議論の中心にあるのは、原作の“魂”をどう読み取るかという点だ。表面的な設定の再現だけでなく、登場人物の動機や物語が伝えようとした感情に敬意を払えているかを基準にすると、自分の評価はずっとクリアになる。例えば『鋼の錬金術師』のようにテーマが深く、倫理や贖罪が軸になっている作品なら、同人作品がその倫理観を単なる装飾にしていないかをまず見てしまう。設定を忠実に模倣しているだけでも技術的に素晴らしい作品はあるけれど、それだけで心を打つとは限らない。
クオリティ面では、キャラクターの行動が原作の論理に沿っているか、世界観の細部が破綻していないかを重視している。私は設定の「穴」を突く批評もするけれど、それが創作の可能性を奪うような揚げ足取りになってはいけないとも思う。
二次創作はしばしば原作ファン同士の対話の場になりうるから、作品が新しい見方や感情を提示しているか、あるいは既存の感情を豊かにしているかを見たい。
倫理と法的側面も無視できない。創作者へのリスペクト(クレジット表記や非営利の配布、許諾の有無など)を無視している場合、評価は下がる。とはいえ、単なる模倣を否定するのではなく、創造的変換性——原作に対する独自の解釈や加筆があるか——を大事にしている。結論めいた言い方をすると、私は同人作品を評価するとき、忠実さ、創造性、誠実さの三点セットで見る。どれか一つだけが突出していても満足できないことが多いけれど、それぞれの作品が持つ価値を公平に認める余地も忘れたくないと思う。