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『鬼滅の刃』の炭治郎と獪岳の関係を見ると、『目の敵』の典型が浮かび上がる。炭治郎は獪岳を特に憎んでいるわけではないが、獪岳側が一方的に敵意を燃やしている。これに対し、『呪術廻戦』の虎杖と伏黒は互いを高め合う『ライバル』関係。
前者は片方のネガティブな感情が軸で、後者はお互いの成長を促すポジティブな要素が特徴だ。スポーツ漫画だと『ハイキュー!!』の影山と及川の師弟関係も、複雑な感情を含みつつ最終的には尊敬がベースにあるライバル像といえる。敵対関係の深層心理を描き分けることは、物語に厚みを与える重要な要素なんだよね。
『チェンソーマン』のデンジと
サムライソードの関係性は『目の敵』から『ライバル』へ変化する過程が秀逸。最初は単なる殺し合いだったのが、共闘を経て奇妙な連帯感が生まれる。これとは逆に、『進撃の巨人』のエレンとライナーは、友情と思っていた関係が実は『目の敵』だったという衝撃の展開がある。
関係性の変化を描く際、重要なのはキャラクターの本質的な価値観の衝突かどうか。単なる立場の違いなら修復可能だが、根本的な思想が対立している場合は、たとえ表面上仲良くても『目の敵』関係が続くことになる。
『鋼の錬金術師』のエドとグリードのやり取りが面白い。グリードは最初こそ敵だったものの、次第にエドとの奇妙な友情めいた関係が生まれ、これは『擬似ライバル』とも呼べる状態に発展する。一方、スカーとエドは完全な『目の敵』関係から始まり、憎しみの連鎖が物語を動かす原動力となった。
この二つの関係性の違いは、敵対する理由の本質にある。グリードはエドの強さに興味を持ったのに対し、スカーは家族の復讐という確固たる理由で敵視していた。キャラクター同士の化学反応をどう設計するかで、ストーリーの緊張感が全く変わってくる好例だ。
『ジョジョの奇妙な冒険』第5部で、ジョルノとディアボロの関係は『目の敵』の究極形といえる。ディアボロはジョルノを組織の脅威としか見ておらず、個人としての価値を認めようとしない。対照的に、第3部の承太郎とダービーは賭け事を通した『ライバル』関係で、敗北後も奇妙な友情が残る。
面白いのは、『ライバル』関係にはユーモアや余裕が存在しがちな点。『賭ケグルイ』の蛇喰夢子と早乙女芽亜里の心理戦も、命がかかっていながらゲーム性を感じさせるのは、互いを認め合う要素が潜んでいるから。敵対関係の描写の幅の広さは、創作の醍醐味のひとつだ。