愛が終わるとき
晩餐の席で、天才画家の夫・葉山尚吾(はやましょうご)は、何十億もの保険がかけられたその手で、若いアシスタント・姫野莉子(ひめのりこ)のために丁寧にカニを剥いていた。
「食欲がない」とぽつりと呟いた彼女のために、まるで絵を描くような手つきで、一口ずつ殻を外してゆく。
その一方で私・葉山紬(はやまつむぎ)は、彼のために投資を引き出そうと、酒席で限界まで酌を重ね、ついには吐血するほどに飲まされていた。
それでも苦しさに耐え、震える声で、ひと言だけ絞り出す。
「……胃薬、取ってくれる?」
返ってきたのは、いつもと変わらぬ冷淡な声だった。
「俺の手は絵を描くためのものだ。自分の手ぐらい使えよ」
——十年という歳月の中で、彼は一度もその「拒絶の定型句」すら変えることはなかった。
その夜、冷たい風の中、独りで酔いを覚ましながら、私は静かに決意した。
弁護士に連絡を入れ、離婚協議書の作成を依頼する。
尚吾——この荒々しく、喧騒に満ちた「人間」という名の世界で、あなたと私の道は、ここで終わりを迎える。
もう、二度と交わることはない。