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第177話

Author: ルーシー
熱で頭がぼんやりしていたせいで、智也の手が伸びてきても、玲奈の反応は遅れた。

身を守ろうとしたときには、すでに彼の手は衣服の中に入り込んでいた。

彼女が抱きかかえたのは自分の衣服だけでなく、智也の手そのものでもあった。

力を込めて振り払おうとした拍子に、彼の手はさらに深く押し込まれ、ちょうど胸の膨らみに触れてしまった。

熱を帯びた掌が、冷えた肌を灼くように焦がす。

呆然とした玲奈は、我に返るとすぐに振り解こうとした。

だが、それより早く智也の低い声が落ちる。

「......玲奈、恥ずかしくないのか?」

顔を仰いだ玲奈の頬は赤く染まり、霞むような瞳はまだ熱に潤んでいる。

智也は視線を落とし、その瞳の奥の濃い黒に引きずり込まれるように見入った。

その瞬間、脳裏にさまざまな光景がよみがえる。

彼女が自分の下で必死に応える姿、腰にしがみつき「智也くん」と名を呼ぶ声――

ベッドの上でしか決して口にしなかった呼び名。

思い出に囚われ、彼は手を引くことすら忘れていた。

玲奈の顔は真っ赤に染まっていた。

彼女は言葉と態度で彼を拒む。

「まだ放さないの?

恥ってものはないの?」

鋭く睨みつけ、彼の手を押し退け、さらに布団をぎゅっとかぶって身を隠した。

ようやく我に返った智也は、慌てて手を引き抜き、短く告げる。

「......愛莉を起こしてくる」

吐き捨てるように言うと、視線も合わせず足早に部屋を出て行った。

ただ、耳の先が血の気に染まったように真っ赤に色づいていた。

本当は、汗が引いたかどうか確かめようとしただけだった。

それが思いがけず胸に触れてしまい――動揺しているのは自分のほうだった。

これまで幾度も「義務」として身体を重ねてきたはずなのに、偶然触れただけで心が乱れるとは。

智也が去ったあとも、玲奈はしばらく呆然としたまま動けなかった。

触れられた場所は、まだ火照りが残っている。

彼がどういうつもりで手を伸ばしたのかは分からない。

けれど一つだけ確かなのは――彼は決して、自分の身体を求めてはいないということ。

彼の心にあるのは、愛ではない。

そう思うと、胸の奥が冷たくなる。

それでも仕事がある以上、起き上がらなければならなかった。

ふらつきながら洗面を済ませ、着替えて階下へ。

リビングの大きな窓辺で、智也が電話
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