LOGIN食事を済ませる頃には、真澄サンはもう足元もおぼつかない様子だった。
レストランに入った時ですら何も食べられないくらいで、懇願するような目で俺を見る。
おかげで俺だって、そこそこの食事しかできなかったくらいだ。しかし、それもまぁ、当然の結果だろう。
なぜなら、食事の前に客入りの少ない映画を見に行き、暗闇に紛れて真澄サンの体にイタズラしまくったからだ。少々いじめすぎたか……? と思うほどだったが、用心に越したことはない。
自宅まではとても移動できない──。 そう本人に納得させられる状態にまでもっていったから、ホテルに連れ込んでも不自然さはない。 部屋に入った途端に真澄サンはベッドに倒れ込んでしまった。その隙に、俺は手早くビデオを設置し、真澄サンに見えないように上着でカモフラージュする。
「イ……オリ……、お……ねがいだから……」
「ん〜? もしかして、今すぐに俺のが欲しくてたまんないの?」わざと、嫌がるような露骨な言い方をしてみたが、言い返す余裕もないらしく黙って頷いている。
「俺だって、早く真澄サンを可愛がってあげたいけど……」
曖昧な俺の返事に、真澄サンは哀願するような顔で俺を見上げた。
「それじゃあ、真澄サンも協力してくれる?」
「な……にを……?」 「だって俺、まだ全然臨戦態勢に入ってないんだもん。真澄サンの口で、その気にさせてよ」俺の要求に、真澄サンは一瞬尻込みするような様子を見せたが──。
しかし、俺が黙って微笑んでいるのを見て、諦めたようにズルズルと体を起こすと俺のジーパンに手を掛けた。「始める前に、服、全部脱いでね」
調子に乗ってる俺に、腹を立てたみたいにキツい視線で睨み付けてきたが、結局黙って服を脱ぎ始めた。
俺は一切手を貸さず、綺麗な体が露わになる様子をとっくりと眺めた。
全裸になった真澄サンは秘所に埋め込まれたローターから延びたコードに局部を締めつけられ、しかもその部位がギリギリに張りつめていて、どれグチ金は、出されたサンドイッチを『サンキュー』とだけ言って受け取った。 マスターとグチ金は、昔ここら一帯で結構名の知れたクラブのホストをやっていた。 マスターはどっちかと言えば三流に近かったが、小金持ちのラッキースターに拾われて、早々に水商売から足を洗い、この店を作った。 一方のグチ金は、そのちょっと爬虫類じみた風貌が〝美形〟と呼ばれ、絶大な人気を誇る売れっ子だった。 ただグチ金は、他人にサービスするのが性に合わない。 ゆえに、まとまった金を稼いだところでホストから足を洗い、今の金融業を始めた。 マスターの作ったやたら分厚いサンドイッチに、美形と呼ばれる顔からは想像もできないくらいデカイ口を開けて、トカゲとかヘビそっくりにぱっくりと食いついた。「そんな技量が、オマエにあったかねぇ? あんな上玉をくわえ込んでるって知ってたら、あん時に役立たずにしてやったのにさ。全く、運だけはいいヤツだよ」 「暴利を取り損ねたからって、そこまで言われる筋合いナイね」 かなりデカイ口を開けてサンドイッチをほおばっているはず……なのに、細面のグチ金の顔は全くいつも通りのままで、爬虫類じみた感情の読めない目を俺に向けてくる。「あんな上玉はオマエの手に余る……なんて、ガキでもワカル。まぁ、そのうち、俺のモンになるさ」 真澄サンのことに触れられて、さすがに俺はグチ金を睨み付けてしまった。「オマエみたいなヤクザに、真澄サンを渡すかよ!」 「オマエはバカのフリしてるけど、結構狡猾だと……俺は評価してたんだけどな。実は熱血バカだったのか?」 ますます頭に来て、俺はグッとグチ金を睨み付けた。 グチ金は、まるでもう俺と話すのに飽きた……みたいな顔で、フイッと顔を逸らすと、マスターに目をやった。「なぁ、粒マスタードとかねぇの? オマエの作るモンは悪くねェケド、どうもいつも最後のパンチに欠けるよな」 なんだかもう、この場にいるのが馬鹿馬鹿しくなって、俺は腰を浮かせた。「一つ言っておくけどな、イオリ」 扉に向かいかけた俺に
弁護士センセイのお陰で借金にカタが付き、大手を振って世間を歩けるようになった俺は、開店したばかりの時間を狙ってDISTANCEに顔を出した。「あ、イオリ。スッゴイ久しぶりじゃん。つーか、よく生きてるナァ……」 まだチョイとカラフルな色味が残ってる俺の顔を見て、マスターはビックリしたような顔をする。「いくら社会のダニだからって、生きてるだけでそんなにワルイのか?」 「え? だってもっぱらのウワサだったぜ。イオリがとうとう、グチ金の取り立てにナマスにされたって……」 「ボコにはされたけど、ナマスにはされてません」 「でもその様子じゃ、もうナマスもボコも縁遠い感じじゃんか」 「マスターの助言どおり、ベッピンに借金返してもらったから」 俺の答えに、マスターは微妙な顔でやれやれと肩を竦めた。「まぁ、それで収まったなら良いけど。後でまたそっちから訴えられたりしないようにね」 「心配してくれて、ありがとう」 マスターの助言なのか嫌みなのかビミョ〜にわからない軽口に、俺は軽口を返す。 この気の置けない会話も含めて、やっぱりこの店は居心地がいいや。 俺がいつものスツールに座り、マスターがいつもの酒を出してくれた時、扉が開く音がした。「なんだイオリ、生きてたのか」 今日は、紺地に白っぽいストライプの入ったスーツを着たグチ金だ。 スーツだけなら、一瞬そこらのサラリーマン風だが、深紅のシャツと薄いグレーのネクタイが、風体のアヤしさをいっそう際立たせている。 今日は手下を連れていないようで、俺の隣に腰掛けるとマスターに向かって言った。「今日は、カガミン来てないのか?」 「まだ、顔見てないね。……でも、カガミンも必ず毎日来るわけじゃないよ?」 マスターの返事に、グチ金はなんだか不機嫌な感じで「ふん」と鼻を鳴らす。「なんか、食えるモノ出してくれよ。ハラペコでさ」 こんな奴と並んでたってちっとも楽しくない。 だが先に陣取ってたコッチから退散するのも癪に障るので、
翌日になると、思ったより年若い男の、しかもモノスゴクよく喋る弁護士がやってきて、グチ金のことを根掘り葉掘り訊かれた。 その翌日の日曜は、真澄サンと一緒に渋谷へ出て俺の日用品を調達した。 ハイヤーの送迎付きで、何も言わなくても支払いは全部真澄サンが済ませてくれたし、おまけに部屋に戻った時には、真澄サンから合い鍵と白い封筒を手渡された。 ペラッと薄べったい封筒だったから、ラブレターでも入っているのかと思ったら、中にはピン札で万札が10枚、お行儀よく重なっていた。 俺がたまげた顔をすると、真澄サンは。「当面それで不自由しないだろ」 なんて言う。 そりゃまぁ、そもそも俺はそれが商売の人間だから、くれるというモノはありがたくいただくけれど。 初心者のコネコちゃんだと思っていた真澄サンが、こんなモノをシレッと渡してくるとは思ってなかった。 月曜になると真澄サンは出勤し、朝が苦手な俺が起きた時にはもう出掛けた後だった。 メモが置いてあり、自分はミーティング時に食事を済ませるので俺も適当にやってくれ、ってなことが書いてあった。 一応キッチンを覗いてみたが、コーヒー豆とペットボトルの水くらいしか発見できず、食料品のストックが見事なほど何もナイ。 仕方なく俺はブラブラと駅の方へ出て、カフェのモーニングでテキトーに済ませたが、つまり真澄サンは普段から、あの部屋ではほとんど食事をしていないんだなと思った。 最初にこの部屋を訪れた時も感じたけれど、とにかく真澄サンの住まいは上質だが生活感はまるでない。 どっかの家具屋のモデルルームみたいだ。 だが、帰ってきた真澄サンの様子を見ていたら、それも当然と頷けてしまった。 なぜなら、深夜に戻ってきた真澄サンは、それこそバスルームでシャワーを浴びたら寝てしまったのだ。 それがその日だけ、なにか特別な仕事があって遅くなったのかと言えば、そういうワケでもなく──。 俺がいた数日の間、平日の真澄サンの生活パターンはまるっきり判で押したみたいに同じで、朝は食事をしないで出掛け、夜は深夜過ぎまで戻らず、帰っ
「だって……俺の借金なんて、真澄サンには関係ない話でしょ……」 「俺は、イオリがいなくなったら困るんだ」 そう言われても、真澄サンの真意を測りかねて、俺は返事に詰まる。 でも、いままでに見せたことのない茶目っ気と悪意が入り混じった笑みを浮かべていた真澄サンは、やっぱり俺が今までに見たことのないきびきびした動作で立ち上がると、ケータイの電源を入れた。「借金は全額肩代わりしてやるが、そんな馬鹿馬鹿しい大金を支払うのはごめんだ。正規の手続をすれば返済額はもっと少なくなる筈だから、弁護士に相談するぞ」 「そりゃあ、俺だって返済額が少ない方がイイに決まってるから構わないケド。真澄サンに、弁護士のつてなんてあるの?」 「勤務先の顧問弁護士と面識がある。この時間ならまだ連絡がつくだろう」 そう言ってどこやらに電話をかけている。 俺にとってはこの上なく好都合な展開……なんだが、あまりに俺の予定と違いすぎていて、まごついてしまう。「雪村です。夜分にすみません。先生に内々にお願いしたい案件がありまして……」 だが俺の躊躇にお構いなく、真澄サンはサクサクと話を進めていた。 どうやら弁護士にことの次第を説明しているらしいのだが、そこには俺がさらにまごつくような、絶妙な脚色がなされていて、俺のくだらない借金がまるで不可抗力でできてしまったようにキチンと説明がなされている。「イオリ、借用書はあるのか?」 「え、えと、う〜……たぶん、アパートにある……んじゃないかと」 頷いた真澄サンは、電話の向こうの弁護士にきっぱり〝なくした〟と告げた。 その様子を見ていて俺は今さらのように、真澄サンがどれほど頭の斬れる、できる人間であるか、こんなマンションに余裕で暮らしているその意味に、気が付いたのだ。 しばらく話し込んでから通話を切って、真澄サンはちょっとだけ笑った。「全部任せて大丈夫だそうだ。だが完全に片づくまでは、相手に居所を知られないほうがいいだろう」 「そう言われても身ィ隠すアテなんてナイんですけど……」 「ここじゃ不都合か?
真澄サンのマンションにたどり着くには、前回行った時より、ずっと時間が掛かってしまった。 あちこち痛くて、歩くのが予想以上に難儀だったからだ。 もちろんタクシー代など持ち合わせてない。 駅構内や車内では周りの人間にジロジロ見られたが、いい大人が痣だらけのボロクソ状態では、誰だって異様に思うだろう。 駅員に呼びとめられたり、警官を呼ばれなかっただけでも、ラッキーだったくらいだ。「遅かったな、やっぱり道に迷ったのか……」 玄関に出てきた真澄サンは、俺のナリを見て、目を見開いた。「どうしたんだ?」 「ちょっと……ね」 埃と血で薄汚れている俺を、真澄サンは部屋に入れ、リビングのソファに座らせた。 そして、俺が痛がるのも構わずあちこち触ったり動かしたり、骨折してないことを確かめている。「痛いって!」 「イオリはいつも、俺にもっと痛いコトするじゃないか」 「ええ〜? してないでしょ? 俺がしてるのは、気持ちイイコトだけじゃん」 「バカッ!」 叱りつけてから、真澄サンは救急箱を持ってきて、丁寧に手当をしてくれた。「一体何があった。誰に殴られたんだ」 俺の腫れた顔に氷嚢をあてた真澄サンは、少しきつい口調で詰問してきた。「酔っ払いに絡まれて」 「嘘を吐くな。こんなにメチャメチャな暴行を、酔っ払いが素面相手に加えられるモンか」 「ん〜大したコトじゃないよ」 「はぐらかすな、ちゃんと説明しろ」 どんなにとぼけようとしても、真澄サンは微動だにせず問いつめてくる。 俺は諦めて、深くため息を吐いた。「借金があって……」 「その様子だと、よほど素性の良くないところから借りたらしいな」 「仕方ないのさ。俺、実は、無職の遊び人だから。マトモなとこじゃ貸してくれないからね」 「それで、借金が幾らぐらいあると、こんな目に遭わされるんだ?」 俺が白状した素性に対し、真澄サンから特にコメントはなく、訊かれたの
こうなっては、もうどうしようもない。 何もかもに目をつぶり、あの映像をディーラーに直持ち込みする以外の道はなさそうだ。 よろける足を踏ん張って立ち上がりながら、軽く咳き込むと、口から撮影用の血糊みたいなものが出てきた。 最後に殴られた時に、口の中が裂けたらしい。 それでも自力で立って歩けるんだから、人間って案外丈夫なもんだな……なんて思った。 だが、よく考えたらそうじゃなくて、あの連中はプロだから、痛めつけてもぶっ壊れない〝加減〟がわかっているだけなんだろう。 少なくとも、元・パトロンにブッ飛ばされた時は、一撃で腕と肋骨が折れたが、今は全身が痛いだけで折れたりヒビが入ったり……ってな様子はない。 表通りに向かってヨロヨロ歩き出したところで、背後の道端から聴き慣れた着信音がした。 騒ぎの最中にケータイを落としていたようだ。 鳴ってくれてよかった、そうじゃなかったら落とした事に全く気付いてなかった。 ふらつきながら音の方向を探して、見つけたケータイを拾い上げ、耳に当てる。 話そうとしたらまた咳き込み、どうにかこうにか出た声はカスカスだった。「はい……イオリです……」 『もしもし……?』 聞こえてきた声に、俺はズキンと胸が痛んだ。「真澄サン……」 『どうしたんだ、声が変だが』 「いや、ちょっとゴタゴタしてただけ。……今日って金曜だったっけ?」 『だから電話したんだが……、都合が悪いのか?』 「先週怒らせちゃったから、電話してもらえないかと思ってた」 『ああ、うん。もう、その話はナシにしてくれ。……それより、これから会いたいが、大丈夫か?』 なんと応えたらいいんだろうか。 今の俺ときたら、サイテーの男前だ。 しかもこんな気分のまま真澄サンに逢ってしまったら、俺はもうあの映像は絶対に売れなくなってしまうだろう……。 だが、しかし……。「いいよ。今どこにいるの?」 俺はそう答えていた。『自宅だ