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2.自由へ

last update publish date: 2026-08-17 11:04:55

 駅前から繁華街を抜け、国道へ出る手前にあるマンションへ車が入る。

「ここ」

「凄い ! こんなところに住んでるんですか !? 」

 たかだか地方の古びた三階建てのマンションだ。

 家賃は立地のせいかそれなりだが、お世辞にも今時の煌めいた豪邸とは言い難い。

「エレベーター壊れてるんだ。階段行くよ」

「はい ! 」

 琴音はなんの不満も言わず美紀に付いてくる。

 時刻は午前六時。

 通勤やゴミ出しの住人等とすれ違う気配は無い。このマンションの大半は空き家だ。

「結構、ガタが来てるからさ。部屋は綺麗にしてるけど……エアコン実費だったしシャワーは無いし、そんないい住宅じゃないんだ。

 ここだよ」

 三階の角部屋。

 美紀は鍵を取り出すと部屋の扉を開く。

「うわぁ〜うわぁ〜 ! 凄く綺麗ですよ ! ここに住んでるんですか !? いいなぁ〜 !! 」

「静かに。

 あー……ここのクローゼットに服があるから。好きなの選んで」

「本当にいいんですか ? 」

 琴音はまるでショッピングに来たような表情で、洋服を手に取り始める。

「このスカート可愛い ! スカートは禁止されてたから……あ !! このコートも ! 」

「今、夏だよ」

「あはは、そうでしたぁ。じゃあこんな帽子は !? 美紀さんセンスいいんですね ! 」

 ファッションショーの最中だが、美紀はローテーブルにペットボトルのお茶を二本、冷蔵庫から取り出した。落ち着かない気持ちを顔に出さずに、茶を口に含んでから深呼吸をする。

 そして琴音を見上げ、一番聞きたかった質問を投げかけた。

「それで ? あんたは何者 ? どっから来たの ? 」

 琴音はハッと美紀を見下ろすと、被っていた帽子を外しテーブルの向かいに座った。

「美紀さん『日本真理聖母会』って知ってますか ? 」

「日本……何 ? 聖母って事は……宗教関係 ? 」

「そうです。あの山の中に施設があって、貧困の中にいた母を置いてくださったんです」

「……置いてくださった ? 」

 琴音の言葉の端々に違和感を感じる。

「でもそこから逃げて来たんじゃないの ? 」

「はい。母がずっと逃げたがってて、わたしも出てみたいなって」

「……よく分からないんだけど。どんな宗教だったの ? 」

「簡潔にいえば女性が凄い、と言う教えですよ」

「はぁ ? 」

 美紀の問いに琴音が不思議そうに話し始める。

「マリア様っているじゃないですか ? イエス様を産んだマリア様って凄いじゃないですか ?

 そう考えると、現代でも女性は信仰対象にすべきという教えで」

「なにそれ。じゃあ、女性が偉いって事 ? 」

「ある意味でそうです。人を生み出すのは女性なので、神様に近いんですよ。

 わたしは生まれたのがその施設なので、そう習いました」

「生まれた ? ……まさか。施設から出たのが、今日初めてって事 ? 」

「はい ! 」

「外出とかは ? 買い物とか」

「ありませんよ。基本的にお野菜は自分で作りますし、お肉は教団の方が何か電話 ? するとトラックが持ってくる ? みたいな」

「電話…… ? 宅配とかかな……。

 あんたじゃあ、これからどうするの ? 」

「母には「交番に行って、日本真理聖母会から逃げて来たって言いなさい」って言われてます。

 あ、そうだ。思い出した。あとこれ」

 琴音はポケットにねじ込んでいた封書をテーブルの上に出した。

「母に渡されたんです。なんでしょうね ? 」

「なんでしょうって」

 自分に聞かれても、と。美紀は状況の深刻さと琴音のふわふわした様子に少しの気まずさを感じながら封書に視線を落とした。

 茶封筒の下に印字がある。

『国立医科大学病院』

 そして大きな文字で『診断書』の記載。

「ねぇ。お母さんは一緒に逃げたんじゃないの ? 」

「それが……途中で諦めちゃったみたいで。お母さん、体調悪かったし。

 山の中を逃げるのは無理だったのかも。戻ったんだと思います」

 宗教施設からの脱走。一縷の望みに賭けた脱走だったはずだ。諦めるはずなど無い。

 琴音が言う「逃げる」という表現がそのままなら追っ手もいたはずだ。

 その中で諦め、診断書を琴音に託した母。

 琴音だけでも逃がす覚悟を決めたという事だ。

「これ、見ていい ? 」

「いいですけど ? しんだん……書 ? って、何が書いてあるんでしょうね」

「……。これはね。あんたの母親の診断書だとしたら、お母さんの病気の名前や種類とか、それがどのくらい酷い状態か医者が診た記録を伝えるための書類なの」

「あー……そうなんです。ここ最近は部屋から起きれない日も多くて。でも往診の先生は来る日が決まってるし、施設長が許可しないと診て貰えないんですよ」

「なるほどね」

 まるで軟禁されていたかのような生活だ。

 宗教施設での強制労働、自給自足の生活、或いはマインドコントロール。それらがワンセットで明るみに出るニュースは多いものだ。その類の新興宗教なのだろうと美紀は考える。

 施設長とやらが琴音や母親を信者にすることで、何らかのメリットがあったのだろう。

 美紀はそっと診断書を手に取ると、封を開け中身を広げた。

『進行性 胃癌 / Stage IV

 他 / 肝転移あり』

「……」

「……胃…… ? 胃が悪かったんですねぇ」

「……治療しないと難しい病気……。多分、身体のあちこちにその病気が回ってるって事」

「……」

 いまいち、琴音のぼんやりした様子に美紀は気が進まなかったが、誰かが伝えなければならないと思った。

 普通、琴音程の年頃までなれば『胃』というワードより『癌』や『stage IV』に注視しなければならないのは常識的だ。

 今日、初めて外界に出た琴音にとっては辛い壁になるだろうが、隠したところでいつかは知ることだ。

「『癌』だよ。この病気はね、stageって書いてあるでしょ ? 段階があって、数字が大きくなるほど治療が大変な病気なの。

 これをみると、胃だけじゃなく肝臓も多分他にも癌が広がってるみたい。

 この意味が分かる ? 」

「……治らないの…… ? 」

 美紀は煙草に火をつけると静かに頷いて見せた。

「難しいだろうね。特に治療が自由じゃない施設なんでしょ ?

 お母さんは、本当に命懸けであんたを逃がしたかったんじゃない」

 琴音は静かに静かに大粒の涙を流し始めた。喚く訳でもなく、嗚咽もあげず、ただ歯を食いしばり目の前にある絶望を無理矢理受け入れる。

 そんな琴音の様子を見て、美紀は心の奥底にあった魔物が巣穴に戻るのをザリザリと感じていた。

 ──目撃者も始末する──

 当初、琴音を家に連れてきた目的が、今崩れようとしている。

「交番に行くなら、この先まっすぐ行けばあるからさ。服は親切な人から歩いてたら路上で受け取ったとでも言って。

 わたしの事は絶対言わないこと。じゃないと、あんたの自由も無くなるからね」

 そう言い放つと、美紀は立ち上がり自分もバッグやポーチにあれこれ詰め始める。

「美紀さん、何してるんですか ? 」

「はぁ ? あのね、わたしも昨晩してた事があるの ! 長くここにいれないって事 ! わかるでしょ !? 」

「ちゃんと埋めたじゃないですか」

「……警察そんなに甘くないよ。

 あんたが出たらわたしも出るから。

 早く服選んで」

「……。どこに行くんですか ? 」

「何処って…… ! 」

 質問攻めに苛立ちを感じながらも、ごもっともな琴音の言葉。

 心の奥底では、長く逃げきれないことは分かっている。いずれ覚悟を決める日が来る事を。

 それまで。

 それまで、僅かな自由を。

 ささやかに楽しめればいい。

「……どこか……カニ食べたり……山をドライブしたり……その辺ウロウロと……」

 段々と語尾が下がる美紀だったが琴音は一旦、丁寧に診断書を封筒に戻す。そしてパッと顔を上げて服を投げ出し、美紀の目の前に乗り出して来た。

「ドライブ !! 旅行だ !! いーなーいーなー !! わたしも行きたいです ! 」

「いや、あんたは警察行きなよ」

「別に今日じゃなくてもいいですよぉ。教団の人、ここまで来てないし」

「だとしても、この先生活はどうすんの ? 身分証も何もかもないんでしょ ? 」

「だぁかぁらぁー。聖母会から逃げて来たのはホントだしぃ。別に後から行っても変わんないですよ〜」

 恐らく琴音は警察に保護された後、社会復帰として普通の女性とは違った道のりを歩くだろう。

 しかし、それならばいつ行っても同じと言う主張は間違ってもいない。この世間知らずそうな琴音が、脱走の最中に誰かの元に転がり込んだとしても不自然じゃないのではないか。寧ろ、美紀にとっては琴音を監視しておけるのだからそばについて来るなら好都合なのだ。

「……仕方ないわね。

 じゃあ、その服こっちに詰めて。必要最低限のものだけ。他は買えばいいから、あちこち触らないでね」

「美紀さぁん。これは ? 」

 琴音がソファにあった大きなキピィちゃんのぬいぐるみを抱っこしていた。

「分かった。一緒でいいから。早く」

「やった ! 」

 タオル数枚と買い置きの歯ブラシ。

 他は現地調達として。

 琴音は麦わら帽子と向日葵のワンピースを選んだ。小脇にキピィちゃんのぬいぐるみを抱え。

 美紀は大きなキャリーケースにボストンバッグを乗せると、再び階段と対面する。

「持ちますよ ! 」

「いい。中身はスカスカだから。力には自信あるんだ」

「ほんとですか〜 ? 」

「まぁね」

 駐車場まで来ると車に荷物を詰め込む。言うだけあって、美紀の息は全く上がっていなかった。

「さてと」

 ハンドルを握った美紀が琴音を見つめる。

 琴音はぬいぐるみを抱っこして輝いた瞳で美紀に笑いかけていた。

「どこから行こうか ? 」

「じゃあ ! 海 !! 海、見たことないんです ! 」

「ふふ。わかった、わかった」

 美紀は逃げるため。

 琴音は自由のため。

 二人の乗った車は静かにマンションを後にした。

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