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元カノは彼の子を堕ろした——それでも、彼は私に理解を求めた

元カノは彼の子を堕ろした——それでも、彼は私に理解を求めた

作家:  枝火 ひより完了
言語: Japanese
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概要

ドロドロ展開

後悔

ひいき/自己中

クズ男

五度目の区役所。 けれど、今回も私と篠原湊真(しのはら そうま)は、婚姻届を提出できなかった。 縁起の良い日を選び、朝から準備万端で来たというのに——受付まであと一組というタイミングで、彼のスマホが鳴った。 慌てた様子で立ち上がろうとする湊真の腕をつかみ、私は画面を指差して訴えた。 「あと一組だけだよ。区役所も空いてるし、10分もあれば終わるよ……それからにして。籍入れてからでも遅くないよね?」 湊真は会社を経営していて、時間の融通も利く人だ。 だからこそ、私は甘えてしまっていたのかもしれない。 しかし彼は、表示された番号を一瞥しただけで、手にしていた番号札を私に無造作に押し付け、うんざりした顔で言い放った。 「俺はいつだって君と結婚できる。でも今は処理しなきゃいけない仕事がある……感情的になるなよ」

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第1話

第1話

五度目の区役所。

けれど、今回も私と篠原湊真(しのはら そうま)は、婚姻届を提出できなかった。

縁起の良い日を選び、朝から準備万端で来たというのに——受付まであと一組というタイミングで、彼のスマホが鳴った。

慌てた様子で立ち上がろうとする湊真の腕をつかみ、私は画面を指差して訴えた。

「あと一組だけだよ。区役所も空いてるし、10分もあれば終わるよ……それからにして。籍入れてからでも遅くないよね?」

湊真は会社を経営していて、時間の融通も利く人だ。

だからこそ、私は甘えてしまっていたのかもしれない。

しかし彼は、表示された番号を一瞥しただけで、手にしていた番号札を私に無造作に押し付け、うんざりした顔で言い放った。

「俺はいつだって君と結婚できる。でも今は処理しなきゃいけない仕事がある……感情的になるなよ」

うつむいたまま、私は静かに番号札を握りしめた。

湊真は、やっぱり行ってしまった。

区役所の待合スペースに、ぽつんと一人残された私。

スピーカーから「〇番の方、窓口へどうぞ」という無情な声が響く。

私は涙を堪えながら、番号札をくしゃっと握り、ゴミ箱へ放り込んだ。

湊真とは付き合って五年。二年前、彼からプロポーズされたけど——その婚姻届はいまだに提出できていない。

そのとき、不意にスマホが鳴った。

電話の向こうで、母が嬉しそうに聞いてくる。

「どうだった?湊真くんと、もう籍入れた?」

母は二年前にがんを患ってから、体調がどんどん悪くなっていた。

せめて自分が元気なうちに、私が結婚する姿を見届けたい——それが母の願いだった。

鼻をすすりながら、私は曖昧に言い訳をした。

受話器の向こう、数秒の沈黙のあと、母の声にわずかな落胆がにじんでいた。

「湊真くん、お仕事忙しいのね……うん、仕方ない、仕方ないわよね……」

家に戻ったばかりの頃。

スマホが震えた。大学時代のグループチャットだった。

柚原心咲(ゆはら ここな)が、写真と共にメッセージを投稿していた。

【今日はクリスマス。私が「プレゼント早く欲しいな」って言ったら、彼すぐに来てくれたの♡】

【「すぐ行く、呼ばれたら行く」って、いつでも変わらない約束】

写真には、湊真が心咲の首に金のネックレスをかけてあげている姿が映っていた。

すぐに誰かが返信した。

【わ〜羨ましい!幼なじみってやっぱり特別だよね】

【別れても友達って、本当にあるんだな〜】

——そう、このグループは大学の同期グルチャ。

その子の言葉は間違っていなかった。

湊真と心咲は昔、付き合っていた。

彼女は、湊真の子を流産した。

だから毎年の節目やイベントでは、彼はまず心咲を優先し、その翌日に私と過ごす。

かつての私は、それが悔しくて何度も彼にぶつけたことがあった。

けれど湊真は、いつも辟易した顔でこう言うのだった。

「彼女は俺の子を失った。もう他の男に『綺麗な体』だなんて思ってもらえないだろ。だから結婚するまで、俺が倍にして償ってやるって決めたんだ。

それに、一日遅れで祝うってだけでしょ?何が不満なの?」

でも、イベントが終わってからの「後祝い」に、どんな意味があるというのだろう。

私は静かに、ひとり分のクリスマスディナーの写真をアップした。

【みんな、メリークリスマス】

間もなく、グループ内の数人が状況に気づいた。

【え、マジ?てっきり一緒に出かけてるかと思ってた……】

【湊真って、前カノ優先なんだ……あの柚原さん、前からちょっと怪しいと思ってた】

【琴ちゃん、この前「お母さんのためにも今年中に結婚したい」って言ってたよね……まさか、邪魔されるなんて……】

スマホが震えた。通知は、湊真からの特別ピン留め。

【明日、お前の実家に挨拶行く。結婚式のこと、話そう】

——五年付き合って、湊真が私の実家を訪れたのは、あのプロポーズのときだけ。

彼はいつも「忙しい」と言い訳し、帰省にも付き合おうとしなかった。

けれど、心咲の一言、「流産の後遺症でお腹が痛いの」って呟くだけで、湊真はすぐに駆けつけた。

それか、「会いたいな」ってたった一言。それだけで湊真は三十分以内に駆けつける。

……これは、きっと「機嫌取り」だ。

昔の私なら、嬉しくてすぐに準備を始めたかもしれない。

でも今の私は、もう疲れていた。

【また今度にしよう】

湊真からの返信は、すぐだった。

【またかよ。何を拗ねてるんだよ?】

ああ、そうだった。

私には、拗ねる権利すらなかったんだ。

彼の前で、感情を出せるのは——心咲だけ。

【?】

追い討ちのような催促が来た。

一瞬のためらいの後、母の期待を思い出して、私はため息と共に返信した。

【……わかった】

翌日、私は有休を取り、一人で先に実家へ向かった。

湊真は「後から行く」と言っていた。

彼が来ると知って、母は朝から弱った体を引きずって市場へ行き、

痛みをこらえて、食卓いっぱいの料理を準備してくれていた。

けれど——

両親は、昼から夜中まで待ち続けても、湊真は現れなかった。

私は何度も電話をかけたが、ずっと繋がらなかった。

母は、私の気持ちを察して、無理やり湊真の「事情」を擁護しようとした。

——それでも、電話一本の折り返しすらないまま、その夜は終わった。

翌日。会社に戻った私を、上司の早川千佳(はやかわちか)が呼んだ。

「決めた?名栗野支社の副支店長ポスト。

あなたの力なら充分にやれる。私が推薦出すから、行くなら今がチャンスよ。

……高梨琴(たかなしこと)、これは最後のオファーだと思って」

私は、少しだけ目を見開いた。

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第1話
五度目の区役所。けれど、今回も私と篠原湊真(しのはら そうま)は、婚姻届を提出できなかった。縁起の良い日を選び、朝から準備万端で来たというのに——受付まであと一組というタイミングで、彼のスマホが鳴った。慌てた様子で立ち上がろうとする湊真の腕をつかみ、私は画面を指差して訴えた。「あと一組だけだよ。区役所も空いてるし、10分もあれば終わるよ……それからにして。籍入れてからでも遅くないよね?」湊真は会社を経営していて、時間の融通も利く人だ。だからこそ、私は甘えてしまっていたのかもしれない。しかし彼は、表示された番号を一瞥しただけで、手にしていた番号札を私に無造作に押し付け、うんざりした顔で言い放った。「俺はいつだって君と結婚できる。でも今は処理しなきゃいけない仕事がある……感情的になるなよ」うつむいたまま、私は静かに番号札を握りしめた。湊真は、やっぱり行ってしまった。区役所の待合スペースに、ぽつんと一人残された私。スピーカーから「〇番の方、窓口へどうぞ」という無情な声が響く。私は涙を堪えながら、番号札をくしゃっと握り、ゴミ箱へ放り込んだ。湊真とは付き合って五年。二年前、彼からプロポーズされたけど——その婚姻届はいまだに提出できていない。そのとき、不意にスマホが鳴った。電話の向こうで、母が嬉しそうに聞いてくる。「どうだった?湊真くんと、もう籍入れた?」母は二年前にがんを患ってから、体調がどんどん悪くなっていた。せめて自分が元気なうちに、私が結婚する姿を見届けたい——それが母の願いだった。鼻をすすりながら、私は曖昧に言い訳をした。受話器の向こう、数秒の沈黙のあと、母の声にわずかな落胆がにじんでいた。「湊真くん、お仕事忙しいのね……うん、仕方ない、仕方ないわよね……」家に戻ったばかりの頃。スマホが震えた。大学時代のグループチャットだった。柚原心咲(ゆはら ここな)が、写真と共にメッセージを投稿していた。【今日はクリスマス。私が「プレゼント早く欲しいな」って言ったら、彼すぐに来てくれたの♡】【「すぐ行く、呼ばれたら行く」って、いつでも変わらない約束】写真には、湊真が心咲の首に金のネックレスをかけてあげている姿が映っていた。すぐに誰かが返信した。【わ〜羨ましい!幼
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第2話
二年前、会社が名栗野に支社を立ち上げたとき、幹部だった千佳さんは、すぐに私を誘ってくれた。当時はまだ、湊真が起業する前。私は彼に、名栗野に一緒に移住しようと提案した。やっぱりここは地方都市だし、名栗野は沿岸の主要都市。チャンスも多い。でも彼は、あっさりと「必要ない」と言った。——そんな遠くまで行く必要はない。——君の地元で暮らす必要は、ない。あのプロポーズのときもそうだった。彼はただ指輪を一つ差し出しただけ。飾りつけも、演出も、何もなかった。「どうしてサプライズとかしてくれないの?会場とか、雰囲気とか……」そう聞いたとき、湊真は軽く笑ってこう言った。「必要ないだろ。どうせ、お前はOKするんだから」——でも心咲の誕生日パーティーには、あれほど大掛かりな演出をしていた。そのときは、「必要だから」と言っていた。……だから今度は、私が自分のために選ぶ番だった。「名栗野は私の地元なんです。千佳さん、推薦お願いします。資料も準備します」そう言うと、早川さんは安心したように微笑んだ。「よかった。ようやく、決めてくれたのね」二日後、私はオンライン面接を受け、幸運にも合格。支社の上司からは「そちらの引き継ぎを済ませたら、すぐ来てくれ」と言われた。年末年始も、私はずっと会社に詰めていた。月曜、残業を終えて帰ろうとしていた千佳さんが、なぜか引き返してきた。「琴ちゃん、来てるわよ。……あなたの彼氏」冗談めかしてウィンクするその顔を見て、私は少し戸惑いながらエントランスへ。そこには、本当に湊真がいた。「まだ仕事終わってない?一緒に年越し、しようと思って」「ああ。そういえば昨日、元日だったね」カレンダーを見て、ようやく今日が何日か思い出した。ここ数日、忙しさで完全に感覚が麻痺していた。湊真は私のバッグを受け取り、無言でエレベーターのボタンを押した。「千佳さんから聞いたよ。名栗野支社に行くんだって?」「うん」私はあくまで淡々と答えた。彼の顔が、すっと曇る。「そんな大事なこと、どうして俺に相談しなかった?」「一昨日、電話したよ。でも出なかった」彼は眉をひそめ、無言で助手席のドアを開けてくれた。「今日は元日の代わり。あの田舎料理の店、行こう?前に君が「美味しい」
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第3話
子犬が突然私に飛びかかってきて、私は悲鳴をあげて寝室へ逃げ込み、ドアを閉めた。しばらくして、湊真が静かにドアを開けて、背後からそっと私を抱きしめた。「ごめん……琴が犬を怖がってるなんて知らなかった。もう、あの子は手放した」「……うん」私は淡々と返事をした。このとき、初めてはっきり気づいた。湊真は、私のことを何も知らなかったのだ。五年も付き合って、私は彼の好みも習慣も全部覚えてるのに、彼は私の一番大事なことさえ知らない。——でも、八年前に別れた心咲の好みなら、細かく語れるくせに。「もう怒るなって。明日、時間あるから……一緒に、籍入れに行こう?」暗がりの中、湊真の声はやけに優しく、甘かった。……本当なら、きっぱり断るべきだった。なのに私はまた、期待してしまった。——これが最後。これでダメなら、もう何も残さない。翌朝、私は丁寧にメイクをして、お気に入りのワンピースに袖を通した。湊真も、珍しくスーツを着て、車で区役所まで連れて行ってくれた。今回、彼は自分のスマホをわざわざ機内モードに設定し、私の携帯でナビを操作していた。道中、私たちはひと言も言葉を交わさなかった。ただ、静かに車が進む。番号札を取り、列に並んで、ようやく呼ばれる直前——湊真のポケットで、スマホが振動を始めた。……我慢できなかったんだな。私の視線に気づいたのか、彼はバツが悪そうにスマホを取り出し、無言でサイレントに切り替える。それでも、スマホの震えは止まらなかった。ふと掲示板を見ると、あと一組で私たちの番だった。「……出てあげて。気もそぞろじゃ、署名だって間違えるでしょ」湊真は二秒ほど迷ってから、頷いて通話ボタンを押した。スピーカーから、弱々しい女の声が響いた。「湊真、下腹部から血が出てて……病院にいるの。先生には、流産の後遺症だって言われて……来てほしい」「今、区役所で手続き中で、動けない」彼の声は緊張気味で、それでもこっそり私の表情を窺っている。私は無言で彼を見つめ返した。次の瞬間、スピーカー越しに鋭い女の声が割り込んできた。——それは、心咲ではなく、あの親友の水嶋紗夜(みずしまさよ)だった。「湊真、心咲の状態は本当にヤバいの。彼女が言ってたよ。あんたが来ないなら、手術受け
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第4話
湊真の整った顔に、次々と浮かぶ感情——驚き、信じられないという戸惑い、痛み、そして……後悔。周囲の空気を察した同僚たちは、私に軽く挨拶をしてすぐに解散していった。「琴ちゃん、また頂上で会おう!」「頂上でね」皆が去ったあと、私は箱を抱え、正面玄関へと向かった。その背後から、湊真の震えた声が聞こえた。「さっき……なんて言った?別れたって、言ったのか?」私は立ち止まり、彼をまっすぐに見つめた。——この場面、何度も心の中でシミュレーションしていた。昔は怖くて、辛くて、踏み出せなかった。でも、今は……妙に軽やかだった。私は唇を引き締め、微笑んだ。「うん。別れるよ。籍入れようって言うたびに、あなたはどこかへ行った。一度だって、この結末を想像しなかったの?」湊真は私の手を掴んだ。指先が震えていた。本気で動揺しているのが、よくわかった。今まで、どれだけ私が怒っても、別れを切り出したことは一度もなかったから。「今からでも、すぐ籍入れに行こう。結婚しよう、琴」「もういいの」もう、「いらない」じゃない。「愛してない」のだ。湊真の目が赤く染まり、慌てて私の荷物を奪い取ると、強引に車に乗せた。私は抵抗する気力もなく、助手席に乗り込んだ。けれどすぐに、胃が絞られるような痛みに襲われ、顔色が青ざめた。鞄から常備薬を取り出すと、残りがあと一錠しかないことに気づく。「薬が足りない。先に病院、寄って」湊真は呆然とした表情で私を見つめた。「病気、だったのか?」「うん。胃の持病」「いつから?」私は一瞬言葉に詰まり、そして自嘲気味に笑った。彼と出会う前は、ちゃんと食べて、眠れていた。彼と一緒になってから、彼が心咲に呼ばれて離れていくたびに、私はひたすら自分を責めて、心を閉ざしていった。食べる気力も、笑う余裕もなくなっていった。——二年前、深夜に急性胃痛で倒れて、救急外来で「胃の切除も視野に」と診断された。幸い、仕事には影響は出なかった。けれどその間も、私は何度か彼の前で薬を飲んでいた。にもかかわらず——ある日、彼はこんなことを言った。「何演技してんだよ。心咲が病気だからって、真似してんの?」「なあ、本当はいつからなんだよ?」湊真の黒い瞳が潤み
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第5話
「琴……ごめん。俺が心咲とあんな曖昧な関係だったせいで、琴が怒るのも、無理ないよな……もう一度だけ、チャンスをくれないか。籍入れて、君の実家にも一緒に挨拶に行こう。五年も一緒にいて、うまくやってきたじゃないか。別れるなんて、もったいないよ」私は彼の手からネックレスを押し返し、冷たく笑った。「もったいない?全然そんなことない。ようやく、解放されたわ」はっ、って鼻で笑った。——GPSだの、あいまいな関係だの、自分ばかり我慢して成り立つ恋愛なんて、もうたくさん。次の日、私はウェディングフォトを受け取りに行った。湊真は「一緒に行きたい」としつこく言い張ったので、運転手代わりに同行させた。なぜかその日は、心咲からの電話が一度も鳴らなかった。……それだけでも不思議だった。月曜の婚礼サロンは人が少なくて、静かだった。「……いつ撮ったの?」湊真が、遠慮がちに聞いてきた。私は口を尖らせて答えた。「半年前。あなたが来なかったから、一人で撮ったの」あのときは、四度目の婚姻届のタイミングだった。心咲からの電話で、湊真はまた私を置いて出て行った。罪悪感からか、「先にウェディングフォトを撮ろう」と言い出して——私は喜んで、衣装選びからスケジュールまで全部準備した。「明日は天気がいいって。暑すぎず寒すぎず、撮影日和なんだって」「うん、明日はちゃんと君に付き合う」その夜は、本当に幸せだった。でも翌日、彼がメイクを終えた直後、また電話が鳴った。「悪い、急用。すぐ戻るから」三人のカメラマン、メイクアップアーティスト、スタイリスト……皆が私たちを見つめていた。目を潤ませながら、私は懇願するように彼を見た。「一着だけでいい。三枚だけでも撮って、それから行って」「すまない。本当に、行かなきゃいけないんだ。今度、ちゃんと付き合うよ」彼はスーツを脱いで去っていった。彼が去ったあと、私はその場にぼんやりと座り込んだ。カメラマンたちは戸惑いながら、慌てて私を慰めようとしてくれた。泣きすぎてメイクはぐちゃぐちゃ。でも——私はそれでも、ウェディングフォトを撮ることにした。彼のいないウェディングフォトを。まるでこの五年間の恋そのもの。彼はずっと、本気でこの関係に向き合ってこなかったの
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第6話
深夜、私は鍵をテーブルの上に置き、スーツケースを引いて、この街を後にした。夜が明けるころ、湊真から何度も電話がかかってきた。画面が明るく光るのを見て、私はそのまま電源を切った。実家に近づいてから、ようやくスマホの電源を入れ、一度だけ折り返した。「本当に行ったのか?なんで送らせてくれなかったんだよ!琴!なあ、何か言えよ!送るって……約束してたじゃないか!」電話の向こう、湊真は叫ぶように喚いていた。私は窓の外の穏やかな風景を見ながら、微笑んだ。「湊真。だから言ったじゃない、穏やかに終わろうって」「お前……」彼が何か言いかけた瞬間、電話越しに別の女の声が割り込んだ。「湊真、もう電話やめて……お腹、すごく痛いの……」——心咲だ。きっとまた、彼のもとへ駆けつけたのだろう。けれど今回は、彼の反応は違った。「腹が痛いからって、俺にどうしろって?俺はロキソニンかよ!」湊真の苛立った怒声が響いた。彼女は明らかに戸惑っていた。「私は、あなたのために堕ろしたのよ?全部、後遺症なの。あんなに優しかったのに……琴に何か言われたの!?」「後遺症?はっ。くだらない!」湊真は冷笑しながら、「中絶」という言葉を何度も反芻した。「——もう終わりだ。これ以上、俺の前に現れるな」彼はそう言い放ち、心咲の手を振り払った。彼女がどれだけ叫ぼうと、彼は振り向かなかった。数秒後、彼の声が落ち着いたように戻ってきた。「琴……聞こえたろ?心咲とは終わった。もう何もない。許してほしい。もう一度だけチャンスをくれ。名栗野に一緒に行くよ。支社だって、君の街に移すから。だから……」哀願する声に、私は小さく頭を振った。「何度も言ってるでしょ。壊れた関係って、元には戻らないの……湊真、最後まで静かに終わろうよ」受話器の向こうで沈黙が続いた。やがて、かすれた声が届く。「……幸せに……ごめんな」私は静かに通話を切り、彼の番号をブロックした。実家に戻ると、母の病状が想像以上に悪化していた。癌は急速に進行しており、すでに髪もすっかり抜けてしまっていた。——それでも私は、名栗野に帰ってきて本当によかったと思った。それから半年、昼は全力で働き、夜は母と過ごす毎日だった。母は以前より笑顔が増え
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第7話
「うん」私は素直にうなずいた。少し話してみて、やっぱり社長の言っていた通りの人だった。誠実で、まっすぐで、結婚を考えるには申し分のない相手。だけど——私は表情を引き締めて、彼に嘘をつきたくないと思った。だから、自分のことをすべて打ち明けた。「顧野さん、多分知らないと思うけど……私、五年間付き合ってた彼がいて、半年前に別れたばかりなの。去年の年末には、子宮外妊娠で流産も経験した。それに、母は今、がんで闘病中なの。それでも構わないって言うなら……一度、付き合ってみない?」ほかに飾る言葉はなかった。母はずっと、生きているうちに私が誰かを連れて帰る姿を見たいと思っていた。陽真は、今の私にとってその願いに応えられる最良の人だった。「全部、知ってるよ」陽真は眉を上げて、優しく笑った。「やっぱり、僕の目に狂いはなかった。高梨さんは、素敵な女性だ」驚いた。社長の慎重な性格からして、私のことを事前に調べていても不思議じゃなかった。だけど……「本当に、私と付き合ってみたいの?」陽真はまっすぐうなずいた。「うん。結婚を前提に、ちゃんと向き合ってみたい」「でも、それって顧野さんにとっては、不公平じゃない?」そう言わずにはいられなかった。陽真は首を振って、ためらいもなく言った。「過去がどうとか、僕は気にしない。初めて会ったときに思ったんだ。この人だ、って」その瞬間、私は言葉を失った。湊真と五年も付き合ってきたけれど、こんなふうにまっすぐに選ばれたことなんて一度もなかった。その確信に満ちた目が、何よりも安心させてくれた。食事のあと、私たちはLINEを交換し、陽真は家まで送ってくれた。半年後、正式に恋人同士になり、私は彼を実家へ連れて行った。母は、彼の姿を見た瞬間から笑顔を絶やさなかった。手を握りしめ、目を潤ませながら何度も繰り返した。「本当にいい子ね……私、琴の相手に会えないまま逝くのが心残りだったの。琴はいい子よ。この子と結婚すれば、きっと幸せになれるわ」陽真はうなずいて、私を見つめながらこう言った。「おばさん、琴は本当に素敵な方です。もし驚かせないのなら……今すぐにでもプロポーズしたいくらいです」私は思わず顔をそらして、頬を赤らめた。それから三
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