Masuk「はぁっ ! はぁっ! 」
ガゴン……。
休む暇なくトランクを開け、大荷物へ手を伸ばす。
ブルーシートと毛布で巻かれた、何か大きなものに手を掛ける。ドザッ !
スレンダーな長身に女性特有の筋肉美。ミルクティー色のロングウェーブは汗ばんだ首元に張り付き、何度も何度も縛られたロープを握り直しては引き摺るを繰り返す。
決して小柄ではないとしても、相当重い荷物だ。斜面からソレを転がすと、白いシャツを汚し、肌に擦り傷を作りながらも何とか降りていく。
斜面の下は僅か四畳半程の段差。そのまた下へ、深い木々の闇が広がっている。 美紀はスコップを思い切り突き刺す。ザッ ! ザッザッ ! ギッ ! ガッ ! ガツッ !!
「クソ……っ !! 」
木の根が幾重にも重なり、挙句小岩にぶち当たる。
人一人では到底、この荷物を埋めるほどの穴は掘れないだろう。「この ! この ! なんで !!」
力任せに地面を掘るうち、美紀は後悔と怒りに涙が止まらなかった。
「はぁ……っ、はぁ……っ、うぐ………」
やがて遂に手が止まる。心が折れてしまいそうな状況。
それでも半分程、木の根を断ち切り穴を掘った頃だった。──パキ……ッ──
「はぁ……。……はぁ……ふ、ひっく……。 ??? 」
息が上がったまま声を殺して嗚咽を堪える。周囲は静まり返った深い山の中。
だが、何か違和感を感じたのだ。 小枝が折れるような音がした気がしたのだ。 冷静になり、息を整え、ゆっくりと周囲に目を凝らす。 日の出前の薄暗い濃霧の中、一際大きな木のそばに白い布が見え隠れしているのに気付いた。それは引っ掛けられた布切れなどではない。 明らかにスカートの裾だった。「……誰 ? そこにいる奴…… ! 」
美紀の髪が一瞬にして逆立つ。
この現場は、決して誰にも見られてはいけないのだから。「出てこいっ ! 」
蔦が延う大木の影から、白い蝶と見まごうほどの可憐な少女が現れた。
「……ごめんなさい」
気が動転し美紀の方が持っていたスコップをガランと落とした。
「な、何 ? あんた、こんなとこでなにしてんの ?!」
美紀が一歩後退る。
少女の方は冷静に美紀を観察していた。そしてビニール袋と毛布に頑丈に包まれたモノを指差す。
「その作業、手伝ったら助けてくれますか ? 」
少女は美紀のそばまで歩いてくると、落としたスコップを拾い上げた。
「あんた……」
見られてしまったものは仕方ない。
この少女をどうするべきかと、美紀も思考を切り替える。 そしてすぐ少女の異様な姿に気付いた。 靴は片方脱げていて、靴下すら履いていない血の滲んだ爪先。白いワンピースはオシャレ着ではなく、制服にしては装飾が無さすぎる。まるで病院から抜け出して来たような風貌だが、この山中に病院が無いのは麓町の住人である美紀も知っていた。「追われてるんです。麓まで車に乗せて欲しいんです」
そう言い、少女は穴を掘り始める。
「あんた。わたしが今、何をしてんのか……分かっててやってんの ? 」
「はい。やらされた事あります。でも、一人じゃ、人間一人分を掘るのは一無理ですよ」
「はぁ……なんなの……」
「鉈とか、鎌とか。あると便利なんですけど」
「……。あー……。現場で使ってたノコなら工具箱にあったかも。車から取ってくる ? 」
「はい」
美紀がまた急な斜面を登り、車から下を見下ろす。このまま走り去ってしまう可能性もあるというのに、少女はひたすら見知らぬ自分の犯罪の片棒を担いでいるのだから不思議でならない。
トランクからノコギリを取り出すと再び急斜面を転がるように下る。「あんた名前は ? 」
「琴音。飯塚 琴音です。お姉さんは ? 」
「…………美紀よ」
「美紀さん、ありがとうございます。
じゃあ、そろそろそっち持ってください」「え ? ああ、うん」
大きな荷物を穴に落とすと琴音は腐葉土と土を混ぜこみ、表面をならすと落ち葉をかける。
殆どが琴音の作業で、どういう訳か手馴れている琴音を美紀はなんとも言えない感情で見ていた。「これでOKです」
「あ、あのさ。町まで乗せてくけど……どこに行くつもり ? 」
「わたし、自由になるために逃げて来たんです」
「自由…… ? 」
この作業を手伝っておきながら自由とは── ?
美紀はとりあえず琴音を車へ乗せると考えを巡らせた。
「でも、その格好じゃ……。うちで着替えて行く ? 」
「いいんですか !? 」
琴音の顔がパッと明るくなる。
それはご機嫌伺いなどではなく、心底感謝をしているとしか思えない笑顔だった。「じゃあ、行こっか」
美紀と琴音。
「ほら、滑るよ」
「あ、ありがとうございます」
美紀の伸ばした手のひらは暖かかった。
二人は急斜面を手を取り合い登り切ると、美紀の乗って来た白いクラシックカーへ乗り込んだのだった。慌てて道路に飛び出す。片方は車で通ってきた、長く続く海岸沿いの一本道。トンネルや多少のカーブはあるが歩道は無い。 だとしたら逆のビーチ沿いの歩道を行くはずだが、見える範囲の中にそれらしい人影はいない。「すみません」 美紀はビーチ側から来た歩道の夫婦に声をかけた。「麦わら帽子を被った、女の子……二十歳くらいの女性を見ませんでしたか ? 」 夫婦は顔を見合わせ、お互いに首を傾げる。「あんた、若い子見た ? 」「うえー ? 若い子ばっかりだし。なんて言うか若い子、見分けつかないからなぁ」「こう、髪が黒いストレートで、清楚な感じで…… ! そう ! 向日葵の柄のスカートを履いてるんですけど…… ! 」 すると妻の方が不思議そうに美紀の背後を眺め始める。「麦わら帽子に向日葵…… ? あの子じゃないの ? 」 そう言いながら、自分が停めたはずの駐車場を指すのだ。「えっ !! 」 美紀が振り向くと、美紀の車からは見えない位置に、白いセダンが停まっていた。 琴音はその車の者達と思われる輩に話しかけられている最中だった。「琴音…… !! 」 夫婦も心配そうに視線を向けながらも再び歩き始める。 美紀は全力で走り出すと、琴音の腕を掴み、目の前にいた男を突き飛ばした。「痛ぇっ ! 」「しつこい軟派はお断りだよ ! 」 最初から目くじらを立てて掴み上げて来る美紀を他の男たちも止めに入る。「違いますって、屋台ですよ ! 」「はぁ !? 」「美紀さん、ごめんなさい。一人じゃ不安でこっちに来たらたまたま話しかけられて」「だから、それがこいつらのやり口──」 琴音が美紀の仲裁に入りだした。「この人、屋台にいた人ですよ」「……あ。え ? いやいや、そうかもしれないけど。よく見りゃあんたらさっきコンビニで声を掛けてきたよね ? 」「あ〜、それは〜」 屋台の男が派手目で、タトゥーを入れた筋肉質な男だったので、美紀も鮮明に覚えていた。「実は俺、屋台は今日だけで、いつもはビーチの海の家にいるんですよ。 それで……まぁ、ノルマが……」「はぁ !? あんたこの子にまだなんか買わせる気 ? 言っておくけど、この子お金なんて無いよ。姉のわたしが管理してるの」「んー。そうかぁ。まぁじゃあ、しょうがねえや」「だいたい焼きそばは買ったでしょうが
「あははは !! 凄い楽しかった ! 」「結構買ったねー。少しずつ食べよっか」 屋台を歩き見て来た美紀と琴音が夕刻、海沿いの休憩スペースへ戻ってきた。 公衆トイレのある駐車場で、花火が上がるのはすぐ側だ。出店からは遠いが、人が混む前に駐車場を確保出来たのは運が良かった。「これ ! 食べます ! 」 色とりどりに並ぶ屋台飯の中、琴音が欲しがったのは殆どが甘味だった。 大きな3色の綿飴を開けると、ザラメの香りに笑みが溢れた。「ん〜 ! 甘〜い♡」 綿飴にカルメ焼き、べっこう飴と人形焼。殆どが菓子類だった。甘党と言うよりは、興味があるといった感じで、焼きそばやたこ焼きには目もくれず。 美紀はそんな琴音の様子に、環境がそうさせたのではないかと感じた。 二人、堤防に座り夕暮れの海を眺めた。「施設は甘いもの禁止だった ? 」「そうなんですよ ! 楽しみの為のお菓子はありませんでしたね。 おやつにカボチャやさつまいもを食べる事はありましたけど」「じゃあ、流行りのお菓子とか……市販のお菓子は食べたことないの ? 」「殆どないです。時々、テレビを見ていい時間があって、その時CMで見たお菓子を注文することは出来ました」「なんだ。テレビは見れたんだ。じゃあ、ドラマとか、街散歩とかさ。外界の情報を見る機会はあったんじゃ……」「あー。多分なんですけど、昔のテレビです」「昔って ? 録画とかってこと ? 」「うん。機械でお金を払うのとか、さっき初めて見たし、今晴れてるのに男の人が傘さしてたんですけど……男の人も日傘さすんですか ?それとも彼女さんの荷物持ちでしょうか 」「彼女の荷物を持つってのがもう、古いねぇ」 美紀はコンビニで買ったサンドイッチから手をつける。「レタスがびちゃびちゃ。あんま美味しくないわ」「楽しいから無問題です ! 美紀さ
「ん〜♪我ら〜神の〜♪」 海沿いまでは一時間程だ。 マンションを出て国道を走るが、中途半端な街のせいで駅前周辺のコンビニへは駐車場の問題で立ち寄れずしばらく街中を走る。「聖母〜の瞳〜♩慈悲の…… 」「ねぇ。それやめて。鬱陶しい 」 気分よく歌っていた琴音に、美紀は思わず八つ当たりしてしまった。「ご、ごめんなさい」「あ、いや……ごめん。歌が嫌いなわけじゃ……。 でも流石に、聞いてられないわ。なんか別の歌にしてよ」 歌う曲歌う曲、琴音からは出自の宗教ソングしか出てこなかった。「他の歌は、賛美歌と設立記念コーラスしか知らないです」「ほんと……どんな施設なのよ……」 これでは美紀が無茶難題を言っているようだ。 ハンドルを握った手を少し緩めると、肩の力を抜くように深呼吸をした。「じゃあ……うーん……」 布教ソングを歌うな、とも言いにくい。だが、これから先も宗教施設から逃げてきた琴音が、世間一般の中でアピールして生きていく立場にはいないだろう。「歌は……明るい曲が好きみたいね。夜にでも、流行りの曲をダウンロードしてみる ? もう自由になったんだし、その施設の歌以外も案外良いかもよ」「確かに !! ありがとう ! 美紀さん ! うふふ〜わたし自由〜」 先が思いやられる。しかしこの調子でいる琴音を放り出しては先に進めない。「あの坂を越えたら海だね。 その前にコンビニで買えるもの買おう」「わたし、コンビニエンスストアも初めてです ! 」「……だよねぇ……」 □□□□ コンビニまで来る
駅前から繁華街を抜け、国道へ出る手前にあるマンションへ車が入る。「ここ」「凄い ! こんなところに住んでるんですか !? 」 たかだか地方の古びた三階建てのマンションだ。 家賃は立地のせいかそれなりだが、お世辞にも今時の煌めいた豪邸とは言い難い。「エレベーター壊れてるんだ。階段行くよ」「はい ! 」 琴音はなんの不満も言わず美紀に付いてくる。 時刻は午前六時。 通勤やゴミ出しの住人等とすれ違う気配は無い。このマンションの大半は空き家だ。「結構、ガタが来てるからさ。部屋は綺麗にしてるけど……エアコン実費だったしシャワーは無いし、そんないい住宅じゃないんだ。 ここだよ」 三階の角部屋。 美紀は鍵を取り出すと部屋の扉を開く。「うわぁ〜うわぁ〜 ! 凄く綺麗ですよ ! ここに住んでるんですか !? いいなぁ〜 !! 」「静かに。 あー……ここのクローゼットに服があるから。好きなの選んで」「本当にいいんですか ? 」 琴音はまるでショッピングに来たような表情で、洋服を手に取り始める。「このスカート可愛い ! スカートは禁止されてたから……あ !! このコートも ! 」「今、夏だよ」「あはは、そうでしたぁ。じゃあこんな帽子は !? 美紀さんセンスいいんですね ! 」 ファッションショーの最中だが、美紀はローテーブルにペットボトルのお茶を二本、冷蔵庫から取り出した。落ち着かない気持ちを顔に出さずに、茶を口に含んでから深呼吸をする。 そして琴音を見上げ、一番聞きたかった質問を投げかけた。「それで ? あんたは何者 ? どっから来たの ? 」 琴音はハッと美紀を見下ろすと、被っていた帽子を外しテーブルの向かいに座った。「美紀さん『日本真理聖母会』って知ってますか ? 」「日本……何 ? 聖母って事は……宗教関係 ? 」「そうです。あの山の中に施設があって、貧困の中にいた母を置いてくださったんです」「……置いてくださった ? 」 琴音の言葉の端々に違和感を感じる。「でもそこから逃げて来たんじゃないの ? 」「はい。母がずっと逃げたがってて、わたしも出てみたいなって」「……よく分からないんだけど。どんな宗教だったの ? 」「簡潔にいえば女性が凄い、と言う教えですよ」「はぁ ? 」 美紀の問いに琴音が不思議そうに話
深夜も過ぎ、空が白く薄ばんできた頃。 水沢 美紀はようやく山の奥地へ辿り着いた。 予定より遅い時間になってしまった。 愛車の白いクラシックカーから降りると、助手席から手早くスコップを手に取った。 ガードレールも無いような急な斜面を見下ろすと、下を確認し思い切りスコップを投げ落とす。「はぁっ ! はぁっ! 」 ガゴン……。 休む暇なくトランクを開け、大荷物へ手を伸ばす。 ブルーシートと毛布で巻かれた、何か大きなものに手を掛ける。 ドザッ ! スレンダーな長身に女性特有の筋肉美。ミルクティー色のロングウェーブは汗ばんだ首元に張り付き、何度も何度も縛られたロープを握り直しては引き摺るを繰り返す。 決して小柄ではないとしても、相当重い荷物だ。 斜面からソレを転がすと、白いシャツを汚し、肌に擦り傷を作りながらも何とか降りていく。 斜面の下は僅か四畳半程の段差。そのまた下へ、深い木々の闇が広がっている。 美紀はスコップを思い切り突き刺す。 ザッ ! ザッザッ ! ギッ ! ガッ ! ガツッ !! 「クソ……っ !! 」 木の根が幾重にも重なり、挙句小岩にぶち当たる。 人一人では到底、この荷物を埋めるほどの穴は掘れないだろう。「この ! この ! なんで !!」 力任せに地面を掘るうち、美紀は後悔と怒りに涙が止まらなかった。「はぁ……っ、はぁ……っ、うぐ………」 やがて遂に手が止まる。心が折れてしまいそうな状況。 それでも半分程、木の根を断ち切り穴を掘った頃だった。 ──パキ……ッ──「はぁ……。……はぁ……ふ、ひっく……。 ??? 」 息が上がったまま声を殺して嗚咽を堪える。周囲は静まり返った深い山の中。 だが、何か違和感を感じたのだ。 小枝が折れるような音がした気がしたのだ。 冷静になり、息を整え、ゆっくりと周囲に目を凝らす。 日の出前の薄暗い濃霧の中、一際大きな木のそばに白い布が見え隠れしているのに気付いた。それは引っ掛けられた布切れなどではない。 明らかにスカートの裾だった。「……誰 ? そこにいる奴…… ! 」 美紀の髪が一瞬にして逆立つ。 この現場は、決して誰にも見られてはいけないのだから。「出てこいっ ! 」 蔦が延う大木の影から、白い蝶と見まごうほどの可憐な少女が現れた。「……ごめんな
非常ベルのけたたましい音が鳴り響く。 暗闇の中、二人の女性が息を切らしながら背後の気配から逃げていた。「お母さん、早く ! 」 娘は母の腕を肩に掛け、引き摺るように歩き始める。だがすぐに母親が座り込み、捻挫した足の腫れを見て項垂れた。「琴音……これを」「何 ? 」 母親が懐から取り出した見慣れない封書。何も分からないままポケットへねじ込むと、娘は力任せにグイグイと母親を立たせようとする。「それね、お母さんの診断書。お母さんね……もう長くないの」「何 ? なんの話してるの ? お母さん、早く立ってよ ! 」「聞きなさい ! 絶対に見つかっては駄目。町へ出たらすぐに交番に行くの。『日本真理聖母会』から逃げてきたって。「助けて欲しい」って言うのよ」「お母さんは ? 」「お母さんはもう無理だから」 茂みのすぐ向こう側。 ザザザと音を立てながら懐中電灯の群れが近付いてくる。「立って ! お母さん ! う、うぅぅぅっ ! 」 母親は近付く木々を掻き分ける音を聞きながら、唇を強く噛み締め地面に顔を伏せた。「ろくな人生じゃなかった。こんな場所、来るんじゃなかった」「お母さん…… ! 」「あんたさえ産まなければ ! こんな所に頼る必要もなかった ! 」「お、お母さん ? 」 信じられない突然の告白。 冷静に考えれば本意でないことは分かるだろう。だが、あまりにも辛く長い今までの生活で、本気で言っていると思えた。 深く、心の奥底に鈍い痛みが広がる。「早く消えてよ ! この最悪の疫病神 ! 」「お母さん…… ! 」 縋りつこうとする娘を母は渾身の力で突き飛ばした。「早く ! 」 行かなければならない。 この脱走が無駄にならないために。 夏の始まったばかりのこの夜。 深い山々に囲まれて建てられた興宗教施設から逃げ出した。 このとき、飯塚 琴音は二十歳の誕生日だった。二十年の人生を全て施設で過ごしてきた琴音にとって、今夜が生まれて初めて外界だった。「はぁ……はぁっ……うぅ……っ ! 」 月明かりも届かない深い闇。 初めての外の世界を、あてもなく彷徨い歩くしか無かった。