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第四十三話

last update Dernière mise à jour: 2025-05-29 10:50:42

 羽柴が独立する前に勤めていたオフィスも敦子の顧客だと聞いているから、その関係で川上のことも知っているのだろう。「あの川上さんがどうなったの?」と身を乗り出す勢いで興味深々な反応をしている。

 オフィスで顔を合わせる川上は相変わらず人見知り全開で、いつもパソコンモニターの陰に隠れていて表情が見えない。会話も必要最低限でボソボソと小声で話すのもそのままだ。けれど何となく雰囲気が明るくなりつつあるな、と咲月も最近感じ始めていた。それは具体的にどうと聞かれたら答えられないけれど……

「彼は元々、色彩感覚に優れているデザイナーですからね。営業のサポートが付いてさらに活躍してくれると思います」

「あら、営業って確か、以前は事務をされていた女性だったかしら?」

「ええ。咲月ちゃんが来てくれたおかげで、本来の業務に戻すことができて助かってますよ」

 羽柴の言葉に、敦子はやっと安心したらしく「ちゃんと働いてるのね」と咲月のことを幼い子を褒めるような目で見る。

「叔母の私の目から見ても真面目な子ですから、社長の元でしっかり社会を学ばせていただけるとありがたいですわ」

「ええ、それはもちろん」

「で、その川上さんと営業の女性がいい雰囲気っていうのは?」

 羽柴が上手く逸らせたはずの話題を容赦なく掘り返してくる。デリカシーが薄れた発言になるのは、叔母が酔っぱらってきた証拠。隣に座る立石がさりげなくワイングラスを遠ざけて、水の入ったグラスを敦子の目の前に置いていた。お酒が入るとこうなるのが分かっているから、敦子は普段から仕事がらみの接待を受けないようにしていたのかもしれない。

 店内が混雑し始めたのか、個室のドアの向こうから他の客の笑い声が聞こえてくる。咲月は目の前の鉄板で仕上げられ、各自の皿に盛り付けられていくサイコロステーキを見守っていた。個室ごとにスタッフが付いて鉄板で焼き上げてくれるスタイルで、熱々の食材が順に提供される。次の食材が焼き上がるまで少しタイムラグがあるから、敦子もいつも以上にアルコールへ手が伸びてしまったのだろう。ちょっとペースが早い。

「いえ、以前に少し感じていた二人の間の険悪さが消えただけですよ

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