考えてみると、歴史小説で
呆けを時代背景に結び付ける手つきは、象徴と制度の両面からの語りになることが多いと感じる。
たとえば世代をまたぐ忘却を描く際には、作者は家系図や古い日記、役所の公文書の劣化を巧みに使う。
記憶喪失そのものを個人的な病として描くだけでなく、記録の破損や口承の断絶を通じて社会全体の記憶喪失と重ね合わせる。ガルシア=マルケスの手法を引くと、記憶の循環や名前の反復が時代の終焉をほのめかす道具になる。
もう一つの方法は、言葉遣いや礼儀作法、信仰儀礼といった具体的な文化的ディテールを呆けた人物の語り口や失念の形と対置することだ。忘却が単なる個人の衰弱にとどまらず、時代の断絶や近代化の衝撃を象徴することで、読み手は歴史の“喪失”をより痛感する。私はその種の重ね方に、いつも胸を打たれることが多い。