「さてと、まずは何からお話しましょうかね……」
私の正面には、イルルグ様とウルーナ嬢が座っている。
二対一となってしまったのは、想定外のことだ。とはいえ、ウルーナ嬢は私のことを見極めに来たみたいだし、他の誰かに相手をしてもらう訳にもいかない。先程から私に見極めるような視線を向けているし、ここはとりあえずイルルグ様と話をすれば良いのだろうか。「お互いのことを知ることから始めませんか? 月並みではありますが、趣味の話などはどうでしょうか? ラナーシャ嬢は、何かご趣味などはありますか?」
「趣味ですか。そう言われると、これというものを出せないのが、私の欠点と言えますね。しかし強いて言うなら、乗馬などでしょうか。昔から動物が好きでして……」 「おや、それでは何か飼われたりしているのですか?」 「ええ、犬や猫を飼っています」とりあえず私は、イルルグ様の提案に従って趣味について述べてみた。
それに対する彼の反応は、悪くないような気がする。ただ私は気になっていた。イルルグ様の隣で、ウルーナ嬢が目を細めているということが。 今の話は、彼女にとっては恐らく快いものではなかったのだろう。それを理解して、私は少々億劫になっていた。「ウルーナ? どうかしたのかい?」
ウルーナ嬢の不機嫌そうな様子は、当然隣のイルルグ様にも伝わったようだった。
彼は、心配そうに妹に話しかけている。結構過保護なのだろうか。その表情からは、そんな少々嫌な情報が伝わってきた。「私は動物はあまり好きではありません」
「うん? ああ、そうだったかな?」 「ええ、まあ、嫌いなことを口にしたりはしませんからね。お兄様が知らないのも無理はないことです。ですが、動物なんてものは臭いも気になりますし、好きになる気持ちはよくわかりません」ウルーナ嬢は、明らかに私を煽るような表情で言葉を発していた。
その言い分には、はっきりと言って不愉快なものだ。例え動物が嫌いだとしても、そこまで言う意味がよくわからない。 自分は苦手などと言って、適当に流しておけば良いことではないだろうか。彼女の好きな人を馬鹿にする発言には、流石に私の表情も引きつってしまう。「ああ、気を悪くしたならすみません。私、つい思ったことを口にしてしまう質でして」
「ラナーシャ嬢、申し訳ありませんね」 「い、いえ……」私に対して、ウルーナ嬢は謝罪の言葉を口にした。
ただそれが本当に心からの謝罪かどうかは、微妙な所だ。いや、微妙なんて濁す必要はないかもしれない。彼女に謝罪の意思なんて、絶対にないのだから。もしかしたら、動物が嫌いというのもこの場で適当についた嘘なのではないだろうか。ウルーナ嬢の表情に、私はそんなことを思った。
「……お前達は勝手だな」 「うん?」 「……どなたですか?」 「俺が何者であるかなど、それ程重要なことではない。そんなことよりも重要なのは、お前達のことだ」 セリード様は、イルルグ様とウルーナ嬢に対して少し荒々しい口調で言葉をかけていた。 その口調からは、彼の怒りが伝わってくる。それは私としては、嬉しいことだ。この場において、味方がいてくれることの心強さはやはり大きい。「お前達は恥知らずだ。身から出た錆をラナーシャ嬢に押し付けて、自らの非を省みないその様はなんともみっともないとしか言いようがない」 「な、なんだと?」 「あなた、何様のつもりですか? いきなり口を挟んで意味のわからないことを言って!」 イルルグ様とウルーナ嬢は、セリード様の素性にまったく気付いていないようだった。 身なりを見れば、身分くらいはわかるはずだろう。それなのにどうしてそこまで強気に出られるのかは、正直よくわからない。 いやもしかしたら、二人は既にそういったことを冷静に考えられない状態なのだろうか。よく見てみると目も据わっているような気がするし、既に限界ぎりぎりなのかもしれない。 もっともそれは、私にとっては関係がないことである。散々迷惑をかけられた私は、二人に対して同情する気持ちなんて当然わいてこない。今の二人は、ただの無礼な客でしかない。「俺が何者であるかなど、どうでもいいことだと言っているだろう。問題は、お前達のことだ。これ以上騒ぎ立てるというなら、こちらにも考えがある」 「な、何を……!」 セリード様の言葉に対して、イルルグ様は言い返そうとした。 しかし彼は言葉を紡ぐことはなかった。それはセリード様が手を上げて、憲兵が現れたからだろう。 今の二人は、リヴァーテ伯爵家の屋敷の前で騒ぐ暴徒の類だ。事情を話せば、あるいは話さなくても憲兵は拘束してくれるだろう。「ウルーナ! 逃げるぞ!」 「え、ええ……!」 それを悟ったのか、イルルグ様とウルーナ嬢は一目散に逃げ出した。 流石の彼らも、そのことがわからない程に落ちぶれてはいなかったということだろうか。 しかし、彼らに行くあてなどはないかもしれない。私を頼ってきたくらいであるし、そもそも行ける範囲に限界がある。もしかしたらあのまま、本当に路頭に迷うかもしれない。 とはいえ、結局の所それ
「丁度良い所にいた……ラナーシャ嬢、あなたに話したいことがあるんだ」 「……」 衣服をボロボロにして、髭を生やしたイルルグ様はなんだか年老いて見える。 ただその声色は、以前とそれ程変わっていない。多少掠れているが、それでもそれがイルルグ様のものだとはわかった。「この姿を見てわかる通り、僕もウルーナも色々と苦労している。それが何故だか、あなたにはわかるだろうか?」 「……それはあなた方がエーヴァン伯爵家を追放されたからでしょう?」 「その通りだ。父上は非道にも僕達を追放した。お陰でここに来るまで随分と苦労したんだ。路頭に迷ってしまっているんだ。この僕達が……」 突然やって来て、身の上を話すイルルグ様は、はっきりと言って不快であった。 もう少し立場を弁えることはできないのだろうか。話すにしても、もう少し色々と順序というものがあるはずだ。私はまだ、話に応じると口にしてもいないといのに。 どうやら彼の傲慢で身勝手な部分は、変わっていないらしい。この段階において、まだ自分と私が対等だと思っているなんて、なんとも思い上がったものの考え方だ。「そこで僕達は、あなたに助けてもらいたいと思っている」 「……なんですって?」 「こうして僕達が路頭に迷うことになった原因は、そもそもあなたとの婚約にある。それをどうか自覚してもらいたい。あなたの不出来が、僕達を陥れたのだから」 私は呆れて、ものが言えなくなっていた。 イルルグ様は、自分達の行為を棚に上げている。その上で私に助けてもらおうというのだ。 それはいくらなんでも、勝手すぎるのではないだろうか。私の心の中では、ふつふつと怒りが湧き上がっていた。「私はあなたにチャンスを与えているんです」 「……は?」 「以前あなたは一度失敗しました。しかし今は、やり直すことができる。私達を助けてくれるというなら、私もあなたのことを認めてあげましょう。以前のことは水に流して差し上げます」 イルルグ様に続いて、ウルーナ嬢も身勝手な言葉を投げかけてきた。 その言葉の数々に、私はゆっくりとため息をつく。この二人はどうしようもないくらい、ふざけた者達であるらしい。 そんなことを言われて、私が助けると本当に思っているのだろうか。私はそう思いながら、二人を睨みつけていた。 ただ私はそこで気付いた。私以上に鋭
私は、セリード様を見送るために屋敷の外の門まで来ていた。 挨拶が終わってから、彼はこのリヴァーテ伯爵家の屋敷で一泊した。 昨晩は当然おもてなしが行われた訳だが、それがセリード様にとって楽しいことだったかどうかは微妙な所である。きっと緊張したことだろう。 とはいえ、家族とセリード様の関係性は深まったといえる。両親も妹も、この人ならば大丈夫だと思ってくれたのではなかろうか。「セリード様? どうかされましたか?」 「いや……」 門の前にある馬車から視線を外すセリード様に、私は思わず問いかけていた。 彼はなんというか、遠くを見つめている。それは何か不安などがあるということだろうか。 それなら心配だ。そんな風に私が思っていると、セリード様の体が前に来た。それはまるで、私を庇うかのような動作だ。「セリード様?」 「ラナーシャ嬢、なんだか嫌な気配がする。あなたは下がっておいた方が良さそうだ」 「気配? そんなものがわかるのですか?」 「これでも騎士志望だったからな。そういったものには敏感だ」 「それは頼もしいですね……うん? あれは……」 周囲を警戒するセリード様に対して、少し浮かれて照れていた私はすぐに気を引き締めることになった。 それは門の外側から何者かがこちらに向かっていることに気付いたからだ。セリード様は、一早くそれを悟っていたらしい。 それをまたすごいことだと思いながらも、私は向かってきている二人組の正体に気付いた。あれは恐らく、イルルグ様とウルーナ嬢だ。「あれはイルルグ様とウルーナ嬢です」 「……あれがか?」 「ええ、随分と変わっていますが、そうでしょう。正式にはまだ発表されていませんが、あの二人はエーヴァン公爵家から追放されています」 「なるほど、どうやら厳しい道中を歩んできたと見える」 ボロボロになった二人は、凡そ貴族とは思えない格好だった。 追い出された後に、散々な目に合ったということだろうか。別に同情するつもりはないが、なんとも悲惨なものである。「……やっと着いたか」 「はあ、これでやっと……」 イルルグ様とウルーナ嬢は、門の前まで辿り着いてため息をついた。 それから彼らは、私の方に視線を向けてくる。目を丸めて驚いている所を見ると、流石にここで私を出くわすとは思っていなかったということだろ
リヴァーテ伯爵家とサルマンデ侯爵家との間では、私とセリード様との婚約の話が進められていた。 まだ正式に決まってはいない訳ではあるが、その一環としてセリード様がこちらの屋敷を訪問することになった。それは端的に言ってしまえば、彼という人間を見極めるためのものだ。 お父様はイルルグ様のようなことがないようにするために、セリード様と実際に会って会話を交わすことにしたのだ。 もちろん、そこで人の本質を丸ごと見抜くなんてことはできないだろう。ただそれでもお父様は、あの件を受けてそうするべきだと判断したらしい。 ちなみに私の方も、後でサルマンデ侯爵家の屋敷を訪ねることになっている。 私も私で、見極めてもらわなければならないのだ。サルマンデ侯爵家の面々とは顔見知りではあるものの、それでもやはり少々不安ではある。「ふう……」 「セリード様、大丈夫ですか?」 「ああ、大丈夫だ。しかし、疲れるものだな。挨拶というのは……いや、こういったことはあなたにも言うべきではないか」 「いえ、遠慮なさらないでください」 訪ねて来たセリード様は、お父様とお母様、それから妹のルナーシャとも挨拶を交わした。 その挨拶を彼はそつなくこなした――そう思っていたが、二人きりになった途端ため息をつき始めた。今回の挨拶によって、かなり疲弊しているようだ。 それは当然と言えば当然なのかもしれない。私にとってサルマンデ侯爵家の人々は、友人の家族ということもあってある程度の親しみもある。だが、セリード様にとって妹の友人の家族など関係性が遠い。その不安や緊張は、私が想像している以上のものだったのだろう。「本当にお疲れ様です、セリード様」 「ありがとう。俺の挨拶はどうだっただろうか。何か無礼があったらと、不安なのだが……」 「とても安心できる挨拶でしたよ?」 「安心か……」 「ああ、別に他意などはありません」 セリード様の不安に対して、私はつい元婚約者のことを思い出していた。 イルルグ様の挨拶は、結果的に滅茶苦茶なものであったといえる。正直な所、妹同伴ではない時点で私はかなり安心していたくらいだ。 しかそれは、セリード様に失礼であるだろう。あんなのと比べられるなんて、あり得ないことなのだから。「あなたも色々と苦労した訳だな……」 「苦労……という程ではありません。結
イルルグとウルーナの二人は、町の大通りを歩いていた。 どこに行くか決めている訳ではない。ただふらふらと歩いているのだ。「……お兄様、これからどうするのですか?」 「それは……」 そうやって歩いている中先に口を開いたのは、ウルーナの方だった。 彼女は不機嫌そうに表情を歪めている。それに対して、イルルグの方は落ち込んでいた。 彼にとって、幸いの妹のそういった顔は見たくないものだ。しかしながら、今は状況を打開する方策が思い付かない。イルルグにとって、今は危機的状況なのだ。「エーヴァン伯爵家に戻ろう。兄上にもう一度掛け合えば、またいくらか包んでくれるかもしれない。父上にも頭を下げよう」 「……無理ですよ」 「なっ……」 ウルーナの返答に、イルルグは驚くことになった。 彼女の口から、否定の言葉が出ると彼は思っていなかったのである。その額からは、ゆっくりと汗が流れていく。「あの二人は冷酷です。以前からそれはわかっていました」 「そうなのか?」 「ええ、だからこそあの二人は嫌いでした。私の言うことも聞いてくれませんし、自分のことしか考えていませんから」 ウルーナは、自分のことを棚に上げて父と兄のことを否定していた。 それは彼女が、イルルグを慕っている理由でもある。そう思って、彼は少し元気を取り戻した。「僕はあの二人と違う」 「それは、わかっています。しかし今は、この状況をどうにかする手段を考えなければなりません」 「誰かを頼るとしよう」 ウルーナの言葉に、イルルグは素早く答えた。 それは兄として、妹に格好つけるためだ。具体的に誰を頼るかなど、彼は考えていない。ただ思いついたことを、とにかく口にしただけである。「頼ると言っても、私達に頼れる人なんているでしょうか?」 「親戚……は、父上の手が及んでいるか」 「それに今晩はどうするのですか?」 「今晩……」 ウルーナは、不安そうにしていた。 それでイルルグは気付いた。これから泊まる所など、ないということに。 彼は、ゆっくりと周囲を見渡す。この町に自分を助けてくれる人は、果たしているのだろうか。彼は頭の中でそれを考える。「……なんとか泊まれる所を探すしかないか」 「そんな所があるのでしょうか?」 「僕が見つけてみせるさ。何、もう少しの辛抱だ」 イルルグは
イルルグとウルーナの二人は、兄から渡された資金でなんとか生活をしようとしていた。 しかしそれは、早々と破綻することになった。貴族としての生活を謳歌していた二人は、そこから追い出されてするべき生活というものをわかっていなかったのだ。「もう一日だけでいい。泊めてくれないか?」 「残念ながら、それはできません。宿泊費を払っていただけないのですから」 「僕達は、エーヴァン伯爵家の令息と令嬢だ。料金なら後で倍でも払う」 二人は、近辺でも最も高価な宿に泊まっていた。 そこで三日泊まった結果、アルヴァンから渡された資金が尽きたのである。 それは、少し考えればわかることではあった。しかしながら、二人にはわからなかったのだ。今まで貴族として贅沢して生きてきた二人は、この宿以外の選択肢が思い浮かばなかった。 この宿に泊まるお金があれば、安い宿ならしばらくの間は暮らすことができた。 つまり、二人は宿の選択を間違えたのである。充分過ぎる程に投げ渡されたはずの資金は、それでなくなった。「申し訳ありませんが、お二人は既にエーヴァン伯爵家から追放されていると聞いています」 「それは……確かに、そのような発表はあったかもしれないが」 「その状態で、確証もなくお二人をお泊めすることは出来かねます。せめて、誰か身内の方に連絡していただけませんか?」 エーヴァン伯爵家の領地内では、既に二人が追い出されていたことが知られていた。 そのため、宿の従業員は厳正な判断を下している。高い宿であるからこそ、彼には融通などは効かないのだ。 泊めるためには、きちんとした金銭のやり取りが必要である。従業員の主張は、こうだった。「……何故、この私の言うことが聞けないのです!」 そんな従業員の態度に対して、ウルーナが激昂し始めた。 宿の受付で、怒鳴り始めたのである。それには、流石の従業員も顔を顰めた。「この私を誰だと思っているのですか? 私は、エーヴァン伯爵家のウルーナですよ!」 「……申し訳ありませんが、この場でそのようなことを言われてしまうと、こちらも厳正な対応を取らざるを得ません」 「何をっ……!」 従業員は、ゆっくりと手を上げた。 するとイルルグとウルーナの周りに、大柄な男達が現れた。 二人は既に、上客という訳ではない。お金がないのに泊めろと喚いて