「ちょっと待って、あたしに考えがある」
振り向くと、石橋のアクセスポイントに十六夜が立っていた。十六夜は、いつものように明るい顔色をしていて昨日のことがうそのように軽い足取りであたしたちの元に近づいてきた。あたしはその十六夜に気の利いた言葉を掛けることが出来なかった。それが十六夜の実態を投影しているのかどうか分からなかったから。 十六夜は黒と白の砂利山の間にしゃがんで双方をしばらく見比べていて、すっくと立ち上がった。「波を描こう。白と黒の」「どういうこと?」「今まで白い玉砂利だけで波紋を作っていたけど、白黒を交互に蒔いて描くんだよ。そうすると波紋がより立体的になる」 その意見に対してゼンアミさんがすかさず、「そういった事例がありません。これを採用すれば消失した六道園の再現という意図からはずれてしまいます」 当然そう言うだろうと思った。それに対し十六夜は意外なことを口にした。「どうして言える? このデザインがなかったって。あたし見たんだ。白黒にうねる州浜を。六道園で」 そういった時、十六夜が見ていたのはあたしたちではなかった。別の次元にある理想の日本庭園にいる十六夜自身を見ているようだった。 しばらくの間、十六夜とゼンアミさんは意見を闘わせていたが、曲げそうにない十六夜にゼンアミさんが折れる形で提案した。「ならば二つの意匠のプロジェクトを残しましょう。一方は今まで通りの白い州浜の、一方は白黒の波紋のある州浜の」 十六夜は自分のアイディアが本採用されなかったことに不満があるようだったが、それを承諾した。そして、「元祖」のところで両手の指でカギ括弧を作りながら、「あたしらの『元祖』六道園には舟を浮かべよう」「舟?」「舟と言っても木の船じゃない。石舟だよ。そういうのあるよね、ゼンアミさん」「たしかにございます。ただし六道園とは時代も意匠も異なる京都の大徳寺庭園に」「どうして舟が必要なんでしょう?」 鈴風が不安そうに尋ねた。その不安の原因は突拍子も無いアイディアにというより、いつもとは全然違う十六夜の振る舞いに対してのように見えた。「VRブースにロックイン・OKのサインが点いた。部活の時はいつも十六夜が使う右側のVRブースに入ってゴーグルを付け、六道園プロジェクトにロックインする。目の前が暗転して、暗転して、暗転して、おや? いつもなら一瞬でアクセスポイントの石橋の上にいるのになかなかロックインが完了しない。こんなに「距離」を感じたのは初めてだった。ゴリゴリバースのメンテの影響なのだろうか? それでも家からロックインした時に初っぱなからはじかれたのとは違って、少しずつ中に入っている感覚があった。それでVRゴーグルを付けたまま待っていたのだけれど、少し不安になって、「鈴風、大丈夫?」 と内部マイクを使って呼びかけてみた。ところが鈴風の返事がない。マイクが効かなくても隣のブースにいて聞こえないはずはないのだが。耳を澄ますと何やら水が打ち付ける音がしている。匂いを嗅ぐとなんとなくきな臭くも感じる。火事!? VRブースが火を噴いたんだ。あたしは慌ててVRゴーグルを外して状況を把握しようとした。ゴーグルを取って驚いた。そこは部室のVRブースではなく、暗い海の波間だったからだ。あたしは首から上だけを出して波間に浮いていたのだった。空を見上げると赤黒い雲が覆っていた。見渡す限りの黒い波は、まるで原始の海のようだった。電光を伴い万物を空に吸い上げるような巨大な竜巻が波間の向こうに見えた。それが一本ではなかった。何本も空と海とを繋いでいた。まるで火龍の群れが天を目指して上昇しているかのようだった。「鈴風!」叫んだが返ってくるのは波の音ばかりだった。波間に浮かびながらも、ここはいったいなんだと考えた。夢にしては体験解像度があり過ぎた。髪も着ているものも濡れていて水を被った感覚がある。味も塩辛い。未知のローカルバースに迷い込んだとするのが一番もっともらしいと思えたが、これほどのリアリティーが実現できるのはヤオマンHDが管理するゴリゴリバースだけだと思い直した。ならば、ここはゴリゴリバースのどこかか。鈴風もこことは別の場所に飛ばされたのかも知れない。でも、どうやってもとのVRブースに戻ればいい? ブースでなくても六道園プロジェクトにロックインさえできれば。 そろそろ落ち着いていられなくなってきた。立ち泳ぎに疲れてしま
十六夜のことが気になってリング端末で連絡を取ったけれど反応なしだった。それで家のVRギアで六道園プロジェクトにロックインして十六夜がいないか確認しようとしたら、ゴリゴリバースがメンテ中なのか拒否られっぱなしだった。結局、十六夜の生存確認は月曜日に園芸部の部室からすることにした。園芸部のVRブースは、ヤオマンHD本社のシステム管理用高性能機種と同じもので大抵の障害なら余裕でスルーできるから、何かあってもプロジェクトへのロックインくらいは出来るに違いないから。 月曜朝。あたしはバイトが休みなので冬凪に飲み物とお弁当を用意して送り出した後、一時間くらいして学校に向かった。ミユキ母さんは夏休み初めから自分の調査フィールドに入っていて不在なので戸締まりをちゃんとしたか確認して出る。 宮木野線の汽車の車内はクーラーが効いていて快適だった。車窓から見えるのは、田んぼと畑と田んぼと畑と田んぼと畑と田んぼ。たまに竹林。ピーカンのお日様に照らされて暑そうだ。あの暑さの中で冬凪はじめユンボブラザーズやティリ姉さん、もとい江本さんたちは働いているかと思うと後ろめたい気がした。一日やったくらいでこんな気持ちになったバ先はこれが初めて。 やっと学校に着いた。辻バスを降りてからの道のりだけで大汗を掻いてしまった。ハンドタオルで汗を拭きながら部室の前に立つ。〈♪ゴリゴリーン。夏波、来たんだ〉 あー、うざい。生徒管理AIを再教育出来るんなら、あたしは一番に作法を教えるね。「夏波センパイ、来たんですか」 鈴風までかよ。「じゃ、スズ、あたし部室に戻るね。バイ」 もう一人いた子がそそくさと出て行った。〈訪問者様。さようなら ♪ゴリゴリーン〉マスクのあの瞳、見覚えがあるような。制服は辻女のだったのに生徒管理AIが名前を言わないってどういうこと? 「夏波センパイ、夏休みはもう来ないかと」「バ先のシフトが変わってね。月火と来ます」「そうなんだ」 なんか残念そう。あたしってば鈴風に嫌われてたのかな。「あ、VRブースの火、入れますね」 と二台のVRブースの起動スイッチを入れてくれた。ドコドコと起動の音が響く
午後も引き続き雑草の山の片付けだった。獅子奮迅の働きをするユンボブラザーズは別して、他のみなさんは灼熱の太陽にエネルギーのほとんどを吸い尽くされた感じで、赤い顔で作業をしていた。そんな中、冬凪はと言うと、ユンボくんたちが抱えやすいよう雑草の束を渡してあげたり、ビニル袋を広げてあげたりと、ユンボブラザーズのサポート役をしっかりこなしていた。「小休止です」 赤さんの号令が掛かる。みんながハウスに戻るのについて行く。用意したクーラーボックスのスポドリと麦茶をがぶ飲みしてようやく、頭が痛み出したのを抑えることが出来た。十五分経って、「始めまーす」 と集合が掛かる。作業している雑草の山に向かうと、雑草から湯気が立っているかと思ったら陽炎だった。「今日中に終わるのかな」 暑さのせいなのか、午前中より明らかに作業スピードが落ちている気がした。「終わらなくても大丈夫だよ。今日は赤さん、みんなの働きぶりを見てるだけだから」 そうか、まだ試用期間扱いなのか。 その後、二時半の三十分休憩、三時半時の小休止を経て四時十五分になって、「道具片付けて終わりにしましょう」 となった。あたし至上一番長い日だった。女子用更衣室になるハウスで着替えをする。びしょびしょになったTシャツやヘルメットの下に巻いたタオルを用意したビニル袋につめながら、こんなに人って汗をかくものなのかと驚いた。下着も替えた。着替えを終えてスポドリを飲んでいたら冬凪に聞かれた。「感想は?」「生き延びたって感じ」 本気でそう思った。最高気温35度、炎天下の作業。現場の気温は40度を超えていた。言葉にするとそれだけだ。けれど、どんなに苦しくても学校の授業のようにフケられない中、頭痛い、汗が異常なほど出てくる、息苦しい、動悸が変だ等、バグり始めた自分の体と、「まだ大丈夫?」「もうダメかも知れない?」「まだいける?」と対話しながら「休憩です」と声が掛かるまで作業を続けなければならない。ティリ姉さん、もとい江本さんは、「ナミちゃん、いつでも木陰で休んでいいのよ」 と言ってくれたけど、あたしよりお年を召した人たちが黙々と働いていたらそんなこと出
その少女は小学生くらいのあどけなさが残るかわいらしい顔つきをして、出てきた意味あんのっていうほど市松人形の色柄そっくりの和服を着ていた。千福家の娘さんだろうか。三つ指をつき丁寧に頭をさげ、「「お初にお目に掛かります。千福まゆまゆと申します」」 やっぱ声が二重に聞こえる。「「この度は、調査にご協力いただきありがとうございます。千福家を代表して私どもからお礼申し上げさせていただきます」」 代表して? わたくしども? 冬凪に説明を求める目を向けると、「千福家の御当主だよ」 遺跡調査の施主様だった。勝手に年寄りなのかと思ってた。「遺跡調査は初めての経験ですが一所懸命頑張ります」 と意気込んで言うと市松人形の中の人は、「「遺跡調査? はて、なんのことでしょう?」」 と冬凪の方を見て言った。「夏波にはのちのち説明します」冬凪が言いにくそうに答える。なんだか不穏な空気を感じたが冬凪があたしを騙すはずないので何も言わずにおいた。「「それでは早速」」 と千福まゆまゆさんが立ち上がり市松人形の腹の中に左手を差し出した。まるであたしに中に入るように促しているように見えた。すると冬凪が、「今日はご挨拶のために参りましたので、実見は今度ということに」「「左様ですか。では今度のご来訪を楽しみに」」 と言いながら市松人形の中に入り、左右に開いた胸元を掴みながら、「「さようなら。では、また今度」」 と最初のように閉じこもってしまった。「さようなら」 そして吸気音がした後、市松人形は反応がなくなった。「どういうこと?」「いずれね。夏波もきっと気に入ると思うよ」 こいつやっぱり何か企んでるな。 土蔵を出ると熱気のせいですぐに額に汗が浮いた。竹林の中を歩いていても体中が汗ばんでくる。前を歩く冬凪に気になったことを聞いてみた。「なんであの人が話すとき二重音声みたく聞こえたの?」「双子だからじゃない?」「一人だった、よね?」 まさかあたしには見えてない人がい
冬凪は右手の白い漆喰壁の土蔵に歩いて行く。その観音開きの漆喰扉には右に山椒の木の芽、左に六弁の花が彫刻されてあった。「これすごいね」 あたしと一緒にその重い扉を開けながら冬凪が、「鏝絵(こてえ)だよ。大工さんが鏝だけで描く装飾。右は六辻家の印の山椒で、左はクチナシを象っている。千福はクチナシの別名だからね。ちなみに爆発前の屋敷には年中クチナシの花が咲き乱れていた」と言った。クチナシって年中咲くんだっけと思ったがスルーした。扉を開けきると中にも重厚な格子引き戸があって、それを開けるとギシギシと砂を擦るような音がした。「どうぞ」 促されるまま土間で靴を脱いで上がる。外の暑さとは打って変わって中はひんやりとしていて背中の汗がすっと引いた。ものすごく年を経た物品の匂いに混じってかすかだが甘い香りがしている。「誰に挨拶するの?」「まあ、ついておいでよ」 冬凪が格子戸を閉めると、もともと暗かった蔵の中はいっそう暗くなり、周りに何があるか分からなくなった。木の床は磨き上げられているのかつるつると滑り、転ばないようにするのに苦労した。さらに奥に進むと、蔵の中心あたりに小柄な人くらいの、白地に五弁の花が金彩された和服の市松人形が置いてあった。冬凪はその前に正座し、あたしにもそうするように促した。そして、「藤野冬凪がまいりました。ご機嫌麗しう」 と挨拶した。その市松人形はデカい音声モニターになっているのだろう、「「冬凪さん? こんにちは。お連れのかたはどなた?」」 と返事があった。接続が悪いのか声が割れて聞こえる。「姉の藤野夏波です。このたびお屋敷にお邪魔させていただきたくご挨拶に参りました」 と言ってあたしに挨拶するように手で合図する。あたしはどこの誰かも知れない人にどう挨拶すればいいか分からなかったので、「誰?」(小声) と聞いたが、冬凪はとにかく挨拶をと言う。「えと、藤野夏波です。初めまして?」 これでいい? と冬凪に目で合図する。沈黙がいやな間を創る。その気まずい感じを破るように突然排気音がして市松人形が縦に二つに割れた。そして開いた体の中から、
「夏の間は、四十五分働くと十五分の小休止が入るんだけど、今日は作業でなかったからね」 と冬凪が申し訳なさそうに説明してくれた。「このあと穴掘りなの?」「違うと思う。多分ハウス周辺のお掃除」 休憩が明けて、ハウスの後ろに積まれた雑草の山をゴミ袋に詰めて防護シートの外に出す作業をみなさんでした。その量は巨象の食餌一年分ぐらいあった。「ここに置いておくとゴミ運搬車が持って行ってくれる」 のだそう。 夏の太陽が頭上にあってじりじりと圧を掛けてくる。隠れる木陰もない場所で、雑草をゴミ袋に詰め数メートル運ぶだけで大汗だ。頭を下げるとヘルメットから汗が滝のように落ちてくる。みなさんも顔を真っ赤にして作業をしていた。そんな中、やはり活躍したのはユンボブラザーズで、胸いっぱいに抱えた雑草を腕力で圧縮しゴミ袋に詰めては防護シートの外に放り投げるを繰り返していた。おかげで作業は進み、雑草の山の三分の一が片付いた。「お昼でーちゅ」 懲りない赤さんの号令でみなさんからほっと声がもれた。 冬凪とハウスに戻り、凍らせておいたスポドリをがぶ飲みする。喉に落ちて冷たさが胃に至るまでに体の熱気を奪って、火照った体が一気に冷えるのが分かった。ここに来て大量の飲料の必要性を実感する。必要なのは水分でなく低温だったのだ。 汗になった長袖Tシャツや下着を着替え、ほっと一息。用意したおにぎりを食べる。「足りなくない?」 朝、少なすぎるかなと思って冬凪に聞いたのだったけれど、「用意して貰っても食べられないから」 と言われてたのだった。全部食べられる気はしたけれど、あの炎天下の中で作業して吐かないか心配になって一つ残した。 休憩は40分以上残りががあった。散歩でもしようと外に出たら、「挨拶しに行こう」 冬凪が一緒に出てきて誘われた。誰に? と思ってついて行くと防護シートの外に出て行く。道に出るかと思えばそうでなく防護シートに沿って歩きだした。そのまま千福家の敷地内の竹林に入って竹の枯れ葉を踏んで行くと緑に染まった空間があって冬凪はそこで立ち止まった。「爆発の時に残った建物だよ」