って政略結婚する件、分かったわ」 メッセージを見たお母さんから、すぐにビデオ通話がかかってきた。 「詩織、それじゃあ結婚式、今月末に決めよう」 いいわ。長谷部之野(はせべ ゆきや)との関係は、あと十五日で終わりにする。
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時の狭間に消えた約束
時の狭間に消えた約束
俺・霧島海人(きりしま かいと)が彼女に告白したあの夜、彼女は泣きじゃくっていた。 未来を見たとか何とか言って、俺とある「約束」を交わそうとしたのだ。 「どうして?」と聞くと、彼女はただこう言った。 「詳しくは覚えてないの。ただ、未来の私がすごく、すごく後悔してることだけは覚えてる……ねえ海人。これから何があっても、絶対に私に三回のチャンスをくれないかな」 雨宮美桜(あまみや みお)を深く愛していた俺は、もちろん二つ返事で頷いた。 しかしその後、彼女はその約束のことなどすっかり忘れてしまったようだ。 自分のマネージャーと、あんなにも親密な関係に溺れていた時でさえ。 そして今になってようやく、その理由がわかった。 離婚協議書にサインをしたその瞬間、懐かしい声が聞こえたからだ。 それは、十九歳の美桜の声だった。 彼女は泣きながら、こう言った。 「海人、約束してくれたでしょ?私に三回チャンスをくれるって……」
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9 Chapters
万有禊ぐ天津甕星
万有禊ぐ天津甕星
門開きて、其は来たる── 幼少期に両親を【敷島】なる特務機関によって殺され、天涯孤独の身の上となった"私"は、"日ノ本の裏御三家"と呼ばれる巨大な一族に保護され、それまでの名前と人生の全てを捨てて、新たに"御陵奏"という名前を貰う。 やがて成長し、15歳になった私は裏御三家に属する巫女として認可され、日本を脅かす超常的存在・まつろわぬ神々の調査と、彼らの復活を未然に防ぐ役割を託されることとなる。 調査のため赴いた、海と山に面した町・此岸町。足を踏み入れた先は、地獄と呼ぶことすら生温いほどに悍ましい場所だった。 夕闇に蠢く種々の異形、排他的な町民、大日本帝国の復活を目論み暗躍する怨敵、特務機関【敷島】。そのような脅威に晒されながらも、裏御三家への恩義に報いるべく懸命に調査を進める私だったが── 果たして【敷島】はこの忌まわしい土地で何をしようとしているのか。そして、異形や町民たちが畏怖し、信仰している天津甕星とは何者なのか。 これより始まるは、過酷な運命という名の荒波に翻弄されながらも懸命に抗う、一人の少女の物語。
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29 Chapters

有間皇子と斉明天皇の関係は?

3 Answers2026-04-09 14:23:09

有間皇子と斉明天皇の関係は、古代日本の複雑な権力構造を映し出す鏡のようなものだ。斉明天皇が皇極天皇として最初に即位した後、一度退位しながら再び天皇となった経歴は、当時の皇位継承がいかに不安定だったかを物語る。

有間皇子は孝徳天皇の子として生まれながら、叔母である斉明天皇の時代に謀反の嫌疑をかけられて処刑された。この事件は、天智天皇や中大兄皇子といった人物たちが絡む権力闘争の一端として語られることが多い。『日本書紀』の記述を読むと、政治的な駆け引きの中で若い命が消えた悲劇として胸が締め付けられる。

両者の関係は単なる血縁を超えて、古代国家形成期の激動を象徴している。斉明天皇の治世が白村江の戦いなど対外関係の緊張と重なったことも、この事件の背景を理解する上で重要だ。

有間皇子のエピソードが載っている書物は?

3 Answers2026-04-09 13:21:07

有間皇子の悲劇的な最期は、古代史を語る上で欠かせないエピソードのひとつだ。この出来事が記録されている最も有名な書物は、やはり『日本書紀』だろう。天武天皇の時代に編纂されたこの歴史書には、皇位継承争いの中で謀反の疑いをかけられた有間皇子が、自らの潔白を証明するために詠んだと伝えられる「磐代の歌」が収録されている。

『万葉集』にも関連する記述があり、特に巻二には有間皇子が詠んだとされる和歌が採録されている。これらの歌からは、政治的な陰謀に巻き込まれた若き皇子の無念さと、死を前にした心情が痛切に伝わってくる。当時の権力闘争の犠牲となった人物の心情を現代に伝える貴重な資料と言える。

有間皇子を題材にした作品はある?

3 Answers2026-04-09 15:13:31

歴史の教科書ではあまり触れられない有間皇子の悲劇的な生涯は、創作の題材として興味深い要素をたくさん含んでいます。特に『日本書紀』に記された事件を基にした作品では、その複雑な人間関係や政治的背景が丁寧に描かれています。

最近読んだ歴史小説では、皇子の心情描写に重点が置かれており、当時の皇位継承をめぐる緊張感が伝わってきました。若くして非業の死を遂げた人物の無念さが、現代の私たちにも共感を呼び起こすのです。史実を扱いながらも、作者独自の解釈が加えられていて、歴史の教科書とは違った角度からこの事件を考えるきっかけになりました。

こうした作品を通じて、古代史の出来事がより身近に感じられるようになります。特に権力闘争に巻き込まれた若き皇子の運命は、現代にも通じる普遍的なテーマを含んでいるように思えます。

有間皇子はなぜ処刑されたのか?

3 Answers2026-04-09 00:31:10

有間皇子の処刑は、古代日本の政争における悲劇的な事件として記憶されている。当時、皇室内部では権力闘争が激化しており、有間皇子は政治的な脅威と見なされたようだ。特に、彼が蘇我氏と対立する立場にあったことが大きい。

『日本書紀』の記述を紐解くと、謀反の疑いをかけられたことが直接の原因とされている。しかし、実際には証拠が不十分で、むしろ権力者にとって都合の悪い存在だった可能性が高い。当時の記録には、皇子が詠んだとされる哀切な和歌が残されており、無実を訴える切なさが伝わってくる。

歴史的背景を考えると、この時代は皇位継承を巡る争いが頻発していた。有間皇子の運命は、そうした権力構造の犠牲になった典型的な例と言えるだろう。後世の私たちが感じるのは、政治的な思惑が個人の運命をいかに簡単に翻弄するかという教訓だ。

有間皇子の墓はどこにある?

3 Answers2026-04-09 19:13:39

有間皇子の墓は、奈良県橿原市にあるとされています。歴史的な背景を辿ると、有間皇子は飛鳥時代の皇族で、謀反の疑いをかけられて処刑された悲劇の人物です。その墓所は『日本書紀』にも記録が残っており、現在では史跡として保存されています。

橿原市周辺には古代の遺跡が数多く残っており、有間皇子の墓もその一つとして大切に扱われています。訪れると、当時の政治的な緊張や皇族の苦悩が伝わってくるような雰囲気があります。地元では歴史愛好家や学校の校外学習でも取り上げられることが多く、飛鳥時代の歴史を深く知るきっかけとなる場所です。

有間皇子の最期の歌はどこで詠まれた?

3 Answers2026-04-09 07:13:40

歴史の教科書で名前だけは知っていた有間皇子の歌が、実際にどんな背景で詠まれたのか気になって調べてみたことがある。

『日本書紀』によれば、斉明天皇の時代に謀反の疑いをかけられた有間皇子は、紀伊国の藤白坂で処刑される前に絶唱したとされている。この場所は現在の和歌山県海南市あたりに比定されていて、実際に訪れたことがある人からは、今でもその哀しい歴史を感じさせる空気が残っていると聞いた。

歌の内容から察するに、無実を訴えつつも運命を受け入れる覚悟のようなものがにじみ出ていて、古代の政治抗争の犠牲になった若き皇子の心情が胸に迫る。当時の権力抗争の激しさを考えると、この歌が後世まで伝わったこと自体が奇跡のように思える。

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