LOGIN「今は手伝いしたら小遣いもらえるけど、バイト君よりずっと安い。俺は最低時給で使える最高の使用人だ」
「あはは……自営業は大変だな」
彼の実家は、顧客さんの多い割烹店だ。元々は俺の家の近くで経営していたけど、数年前立地の良いこの場所に移転した。
昔は俺も家族で食事をしに行ったけど、今は随分敷居が高くなったように感じる。理貴が引っ越してから、親もこっちには全然来なくなった。
ちょっと寂しいけど、理貴の親は俺が遊びにくると昔と変わらず喜んでくれるから、そこは素直に嬉しかった。
「ほら、真陽。……早く」
明かりをつけないせいで、こっちに手を伸ばす理貴の姿が少し不気味に感じた。その手を取ったら人知れず底なし沼に沈む気がする。
だけど、吸い寄せられるように足は前へ出る。これはもう、彼の魔力だ。
考えることをやめて、彼の胸の中に飛びついた。
二人同時にベッドへ倒れて、そこから先はいつも通りだ。痛いぐらいに抱き締め合う。爪が食い込もうと、窒息しかけようと、早くひとつになることを願ってる。
俺達は物心ついた時から一緒にいて、互いのことを知り尽くしてる。……と思ってる。
離れるなんて考えられない。夜に……いや二人きりになると、俺も相当な甘えん坊に変貌してるんだろう。
性別の縛りなんてどうでもいい。こそこそ隠れても、周りを騙しても、俺は“彼”と繋がりたい。叶うことなら、息が止まるその時まで────。
「真陽、もしかして自分の家でシてた? ちょっとしか弄ってないのにユルユル」
「あっ!」
二人で沈む時間は始まっている。
服を強引に剥ぎ取られて、乱暴に腰だけ高く上げさせられた。ローションまみれの窪みを彼の指で掻き回され、甲高い声を上げてしまう
「声、抑えてろよ。帰って来てんの気付かれたらまずいからな」
「な、ならもっと優しく……あぁっ」
こちらの訴えはそっちのけで、後ろに硬いモノがあてられた。嫌な予感がしたと同時に、内部を貫かれたような衝撃が走る。
嫌な異物感と、嫌な水音。間違いなく理貴の性器が挿入されていた。
「真陽。あんまり暴れるとベッド軋むから、我慢な?」
後ろから抱き込まれ、何度も激しく奥を突かれる。そのままならすごい声を出したかもしれないけど、口を手で塞がれたため大声で喘ぐことは免れた。
ただ、やっぱり身体は揺れてしまう。激しく抜き差しされる度に音を立てて陥落していく。
ベッドの軋みなんて気にする余裕はない。また、いやらしい液体が内腿に垂れる感触が不快でしょうがなかった。
……最初に誘ったのは俺の方だった。
相思相愛になれたことは勿論嬉しかったけど、もっと深い関係になりたいという気持ちが先走っていたから。
彼に「抱いてほしい」と言った。
その一言が彼を変えてしまったのかもしれない。理貴は滅多に怒らないし、俺の我儘を何でも聞いてくれるけど、そもそも何かに執着しない性格だ。大して思い入れがないから、手を噛まれても物を壊されても心を乱したりしない。
そんな奴が俺と恋人になることを受け入れた。
今も俺の上に覆い被さって腰を突いてくるけど、彼にとっては求愛行動なんかじゃないのかもしれない。恋人としての義務、責務を果たそう、ぐらいに思ってるんじゃないか。
抱かれている傍ら、こんなことを考えてる自分にも嫌気がさす。
「ひ……っ……あ、あ……っ!」
だってどんなに酷くされても、彼に抱かれるのは気持ちいい。例え大事にされてなくても、今彼が見ているのは俺だけだ。俺が彼の時間を奪って、独占してる。その優越感に酔ってしまう。
少し強く擦られただけで、シーツに白い液体を零してしまった。
「イッたか。ほんと感じやすいな」
「だって……理貴が動くの速いから」
苦し紛れに言い返すと、今度は仰向けに倒された。一度は彼の性器が抜けてしまったけど、またゆっくり中に挿入される。
「待って、今日はもう無理……っ……久しぶりだし、何かヘンなんだ……!」
さっきからずっと引き攣るような痛みを後ろに感じてる。それに腹の中が掻き回されてるみたいで、下が緩い。このまま続けられたらおかしくなってしまう。
「怖い、から……お願い」
途切れ途切れに呟くと、彼は小さく息をついた。汗でぬれた額を押さえ、苦しそうに顔を歪める。
「困ったな。真陽ってさ……可愛いからほんと虐めたくなる」
そう言って腰を引いたのは一瞬。そのあとは気が吹っ飛びそうな律動が始まった。
「あっあぁ、あぁっ!!」
もう声を抑えることも忘れ、繋がった部分の熱に身を攀じる。逃げようと前へ乗り出したが、簡単に引き寄せられてしまう。火傷しそうな摩擦が恐ろしくて、でも気持ちよくて、いっそ死んだ方が楽なんじゃないかと思った。
頭より先に心が、心より先に体が壊れる。
やばい。
このままだと、そう遠くない未来、彼に抱き殺されるかもしれない。
俺の名前を呼ぶ声は遠くで聞こえていたけど、意識は小刻みに揺れる景色と共に薄れていった。
理貴は懐かしそうに目を細める。多分笑いたいんだろうけど、俺に遠慮して真剣に考えてるような表情を浮かべた。「何だっけな。いじめっ子にゲームを隠されたんだったかな。それも、オバケが出るって言われてた寺の墓地に。ゲームが大事だったにしても今思うとよくあんなところに一人で行ったよ。正直驚いた」「あー……何か思い出してきた」ぶっちゃけ嫌な思い出だ。いじめられた、という過去も腹立たしいし、鬱蒼とした墓場はそれだけで不気味だし、実際はゲームなんて置いてなくて、俺の家の玄関前に返されていたなんて。そりゃもう全てが黒歴史だ。怖かったと思う。帰りたくてもゲームは見つからない。親に言ったらもう何も買ってもらえないかもしれない。今なら笑っちゃうほどちっぽけな恐れだけど、子どもなんて感情だけで生きてる生き物だ。当時のダメージはでかかった。色んな恐怖が極限まで高まって泣き出した時、その声に気付いた理貴が大慌てでやって来てくれた。俺が墓地へ行くことを公園で聞いていた子が、幼馴染みの理貴に教えてくれたらしい。あれは本当に感謝した。でもゲームが見つからないからしばらくその場でぐずって、窘められながら山を下りたんだ。結局、理貴に手を引かれながら家まで送ってもらった。「あの時のゲームどうした?」「そりゃあ……バッテリー悪くなって捨てた」「だよな」あの頃は何よりも大事だった最新のゲームも、時と共に廃れていった。古い記憶と一緒に手放してしまった。劣化したものをバカスカ捨てて、新品ばかり求める人間になった。これはちょっと悲しい。「今まで捨てたゲーム何個あるだろ。俺って物大事にしなさ過ぎてバチ当たるかな……」「ゲームも言っちゃえば消耗品だからな。いつか絶対壊れるんだし、仕方ないだろ」壊れなかったら消耗品じゃない。その言葉の意味は分かるけど、心が痛むのは何故なのか。その理由を、記憶を手繰り寄せる。いっときでも毎日遊んで、自分を楽しませてくれた。無機物に対して抱く感情としては微妙だけど、お世話になったような感謝の気持ちがある。だから悲しい。手放すだけじゃなく、廃棄することは恩を仇で返すような後ろめたさがあるんだ。物に対してこんなことをちまちま考えてる自分はやばいかもしれない。理貴に言ったら「想像力豊か」の一言で一蹴されそうだ。でも、使い捨てって何か寂しい言葉じゃないかな。物で
今までの経験上、強引な理貴は怒ってるように見えてしまう。大丈夫か不安だったけど、空を見上げた彼は満面の笑みを浮かべていた。「見ろよ、真陽。星がすごい綺麗」「あ。ほんとだ」……星が綺麗に見えることは、実はもうちょっと前から気付いていた。だから俺が同意したのは別のこと。ちょっと視点がズレるけど、俺は理貴の瞳の方が眩く輝いて、綺麗に見えた。口には出せない。でもつられたふりをして空を見上げる。深い藍色の夜空に、満天の星が煌めいていた。感動する気持ちに嘘はないけど、「綺麗」って吐いた言葉は自分の耳では嘘っぽく聞こえた。こんなに素晴らしい星空を前に、何やってんだか。二人で山に続く畦道を歩く。小さいが棚田になってるところは月光が反射して美しかった。こんな景色を毎日見られたら心が綺麗になりそうだ。……でも毎日見てたらさすがに飽きるのかな。全部霞んで、心が動かなくなっちゃうのか。当たり前ってそういうことだよな、と独り考える。多分牛蛙だと思うけど、野太い声がずっとBGMとして聞こえる。そういえばオタマジャクシ好きだった、とか田植えの手伝いしたな、とか色々思い出していた。懐かしい。理貴は何を考えてるんだろう。さっきの星空に感動してからずっと静かに前を歩いている。わざと止まって畑の中を覗いたりしたけど特に気に留める様子もなかった。薄情だ。……いや、薄情はちょっと意味が違うか。えーと、「着いた。ここだな」その言葉がなければ背中にぶつかるところだった。前を見ると、確かに山林の中へ続く坂道が広がっている。看板もなく、奥は暗くて何も見えない。大きな口を開いてやってくる人を待ってるように見えた。「十分ぐらいボーッとしてるか。そんで誰も来なかったら帰ろう」十分で会えたら奇跡じゃないか? と思ったけど、あえてつっこまずに頷いた。案の定十分はあっという間で、人っ子一人来なかった。存在を感知できたのは鳥だけだ。スマホで時間を確認する。眩しいライトは目が痛くて、すぐにポケットにしまった。「理貴……そろそろ帰る?」「そーだな。すぐ帰るって叔父さん達に言っちゃったしな。心配させちゃいけないし」理貴は口端を上げて笑った。星空はまだ健在。上も下も暗闇の世界で、真ん中にいる理貴は白く照らされていた。白いシャツが映えるだけだろうけど、俺には充分道しるべになった。「真陽」
夕陽が燃え盛っている。尋常じゃなくでかい。太陽ってこんなに大きかったっけ。いや、そりゃ大きいか。でもこれやばくないか。地球に落ちてくるんじゃ……と独りで慄く。天井裏の小窓から空を覗き、次いで理貴の方を見た。彼は奥に眠っていた紙の箱から、古い写真を取り出している。「理貴、それ誰の写真?」「親父の、ガキの頃かな。なんとなーく……目元がそんな気する」色褪せたカラーの写真。だけどもっと奥にはセピア色の写真も数枚入っていた。写真に映る少年は確かに、理貴と似ていた。でもそれを言ったら彼がむくれる気がしたから、内心笑いながら黙っておいた。すると、「真陽、ごめんな。怒ってる?」「は? 何で」「暑いし、働かされるし、俺が構ってやらないから」「……」最初の二つは笑顔で否定できた。しかし最後の言葉が全ての冷静さを奪った。「どういうことだよ。自惚れんのもいい加減にしろって」子どもじゃないんだから。何だか一気に暑くなって、持ってた団扇で豪快に仰いだ。理貴は何も言わずに微笑むと、そろそろと近くへ寄ってきた。嫌な予感がすると思った瞬間、彼の顔が鼻先まで近付く。「さすがにここには叔父さん達も来ないよ?」「え……」また、気温が急上昇する。いやいやまさか。こんなとこで、嘘だろ? ……と思ったのも束の間、唇を強く塞がれた。抵抗しようにも両腕はしっかり掴まれ、埃っぽい床に押し倒される。いくら誰もいないからって、これはまずい。止めなきゃ。けど理貴は緩めることなく深い口付けを続ける。彼の舌が入り込み、奥をひと舐めしたとき背筋に電流が走った。あ……っ。力が抜けるのは一瞬だ。さっきまでの思考は傾き、どうしようもない高波に攫われる。もっとしたい────。そう思ったとき、理貴は軽やかに後ろへ退いた。「お。もう十八時だ。ご飯って呼ばれる前に降りるか」「え……あ、うん」状況がすぐに飲み込めず、口を空けたまま頷く。理貴は腕のスマートウォッチを見ながら淡々と告げた。切り替えの早い彼ならさもありなんだけど、その姿には少なからず殺意を覚える。やる気ないなら中途半端に手を出すなよ。いや、もちろんマジでやる気だったら困るけど!くそ。……顔が熱くてしょうがない。太陽が完全に山に隠れた。シャワーを浴びて広い居間へ向かうと、理貴の叔母さんが夕飯を用意してくれていた。海の幸と山
────苦く懐かしい記憶がある。まだ小学生の頃の話。両親から誕生日プレゼントにもらったのは、当時流行っていた最新のゲーム機。発売してすぐに買ってもらった為、周りで持っているのは自分だけだった。だからだろう、クラスでリーダー格の男子にいびられる羽目になった。休日に近所の公園でゲームをしているところを運悪く見られてしまい、奪われたのだ。けど小学二年生のお小遣いで買える代物じゃないから、彼らも内心では扱いに困っていたようだ。ゲーム機を持った一人がどこかへ去り、しばらくして戻ってくると「寺の墓地に置いてきた」と言った。返せと言おうにも、本当に持ってないのでは仕方ない。彼らは笑いながら去って行った。その背中に蹴りを入れられるような性格じゃなかった当時の自分は、泣きそうになるのを堪えて地面を見つめた。どうしよう……。目の前が滲んでいたけど、やがて元の視界に戻っていった。陽が傾き、足元の影がだんだん伸びていく。夜が来てしまう前に、ゲーム機を探しに行かないと。「肝試し?」「うん。最近ウチの敷地でやる子どもが増えてるんだけど、山の中は危ないから困ってんだ」立っているだけで全身から汗が吹き出す、酷暑の夏。広大な庭の雑草取りはしんどかったけど、今年は特別感に溢れている。真陽は理貴に誘われ、彼の叔父と叔母の家に遊びに来ていた。彼らの家は海から程近いものの、裏には大きな山々がそびえ立っている。山と海に挟まれた長閑な田舎町。 ( 暑すぎて虫も鳴いてないな )真陽は貸してもらったタオルで汗を拭った。地元から電車で二時間ほど乗り継ぎ、昼過ぎに着いたばかり。辺りを軽く散策したあと家の手伝いをし、無心で雑草を抜いていた。それから叔父の軽トラに乗り、夕食の買い出しに付き合って帰ってきたところである。そこからの雑草取りは中々ハードだった。とは言え泊まらしてもらう予定なので、手伝えることは何でもやるつもりだ。仰け反り、青々とした空を見上げる。都会の喧騒から離れるのは大事なことだとしみじみ思った。灰色の建物ばかり見上げるより、何も無くとも緑に包まれた景色の方が良い。というか、眼に優しい。そう言うと縁側で寛いでいる理貴から「真陽の頭は金ピカで目が痛いけど」と言われた。でも確かに。黒とは言わずとも、そろそろ茶髪ぐらにいには戻しても良いかも。髪先をそっとつまみ上げて、差し出
息を潜めた薄闇の部屋に、月明かりだけが窓から射し込んでいる。見飽きた自分の部屋なのに、今夜は違う。彼がいるだけで特別な空間に変わる。( 浮かれてんな、俺 )一糸まとわぬ姿でベッドに転がる自分達が、酷く滑稽に思える。それでも抱き合って、飽くことなく手を繋いでいる。これからもずっとこの緩い関係でいたい。大人になっても会社員になっても、皺だらけの爺さんになっても、今日みたいにのんびり彼と過ごしたい。おしゃれなカップルみたいに特別なデートなんてしなくても、気付けば隣にいる。それが一番理想なんだ。多分、俺はまだ何も知らない。本当に嬉しいことも、本当に辛いことも。それでも、その時が来るまでは彼を笑わせよう。だって彼は俺の初めての「友達」で、愛しい「恋人」だから。臆病だった自分に、人と関わる喜びを教えてくれたひと。それを言葉で伝えるのはちょっと恥ずかしいから、別の形で返したい。「なぁ、理貴の好きなタイプってどんな? 実は織部先輩みたいに胸大きくて、良いにおいする子だったりしない?」「また急だな。何でそうなるんだよ」「織部先輩と一緒に歩いてる理貴は……他の誰かと歩いてるよりかっこよく見えるから」少しだけ身を捩り、理貴の方へ向いた。膝頭が当たる。はだけたシーツは虚しく垂れてぶらぶらと揺れていた。不安になりながら、彼の表情を窺う。すると理貴は何でもなさそうに息をついた。「それはあれだろ。織部が色気ありすぎぎるんだろ」「まあ、もちろんそれもあるけど……理貴は女子の前だと結構紳士ぶるし、心配なんだ」「はは。それ言ったらお前だってそうだよ。今日クラスの女の子と並んで喋ってだだろ。あれ遠目で見てたら、本当に男って感じだった。いつもより頼り甲斐ありそうに見えたし」どういう意味だ……。見つめ合って、自身の眉間を押さえる。「俺は紳士ぶったことないけど。女子は背ぇ低いし、男らしく見えるのは当たり前だろ」「真陽がむくれてんのも、つまりそういうことだよ。女子といたらある程度しっかり見えるんだって」彼は可笑しそうに、肩を揺らしている。ひとしきり笑った後、目を細めて俺の唇に触れた。「でも俺が知ってる真陽は、華奢で純粋で、推しに弱い女の子だったな」確実に貶してる。いつもの如くキレる一歩手前で、理貴は自分の顔を手で覆った。「なーんて、そんなわけないんだよな。時間っ
ソファに座って瞼を伏せている理貴に後ろから近付いた。見惚れるほど艶めいて、ふさふさの黒髪。将来頭が薄くなる不安と無縁そうで羨ましくなる。俺はというと散々脱色したことで毛根をいじめ抜き、はげる可能性が極めて高い。将来を考えると今から動き出した方が良いかな。もう少ししたら親父の育毛剤でもこっそり借りてしまおうか。「何? 真陽」艶やかな髪先に指が触れる。……一歩手前で固まった。彼はまだ瞼を閉じているのに、こちらのしようとしてることが分かっているようだ。さすがに隙がない。仕方ないからその手を引っ込め、ソファの背もたれに寄りかかる。「あは。ほんと、理貴の髪ってキレーだなーって思って」「お前だってどこでもキラキラしてるじゃん」「それ金髪だからだろ」呆れて返すと、彼は振り返って手招きした。とりあえず従い、ソファの前に回る。すると強引に引っ張られ、彼の胸に抱き込まれてしまった。あぁ、理貴のにおいだ。それが分かるだけでほっとする。こんなにも安心できる場所は、世界中でここだけだ。優しく頭を撫でられて、髪を梳かれる。その手つきや温もりは、いとも容易く緊張を解してしまう。気持ちよくて、気付けば自ら彼の掌に頭を押しつけていた。「ほら。やっぱりお前も髪綺麗じゃん」「そうかなぁ」「あぁ。猫みたい、柔らかい」柔らかいイコール綺麗ということにはならないと思うが、反論する気も起きない。彼を感じてるだけで満足だった。もっと撫でてほしい……。今度はこちらが瞼を伏せた。髪に触れていた理貴の指は頬、首、腰へと下りていく。ズボンに引っかかった時はさすがに瞼を開けた。「おーい、ここですんの?」「したくない?」「そうじゃないけど。シャワー浴びたいなって」ちょっとだけ恥ずかしくて、目を逸らす。軽くシャツを捲ると、理貴は可笑しそうに笑った。「どうせまたグシャグシャになるって」◇────だから、俺がよく買う漫画はほとんどエッチから始まるんだよ。へぇ、お盛んだな。マンネリ化を避ける為に、絶対途中で元恋人とかチャラい当て馬が出てきて受けを襲うんだ。あぁ、受けとか攻めとかBLならではの用語だよな。大きな山を超えたら最後は大抵ハッピーエンド。どう思う?(どうでも)いいんじゃない?白いシーツに埋もれ、抱き合いながら議論した。冷静に考えれば自分達もBLに入るのだろうが、
久しぶりの自然な笑顔に見惚れてしまう。確かにそうだ。自分もこの笑顔を見られただけで……来てくれて良かった、と感じる。単純だけど、彼の幸せが俺の幸せだから。「理貴。昨日のこと……本当に、もう気にしなくていいから。ていうか俺が気にしてないのに、お前がそんな気にしてたんだって分かって正直ウワッて思った」打ち明けるべきか迷っていたけど、拳を強く握り、彼の目を見る。「つまり、何だ。その……自分がどんだけ無神経なのか、鈍感なのか気付いたんだ。かなり自分が嫌いになった。それをちゃんと謝りたい。そんで俺を助けられなかったとかいうのは、できれば気にしないで。……俺のために忘れてよ」足を止めて振り返
「今日、家に誰もいないんだろ?」「ん? あ、そうそう」「じゃあお前ん家で食おう。飯は俺が作るから」え。こっちが何か返す前に、理貴はまた歩き出した。どうやら彼の中では決定事項らしい。立ち止まり、珍しく前を行く彼の後ろ姿を見つめた。びっくりだ。理貴が俺の家で夕飯を作ってくれる……とか。恋人の手料理を家でゆっくり食べられる。それはカラオケよりもずっと嬉しい予定だった。帰りは家の近くのスーパーに寄って、理貴と今夜使う食材を選んだ。ひとりだったら憂鬱なぐらいなのに、彼と一緒だと買い物かごを持つのも楽しい。大して興味のない野菜や魚も、彼が真剣に見てるからちょっと緊張した。値段を見て高っ
あの日から時間に置いてかれている。大人になっていく真陽を見るとよく分かった。自分だけが同じ場所に留まって下を見ている。一年、二年と経過して、体ばかり大きくなるのに。俺も変わらなきゃ。どうしょうもなく焦っていた。けどそんなすぐに変われたら苦労しない。明日から頑張ろう」、が明日こそ頑張ろう、に変わって、気付いたら寝てしまうことが増えた。しっかりしろ、と思うほどぼうっとする。真陽以外の誰かを想うときは普通なのに、彼のことを考えると猛烈な眠気に襲われる。心地いい声が子守唄に変わる。間違いなく、現実逃避だった。不安なことをシャットアウトして自分の世界に逃げたい。大切なはずの真陽からも逃
無意識のうちに呟いてしまった。慌てて口を押さえたけど遅い。隣に佇む理貴の顔色が変わっていた。ただ今度は張り詰めたものではなく、……悲しそうな表情で。空気を変えなきゃ。「水。……水が飲みたいな。のど渇いちゃった」わざとらしいけど、最大限の笑顔をつくる。怖々反応を待つと、彼は腑に落ちた様子でちょっと待ってろ、と部屋を出て行った。とりあえず助かったと胸を撫で下ろすも、何を不安に感じていたのか。自分でもいまいち分からない。でも自分が川で溺れたことは、理貴にとっても嫌な記憶だ。わざわざ思い出さなくていい。あれは消し去っていい出来事なんだ。静かにため息をつく。部屋の扉が開いて、戻ってきた