月はもう、彼を照らさない
東都市において、桐島湊斗(きりしま みなと)の名を知らぬ者はいない。桐島家きっての異端児であり、最大の厄介者だ。
十八歳にして実の父親相手にオークションで骨董品を競り合い、価格を吊り上げるという暴挙に出たかと思えば、二十代前半にはアルプスの麓で無謀なカーレースに興じ、命を落としかけたこともある。
交際相手を変えるスピードは、ハイブランドの新作コレクションの入れ替わりよりも速い。かつて彼はこう豪語していた。
「結婚なんてもう時代遅れだ。したい奴だけが勝手に自縛すればいい」
だが三年前、そんな桐島湊斗が、ある家の門前で跪いた。
記録的な豪雨の夜、ただ白石紗月(しらいし さつき)に一目会いたいがために、十二時間もの間、泥にまみれて雨に打たれ続けたのだ。
紗月は、息を呑むほどの美貌の持ち主だ。由緒正しい学者の家系に生まれ、その佇まいは丹精込めて育てられた高貴な蘭の花を思わせる。
本来なら、奔放な湊斗が最も敬遠するはずの「深窓の令嬢」だ。
周囲は皆、彼女がいずれ弄ばれ、捨てられて泣きを見るだけだろうと高を括っていた。
だが、街中を騒然とさせたあのプロポーズがすべてを覆した。
彼は稀少なピンクダイヤモンドを贈り、世間の雑音を封じ込めたのだ。
リングの内側には、彼自身の手で一文字ずつ、こう刻まれていた。
【囚人・桐島湊斗、刑期は終身】
結婚から三年が経っても、紗月のお伽話は終わらなかった。湊斗の彼女への溺愛ぶりは、留まるところを知らない。
人々は口を揃えて言った。
「桐島家のあの『手のつけられない暴れ馬』が、まさか白石紗月に完全に飼いならされるとは」
紗月自身も、そう信じて疑わなかった。
だが、結婚三周年の記念日の翌日。
写生に出かけた先で、彼女は夫の裏切りを目撃してしまう。
その時初めて知ったのだ。
湊斗の甘い寵愛は、とうの昔に内側から腐り落ちていたことを。