「私の大学時代の友人にケータリング会社を経営している子がいるの。彼女に相談して手作り感のあるメニューをいくつか提案してもらっている。もちろん『佳奈の手作り』という体で出すことになるけど」俺は思わず吹き出しそうになった。『最難関』と自負していることも、ケータリングを「手作り」と言い張るつもりということも。しかし、母の意地悪な条件をクリアするためには背に腹は代えられない。「でも、それだけだと手作り感がないから当日メインの料理を一つだけ作るわ。コンセプトは『世界各地の誕生日』。ゲストに楽しんでもらうために自分で作ってもらうの。それならお母さまも文句は言えないはず」俺は佳奈の言葉にハッとした。『人様を招待してもてなすから料理くらいしっかりしなきゃダメよ』やや苦しい部分もあるが、もてなすこと・楽しんでもらうことに重点を置いたと言えば通じるかもしれない。「例えばタコスバーはどうかな? ソフトタコスやハードタコスの皮を用意して、ひき肉やチキン、豆、チーズ、レタス、サルサ、ワカモレ、サワークリームなんかを並べておくの。ゲストはそれぞれ好きな具材を選んで自分だけのタコスを作れる。これならゲストも楽しめるし、珍しさも相まって、みんなでわいわい作っている間に自然と会話も生まれるからパーティーも盛り上がるでしょ?」佳奈の瞳は自信と期待に満ち溢れていた。彼女の個性と経験を活かした、まさに一石二鳥のアイデアだ。母もまさかそんな発想が出てくるとは思わないだろう。
数日後、佳奈のマンションで俺は彼女の「秘密兵器」の全貌を知ることになった。彼女はリビングのテーブルに広げたノートパソコンの画面を見せながらその計画を説明し始めた。「まず招待状のデザインからこだわりたいんだ。啓介の仕事関連の人もくるなら失礼があってはならないでしょ? 私の友人にプロのグラフィックデザイナーがいるの。彼女に、啓介の会社のロゴマークをモチーフにした上品で洗練されたデザインをお願いするつもり」佳奈はテキパキと説明を進める。その眼差しは真剣で、まるで仕事のプレゼンテーションをしているかのようだった。「それからパーティー会場の手配。お母様は家で、と言っていたけれどゲストの数によっては手狭になる可能性もある。だから、マンションのパーティールームにしようと思うの。啓介の会社から近いホテルや、個室のあるレストランなど、いくつか提案できるように準備してあるわ。仕事関係や取引先とお母様は言ったけれど、還暦・引退でもあるまいし誕生日パーティーを開くなんて、相手側がどう感じるか分からないわ。そのためにもビジネス以外でも交流のある人限定にした方がいいと思うの。」「ああ、俺もそう思っていた。仕事に支障が出るのは避けたいし第一声なんて掛けれないよ」「お母様に最終決定権してもらうつもりでいるけれど、パーティールームと声を掛ける人の範囲を狭めてもらうように誘導するつもり。」「なるほど……。」俺は感心した。母の条件をただ鵜呑みにするのではなく先回
「逆手にって……。」「啓介、考えてみて。お母さまができないと思っているからこの条件を提示してきたとするなら、完璧にこなしてみせれば目論見は外れる。そして周りの人たちが祝福してくれることで、私たちを応援してくれる人も増えて、尚且つ私たちの絆の強さをアピールできる絶好の機会だと思わない?」確かに母は試している。しかし、その試練を乗り越えれば母も認めざるを得なくなる。佳奈は、この状況をネガティブに捉えず、むしろ自分たちをアピールするチャンスだと捉えているのだ。その発想の転換に感嘆した。「でも、どうやって…」俺が口を開きかけると、佳奈は俺の言葉を遮るように俺の唇に人差し指を当ててきた。「それは秘密。啓介は、ただ私を信じて当日を楽しみにしていてくれればいいから」佳奈の言葉はまるで魔法のようだった。彼女の自信に満ちた笑顔を見ていると、不思議と俺の不安も薄れていく。普段はクールで合理的な佳奈が時折見せるこういう大胆な一面に、俺はいつも惹きつけられる。「分かった。佳奈を信じる」俺は、そう言って佳奈の手を強く握った。彼女の温かい手のひらが俺の心に安堵をもたらす。この結婚は確かに母にとっては気に入らないかもしれない。しかし、佳奈と俺の間には誰にも邪魔できない確かな絆がある。このパーティーでその絆を母に見せつけてやる。
実家からの帰り道、佳奈のマンションに向かう車内で俺は助手席の佳奈をちらりと見た。先ほどまでの母に対する毅然とした態度は打って変わって、今はただ静かに窓の外を眺めている。「佳奈、大丈夫なのか? あんな条件、本当に飲めるのか?」俺は意を決して尋ねた。特に料理だ。佳奈は料理が大の苦手だ。俺にとってパーティーでの手料理は最大の懸念材料だった。佳奈はゆっくりと俺の方を振り向くと、にこりと微笑んだ。その笑顔は、母に見せた笑顔とはまた違って、どこか自信に満ちているように見えた。「心配ないよ。ああ言うしかない状況だったからね。あの場で断れば、お母様は間違いなく結婚を認めないと言い張っただろうし、それこそ啓介の立場も悪くなる」佳奈の冷静な分析に思わず息をのんだ。確かに、あの場で反論し続けても母の態度はさらに硬化するだけだっただろう。「でも、料理も、段取りも、全部佳奈一人でやるのか? 仕事もあるのに…」俺の不安は尽きない。佳奈は、そんな俺の心配を笑い飛ばすかのようにくすっと喉を鳴らした。「大丈夫だって言ってるでしょ。パーティーの段取りは私の得意分野なんだから。それに、料理だって、やればできる」「やればできるって…」
「あ、もちろんお料理は佳奈さんの手作りでね。」母はにこやかに、しかし有無を言わさぬ口調でそう付け加えた。「え……手作りですか?」佳奈は戸惑ったように聞き返した。佳奈は俺が包丁の持ち方から教えるくらいに料理が苦手だった。「もちろん。人様を招待してもてなすのだもの。お料理くらいしっかりしなきゃダメよ」母は当然のことのように言い放った。その言葉の裏には「花嫁修業もできていないような娘は認めない」という意図が透けて見えた。これ以上母のペースに乗せられるのはまずいと感じ、すかさず反論した。「母さん、佳奈だって仕事をしているんだ。毎日忙しくしているのに、そんなことまで押し付けるのは無理があるだろ。それに、俺だってこの年になって誕生日を周りに祝ってほしいなんて思っていない。婚約発表だって、皆の前でする必要はないだろ? 結婚を認める条件なはずなのに皆の前で先だって婚約を公表するのもおかしくないか?」俺は、思いつく限りの言葉を並べ立て全て母の思い通りにならないように釘を刺した。「あら、それは認めてもらう自信がないってことなの? 嫌ならいいのよ。ただし、結婚は絶対に認めませんから」反論されるのは予想していたようで微笑んで言い返す。このままでは結婚自体が認められなくなってしまう。俺がどうにも言葉が出ずにいると、隣にいた佳奈が突然顔を上げてハキハキとした声で答えた。「では、周りから祝福されて無事、素敵な会が出来たら結婚を認めてくださるということなのですね。嬉しいです。認めてくださるきっかけを作ってくださりありがとうございます」佳奈は満面の笑顔で母に返している。その笑顔に母の顔は明らかにひきつっていた。佳奈の顔は、母の企みが見透かされているかのような雰囲気さえあった。母の眉間に深い皺が刻まれいる。まだ釈然としない気持ちだったが、佳奈が引き受けた以上、俺も覚悟を決めるしかなかった。俺の誕生日兼婚約パーティー。(大勢の前で婚約発表と誕生日会? そして料理は佳奈が作る……? どれもこれも、本当に大丈夫なのか?)一体どんな一日になるのだろうか。こんなに誕生日をめでたくないと思うことは近年なかったと思うくらい俺は憂鬱な気分になっていた。佳奈はなぜ、こんな条件を易々と受け入れたのだろう。彼女のその大胆な決断の裏に一体何があるのだろうか。俺にはまだ佳奈の真意が掴めずにいた。
「一つ目は、近いうちに啓介の誕生日パーティーを開いてほしいということ」母の言葉に俺は首を傾げた。俺の誕生日パーティー? それと結婚に何の関係が?「二つ目。そのパーティーに啓介の知人や仕事関係の方々を大勢呼んでほしいの。そして、そのパーティーの招待や段取りは佳奈さんが主体となって行ってちょうだい。」佳奈は母の言葉に小さく頷いた。「そして、三つ目。そのパーティーで皆の前であなたたちの婚約を報告すること」最後の言葉を聞いた瞬間、俺と佳奈は再び顔を見合わせた。驚きを通り越して戸惑いと警戒心が入り混じった表情になった。(二つ目は佳奈の力量を見極めようとしているのかもしれないと思ったが、婚約の報告を皆の前で?なんでそんな大々的に報告する必要なあるんだ?それに皆の前で報告したら、結婚を既に認めたようなものじゃないか?)母は、そんな俺たちの戸惑いを気にする様子もなくニコリと微笑んだ。その笑顔はまるで全てを見通しているかのようだった。「どうかしら? この条件をクリアできればあなたたちの結婚を心から祝福するわ」母の言葉は、甘く響きながらもどこか重い響きを含んでいた。俺は佳奈の顔を見た。彼女の目にも同じような警戒の色が浮かんでいるのが分かった。これは結婚を認めるための条件ではない。俺たちを試しているかのような、あるいは何かを企んでいるかのようなそんな不穏な空気が漂っていた。「分かりました、お母様。啓介さんのお誕生日を素敵な集まりに出来るよう計画しますね」佳奈は俺の隣で毅然とした態度で母に答えた。その言葉に俺は内心驚いた。(この状況でよく承知できるな……。)しかし、佳奈の瞳の奥には確固たる決意が宿っているようだった。この状況を乗り越える覚悟を決めているのだ。