中世ヨーロッパの女性像は、教科書にありがちな単純なステレオタイプよりずっと多彩で矛盾に満ちていました。地域や身分、時代によってできることとできないことが大きく変わり、農村の小作女性と貴族の領主夫人が直面する日常はまるで別世界だったのです。自分も歴史を読むたびに、その幅広さに驚かされますし、同時に個々の女性が見せる逞しさに心を打たれます。
まず法的な立場について触れると、完全に無権利というわけではありませんでした。結婚は多くのケースで女性の財産や身分を左右する重要な契約で、持参金(dowry)や婚資(dower)といった制度が存在しました。貴族社会では婚姻によって土地やネットワークが結びつき、女性は同盟形成の要となることが多かった。教会法や地方慣習法の違いで相続の仕組みも異なり、たとえば一部の地域では娘も土地を相続できた一方で、長子相続(primogeniture)を採るところでは男子優先が強まりました。未亡人の地位が相対的に強かったのも注目点で、夫の死後に財産管理や領地経営を任される例が少なくありません。私が特に面白いと思うのは、都市化が進むと女性の経済機会が増え、商業や手工業に関わる女性が目立つようになったことです。
日常の役割は階級で大きく分かれます。農村では耕作、家畜の世話、保存食作り、織物や裁縫といった生計に直結する仕事を担い、時には田植えや収穫で男性と同じ重労働をこなしました。都市部では家業を手伝う商家の女主人、店を切り盛りする女性、あるいは薬草や出産を扱う助産婦など、多彩な仕事が見られます。ギルド制度の制約で正式な職人登録が難しい場合もありましたが、女家業者(widow-run workshops)や非公式な共同作業で技術を継承する場面も多かったです。
修道院に入る道は、学問や祈りを求める女性にとって重要な選択肢であり、そこでは読み書きや経営、医療的な知識が磨かれることもありました。
政治的影響力については、王妃や貴婦人が領地管理を通じて実務的な力を持つ場合があり、カウンターとしての存在感を発揮することもありました。もちろん性差別や二重基準に苦しむ場面は少なくなく、家庭内の支配や身体に関する権利は今よりずっと制限されていました。それでも、制度の隙間や非常時、未亡人の自立などから生じる「思わぬ自由」が女性の行動範囲を広げることがあり、そこに個々の創意工夫や抵抗の物語が隠れています。歴史を辿ると、教科書の一行からは見えない多様な暮らしと権利の実態が浮かび上がってきて、つい読み耽ってしまいます。