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18歳の誤ち、今こそ正しき道へ

18歳の誤ち、今こそ正しき道へ

By:  雲野夕Completed
Language: Japanese
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18歳のとき、私・明坂星乃(あけさか ほしの)は大学受験を諦め、貯金をすべて持って恋人の兼川涼平(かねがわ りょうへい)と駆け落ちした。 彼は10年かけて、首都のK市で成功をつかんだ。 そしてまず最初にしたことは、島をまるごと貸し切り、私に盛大な結婚式を挙げるという約束を果たすことだった。 私は喜びに胸を膨らませながら、花嫁になる支度をしていた。そんなある日、偶然、彼と女性秘書のやり取りを目にした。 【まだ20歳そこそこで、貧乏な男と駆け落ちなんて考えるのか?今、君がやるべきなのは、自分を磨くことだ! 本当に愛してるなら、君の輝かしい未来を捨てさせて、いつどうなるかわからない苦しい暮らしを一緒にさせるわけがないだろう? いい?目先の恋にのめり込む人たちを真似しちゃだめ。どこまでも自分を安く扱えば、たとえ一瞬幸せをつかめても、結局は手からこぼれ落ちてしまうんだ】 最後の一文を見つめたまま、私は呆然としている。 長いことぼんやりと座り込んだあと、スマホを手に取った。 そして、半月も放置していたニューヨーク屈指の芸術学院からの特待生合格通知に、ようやく返事を送った。 18歳の私は、愛があればどんな困難だって乗り越えられると思っていた。 でも今、私はもう28歳だ。これ以上、愚かな真似を続けるつもりはない。

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Chapter 1

第1話

合格通知への返信を送ったその瞬間、芸術学院の指導教官・マーサから国際電話がかかってきた。

「明坂さん、本当に決めましたか?

婚約者が島をまるごと貸し切って、明坂さんに結婚式を挙げようとしていると聞きました。

今そこを離れたら、この10年の努力がすべて水の泡になると思います」

私は喉の奥に込み上げる苦みを飲み込み、静かに口を開いた。

「先生、入学手続きをお願いできますか。できるだけ早くお願いします」

電話を切ると、私は右手に残る、いつまでも消えないしもやけの痕をぼんやりと見つめた。

あれは、K市へ来て初めて迎えた冬のことだった。

涼平のためにサーバーを買うお金を節約しようと、マイナス十数度の寒さの中、庭で冷たい水を使って洗濯をしたときに残った痕だ。

この両手だけじゃない。私の胃も、とうにぼろぼろになっていた。

後になって、涼平が最初の投資を取りつけるのを助けるために、私が代わりにお酒を飲み続けた代償だった。

誰もが私に言った。男は成功すると、真っ先に恋人を替えるものだと。

けれど涼平は私を捨てなかった。それどころか、誰もが羨むような結婚式まで用意してくれた。

私の10年にわたる苦労が、ようやく報われたのだと思っていた。

あのやり取りを見るまでは。

そこで初めて、気づいた。

この10年間、私がしてきたことを、あの人は心の中で、自分を安売りしてすがりつくだけの滑稽な女だと思っていたのだ。

だから、こんなに腐りきった恋なんて、もう続けたくない。

そのとき、スマホの画面が再び明るくなり、涼平から電話がかかってきた。

「星乃、何をしてる?

今日は結婚式の招待状の最終案を決める日だ。時間をしっかり守ってくれ。

このあと、まなみを連れて大事なクライアントに会いに行く。みんなの時間を無駄にするな!」

苛立った声だ。

「今、行く」

私はそれ以上何も言わず、静かに電話を切った。胸の奥には、もはやさざ波さえ立たなかった。

前は、少し声を荒げられただけで、慌てて謝っていた。

機嫌を損ねて、二人の関係にひびが入るのが怖かったからだ。

けれど今は、長年胸の奥に溜め込んでいた重苦しさが、すっかり抜け落ちていくのを感じているだけだ。

社長室の扉を押し開けると、エアコンの冷たい風がまともに顔を打ちつけた。

涼平は私が入ってくるのを見ると、眉をひそめ、不機嫌そうに言った。

「普段、家でだらしない格好をしてるのはまだいい。会社に来るなら、もう少しまともな服を着られないのか?

他人に見られたら、俺が星乃を粗末に扱ってるみたいじゃないか」

私は書類袋を机の上に置き、指先でひんやりとした机の表面をなぞった。

「頼まれてた招待状のデザイン」

涼平は一瞬、言葉を失った。まさか私がこんなに冷めた態度を取るとは思っていなかったようだ。

苛立ちを露わにしてネクタイを引っ張り、今にも怒鳴り出しそうになったそのとき、社長室の扉が開いた。

矢倉まなみ(やぐら まなみ)が、ハイヒールの音を鳴らしながら入ってきた。

今シーズン発売されたばかりのシャネルのスーツに身を包み、上品なメイクを施したその姿は、若々しく華やいでいる。

手には、湯気の立つ紅茶を一杯持っている。

「社長、ご注文の紅茶です」

涼平の顔を覆っていた陰りが一瞬で消え、柔らかな笑みに変わった。

「そこに置いてくれ。ご苦労さん」

まなみがこちらを振り向いた。その目に、かすかな軽蔑の色が浮かんだ。

「明坂さんもいらしたんですね。すみません、いらっしゃるとは知らなくて、お茶を用意していませんでした」

涼平がすぐに言葉を継いだ。

「星乃にはレモン水でいい。こういうのにはこだわらないから」

「いらない。レモンアレルギーだから」

私は淡々と話した。

涼平はわずかに目を見開いた。どうやら、そのことをすっかり忘れていたようだ。

まなみは口元を隠し、くすっと笑った。

「社長もお忙しいですから、うっかり忘れてしまうこともありますよ。明坂さん、気にしないでくださいね」

――「忘れてしまう」って?

昔、私のアレルギーが出たとき、病室でずっと付き添い、水を飲ませたり体を拭いたりしてくれたのは、他でもないあの人だった。どうしてそんなことを忘れられるだろうか?

ただ今は、もう私のことなんて心のどこにも留めていない。それだけだ。

私は何も答えず、ただ机にもたれながら、招待状のデザインの最終確認が終わるのを静かに待っている。

涼平が軽く咳払いをし、私が持ってきた書類袋を開けた。

中に入っているのは、3日間ほとんど眠らずに、私が自分の手で描き上げた涼平との結婚式の招待状のデザイン原稿だ。

彼は一目見ただけで、また机の上へ放り返した。

「なんだ、これ?」

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第1話
合格通知への返信を送ったその瞬間、芸術学院の指導教官・マーサから国際電話がかかってきた。「明坂さん、本当に決めましたか?婚約者が島をまるごと貸し切って、明坂さんに結婚式を挙げようとしていると聞きました。今そこを離れたら、この10年の努力がすべて水の泡になると思います」私は喉の奥に込み上げる苦みを飲み込み、静かに口を開いた。「先生、入学手続きをお願いできますか。できるだけ早くお願いします」電話を切ると、私は右手に残る、いつまでも消えないしもやけの痕をぼんやりと見つめた。あれは、K市へ来て初めて迎えた冬のことだった。涼平のためにサーバーを買うお金を節約しようと、マイナス十数度の寒さの中、庭で冷たい水を使って洗濯をしたときに残った痕だ。この両手だけじゃない。私の胃も、とうにぼろぼろになっていた。後になって、涼平が最初の投資を取りつけるのを助けるために、私が代わりにお酒を飲み続けた代償だった。誰もが私に言った。男は成功すると、真っ先に恋人を替えるものだと。けれど涼平は私を捨てなかった。それどころか、誰もが羨むような結婚式まで用意してくれた。私の10年にわたる苦労が、ようやく報われたのだと思っていた。あのやり取りを見るまでは。そこで初めて、気づいた。この10年間、私がしてきたことを、あの人は心の中で、自分を安売りしてすがりつくだけの滑稽な女だと思っていたのだ。だから、こんなに腐りきった恋なんて、もう続けたくない。そのとき、スマホの画面が再び明るくなり、涼平から電話がかかってきた。「星乃、何をしてる?今日は結婚式の招待状の最終案を決める日だ。時間をしっかり守ってくれ。このあと、まなみを連れて大事なクライアントに会いに行く。みんなの時間を無駄にするな!」苛立った声だ。「今、行く」私はそれ以上何も言わず、静かに電話を切った。胸の奥には、もはやさざ波さえ立たなかった。前は、少し声を荒げられただけで、慌てて謝っていた。機嫌を損ねて、二人の関係にひびが入るのが怖かったからだ。けれど今は、長年胸の奥に溜め込んでいた重苦しさが、すっかり抜け落ちていくのを感じているだけだ。社長室の扉を押し開けると、エアコンの冷たい風がまともに顔を打ちつけた。涼平は私が入ってくるのを見ると、眉をひ
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第2話
涼平はデザイン原稿を無造作に放り投げた。その勢いで、机の上に置かれていた紅茶まで倒してしまった。熱々の紅茶が、私が3日間ほとんど眠らず描き上げた原稿に一気に染み込んでいった。それは、私が一本一本の線を重ねて描いた、私たちが初めて出会ったときのあのアオギリの木だ。思わず手を伸ばして原稿を救おうとしたが、手の甲が熱い紅茶に触れて火傷をした。けれど涼平は、そんな私には目もくれず、まなみの腕をとっさに引き寄せ、とても心配そうに声をかけた。「火傷してないか?」まなみはそのまま彼の胸に身を寄せ、甘えるように言った。「平気です。でも、明坂さんがせっかく頑張って描いたものが、全部台無しになっちゃって……」「台無しになったなら、それまでだろ。今どき、こんな古臭い色の組み合わせを使うか?」涼平はさらに眉をひそめた。「こんな招待状を外に出したら、俺の面目が丸つぶれだろう」そう言ってまなみの方へ顔を向けると、その声は一瞬で柔らかくなった。「まなみは名門大学のデザイン学科を出てるんだ。招待状のことは任せる」「分かりました」まなみは素直に頷き、私を見て勝ち誇ったような目をした。――「名門大学」か。赤くなった手の甲を見つめながら、私は心の中で嘲笑った。18歳のあの頃、私はすでに一流の芸術学院への推薦入学が決まっていた。それなのに、涼平は目を真っ赤にして私にすがりついた。「星乃、ここに残って俺を助けてくれないか?星乃がいないと俺は駄目なんだ。絶対に結婚する。一番いい暮らしをさせてやる」私はその言葉を信じた。そうして待ち続けること、10年。彼のために自分の道を捨てたのに、彼に言わせれば、私は世間知らずな女だ。胃のあたりが突然、ぎゅっと縮んだ。痛みに耐えかねて腰を折ると、冷や汗が一気に背中を濡らした。それを見た涼平は、いっそう眉を寄せた。「星乃、またそれか?少し何か言うたびに具合が悪いふりをして、何が楽しいんだ?」私が彼の気を引こうとしていると、彼は思い込んでいる。それなのに忘れている。私の胃の病気は、あの頃、彼のために投資を引き出そうとして、出血性胃潰瘍になるほどお酒を飲み続けた結果、残ったものだということを。私はゆっくりと体を起こし、机の上に散らばった原稿を一枚ずつ拾い、書類
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第3話
私はスマホを強く握りしめ、指先を真っ白にした。――そういうことか。涼平が私にくれると言っていた未来は、私の知らないところで、とっくに別の女の名前にすり替えられていた。静かにスマホをポケットへ戻し、タクシーを拾って家へ帰った。夜の10時になり、涼平がようやく家の扉を開けた。その体からは、まなみがいつも使っている、甘ったるい香水の匂いがした。「試食会に行けって言っただろ。どうして行かなかったんだ?また拗ねてるのか?」彼はネクタイを緩め、苛立ちを隠そうともせず、上着をソファへ放り投げた。私は暗闇の中に座り、静かに彼を見つめている。18歳のあの頃、彼は地図に描かれた小さな島を指差し、目を赤くしながら誓った。「いつか島を一つ買う。名義は星乃一人にする」今、その島は買われた。けれど、所有者の名前はまなみだ。私はスマホを彼の前に置いた。画面には、まなみのSNS投稿が映っている。ウェディングドレス姿の彼女と、その背後にある島の所有権譲渡書。「これが、涼平の言ってた大事なクライアントに会いに行くってこと?」涼平の動きがぴたりと止まった。目の奥に、見つかったことへの動揺が一瞬よぎった。けれどそれはすぐに怒りへと塗り替えられた。「ウェディングドレスは、まなみが星乃のサイズに合うかどうかを確認しただけだ。体格も似てる。一度試着するくらい、何が悪いというんだ?それに、島は会社の節税対策としてまなみの名義を使わされたのだ!星乃はビジネスのことがわかるのか?」彼は私を見下ろした。「大学にすら行ってない星乃にできることなんて、こんなくだらない男女のことを気にして、毎日家で疑い続けるくらいだろ。他に何ができる?」彼はネクタイを引っ張りながら、うんざりした様子で言った。「他人をそんなにひどい目で見るな。まなみは名門大学を出て、これから先も輝かしい未来がある。俺にとっては妹みたいなもんだ!」胃の奥に鋭い痛みが走った。私はお腹を強く押さえ、喉元まで込み上げてきた苦みを飲み込んだ。10年もの青春を捧げたのに、返ってきたのは「大学にすら行ってない」という言葉だ。涼平の中では、私が彼に尽くしたことこそが、私の一番の汚点なのだ。目の前にいる、きちんとしたスーツに身を包んだ男を見つめた。突然、ひどく見知ら
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第4話
送られてきたスクリーンショットは、国内で最も注目を集めている経済メディアのトップニュースだ。写真の中で、涼平は仕立ての良いスーツに身を包み、シャンパンを片手に持ちながら、隣に立つ真っ赤なドレス姿のまなみと指を絡めている。まなみは恥じらいながら微笑み、涼平の肩に半ば寄り添っている。その姿は、まるで誰もが認める社長夫人そのものだ。そして、そのタイトルはあまりにも目に刺さり、あまりにも滑稽だ。【K市で頭角を現した兼川涼平、10年間苦労を共にした元カノに感謝しつつ「運命の人は別にいる」と】私は「苦労を共にした」という言葉を見つめ、ふと笑みがこぼれた。それは、私に誰もが羨むような結婚式を贈ると言っていた男だ。私が去った直後だというのに、彼は待っていたかのように新しい恋人を世間に公表した。そのうえ、「苦労を共にした」私を踏み台にして、自分は一途で仕方なくこうなった男だという顔まで作っている。以前の私なら、怒りで全身を震わせていただろう。けれど今はそれどころか、涙一つこぼれなかった。ただ唇の端をわずかに引き上げ、画面を消してスマホを伏せたまま机の上に置いた。ニューヨークの風は、K市よりも冷たい。12月の凍える風が窓の隙間から吹き込み、骨まで凍りつくように痛む。ここは、ニューヨーク屈指の芸術学院にある教授のオフィスだ。マーサが扉を開けて入ってきた。手には、湯気の立つ飲み物が二つある。60代半ばで、目つきの鋭い白人の老婦人だ。そのうち一杯のホットココアを私の前に差し出し、私の顔を一瞬見つめた。何も尋ねず、ただ指で窓の外を指し示した。「明坂さんの席は二階の窓際にあります。あそこはアトリエで一番日当たりの良い場所ですよ」私はホットココアを両手で包み込んだ。手のひらから伝わる温もりに、凍りついていた体がほんの少しだけほぐれていく。「ありがとうございます、マーサ先生」「お礼なんていりませんわ。礼を言うなら、その絵筆を握る手にしてください」マーサは、長い間重労働をしてできた私の手のたこを見つめ、ため息をついた。「ここでは、明坂さんがかつて誰の婚約者だったかなど、誰も気にしません。どんな経験をしてきたかもそうです。この芸術学院の教授たちが知っているのは、明坂さんが非常に才能のある学生だということだけで
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第5話
ニューヨークのアトリエで過ごした3か月は、あっという間に過ぎ去った。マーサが強く推薦してくれたおかげで、私は学院が運営するギャラリーで、人生初となる小さな個展を開くことになった。個展のテーマに選んだのは、「閉じ込められた獣」だ。広くはないギャラリーに並べられたのは、わずか12枚の油絵。その12枚すべてに、私と涼平が過ごした10年間を素材にして、闇の世界を描いた。一見すると穏やかで愛情に満ちた仮面を剥ぎ取り、その下に隠された腐った醜い真実を、血まみれの手で掘り起こした。1枚目は、大きな流し台。そこには分厚い油汚れが浮かび、その真ん中には折れた高級ブランドの口紅が一本沈んでいる。それは以前、涼平のスーツのポケットから私が見つけたものだった。そのとき、彼は苛立った様子で言った。「クライアントが置き忘れたんだ。毎日家にいて外にも出ない星乃は、他に考えることくらいないのか?」5枚目は、青白い手の甲。そこには、何本もの点滴の針が刺さっている。針に繋がれた透明な管は蔓のように絡み合い、最後には薬指のあたりで固く結ばれている。まるで滑稽でありながらも、どこか悲しい指輪のようだ。あのとき、涼平のために投資を引き出そうとして、出血性胃潰瘍になるほどお酒を飲み、病室で横たわっていた私に、彼はこう言った。「星乃、会社が上場したら、一番大きなダイヤの指輪を買ってやる」そして最後を飾る12枚目の絵は、「結婚式」と名づけた。そこには花も飾りもなく、ただ床一面に割れた酒瓶が散らばっているだけだ。そのガラス片が積み重なり、華やかでありながらも、触れれば傷つきそうなウェディングドレスの形を成している。顔のない女性がそのドレスを着ており、裾からは血が滴り落ちている。初日の来場者は、学院の学生や教職員が中心だ。絵を見た人々は皆、衝撃を受けたような表情をしていたものの、大きな反響は呼ばなかった。私は気にしなかった。これは、自分自身を取り戻すための最初の一歩に過ぎない。ところが、2日目になると、事態は一変した。世界中のアーティストに名を馳せるアート系ユーチューバーが偶然ギャラリーを訪れ、「閉じ込められた獣」シリーズに強く心を奪われた。彼女はすべての絵を撮影し、海外のSNSに長尺の動画を投稿した。動画の中で、彼女は作
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第6話
【今さらこんなことをやるなんて、要するに別れの慰謝料をもっと取ろうとしてるだけでしょ】私はそのコメントを見て、その裏垢のプロフィールを開いた。かなり隠してはあったものの、以前投稿した位置情報つきのデザートの写真から、本人がまなみだとあっさり判明した。私は、ピエロのように騒ぎ立てるまなみのことは気にしなかった。なぜなら、本当に落ち着かなくなる人間が、もうすぐ動き出すとわかっているからだ。案の定、スマホを通常モードに戻してから10分も経たないうちに、けたたましく鳴り始めた。表示されたのは、アメリカの電話番号だ。通話ボタンを押した瞬間、私が口を開く前から、涼平の怒鳴り声が飛び込んできた。「星乃!海外でいったい何をやってるんだ?」怒りで声を裏返しながら、彼は叫んだ。「星乃が描いた、あの胸くそ悪い絵はいったい何なんだ?今、国内で俺がどんなふうに叩かれてるか知ってるのか?会社は今、資金調達を進めてるんだ。あの絵が国内の大手メディアに大量に転載されたら、株価が暴落する!」私はスマホを少し耳から離した。電話の向こうで彼が何もできずに怒り狂っているのを聞きながら、なぜか驚くほど心は静かだ。10年もの間、何か起きたときの彼の最初の反応は、いつだって私を責めることだった。気にしていたのは、いつだって自分の会社と株価だけだった。「涼平」私は冷たく彼の言葉を遮った。「株価が下がるのを怖がってるのは、後ろめたいことがあるからでしょ。人に知られたくないよね?涼平が今の華やかな暮らしを手に入れられたのは、私を踏み台にして這い上がったからだって」電話の向こうが、突然しんと静まり返った。数秒後、彼の声が急に柔らかくなった。それどころか、いつものように、哀れな人間に対する同情の優しささえも滲んでいる。「星乃、もうやめよう。俺がまなみにウェディングドレスを試着させたことに怒ってるんだろ?こうしよう。結婚式は年末まで延期する。今すぐ航空券を取って帰ってこい。ちゃんと話そう。星乃が絵を描くのが好きなら、K市でギャラリーを一軒借りてやる。好きなだけ描けばいい。な?」「好きなだけ描く?」私は鼻で笑った。声は冷たく、骨まで凍りつくほどだ。「涼平、私のことをまだ、少し優しくされれば何でも言うことを聞くバカだと思って
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第7話
1か月後、ホワイトボックスギャラリーで現代アートのグループ展が開幕した。ニューヨークのアート界の名士やコレクター、記者たちが一堂に会した。ギャラリーの外には高級車がずらりと並び、フラッシュが昼間のように辺りを照らしている。私は仕立ての美しい黒のキャミソールロングドレスを身にまとい、余計な飾りは一切つけず、首元には極細のシルバーネックレスだけをつけている。8センチの黒いハイヒールを履き、背筋を伸ばして人混みをかき分け、自分の作品の前に立った。マーサが言っていた通り、真ん中に展示されている一押しの作品だ。私は1か月を費やし、幾度となく夜を徹して描き上げた巨大な油絵、「焼け落ちた島」。その絵には、目を奪うほどの強い力がある。本来なら絵のように美しいはずの南国の島が、今は轟々と燃え盛る炎に飲み込まれている。空は濃い煙に染まり、不気味な暗紅色に覆われている。焼け焦げたヤシの木は、ねじれた亡霊のように立ち並んでいる。そして画面のど真ん中、炎の最も深いところに、一人の女性の後ろ姿が立っている。逃げることもしなければ、助けを求めることもしない。その右手はわずかに持ち上がり、手のひらには握りつぶされた宝石のネックレスがしっかりと握られている。宝石の欠片が手のひらを突き破り、指の隙間から血が流れ落ち、焼け焦げた大地に滴り、妖しい赤い花をいくつも咲かせている。それは私のネックレス。祖母が残してくれた唯一の形見だった。18歳のあの頃、私はそれを売り、涼平が事業を展開するための最初のサーバーを買うお金にした。周囲からは絶えず感嘆の声が上がり、記者たちはカメラを構えて狂ったようにシャッターを切っている。「この絵の張り詰めた雰囲気は、非常に恐ろしいほどです。すべてを焼き尽くしてしまおうとする覚悟が伝わってきます」金縁の眼鏡をかけたコレクターが、私の隣で静かに称賛の声を上げた。私は礼儀正しく、軽く頭を下げた。そのとき、突然、背後から手首を強くつかまれた。私は勢いよく振り返った。涼平がまさかニューヨークまで追いかけてくるとは思わなかった。「星乃……」その目には焦りが満ちており、その奥には、彼自身も気づいていない恐れさえ滲んでいる。「ずっと探してた……」突然の出来事に、周囲の人々も何事かとこちらへ視線を
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第8話
涼平はニューヨークでこれまで味わったことのないほどの屈辱を受け、その夜のうちに尻尾を巻いて国内へ飛び帰った。けれど彼は、ネットユーザーたちの記憶力を明らかに甘く見ている。また、自分の「運命の人」の頭の良さを過大評価している。彼が帰国するとすぐに、まなみはSNSに3000字にも及ぶ長文を投稿した。タイトルには、堂々とこう書かれている。【私は不倫をしていません。悪意に目を曇らされた皆さまへ】その投稿の中で、彼女は涙ながらに訴えた。私は心の歪んだ、他人の幸せを妬む悪女だと。そして、絵を使って嘘をばらまき、一般人をネット上で攻撃していると私を責め立てた。自分と涼平の無実を証明するため、彼女は涼平とのラインのやり取りを数枚スクリーンショットにして公開した。そこに映っているのは、すべて仕事上の普通の指示と、涼平が私のわがままに愚痴をこぼしている内容だ。この長文が投稿されると、涼平の会社の広報部は直ちに不正な手段で拡散し、世論を混乱させようとした。この件を、二人の女が男を奪い合う痴話喧嘩に仕立て上げようとしたのだ。ところが残念なことに、まなみは自分を正当化しようと焦りすぎて、致命的なミスを犯した。最後のスクリーンショットで、彼女は涼平に一枚の画像を送った。小さくて内容ははっきり見えないが、どうやらそれもトーク画面のスクリーンショットのようだ。ネットユーザーたちの目はごまかせなかった。ほどなくして、誰かがハイテク技術を使って画像を拡大し、その内容、つまりまなみが親友へ送ったメッセージを復元した。【何を怖がってるの?あのババアなんて、海外でくだらない絵を何枚か描いて騒いでるだけよ】【明坂が完全に消えたら、社長と結婚するのは私よ】【心をつなぎ止められなくても、お金はつなぎ止められるでしょ?あの島の名義はもう私なんだから。焦ることないって】この決定的な証拠となるスクリーンショットがネット上に晒された瞬間、世論は一気に爆発し、完全な逆転劇が起こった。【うわっ!この女、あまりにもあざとすぎるだろ!堂々と男の金を狙ってるじゃん!】【関連記事全部読んだ!心をつなぎ止められなくてもお金はつなぎ止められるって言えるのは、一般人じゃありえない!一般人はパトロンがほしくないよ!】【兼川も本当に救いようのないバカだな。10年間苦労
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第9話
芸術学院の卒業制作展まで、あと3日。早朝、コーヒーを一杯手にしたばかりの私のアトリエに、宅配便が届いた。開けてみると、国内でも名高い法律事務所からの警告書だ。書面の文言は傲慢で厳しい口調で迫っている。【直ちに展示を中止し、兼川涼平氏の名誉およびビジネスにおけるイメージを損なう一切の芸術作品の発表をやめ、国内外のメディアを通じて公開謝罪を行え。さもなければ、肖像権および名誉権の侵害として国際訴訟を提起し、多額の賠償を請求する】涼平はとうとう追い詰められ、こんな手段まで使って私を脅そうとしているらしい。きっと彼は、私がまだ異国の地で誰にも頼れず、少し脅されただけで怖くなり、すぐに負けを認めるあの弱い女の子のままだと思っているのだろう。私は腹を立てるどころか、笑ってしまった。その警告書を手に、そのままマーサのオフィスへ入り、彼女の机の上へそっと置いた。マーサは警告書を読むと鼻で笑い、その紙を机に叩きつけた。「愚かな男です。情けもなく、物事を知りません。ニューヨークでは、こんな卑劣なやり方で一人の画家を脅せる人間なんていませんわ!」マーサは私を見つめ、その瞳に戦う意志を宿している。「明坂さんはどう反撃するつもりですか?」「反撃はしません」私は静かに答えた。「終わらせたいんです」翌日の午前、芸術学院、中央ホール。マーサの働きかけにより、学院は異例の記者会見を開いた。アート系メディアだけでなく、この件に注目していた海外の大手メディアやニューヨークに拠点を置く国内メディアまで数多く招かれていた。私は華やかに着飾ることもせず、白いシャツにポニーテールをし、化粧もほとんどせず素顔のままでいる。ホールに設置された巨大なスクリーンには、話題となった油絵ではなく、黄ばんだ紙や領収書、様々な書類が次々と映し出された。「明坂さんの作品は悪意に満ちた創作であり、名誉を傷つけるものだと主張する人がいます」マーサは壇上に立ち、よく通る威厳のある声で言った。「今日は、これらの作品の裏側にある証拠を、皆さんにお見せします」スクリーンが1枚目の画像へ切り替わった。それはK市にある大学病院の救急外来の診断書で、日付は7年前の冬。診断書には、はっきりとこう記されている。【急性出血性胃潰瘍、アルコール
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第10話
一年後。K市。ある人気ギャラリーの外には、長い行列ができている。建物の屋上から巨大なポスターが垂れ下がっており、そこには大きな文字が書かれている。【18歳】これが、私の国内初の個展だ。初日からギャラリーは人で溢れかえった。取材に訪れたメディアもいれば、評判を聞いて足を運んだコレクターもいる。かつて国内の高校の美術科に通っていた頃の同級生もいる。そして、ネットで私の物語を知った人たちも。私はシンプルな茶色のセットアップを着て、長い髪を無造作に後ろでまとめ、ギャラリーの中央に立っている。そこに掛かっているのは、今回の個展の魂ともいえる作品であり、唯一値札のついていない自画像だ。絵の中の女の子は、高校の制服を着ている。髪は高い位置で結ばれ、目には明るさと強さが宿っている。試験会場の机に座り、日差しがその横顔を照らしている。手には一本の絵筆を握り、その先端は真っ白な答案用紙に触れている。そして、絵の右下の隅には、ごく小さく、それでいて強い力を持つ一文が記されている。「帰ってきた」18歳の私へ贈る絵だ。午後6時、閉館を知らせる音楽が流れ始めた。人々は少しずつ帰っていき、ギャラリーには静けさが戻った。私はパンフレットを片づけようとした。そのとき、背後から重い杖の音が聞こえてきた。振り返った。入り口に、一人の男が立っている。涼平だ。資金横領が発覚したあと、すべてのお金を失っただけでなく、多額の借金まで背負うことになったと聞いた。ある日、借金の取り立てから逃げる途中、道を誤って事故を起こし、片脚を折った。完全に落ちぶれたのだという。彼は私を見つめている。今の私の、輝きを放ちながらも落ち着き払っている姿を目にし、唇が激しく震えている。「星乃……」彼は口を開いた。「俺はもう終わった……何もかも失った。家も、会社も、この脚も……全部なくなった。ただ……星乃に会いに来たかった」目を赤くし、濁った涙がその瞳に溜まっている。杖にすがりながら、苦労して少し前へ進み、枯れたような手を伸ばして私をつかもうとした。「星乃、許してくれないか?間違ってた……」私はその場から動くことも、逃げることもしなかった。ただ1メートルだけ後ろに下がり、礼儀正しく振る舞いながら、冷
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