御簾について調べると、単なる仕切りを超えた多層的な意味が見えてきます。表面的には光や視線をさえぎる道具ですが、平安の宮廷ではそれ自体が礼儀と階層を示す道具でした。
まず実用面から触れると、御簾は身体的な遮蔽と同時に「見せる/見せない」をコントロールする役割を担っていました。男性貴族と女性貴族の間には暗黙の距離があり、御簾はその距離を形にしたものです。顔を完全に隠すのではなく、部分的に視線を遮ることで、控えめさや遠慮の美学が生まれました。つまり、視覚的なやり取りそのものが礼儀になっていたのです。
次に象徴的な側面を挙げると、御簾は権威の表現にもなっていました。天皇や上位の人の前に立つ際、御簾の位置や素材、扱い方でその場の格式が決まります。たとえば儀式での扱われ方は、存在の遠近や公的/私的の境界を明確にする道具となり、社会的な序列を可視化しました。
最後に文学や感性の文脈も無視できません。『源氏物語』などの物語世界では、御簾越しの会話や視線のやり取りが恋や政治の緊張を濃縮する装置になっています。遮られた視線が生む想像力、機微、そして抑制された情動の表現は、平安の美学を理解するうえで欠かせません。こうした層を重ね合わせて考えると、御簾は単なるインテリアではなく、当時の人間関係や価値観を映す鏡だったと感じます。