ここ数年、メディアを追っていると、政治家の
忖度が報道の枠組みそのものを変えてしまう場面を何度も目にしてきた。ニュースの取材対象が線引きされ、ある話題が繰り返し流される一方で別の重要な事実が扱われなくなると、視聴者の関心も自然と偏っていく。私自身、かつてある事件の続報を期待していたが、広報側の圧力で追跡が止まるのを見て、報道の“選別”がどれほど強力かを実感した。
結果として、公共的議論の土台が薄くなる。市民は限られた情報で判断を迫られ、政治力学を読み誤るリスクが増す。さらに、メディア内部での自己検閲が進むと記者の調査意欲や多様な視点が損なわれる。過去に読んだ小説『1984』のディストピア描写ほど極端でなくても、権力との距離が近づくほど報道の自由は蝕まれていくと感じる。だからこそ、独立性や説明責任を保つ制度設計が不可欠だと思う。