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第十二話

last update Last Updated: 2025-03-02 10:50:22

「じゃあ、咲月ちゃんはこっちで分けた物をまとめてくれるか。隣へ運ぶのは平沼君に任せたらいい」

「はい」

 羽柴に呼ばれて、咲月は急いで駆け寄っていく。素人である咲月には何を基準に要らないと判断しているのかは分からなかったが、羽柴が雑多に床に置いていく物を紐で縛ってまとめる。

 昨日とは違って隣の部屋へ移動するだけだから、一旦出て行った平沼が戻って来るのは一瞬だ。彼のペースを乱さないよう、隣へ運んで貰う分を咲月はドア近くにまとめて積み上げていく。

 きっと、両手で抱えた荷物で足下がよく見えていなかったせいだ。さっき自分が紐で縛ったばかりのパンフレットの束に、思わず右足を引っ掛けてしまったのは。急に身体のバランスが崩れ、咲月の視界が社長室の床を捉えた。

 「ヤバッ!」と反射的に目を瞑ったのは一瞬だった。すぐ横から羽柴の腕が伸びてきて、咲月の身体を包み込んだ。

 耳元で聞こえてくる、心配して少し焦った羽柴の声。

「大丈夫か?」

 咄嗟のことに驚いたせいか、心臓がドキドキしている。コケかけたこともそうだけれど、羽柴の顔がすぐ目の前にあり、両腕でしっかりと抱き寄せられている状況。これは不慮の事故以外に何と言い表せばいいのだろう。

 瞬きも忘れて硬直している咲月へ、羽柴が心配そうに確認して来る。

「咲月ちゃん? 足を捻ったりはしてない?」

 身体は支えることが出来たが、躓いた時に足首を痛めたりしてはいないかと、咲月の顔を覗き込んでくる。背中と腰へ回された力強い腕。羽柴の腕の中で、咲月はフルフルと首を横に振って、ただ大丈夫だと伝えるのが精一杯だった。

 腕を離された後も、咲月の鼓動はなかなか収まらない。同級生だった元カレとはまるで違う、ずっと大人な男の人。服の上からは細く見えていた腕は、咲月の身体なんて軽々と支えられるほど逞しかった。心配して声を掛けて来た時、ほんのりと珈琲の香りが近くにした。

「あのっ、ありがとうございます」

 荷物を抱えたまま礼を言うと、「怪我して貰ったら困るよ」と羽柴は咲月の頭を宥めるようにポンポンと優しく叩いてくる。まるで小さな子供を甘やかすような仕草は、きっと揶揄われてい

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