あの日の想い、どうか届きますように
吉田彩花(よしだ あやか)が医師から末期がんだと告げられた日。夫の吉田健太(よしだ けんた)は、ベッドの前でひざまずき、気を失うほど泣きじゃくっていた。
彩花の両親は、震える手で治療同意書にサインした。ショックのあまり、一夜にして白髪が増えてしまったかのようだった。
彩花は恐怖と悲しみに耐えながら、亡き後の事を整理していた。しかしその時、夫と医師のひそひそ話が聞こえてきた――
「先生、角膜移植手術の件、準備はどうなっていますか?美羽が待っているんです」
健太の声は冷たくて、張りついていた。さっきまでベッドのそばで泣き崩れていた時の、かすれた声とはまるで別人だった。
藤堂美羽(とうどう みう)?自分の実家、黒崎家で亡くなった使用人の娘?
続いて、主治医の小林直樹(こばやし なおき)が媚びるような声で話すのが聞こえた。
「吉田社長、ご安心ください。すべて手はず通りです。奥さんのほうは……問題ないですよね?」
健太は声をひそめた。「彼女はサインします。診断書は完璧に偽造してありますからね。今は完全に信じています」
診断書?
完璧に、偽造?
その時、別の泣きじゃくるような声が割り込んできた。
「彩花は優しい子だから……美羽ちゃんを助けるためなら、きっと同意してくれるわ……」
それは、彩花の母親・黒崎千佳(くろさき ちか)の声だ。
彩花の父親・黒崎学(くろさき まなぶ)の声も続いた。「彩花は小さい頃から何不自由なく育った。これから目が見えなくなっても、健太が一生面倒を見てくれるんだ。生活に大きな影響はないだろう」
何不自由なく育った、だって?大きな影響はない?
つまり、あの人たちにとっては、自分が暗闇の中をもがきながら生きる未来になったとしても、「影響は大きくない」ということなのね。
彩花は壁に寄りかかった。足の裏から頭のてっぺんまで、冷たいものが突き抜けるような感覚に襲われた。