愛を尽くした、その果てに
「みのり……ずっと愛しているよ」
深夜の寝室、佐原景斗はベッドの上で抑えきれない呻き声を漏らしていた。
絶頂に達しかけたその刹那――
枕元に置いたスマホが不意に振動し始めた。
普段の彼なら無視するはずだった。
だが、画面が灯り、表示された名前を見た瞬間、景斗の動きは止まった。
橘みのりは、荒い息を整えながら、その様子を黙って見つめていた。
「……もしもし?」
静まり返った夜気の中で、電話の向こうから男の声が響いた。
「景斗!詩織のこと、覚えてるか?!」
景斗は低く声を抑え、アラビア語で遮った。
「声を抑えろ、今は都合が悪い」
相手もすぐにアラビア語に切り替えたが、声は依然として大きいままだった。
「病院の診断が出た!詩織は末期がんだそうだ!余命一ヶ月だって!彼女は死ぬ前にお前と一緒にいたいと言っている。それが彼女の最後の願いなんだ!」
その瞬間、景斗の顔色が一変した。
「……何だと!?すぐ行く!」
電話を切ると、景斗は振り返りもせずに言った。
「みのり、急用ができた。家で待っててくれ。すぐ戻る」
彼女が答える間もなく、彼は身を起こし、シャワーを浴びて服を着替え、玄関のドアを閉めて去っていった。
部屋には再び静寂が落ちた。
振動音が響き、みのりのスマホ画面が明るく光った。
そこには沢木詩織からのメッセージが表示されていた。
【橘みのり、あなたの負けよ。言ったでしょ?景斗は私のものだって】
その上には、三日前に届いたメッセージがあった。
【もし私が癌になったら、彼はどうすると思う?あなたを捨てて、私のもとへ来るに違いないわ】
みのりはゆっくりとスマホを伏せ、開け放たれた寝室の扉を見つめた。
景斗は知らなかった。
彼女がとっくにアラビア語を習得し、さっきの通話内容をすべて理解していたことを。
静かな沈黙の中で、みのりはうっすらと苦笑を浮かべた。
「そうね……私の負けよ……」
そう呟く声は、夜の静寂の中に消えていった。