登場人物の絡み合いを考えると、『
メゾンエトワール』は一軒家がひとつの小さな社会になっているのが面白い。大家のマドレーヌは住人たちをそっと繋ぎ止める中心点で、相談相手であり時には厳しい制裁者にもなる。若き画家レオンは自由を求める一方で経済的な不安を抱えており、屋根裏で創作に没頭する時間と、地上での人間関係の板挟みによく悩む。バイオリニストのソフィーは表面上は落ち着いているが感情の起伏が深く、過去に関係があったレネとは未解決のわだかまりを抱えている。料理人志望のクレールは、マドレーヌに一種の娘のように可愛がられつつも、芸術家たちと距離を縮めることで自分の道を模索している。
相互作用は単純な友情や恋愛だけで説明できない層になっている。マドレーヌは母性的な保護と財政的な厳しさを両立させ、レオンには作家としての自律を促すが、同時にときに突き放す。レオンとソフィーの関係は創作と表現を介した共鳴で始まり、やがて互いの不安を曝け出す恋愛的緊張に変わる。そこへレネの旧い約束や嫉妬が入ることで三角関係が発生し、建物内の人間関係は微妙に揺らぐ。クレールは両者の間で調停役にもなれば、誰かの秘密を知って行動を決める触媒にもなる。僕は、これらが“家族ではないが家族めいたもの”を描いているところが一番心に残る。
物語が進むにつれて、各キャラの立場は移ろい、誤解は解けたり新しい亀裂が生まれたりする。秘密の手紙や古い写真といった小道具が関係性の転換点になることが多く、日常の細かい会話がかえって大きな感情の波を作る設計が巧みだと思う。見終わったときに残るのは、誰かが誰かにとって拠り所であり続けることの重みで、個人的にはこの点が『赤毛のアン』にある種の共鳴を感じさせる部分だと感じている。