Masuk「蓮、ちょっと来て」
翠の言葉に蓮は黙って頷いて後ろを着いていく。翠の部屋の扉を開けたところで蓮は目を見開いた。「これは……」 天井から水滴がぽつりと落ちてくる。布団の上に、深緑のシミがじわっと広がった。「これじゃ、寝れないな」「そうなんだよ……」 翠は肩を落とし、背中を丸めた。蓮は仕方なさそうに笑い、言葉をこぼす。「俺の部屋で寝るか」「じゃあ電気消すぞ」「うん」 来客用の敷布団を蓮の布団の隣に並べて寝ることになった。翠は落ち着かない様子で蓮に背中を向けて布団の中で丸まっている。「なんでソワソワしてるんだよ」「いや、なんか……」 一度翠が言葉を途切れさせて、二人の間に沈黙が流れる。布団の中で考え込んで、やがて小さく言葉をこぼした。「なんか、いつもと違うから旅行みたい」「そういうもんなのか」 翠が布団の中で頷き、布の擦れる音が部屋に響く。そこに蓮の笑い声が混ざり合った。「お前も子どもっぽいところあるのな」私はホテルに戻ってからもボーッとしていた。先ほどの翠の言葉が頭から離れないのである。「陽菜」「ん?」 今日の目的地に向かって歩いていると、後ろから蓮に声をかけられた。「なにかあったのか?」「え?」 振り向くと心配そうな表情を浮かべた蓮が真剣な目で私を見ていた。少し視線をずらせば、これまた心配そうに志織が私たちの様子を窺っている。「特になにもないよ」「そうか」 蓮は少し寂しそうに笑顔を浮かべた。そんな表情に胸がチクッと痛む。「それより、早く行こ!」 私は無理やり明るい声を出して、蓮の腕を引っ張った。「……転ぶなよ」「もう! 子ども扱いしないで!」 いつもより元気のない声で蓮がつぶやく。私はぎこちない笑顔で言葉を返した。 そして、私たちはホテルから少し離れたテーマパークに来ていた。「テーマパークとか久しぶりだな」「ね! 楽しみ!」 カラフルな看板を見て心が弾む。子どもたちが走って入り口を通っていくところを眺めた。私たちもチケットを取り出し、入場する。「まずあそこ行こうよ」 志織の提案でやってきたのはグッズ販売店だった。店内は中高生で賑わっている。「カチューシャ買って四人で着けようよ」「いいね!」 志織の提案に私は強く頷いて、店内に足を踏み入れる。店内は茶色い壁紙に動物のステッカーが貼られていて、見ているだけで楽しい気持ちになれた。そして、私たちはカチューシャが陳列された棚の前に行く。「陽菜、これ着けてみて」「うん!」 そう言って蓮はカチューシャ一個を私に渡す。私は鏡の前でカチューシャを身につけて、髪を整えた。つけ終わり、蓮の方に振り返る。「可愛いな」 優しい笑みを向けられて胸が跳ねる。恥ずかしくて視線を逸らした。鏡に映った自分の頬が赤くてさらに体が熱くなる。私は誤魔化すようにカチューシャを手に取った。「れ、蓮もこれ着けてみて」 蓮は私からカチューシャを受け取り、頭に乗せた。そして私の方を向く。「どうだ?」「い、いいんじゃない?」
あれから私たちはホテルに戻ってきていた。部屋に入った瞬間、私は勢いよくベッドに跳び込む。志織もゆっくりとベッドに腰を掛けた。「陽菜」「ん?」 私は横になりながら枕を抱いて、顔を志織の方に向けた。「翠と何話してたの?」「んー……」 志織は小さく眉を寄せている。私は枕に顔を埋めて今日の光景を思い出した。「明日の朝、滝見に行こうって話してた」「滝?」 志織は少し目を見開いて首を傾げる。私は体を起こして志織と向かい合う。「うん。この近くにあるんだって」「へー。よく知ってるね」「翠のことだから、たくさん調べたんだろうなぁ」 私はその光景を思い浮かべて思わず笑みがこぼれる。いないはずの翠の影が浮かんだ。「陽菜ってさ……」「うん」 志織が少し言いづらそうに言葉をつぶやく。「翠のこと、まだ好きなの?」「……」 私は一瞬黙った。聞かれたくないわけではなかったが、自分の気持ちに答えを出せていない。志織は微笑んで、私の手に志織の手を重ねる。「別に無理やり聞くことはしないけどさ。陽菜の気持ちが気になる」「私は……」 志織が息を呑んだ。私は一度目を瞑って深呼吸し、ゆっくりと目を開いた。「正直、分からない。確かに最近までは翠が好きだった。でもそれ以上に蓮が大切な存在になってて……」「うん」 志織は頷いて話を促す。私は考えながら一生懸命言葉にした。「少し前までは蓮と付き合ってるのに、翠といると緊張してしまう自分が許せなかった。でも今はなんか違うんだよね。翠と話しているとなぜか翠に対して申し訳ない気持ちになる。だから、この気持ちを確かめたい」 そして真っ直ぐに志織を見つめる。志織の重なった手に力が入ったような気がした。「そんな感じかな」「……そっか」 志織は一度下を向く。そして、柔らかい笑みを浮かべて顔を上げた。「強くなったね」「そうかも」 私は小さく頷いて笑みを浮かべる。志織はパチンと手を叩いた。「よし! じゃあ、今日もいっぱい食べて最終日楽しもう!」
二日目は自分たちで作ったプランをもとに、自由に周ることになっていた。私たちの班はお寺巡りをする予定である。「陽菜ー速いよ」「だって!楽しみなんだもん!」 軽やかに歩く私の後ろで、志織は肩を上下させながら息を吸っていた。「朝から元気だな」 志織の横で眠そうにしている蓮が目を擦っている。「いっぱい寝たからね」「そりゃ良かった」 蓮はいつもよりも柔らかい笑みで私を見つめる。「ほら、早く行こ!」 私は志織の手を引いて歩き出した。「あ、陽菜待ってよー」「俺らも行くぞー」 蓮と直宏が笑いながら後ろをついてくる。 まずやってきたお寺は京都の街を一望することができるお寺だった。「わぁ!綺麗……」 思わず言葉がこぼれてしまうほど、圧巻の景色だった。「ねぇ!ここでも写真撮ろうよ!」 私は三人に声をかける。三人とも笑顔で頷いた。志織がスマホを用意して構える。「はい、チーズ」 カシャっというシャッター音と同時にピースをする。志織は写真アプリを開いて写りを確認していた。「うん、いい感じ」「見せて!」 私は左側から志織のスマホを覗き込む。京都の街を背景に笑っている四人の姿が写っていた。「ね、綺麗に撮れたでしょ?」「うん! 上手!」 私たちの笑顔は今日の天気に負けないぐらい明るかった。 二つ目のお寺で私たちは別行動をしていた。「蓮、眠い?」「ちょっとだけな」 蓮は目をこすり瞬かせている。そんな蓮が可愛くて私はクスッと笑ってしまった。「ここ、最近改修されたらしいよ」「そうなのか?」「うん、さっきガイドブックで見た」 私は柵に肘をついてお寺を眺めている。少し離れたところで志織と直宏が写真撮影をしていた。私はポツリと言葉をこぼす。「建物も当時のままじゃいられないって思うと少し寂しいね」「まぁ劣化するからな」 蓮も柵に体を預けている。風で髪が靡いて前が見えなくなった。首を振って髪をどかす。小さくため息をついて言葉
今日は待ちに待った修学旅行の日だ。待ち合わせ場所の駅まで蓮と別々で来ていた。なんと、私はこんな大事な日に寝坊してしまったからだ。「おはよー!」「おはよう陽菜」 蓮を見つけて駆け寄る。肩で呼吸をしながら挨拶をした。そんな私の肩に蓮が優しく手を置く。「そんな走らなくてもまだ大丈夫だ」「う、うん」 蓮の優しい笑顔に心が温かくなった。呼吸を整えて私も笑顔を浮かべる。「陽菜、おっはよー!」 すると後ろから勢いよく抱きつかれた。「志織、おはよう!」 私は少し後ろを向いてニコッと微笑む。「早く着きすぎちゃったね」「そうだね」 志織は私から離れて、私の隣に来た。「そういえば蓮、翠は?」「あー……」 なぜか不機嫌そうな表情になる。唇を尖らせてプイッと顔を逸らした。唇を尖らせる蓮を見て、少しだけ子どもみたいだと思った。「美咲と来るって言ってたから置いてきた」「なるほどね」 もしかしたら翠と一緒に来れなかったことが少し寂しいのかもしれない。私も約束していた当日に、他の人と行くと言われたら嫌な気持ちになる。そういうことだろう。 その後、クラスメイト全員が集まり、集合時間を過ぎてから新幹線に乗った。「ワクワクするー!」「ふふっ、そうだね」 私は志織と隣同士で座っていた。通路を挟んで隣に蓮が座っている。「そうだ!お菓子持ってきたよ」「私も!」 そう言って私たちはお菓子をカバンから取り出した。「おい、あんまり食べ過ぎんなよ」 はしゃいでいると、隣で蓮が言葉をこぼす。お母さんみたいなことを言うので特に反応もしなかった。「て、聞いてないし」「聞いてる聞いてる」「雑な返事だな」 蓮は私のお菓子を取ると、パクッと口に入れる。「翠も同じクラスだったら良かったなー……」 思わず本音がこぼれてしまい、アッと口を押さえる。隣で志織が目を丸くした。「ごめん、忘れて」「う、うん」 少し気まずい沈黙が流れた。私はそれを誤魔化すように元気
「陽菜ちゃんちょっといい?」 志織と二人で片付けをしていたら、絵里香に呼び止められた。「……何?」 志織は低い声で尋ねる。絵里香はビクッとしたが、すぐに口を開いた。「陽菜ちゃんに用事があるの。少しだけ二人にさせてくれない?」「陽菜に何かしたら許さないから」 志織は絵里香を見て目を細める。私は志織の前に立ち、絵里香との間に入った。「大丈夫だよ、志織。ちょっと片付け任せてもいい?」「それは全然いいけど……」 志織はまだ不安そうに私を見ていたが、私は安心させるように微笑みを向ける。絵里香の視線からはあまり感情が読み取れなかった。 私は静かに絵里香の後ろをついていった。やがてあまり使われていない空き教室に辿り着いた。「絵里香ちゃん、どうしたの?」「……はぁ」 そこで絵里香は大きくため息をつく。「絵里香ちゃん?」「ほんと、うざいよね」「え?」 私は目を大きく見開く。すると絵里香は私の肩を強めに押した。その拍子に机に腰をぶつけてしまう。「痛っ」「蓮くんたちと仲良くして! 私たちに見せびらかして!」「なっ……」「ほんとにうざい! 私だって蓮くんと仲良くしたいのに!」「そんなの……」「うるさい!」 私が喋る隙間もなく絵里香は大きな声で話し続ける。ぶつけた腰が今更になって痛くなった。そして、もう一度私の肩を押す。先ほどよりも強い力で、床に転んでしまった。「っ……」 絵里香は声のトーンを落として言葉を続ける。「どんだけ嫌がらせしても、蓮くんから離れないし」「え?」「気づかなかった?ロッカーとか教科書とか」「もしかして……」「そう。嫌がらせの犯人は全部私。あんなことすれば蓮くんから離れると思ったのに」 絵里香の視線からは色んな感情が読み取れた。寂しさ、羨ましさ、怒り――そんな感情が混ざり合って、聞いていて複雑な気持ちになった。「だったら、もう率直に言うわ」「……なに?」「蓮くんに近づかないで」 そこで沈黙が流れる。絵里
「ありがとうございました〜!」 料理を食べ終えて、私たちは教室を後にする。「次どこ行く?」「あのさ」「ん?」 私が尋ねると、蓮が口を開く。少し申し訳なさそうにしていて、なんとなく予想がついてしまった。私は身震いをする。「お化け屋敷行きたい」 私たちはお化け屋敷の列に並んで待っている。「蓮……」「どした?」 私は瞳に涙を浮かべたまま言った。「武器って持っていっていいのかな?」「いや、何する気だよ」 蓮にツッコミを入れられるが、今は相手にする余裕もない。一人肩に力を入れていると、蓮の反対側からトントン、と肩を叩かれた。「陽菜、怖いなら辞めとく?」「んーん、大丈夫。行こ」 そう言って教室の中に足を踏み入れた。一歩進んだところで蓮がついて来ていないことに気づく。「蓮?」「……怖いくせに」 私が首を傾げると、蓮は首を横に振った。そして、私の頭に手を置く。「ほら行くぞ」「う、うん」 私は蓮の後ろをついていった。「きゃっ!」 BGMが怖くて、一歩踏み出すたびに震えていると、隣からクスッと笑う声が聞こえた。「ふふっ、やっぱ怖いの苦手なんだね」「覚えてたの?」「うん。ずっと気になってたから」「何が?」 私が首を傾げると、翠は首を横に振る。「なんでもないよ」「そう?」 いくら学校の出し物だとはいえ、怖いものが大の苦手な私を驚かせるには十分だった。「うわぁ!」 仕掛けが発動するたびに大きな声を上げる。「陽菜、可愛い」「えっ」 急に翠から放たれた言葉に、さっきとは別の意味で驚いてしまった。胸を押さえていると後ろから腕を引っ張られる。「わっ、びっくりしたぁ。急に引っ張らないでよ」「悪い。怖いかと思って」「まぁそれはそうだけど……」 腕を引っ張ったのは蓮だった。抱き締められたまま、視線を蓮に向ける。蓮の視線は、獲物を守るような鋭い目をしていた。「蓮?」
私たちは駅前のカフェへ歩いて向かう。蓮は一度家に帰って、私服に着替えてきた。カフェの扉を開けると、赤いエプロンを身に着けた女性が私たちを席へ案内する。店内は白を基調とした床と、青空模様の壁紙に囲まれていた。木製の机と椅子が規則正しく並んでいる。片側がガラス張りになっていて、開放感が溢れるお店だった。店内にはシロップの甘くてほろ苦い香りが漂っていた。 私は机に置かれているメニューを覗いた。そんな私を微笑んで見つめている蓮の視線に、落ち着かなくてじっとメニューに視線を向ける。「蓮は決まったの?」「陽菜が選んでから決めるからゆっくり選びな」
楽しい夏休みもあっという間に終わり、今日から二学期が始まった。まだ夏の暑さの余韻を感じられる。今日も三人で投稿していた。「ずっと夏休みが良かったなー……」「もうそれは夏休みじゃないだろ」「あ、確かに!蓮のくせに賢い」「なんだよ。俺はいつだって賢いさ」「翠〜蓮がなんか言ってる〜」「あははっ。確かに蓮は賢いかー」 蓮と軽口を交わし、翠に癒しをもらう。前と同じはずなのに、胸の奥がじんわり熱くなる。外の暑さもあって、のぼせてしまいそうだった。 私たちはいつも通り、授業時間まで廊下の隅で談笑していた。予鈴が
海沿いを車で走って三十分のところにある旅館が今回宿泊する場所だ。二階建ての和風建築で、木造の茶色い床が私たちを出迎えてくれる。木特有の香りと温泉の匂いが混じり合って、自然豊かな香りが入り口から感じられた。 二階に上がり、適当に荷物を置いて窓に駆け寄る。窓から広い海を眺めることができた。窓を開けると潮の香りが風に乗って入り込んでくる。自然豊かな環境に心の奥から安らぐ気持ちが広がった。「海、綺麗に見えるよ!」「相変わらず楽しそうだな」 そう言いながら蓮は私の隣に立つ。先ほど見ていた時とは違い、夕陽に照らされ、海が琥珀色に輝いていた。「この海
「海だー!」 日差しに照らされた群青色の海を目掛けて砂浜を駆け足で横切り、波打ち際に向かう。砂がサンダルに入ってザラザラしていた。車の中で感じた潮の香りと海の風がさらに強くなって、非現実味が増している。 「陽菜、走ったら危ないよ」 「ごめん。早く見たくて走っちゃった」 「その歳で転んでも知らないぞ」 「転ばなかったからいいの!」 いつも通りの会話をしているのに、なぜだか気持ちは浮き足立っていた。周りには、親子や友人、恋人同士で楽しそうに声を上げている。 海の広さと人混みに紛れたせいで、自分の存在の小ささを思い知らされ、自然と感傷に浸ってしまう。それでも、寄せては返す







