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JK雀士は、異世界麻雀で無双する!
JK雀士は、異世界麻雀で無双する!
Author: 辻野幸枝

第1話「裏切りの東一局」

Author: 辻野幸枝
last update publish date: 2026-07-15 18:17:28

 東京ドームは、声援と熱気で溢れかえっていた。

満席の観客席からは途切れなく歓声が上がり、まるで巨大な生き物が呼吸しているかのようだ。

時折、波のように拍手が広がり、その度に熱量が会場全体を揺らす。

巨大なスクリーンには、麻雀卓の上で繰り広げられる静かな戦いが映し出されている。

一枚一枚の牌が静かに置かれ、回転し、流れていく様子を、観客たちは固唾を飲んで見守っていた。

その一手一手に歓声が上がり、ため息が漏れ、熱狂が波のように押し寄せては引いていく。

だが、そんな熱狂の中心にいながら、篠宮リリィだけは、冷たい汗をぬぐいながら、控室の扉を閉めた。

外の喧騒が遠い幻のように感じられるほど、彼女の胸の中には重く冷たい何かが沈んでいた。

外の熱気とは対照的に、そこは異様な緊張と孤独が充満していた。

「……リリィ、今のあれはどういうことだ?」

四十代半ばのベテラン雀士、田所信介の声は震えていた。

彼は長年チームの柱としてリリィを支え、時に兄のように、時に厳しい師匠のように接してきた。

だが今、その目は怒りと、そして深い戸惑いに燃えている。

「わざと振り込んだのか?」

問いかけは冷たく、鋭く、リリィの心を刺した。

彼女は俯くしかなかった。言葉が喉に詰まり、答えが見つからない。

信じたくなかった。こんなことが自分の身に降りかかるとは。だが、現実はそれを許さなかった。

「そんなこと、絶対にしていません!」

声が震えていることを、彼女自身が一番自覚していた。

必死に否定の言葉を口にしながらも、心は波立ち、不安と罪悪感に飲み込まれていた。

「じゃあ、あの東一局の放銃はどう説明する? 誰が見ても不自然だったぞ。お前なら、あの牌は絶対に切らないはずだ」

田所の言葉は重い。

彼はリリィのプレイスタイルを知り尽くしていた。

彼女は「守り」に徹するタイプではないが、決して無謀な放銃はしない。

何かが違う、しかし理由が見つからないまま、彼の長年の信頼が音を立てて揺らぎ始めていた。

リリィの心臓が痛いほど脈打つ。

信頼する師匠の顔に浮かんだ裏切られたような表情が、彼女の心をさらに深く抉った。

その時、控室の扉が軽やかに開き、香坂蓮が入ってきた。

彼はチームの最大のスポンサーである大企業の御曹司で、どこか影を帯びた存在だ。

笑顔を浮かべてはいるが、その目は氷のように冷たく、リリィをじっと見据えていた。

その視線が、リリィの喉をさらに締め付けた。

「まあまあ、田所さん。そんなに追い詰めてもしょうがないっすよ」

彼の声は軽く、しかしその裏には強烈な圧力が隠されていた。

「リリィちゃん、そんなに落ち込まないでよ。まだまだこれからだろ? プロとして、勝敗には色々な事情があるんだからさ」

笑顔の裏の冷たさに、リリィは背筋を凍らせた。まるで、すべてを見透かされ、支配されているような感覚。

「蓮さん、あなたは……」

「俺はただ、チームのことを考えているだけさ」

そう言い放ち、静かにドアを閉めた。

ドアが閉まる音は、まるで彼女を外界から遮断する鉄の扉が閉まるような、重い響きだった。

田所はリリィに向き直った。

「話すなら今だ。隠し事はなしだぞ。お前が何か抱え込んでいるのは分かっている。それがチームを、ひいてはお前自身を傷つけることになると分かっているのか?」

リリィは深く息を吸い込み、過去の記憶を呼び起こそうとした。

喉の奥に張り付いた異物を吐き出すように、彼女はゆっくりと口を開いた。

「数時間前、楽屋でのことを話させてください」

リリィは震える声で、すべてを打ち明け始めた。

「試合前、楽屋で蓮さんに……『東一局で振り込んでくれ』と頼まれたんです。

断ろうとしました。

でも、蓮さんは美桜さんの借金の話を持ち出して、彼女を救えるのは私しかいないって……。

最前列で泣きながら祈る美桜さんの姿が見えて、私、どうしても放り出せなくて……!」

​田所は絶句した。その言葉を信じられないというように、固く拳を握りしめる。

数時間前、楽屋は静寂に包まれていた。

外の騒音とは打って変わって、ここは冷房の効いた静かな空間だった。

リリィは椅子に腰掛け、少し緊張した面持ちで蓮の言葉を待っていた。

プロ雀士として、人生を賭けた大一番の直前。

精神を研ぎ澄まさなければならないはずなのに、リリィの心は落ち着かなかった。

「リリィちゃん、今日も頼むよ」

蓮は差し出したコーヒーを彼女に手渡した。

その手は、冷たく硬かった。

リリィは受け取りながら、小さく微笑んだ。

「ありがとう。でも、勝敗は手牌次第よ。私はただ、最善を尽くすだけです」

彼女のその言葉は、どこか強がりだった。

プロとしてのプライドと、不穏な空気を察知する本能が彼女を強張らせていた。

蓮は一歩近づき、耳元に低く囁いた。

その声は、蛇のように滑らかだった。

「東一局のあの一局だけ、振り込んでくれ」

言葉は静かだが、その重みは凄まじかった。

リリィは心臓を鷲掴みにされたかのように凍りついた。

胸の鼓動が激しくなり、思わず顔を背けそうになる。

彼女の麻雀人生における最大のタブーを、今、この男は平然と口にしたのだ。

「そんなの、絶対に無理です! 麻雀は正々堂々やるって決めてる。それが私の、プロとしての矜持です!」

彼女の声は震えていたが、揺るぎない意志が込められていた。

幼い頃から麻雀に人生を捧げてきた彼女にとって、それは決して譲れない唯一の道だった。

蓮は視線を逸らさずに言った。

その目は、感情の欠片も見せず、ただ冷徹に目的を見つめている。

「わかってる。でも、そうしないと助からない奴がいるんだ」

リリィの目が揺れた。

蓮の視線の先に目を向けると、そこには泣きじゃくる少女の姿があった。

細い肩が震え、手を合わせて必死に何かを祈っている。

その姿は、痛々しいほどに弱々しかった。

「それは……美桜さん?」

美桜は、蓮の異母妹で、チームの若手雀士だった。

プロになってまだ日が浅く、リリィを姉のように慕っていた。

「そうだ。俺の妹だ。美桜は、借金取りに追われている。父親が残した莫大な借金を肩代わりするために、違法な賭け麻雀に手を出してしまった。もし、このまま僕が負ければ、彼女の人生は終わりだ」

静かな空気が楽屋を支配した。

リリィの胸は締めつけられ、言葉が出なかった。

麻雀の闇。

幼い頃に両親から聞かされた言葉が、生々しい現実として目の前に突きつけられた。

リリィの幼少期の記憶がふと蘇る。

両親は麻雀を愛しながらも、その闇も知っていた。

父はプロ雀士として活躍し、多くの勝利を収めていたが、ある日、多額の借金を抱え姿を消した。

母はそれでも懸命に家計を支え、時折言った。

「麻雀は楽しい。でも、正しい気持ちで打たなければ、人を傷つけることもある。牌には、人の人生を狂わせる力があるの」

その言葉をリリィは胸に刻み、真っ直ぐに麻雀に向き合い続けてきた。

誠実で、公平な麻雀を。

自分の麻雀が誰かを不幸にすることは絶対にないと信じて。

「でも私は……」

「犠牲は避けられないんだ」

蓮の声は、冷酷なまでに静かだった。

彼はリリィの心の弱みにつけ込み、彼女の「仲間を守りたい」という優しい気持ちを、巧みに利用しようとしていた。

リリィは沈黙した。

心の中は波のように揺れていた。

罪悪感、恐怖、そして美桜を守りたいという強い思いが入り混じる。

美桜の泣き顔が頭から離れない。

彼女の未来を、自分の一打が左右する。

もし自分がこの一局を犠牲にすれば、美桜は救われる。

でも、それは麻雀を愛する者としての、プロとしての魂を売ることになる。

「……分かった、約束する」

その言葉は、小さく呟いたようだった。

しかし、その一言は、彼女の麻雀人生を根本から覆す、重い決断だった。

蓮は満足げに微笑み、彼女の肩を軽く叩いた。

その手は、冷たいはずなのに、まるで熱い烙印を押されたかのように感じられた。

卓に着くと、観客の視線が一斉にリリィに刺さった。

彼女はいつもの笑顔を貼り付けようとするが、うまくいかない。胸の奥が凍りついている。

「冷静に、冷静に」

自分に言い聞かせ、東一局の局面が訪れた。

蓮がリーチをかけ、リリィは危険牌を掴む。

東。

それは、蓮の当たり牌だった。

普段なら絶対に切らない牌。

絶対に。

しかし、最前列で涙を流し祈る美桜の姿が目に入った。

震える手で、彼女は「ごめんなさい」と口パクで伝えている。

その姿を見て、リリィは決意した。

「……もうやめて」

息を殺し、震える指先で、牌を切った。

場内にざわめきが走り、蓮が和了を宣言した。

歓声が湧き上がったが、リリィの胸には冷たい氷のような感覚が広がっていた。

それは、彼女の麻雀魂が、ゆっくりと砕け散っていく音だった。

翌日。リリィは規律委員会室に呼び出された。

冷たい空調が肌を刺す。

委員長木島は、老眼鏡の奥でリリィを値踏みするように見つめ、冷たく告げた。

「八百長の証拠は揃っている」

テーブルに置かれたタブレットには、編集された映像が映し出されていた。

東一局の、リリィの不自然な放銃ばかりが抜き出され、まるで彼女が故意に負けたかのように巧妙に編集されている。

「違います! 私はそんなことは……!」

必死に訴えるが、木島の声は冷酷だった。

「黙りなさい。スポンサーからも苦情が来ている。チーム香坂は、君を八百長で訴えると言っている。君は即日、プロ資格を剥奪し、リーグから追放だ」

スポンサーからも?

チーム香坂が?

蓮は、彼女を助けるどころか、すべての罪を彼女になすりつけたのだ。

美桜を救うためだと、仲間を守るためだと信じた彼女の気持ちは、最初から彼の手のひらの上で踊らされていたに過ぎなかった。

声は冷酷で、リリィの言葉は届かなかった。

絶望が、彼女の心を覆い尽くした。

夜。

東京湾の高架橋に腰掛けるリリィ。

眼下には、静かに波が打ち寄せる。

冷たい缶コーヒーを握りしめ、静かな波の音に耳を傾けた。

手のひらに伝わる冷たさが、今の彼女の心そのものだった。

スマホの画面は「八百長女」「裏切り者」「プロの恥」といった誹謗中傷の言葉で埋め尽くされていた。

知らない人からの罵詈雑言、信じていたファンからの失望の声。すべてが、彼女の心を蝕んでいく。

母からの留守電を再生する。

『……リリィ、どうしてあんなことを……でも信じてる、あなたのことを……』

震える声。

信じてくれた言葉。

しかし、その言葉は、今の彼女には重すぎた。

父のように、麻雀の闇に飲み込まれ、大切な人を悲しませてしまった。

罪悪感と後悔が、涙となって溢れ出し、止まらなかった。

その時、周囲の空気が変わった。

夜の潮風が、不思議な光の粒子を運んでくる。

水面が淡く光り、無数の光の粒が宙に舞う。

それはまるで、小さな麻雀牌が空中を漂うようだ。

「なに、これ……?」

足元のアスファルトが透け、深く光る海が広がった。

その海は、宇宙のように星々が輝き、リリィを吸い込もうとしている。

耳元に、不思議な声が響く。

まるで、遠い昔に聞いた母の言葉のようであり、しかし全く異なる、神々しい響きだった。

『麻雀でしか救えぬ国がある。そなたの魂は、まだ、光を失っていない』

身体が浮き上がり、視界が白に染まっていく。

最後に聞こえたのは、波の音か、牌を打つ音か。

リリィは光の中に消えた。

彼女の魂は、麻雀の闇から解き放たれ、新たな世界へと導かれていく。

 

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