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R.H. ――灰の中から蘇った天才研究者の逆襲
R.H. ――灰の中から蘇った天才研究者の逆襲
Author: 佐薙真琴

プロローグ:裏切りの夜

Author: 佐薙真琴
last update Huling Na-update: 2025-12-04 18:12:12

 雨が窓を叩く音が、会議室に響いていた。

 柊麗華は、自分の五年間が終わる瞬間を、まるで他人事のように眺めていた。目の前には婚約者だった男――芦原達也が立ち、その隣には為末茂美が、申し訳なさそうに、しかしどこか誇らしげに視線を逸らしている。

「麗華、君には感謝している。本当に」

 達也の声は、いつもの穏やかな調子だった。まるで天気の話でもするように。

「でも、これは仕方ないんだ。プロジェクトの成功には、より高度な専門性が必要だった。君のサポートは素晴らしかったが……」

「サポート」

 麗華は、その言葉を繰り返した。声は震えていなかった。むしろ、不思議なほど平坦だった。

「私が書いた研究ノートを使って、茂美さんと共同で論文を発表する。それが、『プロジェクトの成功に必要なこと』なのね」

 達也の顔に、わずかな苛立ちが浮かんだ。

「君は誤解している。あのアイデアは、確かに君が最初の種を蒔いた。でも、それを形にしたのは僕と茂美だ。研究というのはそういうものだろう? 協力して――」

「あなたは、私の研究ノートを盗んだ」

 麗華は立ち上がった。テーブルの上には、彼女が五年かけて蓄積してきた研究データが入ったフラッシュドライブがある。達也はそれに手を伸ばし、ポケットにしまった。

「返して」

「これは研究室の資産だ。個人のものじゃない」

「私が自宅で、週末も夜も、睡眠時間を削って書いたノートよ」

「君が研究室のメンバーである以上、その成果は研究室に帰属する。契約書にもそう書いてあるはずだ」

 麗華の指が、わずかに震えた。

「婚約は?」

 達也は溜息をついた。

「それも、今日で解消させてほしい。茂美と僕は……」

「愛し合っているのね」

 為末茂美が、ようやく口を開いた。

「麗華さん、ごめんなさい。でも、私たちは本当に……」

「いいわ」

 麗華は、自分でも驚くほど冷静に言った。

「指輪、返すわね」

 左手の薬指から、小さなダイヤモンドの指輪を外す。達也はそれを受け取ると、何も言わずにポケットにしまった。

「それと、もう一つ」

 達也は、用意していたかのように封筒を差し出した。

「研究不正の疑いで、大学側が調査を始めている。君の過去のデータに、改ざんの痕跡があるという報告があった」

「何ですって?」

「僕も信じたくはない。でも、第三者機関の調査結果を見る限り……」

 封筒の中身を見て、麗華は息を呑んだ。そこには、彼女の署名入りの実験データと、その『改ざん箇所』を示す赤い印がついていた。

「これは……私がやったことじゃない」

「証拠は揃っている。君の署名もある」

「でも――」

「麗華、これ以上騒ぐなら、大学は法的措置を取るかもしれない。今なら、静かに研究室を去ることで、表沙汰にはしないと言っている」

 麗華は、達也の目を見た。そこには、かつて彼女が愛した優しさはなかった。ただ、厄介なものを処分する時の、冷たい実務的な光があるだけだった。

「分かったわ」

 麗華は、自分のコートを手に取った。

「去ればいいのね」

「研究業界は狭い。君のためにも、新しい道を探した方がいい。普通の会社員とか、教育関係とか……」

「私に、研究を諦めろと?」

「君には無理だったんだよ、麗華。サポート役としては優秀だったが、独創性がなかった。それだけのことだ」

 麗華は何も答えなかった。ただ、コートを羽織り、会議室を出た。

 廊下を歩きながら、彼女は自分の手が震えていることに気づいた。怒りか、悲しみか、それとも絶望か。自分でも分からなかった。

 研究室の前を通り過ぎる時、彼女は五年間毎日通ったその場所を、最後に振り返った。

 そして、声に出さずに、心の中で誓った。

 ――私は、諦めない。

 ――絶対に。

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