「そうね。でもある意味人間臭くなったのかもね」「そうか。褒め言葉と受け取っておくよ。それで、そのメールの出所の件………だよな?」京極はPCを操作すると、プリンターから印刷物が出てきた。「これを持って行け」姫宮にプリントされたA4用紙を渡した。「これは……何?」「俺のPCのダミーのIPアドレスだ。二重三重にダミーを掛けているからこれ以上は調べられない、そう言って手渡せ。これを防ぐにはさらにセキュリティを強化するしかないとでも言っておけばきっと納得するだろう」「……最初からこうなることを予想してたの?」「一応な。でも静香には迷惑かけたくないからな」「ありがとう。貰っていくわ」そして姫宮は上着を着るのを見ると京極は尋ねた。「もう帰るのか?」「ええ、だってもう21時になるもの」「……ここで一緒に暮らすか?」「は……? 何を言ってるの? そんなこと出来るはずないでしょう? それともどこか別の場所に引っ越してくれるなら考えてもいいけど?」「……悪かった、今の話は忘れてくれ」京極は肩をすくめた。「余程朱莉さんの傍を離れたくないのね……」「そうかもな……」「それじゃ、帰るわ」「ああ、気をつけてな」そして姫宮は京極の部屋を後にした——****同時刻――オハイオ州 午前7時「え? 何だって? 航。今何て言った?」琢磨はモーニング珈琲を飲みながら首を傾げた。『だからー、俺はもう完全に朱莉を諦めたって言ってるんだよ』受話器越しの航はどこか投げやりに聞こえる。「嘘だろう? お前あれ程朱莉さんに惚れ込んでいたじゃないか?」『まあな……色々あって、今は別の女と付き合い始めたんだよ。琢磨は一応俺のライバルだからな。伝えておこうと思ったのさ』「へえ~ライバルねえ……。ところで最近そっちで何か変わった事は無かったか?」『あ! そうだ……大事な事を思い出した! 鳴海翔だよ! あいつ……この間バレンタインの時に朱莉でも明日香でもない別の女と高級レストランで食事してたんだよ!』「何? その話本当か?」『ああ! それで俺はその店を急いで出て、朱莉の元へ向かったんだ。そして朱莉にその話をしても……意外と無反応だった……というか、関心が無いみたいだった』「何だって?」琢磨はその話に反応した。『ああ、自分は書類上の夫婦とういうだけの関係で、鳴
20時―― 京極の億ションのインターホンが鳴った。モニター画面を見るとそこには帽子を目深に被った姫宮の姿がある。「やはり来たか」小さく呟くと京極は黙ってカギを開けると姫宮の正面の自動ドアが開いた。「……」姫宮は無言のまま、中へと入って行った。「正人! 一体、どういうつもりなの!?」開口一番、姫宮は京極をなじった。「どういうつもりも何も……鳴海翔を少し揺さぶりをかけただけだが?」「何が揺さぶりをかけただけよ……。正人のやってる行為は完全な脅迫よ。一歩間違えば犯罪になりかねないわ」「そうか? 大げさだな?」京極はコーヒーを淹れると姫宮に差し出した。「……」姫宮は珈琲を受け取ると一口飲み、ため息をついた。「副社長に言われたのよ。このメールの出所を探って欲しいって……しかもこの私に。どう責任を取ってくれるの? このままでは私は秘書の仕事もを辞めざるを得ない……それどころか、もうあの会社にもいられなくなるかもしれない。そうなると正人、貴方に情報を流せなくなるわよ? それでもいいの?」「何だ? 静香。お前が俺を脅迫するのか?」京極は肩をすくめる。「脅迫? 正人は私の言葉を脅迫と捕らえているの? 私は一般論を語っているだけよ?」「そうか……」京極はコーヒーを手にPCの前に座ると、姫宮がその後を追った。「ねえ、正人……貴方最近おかしいわよ? やり方がエスカレートしているし、大胆な行動に出始めているわ。一体何をそんなに焦っているの?」「焦っている……? 俺が?」「ええ、そうよ。まるで朱莉さんを奪われたくない為に邪魔な人間を次々と排除しよとしてるようにしか見えないわ。あの九条琢磨と言い、安西航と言い……」「そうだな……でも2人共、俺の思惑通り去って行ってくれた。なのに……」京極はギリリと歯を食いしばった。「……俺の予定では明日香と鳴海翔は愛に溺れ、それが鳴海会長の知る処となり、翔は失脚させられるはずだったのに……。朱莉さんには多額の慰謝料を取らせてあげる様に働きかけ、無事に離婚させたのち、明日香と翔の関係を世間に公表して鳴海グループのスキャンダルを世間にさらしてやろうと思っていたのに……! まさか2人して俺の思惑とは違う方向に進んでいくとは……とんだ誤算だった」「何でも自分の思うように事が運ぶとは思わないことね。いくら人間観察に優
事情を知らなかった正人は母を、そして裕福な家に引き取られた静香を恨んだ。だが、正人は小学生に上がった時に何故静香と会えなくなってしまったのか真実を知ることになった。正人は母に頼み込み、静香が何処に住んでいるのか教えて貰った。正人は学校を無断で休み、住所を頼りに行ってみるとそこは豪邸で、お手伝いの人間がいた。妹に会いに来たと言ってもにべもなく追い返され、そこで正人は静香が帰宅するのを何時間も待った。そして4時間待ち続け……ついに正人は静香と再会を果たした。それは2人が小学5年の時。実に6年ぶりの再会だった————その後。正人と静香は内緒の手紙のやり取りをずっと続けた。そして自分達が何故このような境遇に陥ってしまったのか、何年も調べ続け……中学生になった時にようやく父親の弟子達の仕業だったことを知る。弟子たちは全員画家として成功し、優雅な生活を送っていた。その事実を知った正人は復讐に燃えた。父の残した遺品は絵画以外は全て母が保管していた。そこには本物の父の遺言が残されていた。正人と静香は弁護士に相談し、ついに偽造文書である事を証明出来たのだ。弟子たちは全員偽造文書捏造の罪で起訴され、復讐は終わった――と静香は考えていた。しかし、正人は違っていた。父の画廊を潰したゼネコン企業の大本となった鳴海グループに復讐すると言い出したのだ。**** 2人が会う場所はいつもカラオケボックスだった。ここならどんな内緒の話でも出来るからだ。『静香、お前も当然協力してくれるんだろうな? 俺達の人生を滅茶苦茶にしてしまった鳴海グループに復讐する為に』『ねえ……正人。そこまでする必要があるの? 鳴海グループは世界に名だたる巨大商社なのよ? 分かってるの?』『ああ。だから俺は奴等に負けないように努力する。俺達を……母さんを見下してきた姫宮家にも馬鹿にされない為に。あいつ等を見返してやるんだ』京極は憎しみの籠った声で言う。その言葉を聞く度、静香は遠回しに自分も責められているようで何も言い返す事が出来なかった。『静香、お前も当然協力してくれるんだろう?』『私は……何をすればいいの?』『鳴海グループに近付くんだ。静香、お前も俺と同様努力家で有名大学に入っただろう? だからお前は就職先は鳴海グループ1本に絞れ。そこに入社出来る様努力するんだ。いいな?』『……
静香は京極家の双子の兄妹としてこの世に生を受けた。 母は名家の出身で、大企業の4人兄姉の末っ子であった。母は学生時代に美大に通う男性と知り合い恋人同士になったが、両親に兄姉達全員から激しい反対に遭い、卒業後ほぼ2人は駆け落ち同然で一緒になった。 売れない画家で貧しい暮らしを強いられたが幸せな暮らしをしていた。 一緒になって1年目に双子を妊娠し、正人と静香が誕生した。 そしてその頃から父は画家として売れ出し、少しずつその名声も地位も高まっていった。正人と静香が5歳の誕生日を迎える頃、ついに父は有名画家の仲間入りを果たし、自分の画廊も持てる程になっていた。弟子も何人か持てるほどになり、家族の暮らしは格段に良くなっていった。ところがその矢先、父は個展の帰りに交通事故に遭い、呆気なくこの世を去ってしまった。お嬢様育ちだった母は無力な存在だった。気付けば父の残した絵画は全て弟子達によって奪われてしまった。 さらに追い打ちをかけるような不幸が京極家を襲った。鳴海グループの息がかかったゼネコン業者が土地開発事業をする為に、父の残した画廊を買い取ったのだが、その名義すら弟子たちに書き換えられていたのだ。 弟子たちは京極家の財産を全て奪い去ると行方をくらまし、残されたのは父が生前加入していた保険の遺族金のみであった。 母は何度も自分の両親や兄妹にお金の援助をして欲しいと泣きついたが、誰も手を差し伸べてくれる者はいなかった。 仕方なく母は生活の為に家を手放し、親子3人小さなアパートでの暮らしが始まった。働いた経験が殆ど無かった母は昼はパートのレジ打ち、夜は数時間だけ水商売の仕事に手を出さざるを得なかった。そして残された静香と正人は2人きりで夜を過ごしていた。 ある夜の出来事だった。静香と正人が留守番をしていた時、上の階に住む住人が火の始末を怠って家事になってしまった。 アパートは焼け落ちてしまったが、階下に住んでいた静香と正人は何とか消防に助けられた。しかし、幼い子供を残して家を空けていたということで母は世間から大バッシングを受け、精神を病んでしまった。それを見兼ねた母の両親がようやく救いの手を差し伸べて来たが、条件付きだった。 静香を長男夫婦の養女にするので引き渡せと言う残酷な物だった。さもなければ援助はしない、勝
シャワーを浴びて部屋に戻るとメッセージが届いている。「朱莉さんからだな」『お仕事お疲れさまでした。チョコレートお口にあったようで良かったです。おやすみなさい』「朱莉さん……お休み」そしてスマホの電源を切ろうと思った時、翔はまだ1通メッセージが届いていることに気が付いた。それは知らないアドレスだった。「何だ? 迷惑メールか?」そのままゴミ箱にメールを捨てようとしたとき、メールの題名にふと目がいった。「な……何なんだ……? この題名は……」そのメッセージの題名には自分の名前が書かれていたのだ。『鳴海翔へ』「俺の名前……? 一体何て書いてあるんだ……?」翔はメッセージをタップした。『鳴海翔はバレンタインの夜に女性とデートを楽しんだ。画像ファイルを見ろ』「何だって!?」(馬鹿な……! 一体誰がこんなメッセージを……うん?)そのメールには確かに添付ファイルが添えてある。(一体……この画像は何が写ってるんだ…?)翔は震える指先で添付ファイルを開いた。そこには先程の女性記者と翔が食事をしている写真だった。この食事はインタビュー目的……いわゆる仕事の一つだったのに、画像だけ見れば翔が楽し気に食事をしている姿にも見える。(だ、誰だ……? 俺にこんなメッセージを送りつけてくるとは。これで二度目だ。俺を脅迫しているのか……? くそっ! 一体誰がこんな真似を……!)翔は悔し気に髪をかき上げ、ソファに座りため息をつきながら改めて画像を見直した。「この写真から見ると俺の左後ろ側から撮っているな……。監視カメラはついてないだろうか? 明日にでもこの店に確認をしてみよう」(どこのどいつか知らないが、必ずこのメッセージを送りつけてきた人物を見つけてやる……) その頃——朱莉は蓮の為に手作りスタイを作っていた。(そうだ。レンちゃんの為にベビー服を作ってあげようかな。明日にでもネットでミシンを見てみよう)そしてベビーベッドでスヤスヤと眠っている蓮を見た。朱莉は今幸せで一杯だった。こんなに穏やかな気持ちになれたのはまだ父が生きている時以来だった。父がいて、母がいて……3人で仲良く暮らしていたの時以来の充実した気持ちでいられるのはすべて蓮のお陰だった。(後4年もしくは3年……それまではこの幸せを噛みしめて生きていこう……)そして朱莉はスタイを1枚縫い
「鳴海様、今日はインタビューありがとうございました」店を出ると女性記者は翔にお礼を述べてきた。「いえ、こちらこそ中々予定が取れずにすみませんでした」「それにしても……」女性記者は意味深に笑う。「?」「いえ……まさか、よりにもよってバレンタインの日にインタビューが重なるとは思いませんでした」「は、はあ……。そうですね。秘書にスケジュールを管理して貰っていますので、正直こちらも驚きました」「いえ、デート気分を味わえて良かったです。でもそう言えば……」「どうかしましたか?」「あの、実は私たちのテーブルの近くで若いカップルが座っていたんですけど、男性の方が女性を置いて席を立って飛び出して行ってしまったんですよ。あれには少し驚きましたね」「え? そんなことがあったのですか?」「ええ、鳴海様は背を向けて座っていたので気付かれなかったのでしょうね……。可愛そうに。そのお嬢さん泣きながら店を出て行ったんですよ」「……それは酷い話ですね……」翔はうなるように言った。「あ、申し訳ございません。お仕事とは関係ない話をしてしまいましたね?」「いえ。それでは私はここで失礼いたします」「はい。私はここから電車で帰りますので。次号の記事を楽しみにしておいてください」「「失礼します」」互いに礼を言うと女性記者は駅に向かって歩いていった。翔はその後ろ姿を見送ると、踵を返してタクシー乗り場へ向かった。タクシーに乗ると翔は行先を告げ、窓の外を眺めながら思った。(しかしまさかあの姫宮さんがバレンタインの日に女性記者とのインタビューの予定を入れるとは思わなかった……。ひょっとして疲れでも溜まって間違えたのかな?)別にバレンタインだからと言って朱莉と何か約束をしていたわけではないが、バレンタインに女性とレストランで食事は何故か朱莉に申し訳ない気がして、罪悪感を抱いていたのだ。(女性記者と今日食事をしたことは……朱莉さんには黙っていよう)しかし、この時の翔はこれが騒動を引き起こすことになるとは思ってもいなかった――**** ——22時半翔は玄関に入ると郵便受けに紙袋が入っているのを見つけた。(何だろう……?)翔は紙袋の中を覗いて驚いた。そこには上品な皮の手袋と手作りらしきチョコが入っていた。中にはメッセージカードも添えられている。翔はメッセ―ジカー
朱莉は航をじっと見つめると尋ねた。「航君、クリスマスイブの日に姫宮さんに何て言われたの? 私、何も聞かされていなくて……」「あ……そ、それは……」(駄目だ……姫宮が俺をストーカーにし立てあげたって話をすれば朱莉は気にするに決まっている……!)航が言い淀んでいると朱莉は続けた。「絶対翔先輩に航君とのこと追及されるかと思ったのに、何も言ってこなかったんだよ? だから恐らく姫宮さんは翔先輩が納得のいく理由を説明したのかもしれないけど……。その内容がどんなだったのか私には分からないの。もしかして一方的に航君を悪者扱いしたんじゃないの?」朱莉は心配そうな顔で航を見た。「そ、そうだ! 今夜俺がここに来たのは……朱莉! 鳴海翔のことをお前に伝える為に来たんだよ!」「え? 翔先輩のこと?」「そうだ。俺……実は今夜店で偶然に鳴海翔に会ったんだよ。そこはいかにも高級そうな店で、バレンタインと言うこともあってか、すごく混んでいたんだ。そしらアイツ……今迄見たことも無い女と2人で店に来ていて……一緒に酒迄飲んで楽しそうに食事をしていたんだよ!」「翔先輩が女の人と食事……?」朱莉は首を傾げた。「ああ! そうだ!」「そうなんだ……」朱莉はそれだけ言うとコーヒーを飲んだ。航は朱莉の落ち着いた態度が腑に落ちなくて尋ねた。「お、おい……朱莉……。お前、何とも思わないのか?」「うん。だって私と翔先輩は書類上の夫婦とういうだけの関係だし、私の立場では何も言う資格は無いもの。翔先輩が何処でどんな女性と会っていても口を挟める立場では無いから」「朱莉……?」航は朱莉が妙に落ち着いている姿が信じられなかった。(何故だ? 朱莉……お前、鳴海翔のこと好きだったはずだろう? でもこの反応からすると今は違うってことか……?)「むしろ、明日香さんの方が翔先輩に物を言える立場だと思うの。だけど明日香さんとの関係もこじれてしまっているし……」「そ、そうだ! 明日香だ! 明日香だって今別の男と一緒に長野で暮らしているんだぞ!?」「え!? 明日香さんが……? そう、やっぱり……。あまりにも長く戻って来ないから何となく予想はしていたんだけど……」朱莉は寂しそうに俯いたが、すぐに顔を上げた。「でも何故航君がそのことを知ってるの?」「実は…以前頼まれたんだよ。京極の奴に…」「えっ!
美幸を置いて1人店を飛び出した航は駅に向かって走っていた。航の目的の場所は決まっていた。(くそっ! 鳴海翔め……!)駅に着くとホームを駆け下り、イライラしながら電車を待つ。やがて電車がホームに着くと、航は乗り込み朱莉のことばかり考えていた。(鳴海翔が別の女とバレンタインの夜に2人きりであんな高級そうな店に食事に来ていたなんて……!)ギリリと歯を食いしばりながら航は電車に揺られていた。ボディバックに入れたスマホはずっと着信を知らせていたが、航はそれには少しも気がついてはいなかった―― やがて電車が六本木駅に到着し、航は急いで降りると再び走り始めた。 その頃の航にはもう姫宮と交わした約束のことなど、すっかり抜け落ちていた。今航の頭の中にあるのは朱莉のことだけだった。(あいつの正体をばらしてやる…! そして明日香のことだって……!) ****「はい、レンちゃん。おむつ綺麗になりましたよ〜」ベビーベッドに寝ている蓮に朱莉は声をかけた。すると蓮が朱莉に手を伸ばした。「ダーアー」この頃になると、朱莉はもうすっかり蓮が何を要求しているのか理解出来るようになっていた。「レンちゃん。抱っこして欲しいのね?」朱莉は笑顔で声をかけ、ベビーベッドから抱き上げると蓮は嬉しそうな笑顔で朱莉を見て、小さな手で朱莉の頬に触れた。「まーまー」「フフッ。そうよ、レンちゃん。私がママだよ?」そして蓮を胸に抱き寄せ、愛おしそうに頭を撫でた。(ふふふ……ほんと、何て可愛らしいんだろう……)その時、インターホンが鳴った。「え……? 誰だろう……?」朱莉はモニターを見て目を見張った。そこには荒い息を吐きながらモニターを覗きこんでいる航の姿があったからだ。(う、嘘……。航君……どうしてここに……?)思わず躊躇していると、再びモニターの航はインターホンを鳴らしてきた。きっとこのままでは朱莉が応対するまでインターホンを押し続けるだろう。 朱莉は震える手でインターホンに応じた。「は、はい……」『朱莉! 俺が見えているんだろう!? 大事な話があるんだ!』航の切羽詰まった声が聞こえてくる。「わ、航君……。どうしたの……? と、突然……」朱莉は声を震わせて応答した。「朱莉! お願いだ! お前と話がしたいんだ!」「だ、だけど駄目だよ……。航君はもうここへ来
1時間後——「はああ……」げっそりした美幸は公園のベンチに座っていた。「悪かったな美幸。お前お化け屋敷とか苦手だったんだな?」航は自販機で買ったばかりの熱い缶コーヒーを美幸に手渡した。「はは……どうかな……。怖いのが好きな友達もいるけど……」美幸は乾いた笑いをしながらプルタブを空けてコーヒーを一口飲んだ。「ほんと、悪かった。何か埋め合わせするよ」航がポツリと言うと、美幸は顔をあげた。「ほんと? それじゃあ14日予定空けておいてくれる?」「14日? 明後日か?」「そう! 絶対だからね?」「分かったよ」航は肩をすくめた。「それじゃ、指切りして」「ったく……しようがないな……」航は苦笑すると、美幸と指切りした——**** そして2月14日、19時―― この日。美幸は気合を入れてお洒落をして表参道の駅前に立っていた。ファーの帽子をかぶり、少し大人びたワンピースにブラウンのロングコート。今日の為にわざわざ新しく買った新品のコートである。普段の美幸なら絶対にコートなんて来たりしない。軽くて温かいダウンばかり着ているのだが……。美幸の頭には去年のクリスマス・イブの出来事が頭から離れられなかった。航との待ち合わせ時間丁度に着いた時、航がベレー帽をかぶり、ロングコートを着た女性に向って駆け寄り、強く抱きしめる姿を……。(きっと航君が好きな女性は、ああいうタイプの女性なんだ)だから少しでもその女性に近付きたくて、普段は着慣れないワンピースにロングコートという井出達で航を待っていた。これから2人で行くお店だって予約済みだ。会社の社長である京極のアドバイス通りの店を予約し、そこでバレンタインのプレゼントを渡す。航は殆ど寒い外で仕事をすることが多いので、思い切ってカシミヤのマフラーを買った。(フフフ……航君、喜んでくれるかな……)するとその時――「美幸! 待たせたか?」航が背後から声をかけてきた。「うううん! 今着た所!」本当は20分前から来ていたが、そこは内緒だ。「あれ? 今夜の美幸は何だかいつもと違うな?」航は白い息を吐きながら首を傾げる。「うん。へっへっへ……似合うでしょう?」照れくささを隠すために美幸はわざと変な笑いをした。「何だよ、そのへっへっへ……って笑いは?」航は呆れたように言うが、その顔は笑顔だった