新学期。
久々に会う友人達と夏の思い出話をしたり、提出物の作成がまだ終わっていない生徒が慌てて作業をしたりしているはずの教室へ向かうと、教室内は異様な雰囲気に包まれていた。
教室の後ろ側の扉から教室へ入ると、みなが同じ方向を見ていたのだ。
つられて俺もそちらに目を向けると、まだ誰も座っていない空席に植木鉢に植えられたカラフルな花が置かれていた。
俺の少ない知識でも知っている。あれはパンジーって花だ。
花言葉の意味なんかは知らないけれど、花が机の上に置かれている意味はわかる。
嫌な予想が脳裏をよぎる。
あの席はたしか、矢野さんの席だったはずだ。
まさか、矢野さん……
教室の異様な雰囲気の正体を知り、俺は膝から崩れ落ちそうになった。
クラス、いや学年のマドンナと言ってもいい矢野さん。上級生が矢野さんを見物に来るためだけにやってくる事もあるくらいの美貌の持ち主。
かくいう俺はと言えば、一学期の終業式の日に告白をして振られたのだけど。
……まさかそのせいじゃないよな。
自分のせいかもしれないと、膝がガクガクと震え始めると同時に。唐突に後ろから肩を叩かれた。
「桐生君、おはよう。どうしたの?そんな所で崩れ落ちちゃって」
|迦陵頻伽《かりんびょうが》。まるで秋の空のように透き通った声だった。
終業式の日に『ごめんなさい』と断られた声と瓜二つ。
知っている声に恐る恐る振り返ると、そこにはまごうことなき矢野エマの姿があった。
すぐ後ろには、いつも一緒に行動をしている|陽川姫《ようかわひめ》の姿。
新学期早々、遭遇してはならないものに遭遇してしまったのかと何も答えられずにいると、陽川が「じゃま」と俺の横を通り過ぎていく。
その時、陽川のスカートの裾がふわりと肩の辺りに触れた。
「ちょっとごめんね」
その後に続いて通っていく矢野さんのスカートの裾も俺の肩を掠めていく。
間違いなく彼女には実体がある。
一体どういう事だろうかと思案していると、教室前方で悲鳴が上がった。
悲鳴にしてはやたら透き通った悲鳴だった。
悲鳴が上がった方に視線を向けると、声を上げているのは矢野さんで、しばらくオロオロとした樣子で周囲を見回したあと、気絶するように倒れてしまった。
陽川が倒れる矢野さんを支えながら、机の上に置かれている物を払い除けた。払い除けられた植木鉢は、地面と接触するとガシャンと音を立てた。
「ちょっとこれ。どういう事!?冗談じゃすまされないよ!」
矢野さんの肩を優しく支えながら、陽川はクラス中を見渡すようにして言った。
誰も無言を貫き答えない。視線をもそらす。
そらそうだ。俺も視線をそらした。
その中で一人だけ視線を逸らしていない人物がいた。ちょうど俺が目を逸らした先にその人物はいた。
|滝沢凛《たきざわりん》。かなりの美貌の持ち主で、入学当初は矢野さんと肩を並べる程に男子から支持を得ていた女子生徒だ。
……まあ、それは過去の話だけどね。今このクラスで、いや、この学校に通う者で彼女に進んで話しかける猛者はいない。
俺が十五年かけて作り上げてきた物差しは彼女の前では全くの無意味だった。
俺以外の周りから聴こえてくる評価も、わかり合えない。意味不明。奇行が目立つ。誰も彼女の一挙手一投足を理解する事が出来なかったのだ。
やる事なす事全てが迷惑を被る。
「滝沢凛。……また、あなたなの?」
陽川の発言に、クラス中の視線が滝沢に降り注ぐ。
陽川の発言を受けて、滝沢は不器用な笑顔を浮かべながら言った。
「そ、そそそそうだよ。よ、喜んでくれたかな」
その肯定の言葉を聞いた瞬間、陽川の顔色がみるみる変わっていく。
「いい加減にして!あなたのそういう行動のせいで、エマは大変な思いをしているの!もう嫌がらせはやめてちょうだいって言ったわよね!?」
怒気のこもった叫び声がクラス中に反響を伴って響き渡る。
廊下を通りかかった他のクラスの生徒達も、恐る恐るといった様子でこちらを覗いてくるほどだ。
「えっ、めめめ、迷惑になるなんて……喜んで貰えたらって……」
滝沢は悪びれる様子もなくそう答える。まるで自分が良いことをしたのになんで怒られなければならないのか?そういう態度に見えた。
「……またそれ?先生には言うから覚悟しときなさいよ」
陽川が怒りに震えているのは、遠くから見ている俺からもわかった。
陽川は滝沢から視線を外し、クラス全体に呼びかけるように言った。
「ちょっと私、これからエマを保健室に連れて行ってくるから、滝沢さんが証拠隠滅をしないように見張っておいてくれる」
クラスのどこからか、わかったと返事が返ってくるのを確認すると、「エマ歩ける?」と労わりの声をかけながら陽川は教室から出ていった。
そこからは教室全体が滝沢を見張る、異様な緊張感に包まれた。
俺も座り込んでいても仕方がないと立ち上がると、自らの席に向かう。
俺の席は、あいにく滝沢凛の横の席だ。
入学当初は美少女の隣の席でラッキー!『俺のカラフルスクールデイズが始まったぜ!』と歓喜していた頃が懐かしく思える。
今では世界史史上、最悪の席だと思う。
なんとか席につくと、滝沢の席の隣と言う事もあって、クラス中の視線がこちらへ向いていた。
まるで俺が見張られているような錯覚すら覚える。
居心地の悪さを感じながらも席につき、鞄を机にかけてからは窓の外をしばらく眺めていた。そうすればクラスの連中の視線から逃れられる気がした。別に俺が見張られてるわけでもないんだけどな。
しばらくして担任の横島先生がやってきて、滝沢を連行していった。
その時に滝沢はポツリと独り言を言ったんだ。
「どうして」と
家に着く頃には、雨は本降り、土砂降りになっていた。 びしょ濡れになってしまった制服を脱ぎながら玄関を上がると、母さんが居間からひょっこりと顔を出した。 「おかえりなさい。あらら。そんなにずぶ濡れになっちゃって。それ、洗濯機の中に入れておいて。洗濯して明日までには乾かしておくから」 「ただいま。ありがとう」 「さっさとお風呂に入っちゃいなさいよ。お湯張っておいたから」 「うん。そうする」 母さんに促されるままにお風呂場に移動する。 脱衣所にある洗濯機に制服を放り込んでから通学に使っている鞄に目を移した。 「明日は使えないかもな。はぁ……」 なんか今日はため息ばかりだな。 それもこれも全て滝沢のせいだ。 さっきまであんなに苛ついていたのに、強い雨にうたれたせいか気持ちは落ち着いていた。 いや、気分が落ち込んでいるのだ。 滝沢がおかしい事は間違いないが、少し言い過ぎたかもしれない。帰り道、雨に打たれながらそんな事ばかり考えていた。 悪いのは滝沢。しかし、俺が滝沢を責める必要は、権利はあったのだろうか。 別に俺は矢野さんの彼氏でもなければ、友達でもない。 ただのクラスメイトだ。矢野さんからしてみれば、顔見知り程度の認識なのかもしれない。 当事者じゃない、被害者でもない俺にあそこまで言う資格はあったのだろうかと。 俺が声を掛けたせいで怪我までさせてしまったのに。 「……次、会ったら謝るか」 三十分くらい前まではもう二度と関わり合わないつもりでいたのに、すっかり体も頭も冷えた今では考えが百八十度変わっていた。 鬱屈とした気持ちを秘めながら浴室に入ると、頭を洗い、体を洗い、冷え切った体を温める為に母さんが張ってくれた湯船に浸かる。 「はー、染みるなあ」 染みると言えば今頃、滝沢も風呂に入っているだろうか。顔中擦りむいていたから、俺とは違う意味でかなり染みているだろうな。 そういや、別れ際に滝沢が見せてきたバリバリに割れた画面に映し出されていた本の表紙。どこかで見覚えがあったよなあ。どこで見たんだっけか……? 口まで湯船に浸かって記憶を辿っていくと、ぼんやりと秋斗《あきと》の顔が思い浮かぶ。 どうして、あいつの事を思い出すんだろうか…… 「あっ!」 閃いた。記憶の点と点が線となり繋
「どうだ。止まったか?」 滝沢は首をふるふると横に振る。 公園のベンチに座らせて安静にして鼻を押さえさせているが、鼻血はまだ止まっていないようだ。 スマホですぐに応急処置を調べたけれど、果たしてこれで本当にあっているのだろうか。 少し心配だ。 「ご、ごべんだざい」 止血の為に鼻を摘んでいる滝沢は、滑舌悪く謝罪をしてきたが、それは俺に向けるためのものではない。 それを被害者である矢野さんが受け入れるとも思えないが。 「とりあえず止血することに集中してくれ。話はそれからだ」 滝沢はコクリと一つ頷いた。 チラリと横顔を見やると、とても残念だった。 入学当初、美人だと思っていたその横顔は、擦りむいてあちらこちらに傷ができてしまっているし、顔についた固まりかけの血液でベタベタになってしまい、見る影もない。 流れ落ちた紅血がカーキ色のコートまでをも汚してしまっていた。 クラスメイトになった当初、サラサラでキレイだなと思っていた亜麻色の長い髪も今はボサボサで見る影もない。 見ているのもなにか悪い気がしてきて、そのまま天を仰いだ。 俺は何してんだろうな。 吉岡と陽川に付き合ってマスドに行っていなければこんな事にはきっとならなかった。 矢野さんの事を気にして、こんな遠回りしてまで矢野さんの家の近くまでやって来なかっただろうし、滝沢と遭遇する事もなかっただろう。 そうすれば今頃は、涼しいベッドの上でゴロゴロしながらアニメでも観ていたかもしれない。 そんな事を考えていたら自然と、無意識にため息が溢れていた。 「は、本当に、ごめんなひゃい」 声のした方を見ると、滝沢は鼻から手を離していた。 「手、離しても大丈夫なのか?」 「と、と止まりました」 「それは良かった。っていうかさ、謝る相手が違うだろ。聞いたぞ。お前、矢野さんのストーカーしてるんだってな」 「えっ?す、す、ストーカー!?」 ストーカーと言う言葉にかなり驚いたようで、滝沢は教室でもときおりあげる奇声を上げた。 驚く要素あるかね?現につい先ほどもストーカーをしてたわけで。 「お前、変装して矢野さんの家の前に居たろ?矢野さんは迷惑してるってナイト様が言ってたぞ。ほどほどにしとけよ」 ナイト様ってのは陽川の蔑称だ。陽川に
マスドからの一人寂しい帰り道。 季節は秋の始まり、九月の初頭、肌に当たる風は少し冷たくなったような気はするが、まだまだ日差しは強い。 「ふぅー」 多少汗をかきながら住宅街を進んでいると、不可解な服装の人物と行き当たった。 その人物は黒いキャップを深めに被り、目元はサングラス、口元は大きめのマスクで覆われていて、素顔は完全に見えない。 まだ気温は三十度近くあるというのにも関わらず、足元まですっぽりと隠すカーキ色のコートを羽織って、電信柱の影から周囲を気にするような素振りを見せながら矢野さんの家の様子を伺っているようだった。 完全に不審者だ。 身長は俺よりは低く、少し華奢に見えた。 ……どこかで見たことがある背格好だった。 つい先程、陽川から聞いた話と照らし合わせれば不審者の正体には心当たりは簡単についた。 なぜ、彼女がこんな事をしているのか、俺に理解することはできないが…… 「はあ」 思わずため息が漏れた。この場にいる以上、俺だってストーカーだと言われてしまえばそれまでだ。 振られた相手の家の近くをふらついていただけだと言い訳をしたところで、百人中、何人が信じてくれるだろうか。きっと一人もいないのではないだろう。 まして、学校から見てここは俺の家とは正反対方向なのだ。 何ができるわけてまもないけれど、矢野さんの様子が気になってここまで来てしまったのも事実ではあるが…… ストーカーの現場を目撃してしまった以上、声をかけない訳には行かないだろう。 気が付かれないようにゆっくりと背後に近づく。 不審者の正体がおかしいやつだと知っているからこそ、右手を肩に伸ばしかけて躊躇した。けれど、意を決して肩に手を置くと勢いに任せて声をかけた。 「お前、滝沢だよな。こんな所で何をしているんだ」 俺が手を置いた瞬間にビクッと肩が大きく跳ねる。そこで不審者は擬態するナナフシのように動きを完全に止めた。 一切振り返るような素振りも見せず、しばらくの間俺と不審者の時間は硬直していた。 時間にして三十秒程の時間。 まさかこれで、本当に擬態しているつもりなんじゃないよな? 一応、念の為に声をかける。 「いや、無理だからな。誤魔化せないからね。もう俺、お前のこと滝沢だって認識しちゃってるからね」 す
マスタードーナツ。通称マスド。低価格で美味しく、また安価な飲み放題もあり、ここいらの高校生のたむろスポットになっている場所である。 もちろん、われわれ|流森《りゅうしん》高校の生徒も例にもれずやってくるスポットだ。 どちらかと言えば陰キャ寄りな俺ですら吉岡に誘われて来る事もある。 そんな店の一番奥のテーブル席に座るのは三人。 俺、吉岡、陽川。 おい吉岡!矢野さんは結局いねえじゃねえか。いや、まあ、いなくて良かったんだけどさ。向こうがどう思っているかは知らないけど俺は気まずいし。 各々がドーナツを買ってきて席についた瞬間、陽川は『待ってました』と言わんばかりに口を開いた。 「で、早速なんだけどさ、けんちゃん聞いてよ」 吉岡は「おう」とは返事はしたものの興味なさそうにドーナツをほうばり始めた。 俺には話しかけてなさそうだけど、一応頷いてはみせて、陽川の方へ視線を向けた。 「滝沢さんってさ本当にひどいのよ。今までエマがどれだけ我慢してきたか」 吉岡が返事をしないため、仕方なく俺が頷いてみせる。 「例えば、どんな事があったの?」 すると陽川はお前には話していないと言わんばかりに、キッとキツイ目つきで俺を見た。 彼女からしてみれば俺は、吉岡を誘い出す出すためのおまけ。あくまでも置き物のような存在のようだ。 両手を持ち上げ、ホールドアップのポーズをとって、敵意はないこと、妨害するつもりはないことを伝え、砂糖たっぷりのカフェオレに手を伸ばした。 ただ連れてこられただけなのに酷くないかですかね。 「今までずっとエマは我慢してきたの。でも今回の花はやり過ぎ。さすがにあれはないわ」 それはごもっともな意見だ。もし登校して、自らの机の上に花が置かれていたならば、どんな反応をすれば良いのか、なんて想像もつかない。 俺だったら、何も見なかったことにして、黙って帰って不登校になってしまうかもしれない。 矢野さんはそうならなければ良いけど。心配だな。 俺に心配されるのは心外かもしれないけれど、同情せずにはいられない。 「今までだって、|理由《わけ》わからない手紙をエマの机の中に忍ばせてたり、廊下ですれ違おうとした時、エマが避けようとした方向にわざとどけるふりをして邪魔をしてみたり、エマが出かけた先々に現れてみたり。
「よう、おはようさん。なんか教室入った瞬間からなんか空気悪いんだけどなんかあった?」 始業式にも参加せずに遅刻してきたアホがお気楽な様子でそう言い放った。「吉岡。始業式に遅刻してくるなんてなかなかいい度胸しているな」 たしか《《こいつ》》は入学式の日も遅刻してきていたはずだ。別に問題児って程の奴ではないのだけれど、普段から少しだらしない面がある。「教師でもないのにそんな事いうなよー。深夜だろうとさ、推しが配信してたら見るしかないっしょ。しょういうことー」「『しょういうことー』じゃないだろ。クラスメイトとして、お前が留年して後輩にならないか心配して言ってやってるんだよ」 すると吉岡はおちゃらけた様子で、あーたしかにと手を打った。「桐生の事、先輩って呼びたくないしな。気をつけるよ」 俺だって呼ばれたくない。このアホに先輩だなんて。「アホか」「で、何があったんだ?」「あー」 クラスを見渡して、こちらに注目が集まっていない事を確認してから耳打ちをして今朝あった事件を|掻い摘んで《かいつまんで》概要だけを教えてやった。「ふむふむ。それはそれは。それで、お隣さんは居ないわけね」 吉岡は視線だけで滝沢の席をちらりと見た。 横島先生に連れて行かれてから、滝沢は戻ってきていない。もちろん、被害者である矢野エマも。 二人共始業式にも出てこなかったし、担任教師の横島先生も不在だった。それが現在のホームルームの時間まで不在が続き、自習のような時間になってしまっている。席替えするはずだったのにな。 普通こういう時はふざけだす生徒がいそうな物だけれど、朝のどんよりとした雰囲気を引きずった我がクラスではそういった生徒は一人も居なかった。 会話する事を禁止された頑固親父が経営するラーメン屋に行った時のような雰囲気、緊張感に包まれていた。「ちょっとけんちゃん!なんでちゃんと朝から来なかったのー。色々大変だったんだよー!」 肩を怒らせながらこちらに近づいて来たのは、今朝の一件にも関わっている陽川姫だ。 聞くところによると、吉岡と陽川は幼馴染らしく、他の生徒に対する時と吉岡と対した時では明らかに態度が違う。 普段は周りを威圧するような態度を取るが、吉岡の前では甘える子供のような態度をとるのだ。「推しが尊いから仕方がないだろ」「もう、けんちゃんは!推しも
新学期。 久々に会う友人達と夏の思い出話をしたり、提出物の作成がまだ終わっていない生徒が慌てて作業をしたりしているはずの教室へ向かうと、教室内は異様な雰囲気に包まれていた。 教室の後ろ側の扉から教室へ入ると、みなが同じ方向を見ていたのだ。 つられて俺もそちらに目を向けると、まだ誰も座っていない空席に植木鉢に植えられたカラフルな花が置かれていた。 俺の少ない知識でも知っている。あれはパンジーって花だ。 花言葉の意味なんかは知らないけれど、花が机の上に置かれている意味はわかる。 嫌な予想が脳裏をよぎる。 あの席はたしか、矢野さんの席だったはずだ。 まさか、矢野さん…… 教室の異様な雰囲気の正体を知り、俺は膝から崩れ落ちそうになった。 クラス、いや学年のマドンナと言ってもいい矢野さん。上級生が矢野さんを見物に来るためだけにやってくる事もあるくらいの美貌の持ち主。 かくいう俺はと言えば、一学期の終業式の日に告白をして振られたのだけど。 ……まさかそのせいじゃないよな。 自分のせいかもしれないと、膝がガクガクと震え始めると同時に。唐突に後ろから肩を叩かれた。「桐生君、おはよう。どうしたの?そんな所で崩れ落ちちゃって」 |迦陵頻伽《かりんびょうが》。まるで秋の空のように透き通った声だった。 終業式の日に『ごめんなさい』と断られた声と瓜二つ。 知っている声に恐る恐る振り返ると、そこにはまごうことなき矢野エマの姿があった。 すぐ後ろには、いつも一緒に行動をしている|陽川姫《ようかわひめ》の姿。 新学期早々、遭遇してはならないものに遭遇してしまったのかと何も答えられずにいると、陽川が「じゃま」と俺の横を通り過ぎていく。 その時、陽川のスカートの裾がふわりと肩の辺りに触れた。「ちょっとごめんね」 その後に続いて通っていく矢野さんのスカートの裾も俺の肩を掠めていく。 間違いなく彼女には実体がある。 一体どういう事だろうかと思案していると、教室前方で悲鳴が上がった。 悲鳴にしてはやたら透き通った悲鳴だった。 悲鳴が上がった方に視線を向けると、声を上げているのは矢野さんで、しばらくオロオロとした樣子で周囲を見回したあと、気絶するように倒れてしまった。 陽川が倒れる矢野さんを支えながら、机の上に置かれている物を払い除けた。払い除けられた