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第20章:すれ違う気持ち

Author: 相沢蒼依
last update publish date: 2026-10-02 08:15:09

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氷室の大きな声が昇降口に響いた瞬間、全身が一気に硬直した。いつも冷静沈着な彼が、あんなふうに声を荒げて取り乱すなんて――今まで一度も見たことがなかった。

健ちゃんが去ったあと、握られた手から熱と微かな震えが伝わってくる。その熱は不安と同じくらい強くて、今にも燃え広がりそうだった。

あのあと一度だけ健ちゃんは振り返ったが、なにも言わずにそのまま背を向けた。その姿が校門の外に消えると、張りつめた空気だけが残った。

廊下の奥から「え、今の氷室?」と囁く声が聞こえ、気づかないふりをしても、突き刺さる視線が皮膚を焼くように痛かった。それでも氷室は俺から目を逸らさず、手を握りしめ続ける。硬い表情のままの彼に、そっと声をかけた。

「……蓮、大丈夫?」

やんわりと声をかけても、そこからうまく言葉が続かない。どうして彼がここまで感情を爆発させたのか、なんとなく理由はわかっている――健ちゃんが俺に近づくたびに、氷室が少しずつ変わっていったのを感じていたから。それを確かめたくて、思いきって訊ねた。

「俺……そんなに蓮を不安にさせてたかな?」

やっと絞り出した声は、自分でも驚くほど小さか
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  • BL小説短編集   第20章:すれ違う気持ち

    *** 氷室の大きな声が昇降口に響いた瞬間、全身が一気に硬直した。いつも冷静沈着な彼が、あんなふうに声を荒げて取り乱すなんて――今まで一度も見たことがなかった。 健ちゃんが去ったあと、握られた手から熱と微かな震えが伝わってくる。その熱は不安と同じくらい強くて、今にも燃え広がりそうだった。 あのあと一度だけ健ちゃんは振り返ったが、なにも言わずにそのまま背を向けた。その姿が校門の外に消えると、張りつめた空気だけが残った。 廊下の奥から「え、今の氷室?」と囁く声が聞こえ、気づかないふりをしても、突き刺さる視線が皮膚を焼くように痛かった。それでも氷室は俺から目を逸らさず、手を握りしめ続ける。硬い表情のままの彼に、そっと声をかけた。「……蓮、大丈夫?」 やんわりと声をかけても、そこからうまく言葉が続かない。どうして彼がここまで感情を爆発させたのか、なんとなく理由はわかっている――健ちゃんが俺に近づくたびに、氷室が少しずつ変わっていったのを感じていたから。それを確かめたくて、思いきって訊ねた。「俺……そんなに蓮を不安にさせてたかな?」 やっと絞り出した声は、自分でも驚くほど小さかった。氷室は短くまぶたを伏せ、そして俺の手をさらに強く握る。「……不安じゃない。ただ、神崎に譲る気がないだけだ」 まっすぐな言葉が胸に落ちた瞬間、嬉しさと同じくらい、正体のわからない怖さが広がった。氷室の瞳に宿る熱は、守るためのものなのか、それとも失うことを恐れているからなのか――まだ判断できない。 ただ一つだけ確かだったのは、この瞬間、俺たちの関係が形を変えたということだった。 手をつないだまま昇降口を出る。秋の冷たい風が頬を掠め、氷室は強く手を黙ったまま、俺を引きずるように歩いた。氷室に握られた手は熱いはずなのに、指先だけが妙に冷えていく。もし今この手を離したら、もう二度と繋げない気がして――俺はただ、指先の冷たさを必死にごまかした。 途中、彼がふと立ち止まり、俺を振り返った。その表情はさっきの鋭さが嘘のように静かだが、奥に僅かな揺らぎが確実にあった。「奏……悪かった。大きな声を出した俺、すごく怖かっただろう?」 謝られるなんて思っていなかったから、言葉がすぐに出なかった。こんなにもまっすぐに欲してもらえることが、心の奥では嬉しい。けれど、その熱が行き場を失ったとき、

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    門をくぐった瞬間、いくつもの視線が俺をかすめた。昨日まではただのざわめきに過ぎなかったものが、今日はひとつひとつの視線が俺を値踏みするようで――そこに神崎の眼差しが紛れ込んでいる気がしてならなかった。 昇降口の前で、奏がぱっと笑顔を咲かせ、大きく手を振った。奏の笑顔は太陽みたいに変わらず眩しい。その光が嬉しいのに、胸のどこかがちくりと痛む。まるでその笑顔が俺ではなく、神崎のほうを照らしてしまうんじゃないかと、ありもしない想像が勝手に膨らんでいく。『――君が大事にしてる奏は、俺が一番よく知ってる。君よりも、ね』 不意打ちのように、その言葉は油断していた心に鋭く刺さった。俺は僅かに瞳を細め、呼吸を整えてから奏に歩み寄る。「おはよう」 「おはよ! 今日は少し早いね」 他愛もないやり取り。それなのに、自分が無理に声を軽くしていることを感じていた。奏の表情には、昨日の影がまったくない。それが救いなのか、それとも別のものなのか、答えはまだ出ない。 教室に入ると、同じクラスの神崎がふと視線を上げ、俺と目が合った瞬間、ほんの僅かに口元を緩めた。挑発でも嘲笑でもない。むしろ優しい笑みに近いその表情が、かえって俺の胸をざわつかせる。 休み時間。隣のクラスから奏がわざわざやって来て、机に腰をかける。週末の予定を楽しそうに話しはじめ、その声は本当に嬉しそうで――だからこそ、俺はあえて言葉を飲み込んだ。 神経質になっている俺が今ここでなにかを言えば、それは間違いなく棘になる。(……奏を守るって決めたのに。神崎に言われたたったひと言で、どうしてこんなに動揺しているのだろうか) 窓の外、風が校庭の砂をさらって舞い上げる。その砂は舞い散りながら、俺の胸の奥にも静かに降り積もっていく。気づけば息をするたび、胸の奥でざらついた重さが増していった。 次の日の昼休み、購買で買ったパンを手に教室へ戻ると、窓際の自分の席に奏が座っていた。机に肘をつき、窓の外をぼんやりと眺めている。その横顔はやけに無防備で、見ているだけで胸の奥が温かくなる――はずだった。けれど今はその無防備さが、俺の届かない誰かに開かれてしまうのではないかと、不意に不安を煽った。 その場で俺の足は止まり、不安で胸の奥が小さく揺れる。奏の視線の先、グラウンドに神崎が立っていた。偶然そこにいるようでいて、どこかでこち

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    *** 奏の肩を抱きしめ、夜の街を歩く俺たちの足音が、やけに大きく耳に残る。街灯に揺れる影が、俺と奏を重ねたかと思うと、ふいに離れていった。神崎の声はもう遠くに消えたはずなのに、胸の奥ではまだ低く頭の中を反響する。『君が大事にしてる奏は、俺が一番よく知ってる。君よりも、ね』 その言葉が、俺の中に眠っていた感情を静かに呼び起こす。それは嫉妬でも警戒でもない。もっと深く、触れれば形を失うような、得体の知れない不安だった。 隣を歩く奏は気を遣っているのか、何事もなかったように小さな話題を振ってくる。けれど俺の耳は、その声を正しく拾えない。まるで彼の言葉の上に、神崎の声が薄くかぶさっているみたいだった。 あの日の記憶が不意に蘇る。中学の頃、信じていた誰かに裏切られた夜。理由も告げられず、ただ距離を取られ、気づけば「知らない過去」を他人から聞かされたあの息苦しさ――。「……蓮?」 奏の声で現実に引き戻される。気づけば立ち止まっていて、目の前にある信号の青が何度も点滅を繰り返していた。「ああ……悪い」 歩き出しながら、視線を前に固定する。肩から移動させて握った奏の手を、ぎゅっと握りしめる。けれど指先に宿る力は、自分でもなかなか抑えられなかった。奏は俺のものだと、叫びたい衝動が喉に張り付く。(神崎がなにを知っていようと関係ない。奏は今、俺の隣にいる――) そう繰り返すたびに、胸の奥で不安がゆっくりと形を持っていく。しかも俺は知っていた。一度芽吹いた影は、決して簡単には消えないということを。 帰り道の終わり、家の前で奏が笑って「また明日」と言う。その言葉の明日が、同じ色をしている保証はどこにもない。俺も同じようにほほ笑み返したが、その笑みの奥に隠した重さを、奏はまだ知らない。

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    午後の授業が終わっても、頭の中は霞がかったままだった。黒板を見つめているはずなのに、視線はどこにも焦点を合わせられず、ペン先がノートの端を何度も往復した。 耳の奥では、あの声がまだ残響している。『――氷室に似合うのは、俺のほうだと思わない?』 柔らかく笑いながら、それでいて逃げ場のない間を空けて放たれた健ちゃんの声。音の輪郭まで、今もはっきりと覚えている。 帰りのチャイムが鳴り、クラスの空気が一気に解放されても、その言葉だけは色のついた埃のように視界から離れなかった。 廊下の向こう、扉の窓越しに氷室の姿を見つけた瞬間、胸が跳ねたことで反射的に足が彼を追いかける。声をかければ――氷室はきっと聞いてくれるだろう。「そんなこと、気にするな」と笑ってくれるかもしれない。(でも、それを聞いた蓮はどう思う? 健ちゃんの声に潜んだ境界線を、蓮も感じ取ってしまうのだろうか) まとまらない考えが頭の中を支配して足が自然と止まり、手のひらが汗ばんでくる。急いでいた足を突如止めたせいで、上靴から変な音が鳴った。「あ……奏?」 物音に振り返った氷室が、不思議そうに首を傾げる。変わらぬ低い声、変わらぬ距離感――なのに、今日はそのすべてがどこか怖かった。「蓮……いや、なんでもない」 そう答えた瞬間、情けなさが胸を締めつける。話すべきだとわかっているのに、言葉にしたらなにかが壊れそうで――。 氷室はそれ以上追及せず、俺の肩を叩いて歩くことを促した。重たい足を動かしたら、俺の歩幅に合わせて氷室も歩き出す。夕陽が廊下を橙に染め、伸びたふたりの影が床を滑っていく。その影が、ほんの少しずつ離れていくように見えた。(俺……このままで、本当にいいのかな) 問いだけを胸に抱えたまま、下駄箱へ。靴を履き替える間も、氷室の横顔を盗み見ては迷いを繰り返す。結局、切り出せぬまま夕暮れの校門をくぐった。 秋の帰り道。夕陽の色は橙から紫に変わり、落ち葉を踏むたびにざくりと乾いた音が響いた。氷室と並ぶこの時間は、いつもなら心地よいはずなのに、今日に限って息が詰まった。「奏……やっぱり、なにかあったんだな」 氷室が不意に足を止めた。夕陽が彼の横顔を金色に縁取り、その瞳だけが真っ直ぐに俺を射抜く。「顔に出てる。隠すのが下手なのは、奏のいいところでもあるけれど」 冗談めいた氷室の口調の奥

  • BL小説短編集   第18章:心に刺さった棘

    翌日、昼休みのチャイムが鳴って、弁当のご飯をを急いで食べていると、教室のドアが静かに開いた。健ちゃんがまるでなにかを思い出したみたいな顔で、迷いなく俺の席にやって来る。「奏、ちょっと時間ある?」 かけられた声は柔らかい。けれど、長く付き合ってきた俺には、その奥になにかを隠している響きがあるのが、すぐにわかった。「え、ああ……別にいいけど」 健ちゃんは廊下のほうに視線を向け、軽く顎で合図する。「ここじゃ話しにくい。中庭まで来てくれない?」 昨日の氷室の言葉が、ふと胸を過る。『――ああいう感情を持つ人間が、俺の傍にいる大事な人に近づくのは、どうしても警戒してしまう』 一瞬だけ迷ったが結局、椅子を引いて立ち上がった。 健ちゃんは廊下を一定のゆっくりした歩幅で進み、時折俺を振り返ってはほほ笑む。口元は笑っているのに、目の奥は水面のように静かで、底が見えない。だからこそ、かえって距離の測り方がわからなくなる。 中庭のベンチは、昼休みのざわめきから外れた静けさの中にあった。風が葉を擦り合わせる音だけが耳に残る。健ちゃんは俺がベンチに腰を下ろすのを待ってから、向かい側に座った。「昨日の帰り、氷室と一緒だったろ?」 軽く投げられた問い。世間話に聞こえるけれど、視線はまっすぐで俺の逃げ場がない。「……まあ、うん」 「ふたり、仲いいよな。奏は昔から、ああいうタイプが好きだったのか?」 何気ない口調の裏に、なにかを測っている妙な間があるのを感じた。「別に、“タイプ”とかじゃないけど……」 「へえ」 それを聞いた健ちゃんは、唇の端だけで笑う。その笑いに温度はなかった。「俺、生徒会で氷室と長く話をしたことがあるけど……アイツ、意外と壁を作るだろ?」 舞い落ちる落ち葉が風にさらわれ、俺の足元で小さく回転した。ざらりとした音が、健ちゃんの言葉と重なって胸に引っかかる。答えられない俺の沈黙を彼は楽しむように、健ちゃんは自分の腰に手を当てながら一瞬だけ瞳を細めた。「俺はさ、人を見るのが得意なんだ。氷室は“自分の世界”を持ってる。あそこに入り込めるヤツなんて、そう多くない」 その声は、忠告じみた挑発のようでもあった。「でも……奏は珍しいよ。アイツの隣にいられるなんて」 褒められたはずなのに、胸の奥にざらっとした感触が残る。さっきから言葉を返せない俺に

  • BL小説短編集   第17章:氷室の苦悩2

    住宅街に入ると俺たちの間に、夕方の涼しい風が静かに滑っていった。 家までの道を半分ほど歩いたところで、氷室が唐突に足を止める。街灯のオレンジ色が、彼の髪と肩を柔らかく縁取っているのが目に優しく映った。「……奏。昨日、神崎と昼休みに話をしたこと、俺に教えてくれただろう?」 不意を突かれて、思わず足が止まる。「うん、そうだね」 「帰り道に奏から話を聞いて、いろいろ思ったことがあったんだが……あの時、君が随分と落ち込んでいたのもあって、うまく言葉にできなかった。本当はもっと慰めた言葉をかけたかったのに、俺には余裕がなくて――」 氷室はそれ以上はなにも言わず、ふたたび歩き出す。けれど、その横顔にはどこか影が差していた。「神崎のこと、嫌ってるわけじゃない。でも……アイツと話す君の顔を見ると、胸の奥がざわつく。怖くなるんだ」 告げられた”怖い”という言葉が意外だった。氷室にとって「怖い」は敵意や怒りではなく、もっと別の意味を含んでいるのだろうか。「なんで怖いの……?」 氷室はしばらく沈黙し、それから低い声で言った。「俺は……人を信じるのが、もともと得意じゃない。神崎みたいに、心の奥を隠したまま笑えるヤツを前にすると……昔を思い出す」 「なにを思い出すのかな?」 優しく問いかけると、氷室はまぶたを伏せ、ぽつぽつと語った。「小学生のときに使ってた、練習ノートに並んだ真っ赤な×印と、それを見た母の顔。俺がなにかで失敗したとき、同級生の笑顔の奥に潜んでいた視線。どれも声はないのに、ただ“離れていく”という予感だけが妙に頭に残っている」 語るたびに、氷室の横顔は少しずつ暗い色を帯びていく。俺はどう声をかけていいのかわからず、気づけば氷室の腕に縋りついていた。「神崎が……ああいう感情を持つ人間が、俺の傍にいる大事な人に近づくのは、どうしても警戒してしまう」 冬の入り口を告げるような冷たい風の中で、俺たちは少しずつ言葉を重ねていく。氷室は、ほんの僅かに歩幅を速めた。まるで、この話から逃げるように。俺は必死に、その歩幅に合わせる。 息を切らしながら、横目で見た氷室の顔には完璧さの奥に、子どもの頃から積もり続けた孤独と緊張が見え隠れしていた。 俺は氷室を安心させたくて小さく息を吸ってから、大きな声で告げてやる。「蓮……俺は大丈夫だからね。蓮から離れたり

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