LOGIN私の婚約者・坂井瑛士(さかい えいじ)は、有名な心臓外科医だ。 ただ一人の肉親である祖母が重病に倒れた日、私は彼にすがるように頼んだ。祖母を助けてほしいと。 しかし彼は私の手を振り払い、こう言った。 「気持ちはわかるけど、医者として公平にしなきゃいけないんでね。俺の患者はみんな、順番待ちしてるんだ」 結局、祖母は心臓発作で帰らぬ人となった。 その翌日、彼の初恋の人・宮沢夢乃(みやざわ ゆめの)がインスタのストーリーに投稿していた。 【ポチが胃腸炎になっちゃって。手術してもらえて、ほんと助かった】 ポチ、それは夢乃の飼い犬の名前だ。 私の祖母の順番は来なかったけど、犬の順番は来たんだ。 それからしばらくして、私の誕生日会の日。 会場の個室で、瑛士と夢乃は、私の目の前でキスをしていた。 周りの空気が凍りついた。誰もが息をのみ、気まずそうに私を見る。 でも私は、ただこう言った。 「何見てるの?拍手しなさいよ」
View More私のところを去った瑛士は、財布を夢乃のアパートに忘れたことに気づき、よろよろと戻ってきた。ところが、目を疑うような光景がそこにはあった。たった一日の間だったのに、夢乃が別の男と寝そべっていたのだ。相手は夢乃がいつもただの幼なじみだと言い張っていた男だ。瑛士もかつて、私にこう言ったことがある。「お前には異性の友達すらいないんだな。夢乃のあの幼なじみさ、彼女にすごくよくしてくれてさ。やっぱり夢乃はモテるんだよ」ところが、裸のまま、その幼なじみと抱き合っている夢乃を目にした瞬間、瑛士の頭の中は真っ白になった。気づけば、反射的に男に飛びかかっていた。あの男は、夢乃のために争うつもりなどさらさらない。あっさりと本心を吐いた。「夢乃の方から誘ってきたんだよ。お前のあっちの方がイマイチだって」瑛士の顔が歪んだ。まさか、自分のことをそんなふうに他の男に話していたとは。男が去った後、瑛士は夢乃を睨みつけた。怒りで肩が震えている。「土下座して謝れ」かつて私に浴びせたのと同じ言葉を、夢乃に叩きつけていた。だが夢乃は、かつての私とは違う。彼女は鼻で笑った。「何様のつもり?瑛士、あんたなんてただの負け犬じゃない。私に土下座しろですって?笑わせないで」私に復縁を拒絶され、さらに夢乃にここまで踏みにじられた瑛士の瞳から、理性の光が完全に消えた。その日、彼は本気で夢乃の首を絞めた。夢乃が通報し、警察沙汰になった。彼女の幼なじみが警察署まで迎えに来るという騒ぎで、この一件はついに周囲に知れ渡った。その後、瑛士はしばらく姿を消した。再び姿を現したとき、彼はもはやかつての傲慢な外科医の面影もなかった。心の底から過ちを悔い、私の許しを乞いたいと願っている。それが本心であることは、私にもわかっていた。けれど、私はもう彼を愛していなかった。ひと欠片も。私が愛しているのは実だ。彼こそが、私をどん底から救い出し、誠実な愛を注いでくれた人だ。私たちは二年間の交際を経て、結婚した。私の健康を気遣う実は、自ら料理を覚え、毎日欠かさずご飯を作ってくれる。私もこのかけがえのない縁を大切にしようと、携帯の番号を変え、瑛士が連絡を取れる手段をすべて断った。よりを戻す気など、これっぽっちもないが、彼が何度も謝罪に現
瑛士が私のインスタを見て、それはもう怒り狂ったらしい。部屋のものを八つ当たり半分にめちゃくちゃに壊したという。彼にとっては、もちろんこの勝負に負けるわけがない。だから必死に夢乃にしがみつき、慰めを求めた。しかし、かつて瑛士が本命と崇めていた夢乃も、いざ一緒になってみると、なんだかつまらなくなってしまったらしい。何しろ夢乃が一番楽しんでいたのは、瑛士が私を蔑ろにする姿だったのだ。ちやほやされたい、守られたい、他人の彼氏に熱烈に想われたい。それが彼女の願望だった。それが今や瑛士と四六時中一緒にいるのに、逆に退屈で仕方がない。さらに、瑛士はかつて私に甘やかされてきたせいで、食事の準備から身の回りの世話まで、何から何まで夢乃にやらせようとする。それが夢乃には我慢できなかったらしい。これらの話は、すべて後になって人づてに聞いたことだ。夢乃が親友だと思っている女性で、実の会社の新人だ。将来の社長夫人になる私に取り入ろうと、毎日あの二人の噂をぺらぺら喋りまくっていた。私はただ笑い話代わりに聞き流していた。彼女の話によると、一昨日、瑛士がサンドイッチが食べたいと言った。夢乃は瑛士がアボカドアレルギーなのを知っていながら、サンドイッチにたっぷりアボカドを挟んであげたそうだ。瑛士は手術の資料に夢中で、気づいた時には食べ終わっていた。案の定全身に蕁麻疹が出て、手術に支障をきたした。病院から停職処分を受けたそうだ。その友人はさらに続いた。瑛士は今ではしきりに私の良さを懐かしみ、夢乃とはしょっちゅう大げんかしているらしい。「俺の奈々と一緒にいながら他の女を忘れられず、その相手と一緒にいながら奈々を懐かしむ。そんな男、ざまあみろだよ」実が歩み寄り、後ろからそっと私を抱きしめた。大勢の前だから、さすがの私も気恥ずかしくなる。すると彼が耳元でささやいた。「目立たせてくれよ。誰にも君を渡す気はないから」大切にされているという感覚は、これほどまでに心を満たすものなのだろうか。瑛士がどん底の生活を送っているのとは対照的に、今の私はこれ以上なく幸せだ。瑛士にもプライドはある。先日、私にマンションの入り口で締め出されて以来、彼は意地でも夢乃とうまくやっていく姿を私に見せつけようと決心したらしい。ただ、夢乃はそ
瑛士と別れてから、私の人生はゆっくりと色を取り戻していった。そんな折、大学の同級生・伊東実(いとう みのる)と再会した。瑛士も含め、私たち三人は元々大学の同級生だった。実は学生時代から、ずっと私のことを片想いしていたらしかった。だが、あの頃の私の瞳には、瑛士の姿以外に何も映らなかった。私が瑛士と別れたことを知った実は、遠回しもせずに私にアプローチしてきた。「大学の時、奈々は瑛士のことが好きだった。俺にはチャンスすらなかったし、片想いの想いを伝えることさえできなかった。でも今はお互い大人だし、奈々も瑛士とは区切りがついたんだ。だからこれから、奈々のことを好きでいてもいいか?」その日、実と映画を観て帰る道、マンションの下に見覚えのある影が佇んでいた。瑛士だった。あのところ彼はずっと、私の方からよりを戻しに来るのを待っていたらしい。だが耳に入ったのは、私と実が付き合い始めたという知らせだけだ。「奈々、俺が悪かった」瑛士が珍しく頭を垂れ、謝罪の言葉をつぶやいた。滑稽で、思わず失笑しそうになった。この男はかつて、平気で私に土下座させ、許しを乞わせた相手だ。その彼が、今さら何を言っているのか。すり寄るように近づいてくる彼を、私は無意識によけていた。そして丁寧に距離をはった調子で言った。「坂井さん、私たちの間は、あの日のカラオケボックスで終わった」「奈々……」瑛士はなおもしつこく食い下がる。「伊東のどこがいいんだ?金か?それとも地位か?」彼は眉根を寄せた。「そんなものが愛に勝るわけがないだろう」愛。瑛士は、あの三年間の日々を、まさか愛と呼ぼうと。「愛って、思いやり合って、選び合うものだと思うの。あなたの愛する人は夢乃で、私じゃない」「違う!奈々、愛してる」瑛士が言った。あの時、どんなにすがっても聞けなかった言葉を今さら。「子どもじみてる」「浅はかだ」そう言って笑ったくせに。「坂井さん、私はあなたを愛していない。おばあちゃんが亡くなったあの瞬間から」私は静かに言い放った。瑛士の顔から血の気が失せる。「奈々。わかってる、お前は俺を恨んでるんだ。だからわざとこんなことを言ってるんだろう?」「いや、恨みも愛も、何もない」私はあっけらかんと笑ってみせた。
その瞬間、彼の顔は真っ青になった。「奈々、お前には本当に失望した」間もなく、怒鳴り声が轟いた。「夢乃に嫉妬したくて、自分の祖母まで呪うなんて……信じられない。俺の同情を引こうとしてるだけだろ?笑わせるな!」瑛士はまったく信じようとしなかった。彼の目には、私はただ、彼の気を引くためなら何だってする女にしか映っていなかった。三年間、ずっと尽くし続けてきたのに、こんなふうに思われていたなんて。だが、そのとき私はやっと目が覚めた。むしろ、これでよかったんだ。もしそのまますがり続けていたら、私は瑛士にとって、ただの使い捨ての存在でしかなかった。「ちょっと、奈々のおばあちゃん、本当に亡くなったんだ」親友が割って入った。だが瑛士は、私が親友まで巻き込んで芝居だと言い放った。彼にはすべてが芝居にしか見えなかった。純粋で無垢なのは、夢乃だけだ。「信じられないなら、病院に電話してみれば?」すると夢乃が首を振った。「瑛士、もういいじゃない?もし本当に亡くなっていたら、奈々だって泣いてすがってくるはずなのに。ひとりで平然としているなんて、おかしいと思わない?」「夢乃、今日ははっきりさせる。みんなの前で証明してやる。こいつがどれだけ馬鹿げたことをしでかしているかを!」電話は繋がった。私はただ黙って立っていた。「もしもし、802号室の患者さんについて調べてほしいんだが。至急確認してくれ」瑛士はわざとスピーカーに切り替えた。返事を待つ間、彼の視線は嘲笑と皮肉に溢れていた。すぐに化けの皮が剥がれると言わんばかりだった。だが――「申し訳ございません、坂井先生。802号室の患者様は、一ヶ月前にご逝去されております」「なに!?」瑛士の顔が強張った。「間違いないのか?」「はい、確かに」彼の唇がかすかに震えた。言葉を失い、スマホを握る手がゆっくりと下ろされた。私は責めもせず、訴えもしなかった。もう私にとって、彼はただの他人になったからだ。「奈々、おばあさんはいつ……」瑛士が眉をひそめて聞いた。「あなたがポチの手術をした夜よ」私は淡々と答えた。「あなたのところへ駆け込んだとき、そっちの方が大事だと言われたわ」一ヶ月ちょっと前のことだ。さすがに覚えているだろう?瑛士はようや
reviews