玲の本性が露わになるにつれて、俺の後悔は日ごとに膨れ上がっていった。玲から見せられた、華が自身の海外口座へ大金を送金している画像。そして、華が産んだ子が俺との血縁関係が認められなかったとされたDNA鑑定の結果。
かつては疑う余地のない「物的証拠」だと思い込んでいたそれらが、玲の冷酷な支配を目の当たりにした今となっては、なぜか胡散臭く思えて仕方なかった。あの完璧すぎるまでの証拠がかえって不自然に見えて、実は何者かによって巧妙に作られたものではないかと勘ぐってしまうのだ。
(玲ならば裏でどんな手も使うだろう。華を追い出すためにどんな嘘もつき通すかもしれない。)
その思考が一度芽生えるともう止まらなかった。
探偵に再依頼しても華の行方は依然として掴めない。その報告を聞くたびに、俺の自責の念をより一層強くするばかりだった。
(俺のせいで華はどこか分からない場所で一人で苦しんでいるのかもしれない……。俺のせいで……。華は孤独の中で俺に助けを求めているかもしれない。)
その想像が俺を蝕んでいた。
そんなある日だった。
一条グループの新規事業視察のため、俺は長野へ訪れていた。
「はい、瑛斗が好きなマフィン。僕からの差し入れだよ」華に拒絶されたショックを伝えていたからか、長野から帰京した俺の元へ空がマフィンを届けてくれた。「調査写真の通り、華さんと三上先生が恋人同士になっていたなんてね。訪問も拒否されるなんて、相当恨まれているんだね」慰めるような優しい笑顔で、俺の傷口に容赦なく抉ってくる。「お前は誰の味方なんだよ……」華の冷徹な視線と声が、まだ脳裏に焼き付いて離れない。俺に話しかける時の氷のように冷たい瞳。そして、最後に三上の手に導かれながら、俺を完全に拒絶するかのように屋敷の中へと消えていった華の後ろ姿。その光景がフラッシュバックし胃の奥がキリキリと痛んだ。「もちろん瑛斗だよ。でも、物事を冷静に捉えることも大切でしょ?」空の言う通りだが、今はその冷静さが痛かった。「ああーーー!!」俺は怒りと絶望をぶつけるかのように手に持っていたマフィンを貪り食った。甘いはずのマフィンが今は無味に感じる。「あれ……そういえば俺がマフィン好きになったのって、高校の頃の誕生日プレゼントがきっかけなんだよな。あれは玲
「これは一条社長。このような場所まで、一体どうされたのですか?」その場で凍り付いた私を守るように護さんが一歩前に出て瑛斗に話しかけた。彼の声は穏やかだが、その瞳には瑛斗への警戒と私を守ろうとする固い意志が宿っていた。「どうもこうもない!今のは何なんだ!」瑛斗は混乱と嫉妬で怒りに燃える目を護さんに向けている。「あなたには関係のないことです。お引き取りください」瑛斗の感情的な問いかけに対し、護さんは一切動じることなく、冷静に瑛斗を突き放した。「何だって!なんでお前がここにいるんだ。おかしいだろ!」「一条社長がいる方がよっぽどおかしいと思いますが。彼女も怖がっています。これ以上、華ちゃんを傷つけるようなことはやめていただきたい」「傷つける?そんなことをしに来たわけじゃない!俺はただ、双子を連れた華に似ている人を見かけて、会いに来ただけだ!」瑛斗が吐き出した「双子を連れた」という言葉を聞いて、私はもう黙っていられなかった。子どもたちの姿まで見られた。しかも、私に似ている人を見かけ、ここまでやってきた――瑛斗は玲と繋がっている。
今日のために新調した淡いラベンダー色のワンピースに袖を通しながら、早く来ないかと護さんの到着を心待ちにし、リビングの窓から庭を眺めた。ピンポーン。インターホンが鳴り、逸る気持ちを抑えきれず私は急いで玄関へと向かう。「護さん、いらっしゃい」私が言い終わる前に、護さんは私の腰に手を回し、ふわりと抱き寄せた。彼の温かい腕が私を包み込み、優しい香りが鼻腔をくすぐる。「護さん……?どうしたの、急に?」突然の行動に驚き、何かあったのかと上目遣いで見つめると、護さんはいつもの穏やかな眼差しで微笑んでいた。「いや、なんか今日の華ちゃん、いつも以上に可愛いなと思ったら、つい抱き寄せたくなってね。そのワンピース、とっても素敵だね。よく似合っているよ」不意打ちの褒め言葉とハグに、私の頬は熱くなった。「びっくりしちゃった。恥ずかしい、でもありがとう。嬉しい。」別荘では執事や家政婦さんたちがいる手前、私たちは普段、適度な距離感を保っていた。こんな風に人目もはばからず彼が私を抱き寄せるのは珍しい。その新鮮な行動に、私の胸は高鳴り、全身に温かい幸福感が駆け巡った。
長野の別荘の目の前に到着したものの、俺はおじけづいて敷地から少し離れた林の陰に車を停車し、遠くから見守ることしかできなかった。「華が出てきてくれたらいいのに……俺が行ったらどんな反応をするだろうか」俺の顔を見てどんな反応をするだろうか。そんな淡い期待と、一方で、もし拒絶されたらという恐怖が交錯し、一歩を踏み出す勇気が出なかった。俺はただ、別荘の玄関から華が顔を出すことを祈るばかりだった。そんな時、この地を何度も通っているかのような慣れたハンドルさばきで一台の車が俺の横を抜き去っていった。品川ナンバーの高級セダン。この地域の人間ではなさそうだ。そしてその車は、俺がずっと息を潜めて眺め、観察していたあの別荘の駐車場で迷いなく停まった。(慣れた運転さばきの品川ナンバー?まさか……)俺の嫌な予想は的中した。車から降りてきたのは紛れもなく三上だった。彼は別荘のインターホンを慣れた様子で押し、玄関が開くのを待っている。(もしかしたら、玲の知らないところで華は神宮寺家からの支援を受けていて、その手伝いとして三上がいてもおかしくない。そうだ、おかしくないよな。)俺は自分に言い聞かせるように、固唾をのんでその光景を見守った。しかし、俺の願いは虚しく、玄関が開き華が姿を見せた途端、三上は華の腰に手を回し、そのまま軽く引き寄せ
長野の別荘に護さんが頻繁に出入りするようになってから、数年が経った。執事や家政婦たちもみな私たちの関係を知っており、今では公認の仲になっている。護さんのための客室は用意しているが、子どもたちが夜中に起きた時や、何かあった時に私が移動しやすいように、私の寝室の隣が護さんの部屋だ。彼の荷物も増え、別荘の一角はすっかり護さんの空間になっていた。子どもたちが幼稚園に行っている間、護さんが車で私を迎えに来てくれて束の間のデートを楽しんだ。景色が良い場所までドライブをしたり、普段はなかなか行けないようなお店で買い物を楽しんだり、誕生日や記念日にはディナーを楽しむこともあった。二人でワインを傾けながらホテルの最上階で食べた料理は、普段のせわしない日々とは違って非日常を味わえて幸せだった。護さんはいつも私の手を優しく握りエスコートしてくれる。時には、護さんの部屋で、彼の広い背中に身を預け温かい腕に包まれながら日々の出来事を話した。私の話に真剣に耳を傾け、優しく寄り添ってくれる護さんは、私の心を深く、深く満たしていく。別荘での穏やかな時間も良いけれど、周りの目を気にすることなく、ただ二人きりで過ごす時間は、母親であることを忘れさせ、「神宮寺華」に戻る瞬間で、蜜のように甘く私にとって何よりも特別だった。護さんとの時間は、心が解放されるような安心感で包まれていた。そして、この日も私は護さんが別荘に到着するの
「でもさ、ここで僕たちがいくら考えても想像の世界で真実には辿り着けないよ。ここは、瑛斗が直接会いに行けばいいんじゃない?」さっきまで深く考え込んでいた空が、突如として開き直るようにそう言ってきた。俺は思わず声を荒げた。「おい、なんでそうなるんだよ。今、俺は、あの写真のことで頭がぐちゃぐちゃなんだぞ」「だって華さんが瑛斗の迎えを待っていなかったのは傷ついたかもしれないけど、華さんに会わないと真相が分からないと思ったから探偵に何度も頼んだんでしょ?それなら、もう任務は完了している。瑛斗が動くだけだと思うんだけど」空は、俺の感情的な反論をものともせず、冷静に正論を突きつけてきた。あまりにも的を射た言葉に俺は返す言葉が見つからなかった。玲の豹変ぶりを目の当たりにして以来、俺は華が玲の悪辣な罠によって家を追い出され、苦境に陥っているのだと疑うようになった。そんな悲劇のヒロイン・華を見つけ出し、迎えに行くことが俺の役目で、ヒロインはどこか孤独な場所で、苦境に耐えながら白馬の王子様のように王子様が来るのを待っている……。俺はヒーロー気分で状況を捉えていたのだ。しかし、探偵からの写真と空の指摘によって、それが俺の一方的な都合のいい解釈に過ぎないという現実に打ちのめされた。空は、そんな俺の葛藤を見透かすようにじっと俺を見つめていた。その視線に耐えきれ